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風の果て雲の彼方  作者: 加藤 弓雅
悲劇
3/8

- 3 -

「バンガルの御使者とお見受けする」

ラハムは、3人の中で一番年嵩の男に話しかけた。

「いかにも、族長グイヌが名代、戦士長のジュガルと申す」

大氏族の地位ある立場にふさわしい態度で、ジュガルが返す。

「ご来訪、かたじけなく存じます。それがし、長セルグが長子、ラハム。此度のことの次第、我ら戸惑うばかりなれば、子細をお聞かせ頂きたく一席設えました、なにとぞよしなに」

そう述べて、バンガル一行を天幕へと誘った。

「今は結構。我らには為すべき事がある故」

「あまりにも無礼であろう、バンガルの使者よ。仔細も述べず呼び付け、着けば着いたでこのような場所へとは」

サグアが、怒りを隠さずジュガルをただす。あまりに無作法な態度をオルテンの総意と誤解されれば、サグア自身の立場もない。

「これは、我らが配慮」

傲慢とも取れる態度でジュガルが返す。

「無礼がいかなる配慮であるか、是非、お聞かせ願おう」

ジュガルが顎をしゃくった。それを合図に、従者がぼろ布から何かを引きずりだす。

引き出されたのは、後ろ手に縛りあげられた少女だった

年の頃は十を越えたかどうか。薄い色の髪は、陽に透かした紗の様だが、普段は美しいであろうそれは、埃にまみれ擦れてよれている。

まぶたは閉じられ、かすかな瞬きもない。色の薄い肌には、いくつものあざと擦り傷があり、ところどころで滲んだ血が、乾いて黒ずんでいる。

「起きよ」

ジュガルは、横たわる少女を、軽くではあるが蹴った。

一同が息をのむ。

少女は、目を開けのろのろと体を起こす。

「これはいかな次第か!」

吠えるような勢いでサグアが問うた。

バンガルの使者は平然と返す。

「これにあるのは、ディナル氏族の長を卑劣に討った、氏族の長の娘である。鼠のように逃げ回っておったが、ようやく捕らえた。下手人として下げ渡すゆえ、首とするなり存分に留飲を下げるがよいぞ」


下手人は、必ずしも罪を犯した者を指さない。非がある氏族が相手の氏族に詫びとして差し出す証である。差し出されるのは、必ずしも犯人とは限らない。裕福な氏族は、それがために流れ者を喰わせていたりする。受ける方も、それを承知で引き渡された者を斬り、事を納める。不毛な報復の連鎖を避けるための、草原なりの知恵とも云える。

「下手人であればなおのこと、引き渡しの作法があるではないか」

「この者、卑怯にも多勢で長たちを不意打ちし皆殺しにした悪逆なる者の一党、礼に適った扱いなど不要」

サグアとジュガルが言い合う。

連合からの詫びであれば、それなりの作法というものもあるが、ジュガルの言うことが正しければ、連なる者が受ける仕打ちとしてあり得なくはない。

宿営地の柵の中での流血を伴う殺傷は、神宜を除いて忌み事となる。下手人を斬るならば、確かに配慮ではあった。

「して、根拠は如何が」

「それは明かせぬ。なにゆえ知り得たかを明かせば、次から我らが知るすべを失うやもしれぬ」

が、知るすべは一つでなかったとも言い、

「子細を確かめるため、宿営地を訪ねたところ、戦装束の者共が戻ったところであった」

問いかけにも応じず、武器を用意する様子であったため、やむなく討ち果たしたという。

「詮議もせず、女子供までもとは」

サグアの言葉に耳を傾けもせず、ジュガルはラハムへ言葉をかけた。

「我らが知るはこれがすべて。後は貴殿らのなさること」

そして、少女を顎で指し示す。

「仇を取られよ」


ラハムは、腰に帯びた剣を、ゆっくり抜いた。

「そなたは、此度の件の下手人という。一族の仇を報じるため、そなたを切らねばならぬらしい」

そうか、少女は小さく呟いた。

「冥府の門をくぐる前、この地に残す言葉あらば、聞こう」

少女はラハムを見上げた。瑠璃色の瞳は、晴れ渡った空を映したように澄んで、欠片の揺らぎもない。

「貴方が氏族の恨みを晴らすため、下手人の私を斬るならそれは良い。私の首が落ちて、誰かの助けとなるなら、喜んで冥府の門をくぐれよう」

少女はゆっくりと瞳を閉じる。ラハムは刃を一旦首に沿わせ、剣をゆっくり、ゆっくりと振りかぶる。

「一つ誓ってほしい。私を斬るは、渡された下手人で憂さを晴らす為にする事と」

少女は、瞳を閉じたまま言葉を待った。

数瞬の沈黙が続く。剣は止まったまま、誓う言葉はない。

「下手人を斬るだけなら、良い。が、我が氏族が謂れなき咎の謗りを受け、ために私が斬られるならば、首とされても私は死ねぬ」

氏族の誇り。今は皆が討ち果たされ、守る者のないそれをひとり胸に守り、この少女は死んでゆかねばならない。

それは、ラハムにかつて父が説いた言葉と重なるものだった。

”身を正せ。お前の行いが氏族の価値を決めること、夢忘れるな”


サグアの様子を伺って視線を動かすと、傍らに控えるバングと目が合った。難しい顔をしてはいる。が、少女を見据える視線にあるのは、憎悪ではないように思えた。

ラハムは、振りかぶった剣をゆっくりと降ろし、鞘に納めた。

「き、斬らぬのか」

バンガルの使者は、慌てたようにラハムに言う。

ラハムは、バンガルのお骨折りと厚意には、かたじけなく思う、と謝して続けた。

「バンガルに信ずるものと立場があるように、この娘の氏族にも信ずるものと立場がありましょう。どちらを諒とするか、神ならぬ我が身には判じかねますゆえ、今は預かり置くしか、ありますまい」

「それは怯懦と云うものですぞ。小なりといえ、連座の者。仇の一族なのですぞ」

ここで首にさせなければ自分が困ると言わんばかりの勢いで、ジュガルがラハムを責める。

良いのだ。我には女子供を首にする度胸はないらしい、とラハムは呟き、

「下手人は斬らずにおいても構いませぬな」

と、元々はこの場を纏める立場のサグアに問う。

「無論」

サグアが断言する。そして、続ける。

下手人を受け取る作法で謝罪を受け入れることに意味がある。その後、首としようが、氏族の者の嫁としようが、売り飛ばそうが、受けた氏族が決めること、と。

「まさか此度は、斬らずば返せと、仰りますまいな」

ラハムの重ねての問いに、

「無論。連合評議の名に懸けて誓い申そう」

バンガルの使者が口を挟む暇を与えず、サグアが請負う。そして、畳み掛けるように、バンガルのご使者殿、異存御座りますまいな、と念を押す。

ここで否といえば、連合からの詫びをもとより覆す。

そこまでの胆力は、バンガルの使者に無かった。

「では、これにて連合とディナルの諍いは落着とする。何人も異を唱えること能わず」

サグアが宣ずる。

一同の沈黙を以って、約定が交わされる。

ラハムの目配せを受け、バングが朗らかな声を張り上げる。

「さてさて皆様方、給仕の用意が整っておりますぞ。約定のしるしに茶などは如何か」

「我らはお暇する。田舎臭い茶など、無用じゃ」

不機嫌さを隠そうともせず、バンガルの使者は吐き捨てた。

「そうか、では、我は馳走になるとしようか」

サグアは、良きものを見たと言わぬばかりに口角を緩め、バングの誘いに応じた。


ジュガル達バンガル氏族の者は立ち去り、サグアの接待バングに任せて、ラハムはその場に留まった。

傍らでは。ミルカが口を真一文字に引き結び、ラハムを睨んでいた。

「兄さまは、この子を殺す、お心算でしたか」

「次第がそう仕向けるならば。それはクラートのお望みであろうからな」

言いながら、服と縄の間に剣を差し込んで引き、縄を切る。手を縛った縄は、肌を傷つけないよう慎重に刃を当て、断つ。

「貴殿は、何故………」

少女は、ラハムを見上げ、

「そなたの氏族の者を害したのは、我らではないと、信じて貰おたと思ってよいのか」

と、問うた。

「事の真偽はわからぬ。が、そなたの誠は、我が見、聞き、知った。今はそれで充分」

ラハムは、縄を解くと、少女の両腕を支え、立ち上がらせる。

「名を聞いてよいか」

少女は、ラハムを真直ぐ見て、言った。

「ヴィスカベル氏族のエイカ」

エイカと名乗った少女はかぶりを振り、澄んだ声で付け加えた。

「グラムとラハミネが一人娘、エイカ」

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