妹はどこにでもいる
妹はどこにでもいる。
「お兄ちゃん!」
今日も朝一番、通学途中に声をかけられた。
おっと、だからといって迂闊に返事をしてはいけない。妹化禁止法に引っかかるからだ。
「お兄ちゃん? お兄ちゃん?」
無視する俺の後をトコトコとついてくる。
話しかけてきた妹はポニーテールが可愛らしい旧タイプだった。
疑似妹的生命体。
略してギータ。
それがこいつらの名称である。
どこから来たのか、何が目的なのか、そもそも生命でさえあるのか、未だに何一つとしてわかっていない。ただ一つわかっていることは、こいつらは人の心の隙間に入り込んで、妹として寄生する習性があるということだ。
寄生と言っても別に害を為すわけじゃ無い。
ただニコニコと人の家に居着いて、お兄ちゃんお兄ちゃんとじゃれついてきて、飯を食って風呂に入って快眠する。いわゆるニートのような存在である。
最初に発見されたのは十年前。
まるで突如として降って湧いたように、全国で「お兄ちゃん?」と声をかけられる男性が急増したという。
俗に言うギータの声かけ事案である。
勿論、いきなり見知らぬ女の子にお兄ちゃんなどと呼ばれ、困惑しない男などそうはいない。
大多数のまともな男性は取り合わなかったと言っていいだろう。
しかし、必然というか何というか。
一部の男が下心丸出しで兄であることを肯定、家まで連れて帰ったのだ。
一説によると、このお持ち帰り率は童貞であればあるほど逆に低く、イケメンであればあるほど高かったとされているが、まあそんなことはどうでもいい。
家に連れて帰られた妹は、当然のごとく居着いた。
さも当然とばかりに連日に渡って食っちゃ寝てを繰り返した。
イケメンは焦った。一晩の遊びと思っていた相手がなだめても脅しても出ていかないのだ。
一部の男は歓喜した。夢である可愛い妹ができたのだから。
そう、ギータの容姿はいずれも際だって優れていた。
これは人間にうまく取り入るための擬態だとされているが、こうして寄生することに成功したギータは、梃子でも出て行こうとしなかった。
ある者は暴力に訴えた。
頬を殴り、泣きわめいても容赦しないとばかりに力ずくで追い出そうとした。
しかしギータは強かった。
その身体能力は成人男性の平均を軽く超え、反撃こそしてこないものの、何をしても涼しい顔で受け流した。
ある者は友達と数人がかりで放り出そうとした。
しかし、これが誤りであった。
結論から言えば、こうした第三者を絡めた事案で問題は起こったのだ。
ギータは兄に暴力を振るわない。
しかし、それは兄にだけだ。
自分と兄を引き離そうとする第三者に、ギータは一切の容赦をしなかった。
短期間のうちに、全国で怪我人が続出。そして、ついに死者までもが出る始末となった。
当然、出動する警察。
そして、兄と引き離されないために警察に牙を剥くギータ。
両者の争いは熾烈を極めた。
ビルを三角飛びで駆け上り、腕の一降りで骨ごと人を砕いていくギータ。ギータの恐ろしさは、その圧倒的なまでの身体能力にあった。銃を撃っても目視でかわしたという、嘘か本当かわからないような噂まである。
戦いはついには機動隊まで巻き込んだ大規模な作戦へと変化し、一昼夜かけてなんとか一人のギータを殺害せしめた頃、警察側には二十人近い死傷者が出ていたという。
しかし、悲劇はここで終わらなかった。
一人のギータの死に同調するかのように、半径一キロメートル圏内にいた野良ギータが次々に暴走を始めたのだ。
たった一人ですら機動隊が出動する有様となったのが、同時に数十人という数で暴れ出すことになったわけで。
街は地獄絵図と化した。
唯一、各ギータのお兄ちゃん達は無傷だったものの、ギータ達は二十四時間やたらめったらに暴れ続けた。
これが、人々がギータという存在をはっきりと認識した事件、街の名前を文字って来凪の惨劇と言われてる悲劇の内容である。
様々な議論が飛び交った。
ギータを殲滅すべきだという意見もあったが、それは現実的に無理だという理由で却下された。
ギータは日本全国どこにでもいたのだ。
草むらから、曲がり角から、駅のトイレから、ひょこひょこひょこひょこ顔を出し「お兄ちゃん!」、「お兄ちゃん?」、「お兄ちゃん!」と声を掛けまくる。
どこからやってきてどう増えるのかすら定かでは無い。下手に手を出せば暴走したギータが多数暴れ回ることになる。
お偉方はさぞかし頭が痛かったことだろう。
生態に関しても不明な点は多い。
お兄ちゃんとの性交渉が可能なことは確認されているが、子供ができたという報告例は今のところ無かった。本当に寄生するだけ、というのが一般の認識だ。
人間と同じものは食べるが排泄はせず、睡眠も取るが脳波は出ていない。
死体を解剖しようにも、惨劇時のものはどさくさに紛れてどこかへ紛失、暴走を考えれば新たに調達もできない。
本当に意味不明の存在だった。
妹化禁止条例が制定されたのはそんな背景からのことだった。
内容は簡単だ。ギータを妹にしてはならない。
ギータは兄となる人間ができるまでは基本的に無害だ。しかし、兄と引き離される事態を決して許さない。
ならば最初から誰も兄にならなければ危険性は無い。少なくとも、当面は暴走の可能性を減らせるはずだと、政府はそう判断を下したようだった。
ギータが妹になる条件は明確にはなっていない。
だから、対策としては終始一貫して無視するというのが一般的だ。
ただ有力な説としては「名前を呼ぶと確定」というものがあるようだ。
この説を裏付けるある事件がある。
疑似妹的生命体に関する妹化を禁じる法、略して妹化禁止法が施行され、表向きギータを妹にしようとする人間は減った。
ギータを物と見なし、その所有自体に懲役刑。更にギータが犯した罪は兄になった人間の罪であると定められたからだ。
今では悪法と名高い妹化禁止法ではあるが、ただギータを所有していることがばれただけでも刑務所に入れられる。のみならず、その際にギータが暴れでもしたら最悪終身刑もありうるのは確かな事実。さすがにギータを積極的に妹にしようという人間は大幅に減った。
なお、兄が刑務所に入れられるとなればギータはまず間違いなく暴れる。最近ではそれを防ぐために、ギータと兄を一緒の牢にぶち込んでいるらしい。
この際、警察を殺せとギータに命令した兄もいたようだが、ギータは基本ニートだ。
兄と引き離される事態以外で暴れることは無い。
兄のことは好きだが絶対服従というわけでもなく、一緒に居られればギータは環境に関係なくそれで満足という性質なのだ。知能がそれほど高くないと言われる由縁である。
なお、死刑は暴走の危険があるため、ギータに関連する最高刑は終身刑と定められている。
さて話を戻そう。
ギータを積極的に保有しようとする人間は法のおかげで劇的に減った。
しかし、それに伴ってギータが変化を見せたのだ。
具体的な例をお聞かせしよう。
『はい、もしもし○○です』
『あ、お兄ちゃん? 私』
『ああ、もしかして○○か?』
ギータの私私詐欺事件である。
ギータは公衆電話を使って各家庭の電話にコールし始めたのだ。
もし相手に本当に妹がいた場合、つい名前を呼んでしまう人も中にはいるだろう。そして、名前を呼んだ瞬間ギータの妹化が完了する。
この事件はあっという間に認知度を高めた。
ギータがやたらめったらに電話をかけまくったからだ。
それこそ、妹がいないどころか、身寄りの無い高齢のお爺さんの家にまでランダムにかける始末だ。
結果として、街からは公衆電話が消えた。
どうやって電話をかけるための小銭を集めていたのかは未だにギータ七不思議の一つとなっている。おそらくは自販機の取り忘れなどを地道に漁っていたと思われるが、真相は定かではない。
この事件を契機に、ギータを取り巻く環境はめまぐるしく動いていく。
つまるところ、ギータは人を騙すのだ。
妹となるためにありとあらゆる手を尽くし、あの手この手で寄生する。
こうなると問題となるのが妹化禁止法である。
騙されて兄となったものにこの法律を適応するか否か。
するというのはあまりに暴論だ。私私詐欺での被害者は全国で数百人単位に上り、それらを全部刑務所に放り込むというのはさすがに世論が許さない。
では法の範囲外とするか。
しかし、こうすると今度は逆に、被害者を装ってギータを妹にする者が現れる。
現実問題、私私詐欺が世に広まってからも騙されたとする被害者が後を絶たず、そのうちの半分以上は便乗犯では無いかと言われている。
被害者か、被害者を装った犯罪者か。
この線引きは難しく、法曹界は揉めに揉めた。
こうした議論は現在に至るまで為されており、最高裁の判決が待たれているところである。
長々と振り返ったが、俺がギータを無視する背景は大体そんなところだ。
ぶっちゃけ妹化禁止法が無ければ俺だってギータを妹にしたかも知れない。
こんな可愛い妹ができるなら是非にも欲しい。それも手を出しても問題ない絶世の美少女なのだ。
事情がわかっていれば男なら誰だって受け入れるのにやぶさかでは無いはずだ。
ただ、危険性があるのは確かだし、何より犯罪者になるのは嫌だ。
ばれなければ大丈夫、と高をくくれるほど俺の神経は太くない。
どこかで誰かが見ているかもと考えると、うかつにギータと言葉も交わせない。
必然、足早にギータを置き去りにする。
「お兄様!」
ブロック塀の上から、お嬢様タイプのギータが眼前に舞い降りた。横道に逸れることで回避して進んで行く。
ここ数年でギータは更に進化したなあ、と思う。
昔は旧タイプと呼ばれるポニテ娘しか存在しなかったのに、最近では進化でもしたのか多種多様な容姿、性格のギータが確認されている。
時折、アニメ関連のショップでギータが立ち読みしていた、などの目撃情報があることから、ひょっとしたら妹というものに対する研究に余念がないのかも知れない。
ネット界隈ではギータの種類図鑑が作られ、人気投票が行われているサイトまであるほどだ。
「兄上、お待ち下され」
何やら袴装束に身を包んだギータが道端に正座したままの体勢で僕を呼び止める。
今日はやけに遭遇率が高い。姿自体はよく見かけるのだが、基本他の人間に声をかけていることが多いため、俺自身がお兄ちゃん扱いされることなど一日に数回あるかないかだ。まあ、それでも数回はあるのがギータの恐ろしいところなのだが、朝からこの数となると今日は日が悪いのかも知れない。
「兄上にお許しいただけなければ不肖なこの身、腹を裂いて果てる所存。ただ、ただ、ほんのわずかでも! 兄上のお情けをいただけるのなら、最後に我が名前を――」
足早に通り過ぎる。
「お兄ちゃん?」
「お兄様?」
「兄上!」
なんかついてくる。うっとうしい。
微妙にもったいない気持ちになるから、あまり人を誘惑しないでほしい。
ふと、進行方向に段ボールが置いてあるのを発見する。張り紙に『ポチです』と書いてあり、中には一匹の小犬がいるようだ。
しかし、俺は見逃さなかった。
段ボールが置いてあるすぐそばの電柱の影に、ギータらしき犬耳の女の子が隠れている。
「さすがギータ、汚い」
おそらくは、ポチと呼んだ瞬間に自分が呼ばれたとの認識で飛び出してくるつもりだろう。
ギータを呼んだわけじゃなくても反応するのか? という疑問はこの場合通用しないと見ていい。
多分、あの犬にはすでに何らかの名前がついているのだ。仮にフランソワーズだとしよう。目の前には一匹の犬と一匹のギータ。そして犬のほうがフランソワーズだとするならば、じゃあこの場においてポチと呼ばれる存在は誰なのかということになる。
確かに張り紙にはポチですと書いてある。しかし、犬がポチだなどとはどこにも書かれていないのだ。
かなりぎりぎりな手法ではあるが、ギータの生態は未知数だ。
通じてしまえばそれまでとしか言えない。疑ってかかるに越したことはない。
無言で傍を通り過ぎる。
「お兄さん……」
切なげな目で見られるが、答えようが無い。
「お兄ちゃん?」
「お兄様?」
「兄上?」
今日はやけにしつこくついてくるギータ三匹。
まあ放っておけばそのうちどこかへ行くだろう。
既に慣れたものだ。一日歩けば、同じようにギータを連れて歩いている人などざらにいる。
騒がしいように見えて、なんだかんだで平凡な俺の日常だった。




