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本編開始前シリーズ

本編開始前に、悪役令嬢を断罪したようです

作者: 作者

舞台は平民の酒場と学校。

タイトルは最初はあまり気にせず読んでみてください!


私の朝は、夕方に始まる。


部屋が西側だからじゃない。うちが、酒場だからだ。



コペランディ王国、首都、ハーツィラム。


この街は、いつも冒険者や商人で溢れている。

大通りにはいつも沢山の人が行き交い、ダンジョンを攻略した後の祝勝会や、大口の取引が決まった祝いの席など、外食のきっかけには事欠かない。


でも、うちは。


ここは、冒険者だった父と母が、常連だった店を受け継いで営んでいる。大通りから一本路地を入った、目立たないところにあるお店。


丸い木のテーブルが10。カウンターには、席が15程。内装は古い。落ち着くといえば聞こえはいいけど、椅子はギシギシするしテーブルの傷もひどい。

それに今時、入り口の扉が腰の高さの板だけなんて、あんまりないよ。

うち、古いんだ。



大通りの華やかな新しい、いざかや、とか、ばー、とかいうものに、そういった華やかな催しは流れていく。

店内はそんなに広くはないのに、みんな少ない注文で長話をしていく。父さんや母さんは楽しそうに笑っているけど、これでいいのか。そのうち、お客さん全員大通りにとられちゃうんじゃないのか。



二階の洗面所で顔を洗って、髪を濡らす。お母さんが絞ったオリーブの油に混ぜ物をした洗い液で、髪の根元を指で擦るように洗う。そのあと魔法の少し暖かい風で、櫛で梳きながら乾かす。


鏡の中で、お父さん譲りの大きな緑色の瞳が私を見つめる。お母さん譲りの、癖のないピンクベージュの髪が、さらさらと揺れる。


毎日洗っているので、髪はきれいなものだ。つやつやして、なかなか結いにくいくらい。それからお水をつけて布巾を濡らし、絞って自分の部屋に持って行き体を拭く。



これは、お父さんとお母さんにきつく言われている習慣だ。きゃくしょうばい、だから、せいけつにするのは当然のこと、なんだそうだ。


毎日顔や髪を洗って体を拭くなんて、お貴族様みたいね、とは、学校のみんなのお話。



10才の平民の子供は、13才になるまで教会に設置された学校に入れられる。読み書きや計算、国の歴史や簡単な魔法を学ぶのだ。

今の国王様が新しくきめたことで、私もこの秋から通い始めた。


お貴族様には遠く及ばないけど、私たちにも小さな火をおこしたり、飲み物を冷やしたりする魔法は少しだけ使えるようになったりする。そうするととてもべんりだから、一生懸命に練習するんだ。


冒険者になりたい子は特に真剣。居残りで受けなきゃいけない特別授業の剣術も、男の子ならみんな受ける。女の子も少しだけいる。


私はそれがとても羨ましい。だって、家の手伝いをしなきゃいけないから。

私だって、剣術の授業を受けてみたい。小さい頃から鍛えられている自分の腕を、試してみたい。

酒場の手伝いなんてしてたら、ずっとここにいることになる。



10才の今は見習い以下だからまだいい。でもそれは、結婚してないまっとうな娘の仕事じゃない。


酒場で働く若い娘が、どういう目で見られるか、私にだってわかってきた。

うちの二階が住まいになっているのもよくないんだ。


クラスでは、私がもう、そういうおきゃく、をとってるんじゃないかって噂になっている。

うちの店が、大通りの新しいお店に明らかにお客さんをとられているのに、けいえい、が安定しているからなんだって。




学校に入ってすぐ、商人の娘の……ええと確かロザリーって名前の子、がそんな噂を話し始めた。

見事に私はクラスで除け者になってしまった。どんなに否定しても、聞いてなんかくれない。



魔法を学ぶグループを作るとき、薬草の素材を外に取りに行くチームを作るとき、私はいつも一人きりになってしまった。


わいわいと楽しそうに騒ぐみんなを尻目に、黙々と課題をこなしていく。

お父さんとお母さんにもう習ったことばかりだから、問題はない。ただ、置物のようにそこにいて、手が勝手に動くのに任せればいいだけだ。


うん、それだけだ。別に誰も必要ない。





だから、私の朝は夕方に始まる。



学校から帰ってきて、身支度を整えて、お手伝いをする時間。それが、1日の中で私が私でいる唯一の時間になった。



「よう、ディアス!もう食えるか?」


からん、と、扉についている鈴が鳴る。これも古臭い。大好きな音だったのに、今はなんだか恨めしい。


本当に嫌だ。何が嫌なのかわからないぐちゃぐちゃした気持ちが、私を満たす。



店に入って来たのは、常連の冒険者、カラムだ。青い髪に紫の、少しタレ目。目尻のシワが濃い。たくさん笑う人の印だ。

近所に家があって奥さんもいるんだけど、自分の帰りが、ふていき、だから嫁に悪いって言って毎日のように飲みに来る。

ごはんを食べに来ているついでに一杯やってる、というかんじ。


いつもカウンターの端っこで、オーク肉のタレ漬け焼きや、お魚の煮物、キャベツの浅漬けなんかをがつがつ食べて、エールを1、2杯飲んで父さんと世間話をする。

そして、店がそれなりに混み合うと、ちょうどおなかいっぱいになるのかそっと勘定を置いて去っていくんだ。



私は、カラムの席に今日の最初の注文、川魚を丁寧に燻したくんせい、と、ふわふわのパンとオーク肉の串焼きを持っていった。


「おー、リーナちゃん、ありがとう。今日もかわいいな。お行儀もいいね。さすがエリサの娘だ」


頭をがしがしと撫でられる。うう、もう私、小さくないよ。髪がくずれるよ。ひとつに結ってるだけだからすぐ直せるけどさ。


「ああもう、カラム。うちの大事なリーナに構うな。汚ねえのがうつる」


癖のある金の髪を短く切っている父さんが、私と同じ緑の瞳を吊り上げて軽口を叩く。

がっしりした体型のお父さんがちょっと荒っぽく言うとけっこう怖いんだけど、カラムは慣れている。上機嫌で返した。


「いや、リーナちゃんは将来有望だ。仲良くしておかなきゃな。上のダルクじゃなくて、リーナちゃんがここを継ぐんだろ?」


「そんなのは本人たちが決めることだ。リーナは学校に行ったばかりなんだから、まだ先の話よ。違うことをしたくなったら、また考えるさ。変なこと吹き込むなよ」



私には、お兄ちゃんがいる。ダルクといって、5つ上だ。

お父さん似で、がっちりした体型に、髪の色はお父さん譲りの金の癖っ毛、目はお母さん譲りの薄い青の瞳。


13才の時に正式に冒険者登録をして、今は近くの浅いダンジョンで仲間達と少しずつ稼いでいる。

けっこうモテてるらしい、とは、カラム談。


お兄ちゃんのパーティメンバーはみんなこの街出身だから、実家があって宿代がかからない。だから装備にお金をかけることができて、そこそこ強くなっているらしい。


見目がよくてしかも強い冒険者は、人気だ。

街を歩くとおんなのひとに声をかけられたりする。


お兄ちゃん、冒険者、やめないかもな。

このお店は、やっぱり私が継ぐんだよね。



クラスのみんながひそひそ話す噂が、どろりと私の中に広がっていく。


酒場の子っておとこのひとといけないことするんだよ、よっぱらったひとにこえをかけられたらことわれなくて、だれとでもいけないことしなきゃだめなんだって。

リーナ、かわいそうだね。うん、かわいそう。よるにおしごとしてつかれているから、そっとしておこう。うん、とってもつかれているものね。くすくすくす。






私の朝は、夕方に始まる。


お兄ちゃんに聞いたところ、学校の勉強は、全部もう親に教わって頭に入っていること。なら、本当は行く必要がない。

ここを継ぐしかないのなら、もういっそ一日中ここにいて、料理の勉強でも始めた方がいいんじゃないかな。


いつも、お母さんに切り出そうとして、やめる。それもなんだか、忙しいから学校に来れないのね、とか、あの子達は言い出しそうだ。


一生、街を歩くとそんな目で見られるなんて、嫌だ。


成績は私がいつもトップだ。魔法だって一番できる。だって全部家で勉強して知ってるから。

本当は剣術だって、裏庭でお父さんに物心ついた頃から鍛えられている。

授業にさえ出られたら、あいつらをまとめて叩きのめすくらいの自信はある。



ぐるぐると回る黒い気持ちを抑える。


そうしたら、私の髪を更にカラムが激しくぐしゃぐしゃにした。

頭がぐらんぐらんする。カラムの手は温かかった。


「なんか困ったことがあったら俺らに言えよ。いつでも悪いやつなんかやっつけてやるんだからな」


にいっと笑うカラムが、混じり気のない笑顔を向けてくる。


ふっと、肩の力が抜けた。そうだった。私の朝は、始まってるんだ。

黒い気持ちがすうっと私の奥に押し返される。今は、出てこなくて大丈夫。


私も、にっと笑って言い返す。


「わたしが困ることなんかないもん。お父さんとお母さんの子供だからね」


強がりだった。ふん、と、鼻息が出た。

はしたない。一瞬、カラムが固まる。

直後、ぶははっと笑いだした。



「違いねえ。お前は、強い。同じ年の子の中じゃ、きっとこの街で一番な。大丈夫だな」


にやりと笑って、カラムが拳を私に向けてくる。

私も、拳を作ってごつんと突き合わせる。

冒険者の、勝利の挨拶。


そうだ。私は強い。誰よりも。


お店にいて、何が悪いんだ。

みんながばかだからわからないんだ。



黒いぐるぐるは、私の中で小さくなって喜んでいた。

うん、今日の朝は、いい朝だ。

カウンターの裏で、髪をさっと直す。もう、ほんとうにぐちゃぐちゃだ。カラムめ。



からんからん、と、お客さんが入って来る音が続く。


私は改めて、お客さんを見てみた。本当に、みんなが言うような、へんなことをしようとするひとは、見たことがない。

私も、ばかだった。あんなばかなやつらのいうことをきいて、大好きな扉の鈴がいやになるなんて。



ここのお客さんは、お父さんや常連の人が嫌なやつをやっつけてしまうから、いいひとばっかりだ。



なぜか一人で来るお客さんが最近多い。

お父さんとカウンターで話す、そのひとりの話が耳に飛び込んできた。


大通りのいざかや、というお店は、とても賑やかな場所なので大所帯じゃないと入りづらいのだそうだ。

いざかやは、若い冒険者が多くて割と、わるよい、をしている人が多いから、家族連れからもけいえんされているのだとか。


そういえば、ちょっと外でごはんを食べたい近所の家族連れなんかも最近は多い。



そうか。そうなのか。いざかやとうちは違うんだ。

お客さんが選ぶことだ。うちはうちで、いいんだ。

このままで、いいんだ。


にんまりと笑みがこぼれる。



うちはお父さんもお母さんも強いから、お酒が飲めるようになったばかりの若者が来たって安心だ。

揉め事は起きないし、わるよいなんてする人はいない。

飲みすぎだと思ったらうちはその人にお酒を出さない。ちゃんとお断りする。


まあそうすると大体愚痴大会が始まるんだけど、その八割以上が恋の悩みだ。

父さんや母さんが聞くこともあるし、時には店の常連さんも加わってわいわいやってたりする。



みんなは、ここで少しずつ仲良くなる。

静かに飲みたいひとはそっとしておいて。お話をしたいときには誰かが話を聞いてくれて。


とてもいい、お店なんだ。


どろどろした黒い気持ちは、お休みを取ることに決めたらしい。



やっぱり、私の朝は夕方に始まる。


お料理を運んで、テーブルを片付けて、お皿を洗って、水汲みに行って、またお料理を運んで、お会計をしながら。

久しぶりのお客さんに挨拶して、撫でてもらって、元気でいてくれてほっとする。いつものお客さんに、言われなくてもいつもの飲み物を出してそっと微笑まれる。


そんなやりとりを見守っていてくれる、大好きなお父さんとお母さんがいる。


日付が変わる頃、私の1日は終わる。



そしてまた、お昼過ぎに学校に行く。

まだ私の一日は始まらない。だって置物になりに行くだけだから。





でも、その日は。

私の机が、なかった。



くすくすくす、と、笑い声が聞こえる。


おしごとたいへんだもの、おべんきょうなんてつかれることさせちゃかわいそうよ。そうね、よるのおしごとは、とてもつかれるものね。うん、つかれているのだから、むりさせてはかわいそうよ。くすくす、そうよ、かわいそうだわ。まいにち、たいへんなのにね。



ばかのささやきがきこえる。



教室になっているところは、教会の中の大きな部屋だ。先生も、司祭様が行っている。


もうすぐ、司祭様が来る時間だ。



「ねえ、私の机、知らない?」


語りかけてみた。返事がないことはわかっていた。


みんなが、私の周りを囲んで黙って見ている。

見せもんじゃねえよ。


どろどろどろ、黒い気持ちが渦になって、私は真っ黒になった。うん、多分、中身をかぱっと開けることができるなら、真っ黒い塊が出てくるだろう。



さて、どうしようか。もう帰ろうかな。ずっと店から出ないで過ごしたら、こんなどろどろには付き合わなくていいのに。


でも、なんだか逃げるみたいで、とても悔しい。何もわるいことしてないのに。



なんでか、カラムの言葉を思い出した。


「違いねえ。お前は、強い。同じ年の子の中じゃ、きっとこの街で一番な。大丈夫だな」



そうだ。私は、この中で、一番、強いんだ。



だんだんだんと、荒い足音を立てて、教室の奥に歩いていく。

そう、空いてるじゃないか。ひとつ、席が。



だん、だん、と、段差を登る。

よいしょ。やっぱり、椅子がちょっと大きいな。うん、でも、ちゃんと座れる。


教壇は、二段程高い位置に据えられている。その先生用の椅子に座ると、教室内がよぉく見えた。


うん、よく見えるねほんとに。見えるってことは見られてるってことなんだけど。



にやりと周りを見回すと、教室はしんと静まり返った。

ばかな奴らなんか怖くない。弱いやつらなんか、怖くない。

私の黒いどろどろが、広がるといい。真っ黒い気持ちが、少しでも、移ればいい。思い知らせてやる。



さあ、来い。


誰がやったか知らないけど、隠れてないで出てくれば。まあ、指示した奴はロザリーだろうけどさ。


私はお前らなんか、一撃で倒してあげる。さあ、もう、先生来るよ。早く来い。



「……ねえ、あなた、今日はおうちに帰った方がいいのじゃない?机は、みんなで探しておくから」


おや、様子見をしていた女の子が話しかけて来た。あなた多分実行犯じゃないのに、勇気あるね。でも、引けない時もあるのよ。



「ううん、むしろここから全員出さないよ?私の机をどこかに捨てた犯人が、この中にいるんだもん。

先生にちゃんと言って、犯人には学校を辞めてもらわないと。そんな悪いやつと一緒に勉強なんかできないよね?」



「はあ!?出さないって、どういうことだよ!辞めるとかなんでお前が決めんだよ!」


血の気の多い一人の男子が騒ぎ出した。

辞めてもらわなきゃ、に、釣られたかな?


あ、てことは君もやったんだね?



そういえば、主犯格の女の子達に気に入られてる、運動がよくできる子だもんね。剣術も多分いい成績を収めているはずだ。



うん、君に決めた。




教壇から降りて、その子の目の前まで進む。


だん、だん。足音をわざと大きく立てて、ゆっくりと、目の前まで。息をすると相手にかかるくらい、近く。


「出さないって言ったの。先生、もうすぐ来るでしょ?それまで待てをするくらい、できるでしょう?

ねえ、忠犬わんわんくん」


かっと、そいつの顔が赤くなった。え、図星かな?


くすくすと、嫌な笑いが漏れた。あれ、これ、私の声?どこか遠くから聞こえるような気がする。

黒いどろどろが、出口を探して、目の前の男の子を見据える。


「わんわんくんの飼い主は誰かな?この中にいるよね?先生によぉく聞いてもらわなきゃね」



八つ当たりだ。わかってる。この子だけが悪いんじゃない。でも、止められない。


黒いぐるぐるは、今にも出てきそうなのに、出口がなくて戸惑っている。

ちょっとだけ、カラムの顔が蓋をしていた。

悲しませたくない。がっかりされたくない。


うん、ちょっとだけ方針変更。



「なんだと!ふざけるな!!」


かっとなって男の子が拳を振り上げる。


よぉし、待ってましたよ。

敢えて、避けない。



がんっ!



顔を、思いっきり殴られた。みんなの、前で。

ぽた、と、口から血が出てくる。うん、久しぶりだ。ちょっと痛いな。訓練ではよくあるから全然平気だけど。

これ、放っておけば少し顔、腫れるやつだ。早く腫れればいいのに。



「え、あ、お、お前が悪いんだからな!悪口を言ったからなんだから、お前のせいなんだからな!!」


ちょっと怯んでる。ふふ、よしよし。

君は私の犠牲者だ。黒いどろどろが移るといい。そのうちご主人様に届くように。


さあ、悪いことしたなと思え。さあ、歪んだ気持ちに溺れろ。自分に言い訳をして、そしてそれをこの後司祭様にすごく怒られるんだ。


いくら言い訳しても、私の顔の殴られた跡は消せない。殴ったところはみんな見てる。私の顔は、そのうち腫れて痛々しくなる。


私は慣れてるから平気だけど、そんなのみんなは知らない。魔法ですぐ治せるけどね。直してやんないよ。

さあ、言い訳しろ。歪め。苦しめ。



にやっと嗤った私の顔は、どうなってるんだろう。悪者はどっちだろう。

でも、私は悪くない。やり返せないから、糸口を見出そうとしているだけ。


わんわんくんには、悪いことしてるのかな。

でもこの子、多分、机捨ててるよね?

確認してないけど、きっとそうだよね?


わかんない。でも、なんだかとても気持ちがいい。




視界の端で、人が動いた。外に出ようとしている。先生を呼びに行ったのか、机を取りに行ったのか。


たんたん、と、ふたつ跳躍して教室の入り口に立ちふさがる。ひっ、と、動いた女の子達が怯む。


うん、君たちも主犯じゃないよね。いつも悪口を言ってたやつらじゃない。傍観してた側だ。

それもわるいことなんだよ。知ってる?



「出さないって、言ったよね。あなた達がやったと思ってるわけじゃないんだけどさ。やったやつらは大体わかるし。

でも、ごめんね。今はここを出ないで。誰も、一歩も」


ぎらっと、教室内を見渡した。

しんと、静まり返ったみんなを見て、女の子達に声をかける。


「席に、戻って。多分あなた達は関係ないよね?」


こくこくこくと頷いて、彼女達は席に戻った。


うん、あなた達はいいや。本当に仕返ししたいのはロザリーだ。人を使って、表に出てこない、好き勝手なことを言って黒いどろどろを作り出すあいつだ。

私は、被害者だ。



「ねえ、誰?やったの」


扉の前に立って、私は問う。


まあ返事が返ってくることはない。そうだろうなとは思うけど、一応聞いておかないと。聞いてみて、返事がなかったってことは先生に伝えないと。


ふふふ。さあ、怯えなさい。今まで何も言い返して来なかったんだもの、びっくりしてるでしょう。

私より自分が強いと思ってる、あなた。少しは出てきたらどうなの。




「……なあ、もう、やめろよ」



その時、教室の窓側の席から声がした。

青い髪。紫の瞳。ああ、教室の中でほとんど誰とも話さない私も、あの子は覚えてる。


「俺のおやじが、こいつんとこによく行ってるんだけどさ。みんなが言ってるような店じゃねえぞ。

こいつに手なんか出したら店のおやじにぼこぼこにされるし、こいつ自身も強いんだ。そう簡単に言いなりになんてならねえよ」



そう、あの子は。

カラムの、息子だ。確か、五番目の子、ニムルス。同じ年だって、聞いてた。

カラムは店で一度もこの子のことを話さなかったけど、同じ年ならこの教室にいるはずなんだ。



「けっ、強えなんて嘘だ!俺に殴られっぱなしだったじゃん!!」


さっき私を殴った奴が声を上げた。

うん、わざと殴られたからね。こっちが手を出したら、そこをすかさず揚げ足取ってくるでしょ、あなた達。



「いや、確かだ。俺、一回店に行ってるんだけどさ、こいつが大人の冒険者をボコボコにしてるとこ、見たぞ」


ん?ボコボコ?

無理矢理手を引っ張ってお酌させようとした人に、張り手をくらわせた事くらいはある。

でも、私が手出しするまでもなく、お父さんや店の常連の人たちがやっつけてくれるから……。




……そういうことか。乗っかっておくか。

黒いどろどろは、好機だと、私に囁いた。


「あはは。うちはお父さんもお母さんも強いから、そういうことはめったにないんだけどね。来てたんだ、気づかなかった」



ふっと笑って、つかつかと大股で。ニムルスは窓辺から私のところに一気に詰め寄る。え、なに。


「お前、ずーっと能面みたいな顔してここにいるだろ。まあ周りがこんなんじゃ、無理もないけどな。俺の顔、覚えてたか?」



ちょ、顔が近い。逆に見えない。

ちょっと後ずさる。

すっと、耳の後ろに手が回った。ぐいっと顔をまた近づけてくる。なんで。どうして。



「覚えてないよな……ははっ、そんなに赤くなんなよ、何もしねえよ」


かっ、と、顔から火が出そうになる。赤くなんかなってない!

ばっと、手を振り払う。ははっと笑って、ニムルスは両手をあげる。手を出しませんよ、の合図だ。


いや、顔は整ってる方だと思うよ?なんかでも、ちょっとタレ目で胡散臭い。

カラムに似てるからなのかな。安心してしまってた。こんな隙を見せるなんて、不覚!!


……あれ?




「ほら、男をたらしこむのはお手の物なのよね。ふふ、夜はとても大変なのでしょうね」



はっきりと、声が聞こえた。

私は、初めて噂の元をまっすぐ見つめた。これまで、目を合わせないように、考えないように無視してきたから、まともに顔を見ていなかった。



ぐわっと、黒い気持ちが盛り返してくる。


金色の髪を縦に巻いて、肩まで伸ばしている。

あれは癖毛らしい。あの髪型以外にならないんだそうだ、かわいそうに。ベージュの瞳と色合いは合っている。

ちょっとつり目だけど、髪型は変だけど、鼻筋も通っていて羨ましがられるくらいのきれいな子だ。


顔はね。



「ロザリー。こいつがそんなこと、してると思うか?俺が近づいただけで、こんなに茹で蛸みたいになってんだぜ?」



茹で蛸とはなんだ茹で蛸とは。

くっ、隙を見せたのが悔やまれる。



「……それでも、やっぱりあの店はいかがわしいわ。大通りにきれいなお店ができたのに、どうしてまだ繁盛しているのよ。この子のせいではないの」


イラっとした。あっちはあっちで勝手にやってればいいでしょうが。

ちょっと言い返そうか。



「うちの店は小さいから、静かにごはんが食べたいひとに人気なんだよ。新しいお店は、がやがやしてて苦手だって人が来るの。昔からの常連さんもいるし」


あれ、普通の切り返しをしてしまった。黒いどろどろ、もっとあいつを傷つけないと。どこに行ったの。




「それでもおかしいわ!!」



かちゃっ。


ロザリーが叫んだちょうどその時、司祭様が、私の机と椅子を持って現れた。


「遅れてすまないね、ちょっとゴミ捨て場に大事なものが落ちていたもので。さあ、授業を始めますよ。皆さん、座りなさい」


がたがたと、みんなが座る音が響く。ロザリーは、どかっと不満気に荒々しく席に着いた。


私の席は一番前だ。司祭様は、机をいつもの場所に置いて、ハンカチを出した。


「口が切れていますね。どうしました?」



これだ。これを待っていた。はずなのに。


「ちょっと転びました」


嘘をついた。主犯がしゃべり出した今、司祭様に間に立ってもらう必要はない。うん、ない。

私に、わんわんくんを断罪しろと黒いものが囁いているけど、なんかさっきかなりこいつは弱ってしまった。なんでだ。


多分、ニムルスのせいだ。実行犯も追い詰めようとしていたのに、やる気がなくなった。


黒いどろどろが、小さくなっていく。

悔しい。なんか気持ちいいのが、悔しい。


「いや、おれ「転びました」」


「だからおれ「転びました」」


「おまえなに「転びました」」



わんこ君が何か言おうとしたけど無視した。


司祭様は、頭を抱えてため息をついた。


「……まあ、よいでしょう。

神に賜わった教会の備品である机を捨てた者も捨てさせた者も、あなたが転んでぶつかったものも、神の導きにより相応の罰はあるでしょうから」



はっとした。司祭様、全部わかってる?


相応の、罰。司祭様が怒ってくれるのかな?



「神は全てを見ています。人の行いを、全て。その者達は、悔い改めない限り、己の心に苦しめられるでしょう。リーナ、覚えておきなさい。罰は、神が与えるものです」


そっと、司祭様は私の頰に触れた。そして、明らかにロザリーの方を、じっと見つめた。


私の位置からは、彼女の顔は見えない。



司祭様、それ、ちょっと違う。でも、長い目で見れば、そうなのかな?

大人になって、取り返しのつかない過ちを犯すまで直さないであげるのも、いい仕返しなのかもしれない。

でもその間、その犠牲になる人たちはどうなるの。


また、黒いどろどろが少し盛り返した。

違う。ちゃんと怒らないと、伝わらない時も、ある。



「リーナ、その傷は自分で治せますね?」


こくりと頷く。まだ習っていない、最上級生しか使えない治癒魔法。しかも適性がなければできないそれは、私には簡単なことだ。


手を当てて少し集中する。すうっと傷は消えた。



「……うそ」


あ、教室を出ようとしていた女の子だ。うん、君は多分中立だから、許す。ロザリー以外には、なんだか寛大な気分なんだ。



「あ、魔法は習ってないのも一通り使えるよ。何か困ったら言ってね?」


振り返って、にっこりと微笑んでやった。ロザリーにも見えるように。


ぐぎぎぎ、と、手元でハンカチを引っ張っているロザリーは、先生の前で事を起こす気はないようだ。


また、ふう、と、司祭様がため息をついた。



「……リーナ、あなたは、もう専門校に行った方がいいかもしれません。商学校や冒険者養成所、貴族が通う学校にも特別生として、あなたなら私が口利きはできますが……」


「お父さんが、この学校に行けと言ってたので。相談しないとわかりません」


「……わかりました。では、授業を始めます。それで、よいのですね?」


こくり。頷く。机のことは、まあ、なんだかどうでもよくなっていた。



司祭様の、もう知っている話をつらつらと聞きながら、窓辺をそっと見遣る。

ニムルスは、こちらを見て、にやっと笑った。


黒いどろどろは、あいつに蓋をされて抑えられているみたいだ。それだけで、すうっと消えていった。



石になっている時間はようやく終わって、帰ろうとした時。

あの、わんわん君が声をかけてきた。


「おい、お前、ちょっと来い」


は?なんで?


私は無視して道具を片付け、鞄にしまい込む。


「強いんだろ。証明してみせろ!」


私は睨んだ。その子を。

あ、初めてちゃんと顔を見た。茶色い大きな目に、茶色いくるくるの巻き毛。痩せてるけど、丸顔。


本当にわんこみたいだ。なんだ、かわいいじゃん。



「ふふっ、暴力はよくないわ。ここ、教会ですわよね?」


わざと丁寧に言ってやった。さっき殴っただろお前という意味を、たっぷりと大盛りで乗せてやった。



「わんわん君って、悪口だろ。それはいいのかよ!俺は人間だ。犬じゃねえ!!」


ぶはっ。吹き出してしまった。あ、ちょっと他の子も笑ってる。

わんこ君の顔は真っ赤だ。

そのわなわなした顔を見て、黒いどろどろは、またちょっと大人しくなった。



「あ、うん、それはごめん。でも、机を捨てるのも悪いことだよね?どっちが悪いのかな?」


ぐっ、と、言葉に詰まったわんこ君。


黒いものは喜んでいた。うん、そうだね。うまく遊んでみたら楽しいかも。



「ちょっと、机の上に腕を乗せて」


「なんだよ、それ」


「冒険者達の遊び。わん…ごめん、ええと、カイル君だっけ。うでずもうっていうんだよ。

こうして、向かい合って手を繋いで、相手の手を机につけた方が勝ち」


「俺はお前と戦いたいんだ!」


また赤くなって怒る。どうしても私に正式に勝ちたいらしい。ふふ、無理だよわんこ君。



「私は剣術コースをとってないからそっちでは勝負できないんだよ。それ以外で戦ったら、ただのケンカでしょ?

これで冒険者は勝ち負けを決めること、けっこうあるんだけど。賭け事になったりもする、正式な勝負だよ」



ちょっと嘘だ。ただのお遊びだ。でもわんこ君にはわからないだろう。


大人になって気づいた時にちょっとイラっとしなさい。それが仕返しってことで許してあげる。



「わかった!絶対勝つからな!!」







と、言うわけで、わんこ君を瞬殺して帰宅しました。


もう描写も省略されるくらいの負けっぷりに、わんこ君は肩を落として帰って行った。


ちょっと待てわんこ君剣術さぼるのか。いいのか。

まあいいか関係ないし。


いつも下ばかり見ている帰り道、きれいな花が気になったり、小川でちょっと立ち止まって景色を見たりしていたのは、黒いどろどろが喜んでいたからだ。

そうに違いない。あいつ性格悪いからな。


あ、出元は私なのかそうなのか。




帰宅して、いつも通り身なりを整え、部屋からきれいな夕日を見た時。私の朝がやっとやってきた。


今日の夜は長かったな。


背筋がしゃんとする。今日はやけに気持ちがいい。何だって頑張れそう。




「お母さん、お手伝いは?」


階段を降りて開口一番、いつもの習慣。



大好きなお母さんは、そっと入り口を見やった。


私も視線を向けると、そこにはカラムと、ニムルスと……ロザリー、あと知らない煌びやかなおじさんが、奥の目立たない席に座っていた。



え、なんでいるの。

どろっとしたものがまた出てくる。うちに入ってこないで欲しいんですけど。


煌びやかなおじさんは、立ち上がった。


「君が、リーナちゃんだね。私はロザリーの父で、ロダンという。今回は、娘があらぬ噂を立てていたようで、本当にすまなかった」



煌びやかなおじさんは、その銀髪をざっと翻して深々とお辞儀をした。

そう、おじさんはロン毛だ。肩までのストレート。どうでもいいけど。なんでロン毛。


淡い緑の目と、目が合った。おじさんは、ロザリーには似ていなかった。お母さん似なの?

でも、おじさんは関係ない。ロザリーに謝ってもらわなきゃ意味はないし、まず誤解を解かないと。



ロザリーを見る。その顔には表情がなかった。

どろっとしたものが、また復活する。

そう、何も解決していない。


「おじさんに謝られても……。とりあえず座ってください」


煌びやかなおじさん…ロダンは、背を丸めて腰掛けた。



私も席について、本当に聞きたかったことを聞く。

ここは私の家だ。何があっても大丈夫。

嫌だけど、怖いけど、聞かなきゃ。


「ロザリーは、本当に私がそんな…その、あの、お客さんと、そんなことしてるって、思ってるの?」




だん!



お父さんが、背を向けて魚を捌くところだった。多分頭を切り落としたんだ。


やけに、大きな音だった。

普通のお客さんだったら、ここでそんな話をした時点で店外に放り出される。



お父さん、我慢してる。

私の黒いどろどろは、少し大人しくなった。



うん、そうだね。ここで、お父さんとお母さんの顔を潰すようなことはできない。


こんなに怒ってくれているんだから。私のどろどろは、そんなに頑張らなくてもいい。

ちょっと落ち着いた。



ロザリーは、ふっと、ニムルスを見た。少し、眉尻が下がっている気がする。ニムルスは、私を見ているので気づかない。


下を向いて、きゅっと口を絞り、ロザリーは話し始めた。



「……知りもしないで、申し訳なかったわ。あなたは給仕をしているだけなのね。先程、お父様とお母様にお聞きしたわ。

でも、やっぱり腑に落ちないのよ。私が考案した居酒屋がそばにあって、どうしてここが繁盛し続けているのか」



はぁ。思いっきりため息が出た。


「だから、それは説明したじゃない。客層が違うの。

うちは古くから来てくれる人もいるし、小さなお店でゆっくりしたい人もいるんだよ。

ねえ、なんでそんなにいざかやに拘るの?こうあんした、って何?」



本当に気になる。別にあっちはあっちで勝手にやってればいいのに。というかロザリー、関係者だったのか。初めて知った。


ロザリーは、ぎゅっと眉間にシワを寄せて俯いた。


ん?何よ。言いたいことがあるなら言ってみなさいよ。



「いや、本当に申し訳ない。うちの都合だ。

君たちを信用して話すんだが、ロザリーは、さる高貴なお方から預かっている子でね。いずれその方の家に戻ることが決まっているんだ。

その前に、商売についても経験させておきたかった。

領地の経営にも、少しは通じるところがあるだろうから」


え、そうなんだ。でも、いざかや、成功してるんじゃ?


「実は、居酒屋には、コストに見合った売り上げがなくてね。メニューに使う斬新な素材が高価で、値段設定に合っていない。だから、利益にあまりなっていないんだよ。

改善点は沢山あるのに、内情も見ずに、全くこの子は何をしていたのか」



煌びやかなおじさんに、わしっと頭を掴まれるロザリーは、とてもおとなしかった。されるがままに、俯いている。自信に溢れるクラスでの振る舞いが嘘みたいだ。


「実際、この子には才がある。考案するメニューや営業形態はとても斬新だ。

だが、いくら才があっても、任せるには早すぎたな。近くに良いものがあるなら、そこから学ばねばならん。嫌がらせをして潰そうとするなど、人の道にもとる。謝りなさい」



「……でも。私の居酒屋は、もっと大きくなって、このお店も吸収合併して、この子もやとって」



「今、説明したろう。材料が贅沢過ぎるんだ。居酒屋が大きくならないのは、この店のせいではない。他国から取り寄せる香辛料がいくらすると思っている。計算がまだできないから、仕方ないのかもしれないが」



「うーんと、なあ、ここの料理を食ってからにしないか?自分の家のメシ以外、あんまり食べたことないんだろ?」


ニムルスが口を挟む。

くう、今あいつ謝ろうとしてたのに。


ロザリーは、なんかニムルスを見ている。少し口角が上がった気がした。

何、自分がかばってもらってるとでも思ってる?



ニムルスを、ぎろっと睨んでやった。ふっ、と、ニムルスは笑った。くっ、ちっともこたえてない。


ぐぐっとぐるぐるしたものがこみ上げてきた。今度は、何か真っ黒だけじゃない。

なんだろう、違うものが混ざっている。なに?よくわからない。



「お前だって、親に言われて口先だけ謝られて満足すんのか?納得できんのか?

俺だったら嫌だな。女としては最低の噂だったんだぜ?上っ面だけで簡単に許したくはねえ。そうだろ?」



すとん。

こころに、言葉が落ちてくる。


やっぱりこいつは胡散臭い。その通りだ。私の心でも読んでるのか。

なんか、テーブルの下で私の手を掴んできた。なんでか、振りほどけなかった。



こくん。頷く。


ニムルスは、ただでさえタレ目がちの目を更に垂れさせ、微笑んで私の手を離す。

ぐるぐるした黒い気持ちは、蓋がされたみたいにどこかに消えていた。やっぱり胡散臭い。魔法でも使ってるのか。



ロザリーは、ぎゅっと口を引き絞った。

ねえ、あごにうめぼしできてるよ。しわしわだよ。

ちょっとぶさいくだ。黒くない何かが少しひっこんだ。



ことん、と、紅茶とお菓子が出てきた。

お母さんだ。


「……申し訳ありません。聞いてしまいましたので、同業の方にうちの料理を大盤振る舞いというわけにはいかないのですが。

未成年の子に、お酒とおつまみというわけにもいきませんしね。

これは、リーナのおやつのクッキーです。私が焼きました。

うちでは、メニューにないものも、状況に合わせて作ってお出ししています。これがヒントにならないかしら?」



ロザリーは、目を見開いてお母さんを見上げる。

お母さんは、静かに、ロザリーを見ていた。

落ち着いた、優しい、私のお母さんだ。


少し、そうしていた後。

さくっとクッキーを頬張る。


「……おいしい。あまり、甘くない」


まあ、お砂糖が高いからね。


「お茶、すぐに飲んでみて」


上品な仕草で、ロザリーはカップを手に取る。


「…紅茶の渋みが感じられないわ。お砂糖も入れてないのに。高い茶葉ではないでしょう?こんな組み合わせがあるなんて…」


「普段、お茶と一緒にお菓子、食べないの?」


「お茶の時間は、マナーの勉強だから…。

私、貴族のおうちに行くことになるから勉強しているのだけど、わからないことだらけで、味なんて二の次だったわ」



どんな事情か知らないけど、本来は貴族なのに、こうして平民の暮らしをしてるんだもんね。いきなり貴族になれって言われても、まあ、大変だよね。


関係ないけどな私には!!



ロザリーは、ニムルスを見た。今度は目が合ったらしい。ニムルスは、こくりと頷いた。


ロザリーは、クラスでは見たことのない、ふわっとした微笑みを浮かべた。



……何よ。元凶のくせに。うちで笑うな。

何その顔。かわいいとでも思ってんの。くそ、ちょっとかわいいと思われるかもしれないかんじだ。


なんだろう。黒に何かが混ざる。ぐるぐるぐる。

ねえ、あなた誰?新顔?



「それで、正式に貴族に戻る前に実績を作り、優秀な子だと箔をつけたかったのですが……。

ロザリー、すまない。そんなに重圧に感じていたとは思わなかった。同級生をひどい形で貶めるなど、あってはならないことだ。気づいてやれなかった」



ロザリーは、きっと私の顔を、正面から見てきた。

まっすぐに目が合うのは、初めてだ。


「……家の、ためですから。でも、それで間違いが許されるわけではありません。

リーナ、ごめんなさい。あなたは、本当に、忙しくまじめに給仕を行っていると聞いているわ。あなたの顔を見に来る冒険者もいるとか。

そのような、強い繋がりを、このお店とお客様とは持っているのね」



ロザリーは、深々と頭を下げた。

ごちんと、テーブルに頭が当たった。だけど、そのまま顔を上げようとしない。少し、その肩は震えていた。


ひっく、ひっく、と、しんとした店内に小さな声が響いた。



私の黒いものは、ぐるぐると回り続けていた。


もういいんだけど、なんだか釈然としない。なんか、嫌だ。



「ちゃんと、学校で、自分が間違ってたって言いふらしてね。私、すごく居心地が悪かったし、内容が内容だけに嫁ぎ先を探すのも苦労したかもしれないのよ?そこはちゃんとしてね」



こくんと、下を向いたまま、ロザリーは了承した。


きらきらと何かが、下を向いたロザリーの顔からたくさん落ちた。

ずるい。こういうのに、私の黒いどろどろは、とても弱い。



「あとね。私も、そのいざかやに連れて行って。おとうさんと、おかあさんも。できればカラムやニムルス、ここの常連さんも何人か。

席は用意しなくていいよ。試食会ね。費用はそっち持ちで。それで、今回のことはなしにしよう」


「……同業他社にレシピを明かさないって、さっき…」


「それは、うまく行ってる場合でしょ?

そっちは今、人が来る割には利益が上がっていない。なら、原因を突き止めなきゃ。

うちに問題はないけと、そっちにはあるんでしょ?タダで食べさせてみなさいよ。だれかから、何か意見がうっかり出るかもしれないよ?

何かおかしい?」



店内は、しんと静まり返った。


そこに、はっはっは、と、カラムの声が響く。

今までにないくらい、ぐっしゃぐしゃに頭を撫でられた。


「……そうか、リーナは、友達を助けることを選ぶか。それでこそ、俺たちのリーナだ!!

おい、ディラン、お前らもいいな?」



ずっと後ろを向いて魚を捌いていた父さんが、血まみれの顔をこちらに向けてにやりと嗤う。


「まあ、協力しないこともないが。居酒屋のメニューも、料理人の端くれとしては気になっていたしな。

二度とそのお嬢さんが、リーナに変な気を起こさないならいいぞ」


お母さんも、ふふっと笑っている。


「リーナは、小さい頃から忙しかったものね。私たちのせいなのだけど、お友達を作る機会は少なかったわ。リーナがそうしたいなら、私たちはいいわよ」



煌びやかなおじさんは、深々と頭を下げた。


「重ね重ね、申し訳ない。更に温情までかけて頂くとは。本当に、あなた方の清廉な心には、頭が下がる」




カラムと目が合った。にやり、笑い合う。



ここに、タダ飯の会が成立した。


さすがカラム、わかってるじゃない。



黒いどろどろは、とても、とても喜んだ。

まあこれなら、本当にぽろっと、感想くらいは言ってもいいかな。



ん?こら、ニムルス、笑うな。なんか嫌だ。

え、やだテーブルの下で手を触るな。握るな。ちょ、離して。


「お前、ほんと面白いな。俺、お前と婚約してもいいぞ」



ん?


今、何かおっしゃいましたか?



がたっと、ロザリーがテーブルにぶつかった。

紅茶のカップががちゃんと音を立てる。

ちょっと、割らないでよ。


「こら、ニムルス。それは俺とディアスが勝手に言ってるだけで、本人の意思がだな」


カラム!お前か!お前が元凶か!!



カウンターの中から、お父さんが声をかけてくる。


「……しかし、ここにこのメンバーを連れて来たのは、明らかにニムルスだな?」



ニムルスは頷いた。


「なんか見てられなくてよ。ロザリーが家に帰るのを見計らって、一人の時に声かけたんだ。お前やばいから親連れてリーナんちに行こうってな」



テーブルの下のニムルスの手は、私の手を確かめるように優しく撫で始めた。

手から何か変な熱い感触がふわっと全身に伝わってくる。あ、さっきの黒くない新顔だ。


熱は顔に到着した。顔が火照る。体が熱い。なにこれ。え、なんなのこれ。


ロザリーが見てる。なんか睨んでる。うめぼしがすごい。

いや、そうじゃない。ちがうちがう。あんた誤解してる。

でも、あれ、黒くないなにかの新顔が、私を満たして暴れている。


なにこれ。やだ。うわ、ふわふわして熱い、何かが広がっていく。なんか体を掻きむしりたい。


いや。でも、いやじゃない。



「……本人が同意するなら、いいだろう。婚約を許可する。あくまでも、リーナが同意したら、だ」



お父さん!?


お母さんも、笑わないで??



突然、がたっとロザリーが立ち上がった。


ばっと、体を90度に曲げて頭を下げる。

縦ロールが派手にぐわんぐわん揺れた。ちょっと面白い。


「本当にごめんなさい!必要のないことをたくさんして、あなたを傷つけたことは、何度でも謝るわ。

クラスでもちゃんとする。このお店に行ってみたって、いいところだったって、みんなにあやまる」



ふぅ。なんだ。

まぁ、つまりロザリーは、うちのこと誤解してて。

自分のいざかやに、うちをきゅうしゅうがっぺいしたかったんだよね?

それってつまりは。



私を手下にしたかったんだな!!

え、違う?いやそうだろ?


まあ、ちゃんとするなら、許してやらなくもないよ。


絶対に大人数でいざかやに押しかけて、中のもの食べつくしてやる!!

ふん、まあ、それでいいや。



ロザリーは、ちらとニムルスを見る。さっきからなんなのよ。ニムルスはあんたのこと見てないよ。

いや別に関係ないよ?関係ないけどね?


ぐわっと、急に体を持ち上げたロザリーは、身を反らして両手を腰に当てた。

ちょ、なに、あんなに謝ってたのに。えらそうだよ?やっぱりロザリーは、ロザリーだったよ?


ちょっと黒い方のぐるぐるが、ロザリーを威嚇しろと囁いた。

でも、さすさすと私の手をさすっているニムルスの手から何かが上がってきていて私はいそがしい。ちょっとごめん。黒いの、構ってる余裕、ないんだ。



「でも、わたくし、やっぱりヒロインのあなたとは戦う運命のようね!!

立派なあなたの恋の障害として、何があろうとも悪役を演じ切って見せますから!

必ずや貴族魔法学園に入学するのよ、リーナ!

でも、今回は本当に申し訳なかったわ!!」



……ロザリーが壊れた。


ひろいんって、何?


いべんとって、なにもの?


え、ちょっと、大丈夫?



手を口に添え、反対の手は腰に当てたまま更に身を反らし、ほーほはほ、と、謎の笑い声を上げる。

なんでか、えらい似合っている。なんで。


そうして、謎の宣言をしつつ謝っている。

何が言いたいのかさっぱりわからない。



どん引きした。



べちん!と、煌びやかなおじさんがロザリーの頭を叩いた。やっとロザリーは、笑うのをやめた。



「とにかく、本当に申し訳なかった。娘にはよく言って聞かせるので、どうかこれからも学校で仲良くしてやってくれ。ご両親も、うちの娘が本当にご迷惑をおかけしてしまい、申し訳なかった!それでは後日招待状をお送りしますのでこれにて失礼!!」



めっちゃ早口でまくし立てた煌びやかなおじさんは、壊れたロザリーをすごい早さでずるずると引きずって、店を後にした。



後には、私と同じように、どん引きして固まっている両親とカラム。


あと、私の手をぎゅっと握ってにやにや笑う、胡散臭いニムルスがいた。


どうでもいいけど、秋なのに、すごく暑い。




黒いどろどろは、もう、いなかった。




7.2やっと後日譚書けました!

題名:本編開始前に、断罪された悪役令嬢です

彼女は転生者なのでフレッシュさはないかもですが、よかったらそちらもご一読ください。

シリーズなるものでまとめてみました。


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― 新着の感想 ―
[一言] 本当の10歳の子供の気持ちの表現が良かったです。 その分、何だか題名に違和感を感じます。それは題名ではなく粗筋かシリーズ名にしておいて、何かこう、他に、何かいいの無いですかね…? 「私の朝が…
[良い点] リアルっぽいイジメだけれども、ファンタジーが雰囲気や流れを緩和してくれるおかげか、辛い気持ちだけでなく楽しむことができました。イジメられていてココロは弱っていても、肉体(と魔法?)の力のお…
[一言] 手を入れられた後、再読いたしました ロザリーがとても生き生きと可愛らしくなりましたね! 男子達もとても魅力的なキャラクターです 続編、お待ちしています
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