Amnésie/記憶喪失
背景
カップの中の堆く積まれた大小様々な歪な形
をした氷の隙間を縫って走るようにして、乳
白色を帯びた薄茶色のコーヒーを小刻みに啜
っていくストローを薄紅色の唇をそっとすぼ
めて咥える、君の整った長いまつげの下に身
をひた隠して涙ぐんでいる瞳を見逃さなかっ
た、一言も声をかけずにいる君の彼氏の素知
らぬ顔をして飲み干したカップを手持ち無沙
汰に、実はあたふたしている内心を君に悟ら
れないように必死に隠そうとするみっともな
い姿を、ちょうど小動物のように何かに怯え
ている小柄な君の顔のよく見える遠い席から
何気なしに眺めている私は、心の中で君を背
景にした次の物語の構想を考えていた。
舞台はすべて整った
正午の灰色の空の下で肌に張りついていた湿
った蒸し暑さの名残りを、街を暗がりへと一
変する雨雲の流れに伴って一掃し冷気にする
一陣の驟雨が激しく叩きつける、外の暗がり
で室内の灯りが濃くなった店から流れる坂本
龍一のinsensatezの深める君と君の彼氏との
心の距離を感じながらも外の雨模様が気にな
り一瞥する、私の傍の大きな窓に浮かぶ泣い
ているように見える君の横顔に心を奪われた
私は心の内でこう叫んだ。「今流行りの異世
界が始まる、といっても現実世界の中にある
異世界が。」