蘇りし記憶
「……はぁ?」
間の抜けた声がした。それが俺の声だと気付いたのは、その後に紅葉がまくしたてたからだった。
「そんなふざけたことじゃないんだよっ! この家を見たとき、入ったとき、なんだか懐かしい感じがしたの。それで昔、ここに来たことがある感じがしたの。だから、この家に来たのなら、優とも会ってたんじゃないかなって思ったの」
確かにそういうのなら不思議じゃない。だがそれでも、
「……悪い。俺も十年前の記憶が戻っただけで、小さい頃誰かと遊んだとかまでは覚えていないな」
俺が思い出せたのは事件が起きた頃のことのみだ。それより後は覚えているが、何分小さい時の記憶だ。かなり記憶も薄れてしまっていた。
「そっかぁ……残念」
そういう彼女の顔は声とは真逆にかなり落ち込んでいる顔だった。だから俺は、
「そう落ち込むことはないよ。紅葉は見ず知らずの俺を救ってくれた。しかも一度までとは言わず二度も。だから今度は俺がその分、紅葉の手助けをする」
そっと紅葉の手に俺の手を添える。あの時もそうだった。その手で俺を現実に引っ張り上げてくれた。正直、なんで俺にここまでしてくれるのかと思っていたが、今では俺が手助けしてやりたいと思っている。
「……最初、『どうして俺のことをそんな信じられる』、って言っていた人とは思えない」
心を完全に読まれている気がしてならなかった。
「でも、ありがとう。少し元気が出たよ。私もあきらめずにあなたみたいに頑張ってみるよ」
そうして顔を上げた紅葉は、笑顔で俺を見つめた。俺はその顔が本当に綺麗で、直視できずに目を逸らし、
「……じゃあ、時間も時間だし、夕食でも食べに行くか」
また話をすり替えて誤魔化すことにした。
優と今度こそ一緒に外へ行き、夕食を食べに行くことにした。優は外食でもいいよ、と言ってくれたからお言葉に甘えさせていただく。
それもそのはず、私は朝食もろくに食べていないし、昼食も優を探して慌てていたからほとんど何も食べていない。そのため、
「お前顔色悪いぞ?」
と、優に言われたので、誰のせいだと思っているの、と怒る。流石に優も罪悪感があったのか、すぐに何か軽く食べようと提案した。駅近くの方にファミレスがあるのでそこで食べることにした。正直、私としては嬉しかったし、優も今日は疲れたからちょうどいいらしい。
ファミレスに着くと、優はハンバーグセットにしていた。その間に私は、
「それ、本当に全部食べるの?」
優が青い顔をして指した先には、優と同じハンバーグセットにスパゲティとドリアがあった。
「し、仕方ないのよっ!? 私の能力にはカロリーを消費する難点があるから、そこら辺に居る女の子とは違ってこれ位食べないのすぐに倒れちゃうの! 元々、朝、昼って抜いてたし、本当は能力使うことだって危険だったのよっ! 断じて大食いなわけじゃないからねっっ!?」
そういいつつも、彼が若干引いていたのはあからさまだった。私は気にもせず、一つひとつ残すことなく全部食べ切った。
「……マジか」
彼がそう呟いたのは食べ切った直後だった。まだ余裕でお腹に入るけど、このくらいにしとかないと優に引かれるので止めておく。やっぱり普通とは違うと思われるのかな。でも、
「私って、普通の人とは違う異能力者だもん」
という自分でも意味不明ことを言いつつ、口を拭いて、ごちそうさま、と呟く。支払いは、ちゃんと自分の分を払おうとすると、優が遠慮するので、
「私はあなたの家で居候中。つまり、むしろ家に済ませて貰っている私が払うものだよね」
「……分かった、じゃあ割り勘ってことにしよう」
そこからは彼は譲ってくれなかったので、どう見ても私の方が多いはずなのに割り勘することにした。
「じゃあ今度の外食は私が払うからね」
そうファミレスを出る際に伝えておく。何か言いたそうだったけど分かっているので聞かずにさっさと外へ出る。
そういえば、誰かと一緒に夕食を食べたり、どっか買い物に行くのは久しぶりかな。神威さん、最近ずっとあの城から出てこないし。このお仕事が一段落したら、また昔みたいに一緒に出掛けに行ったりしてくれるのかな……?
「よし、じゃあ軽く食後のデザートってことで何か買いに行くか?」
ふと横を見ると優はすぐに追い付いてきた。さっきまではあんなに泣いて、落ち込んでいたけど、今ではもう最初に会った頃よりもたくましく感じられた。
私も、自分の過去を思い出しても、ああやっていられるかな……?
そう、自分の記憶について考える。どうしてだろう。私はなんで何も覚えていないのだろう。本当の家族のことも、自分の本当の名前も、どうしてだろう。
「おい? 紅羽? 何考えてるんだ?」
顔を上げると彼が私の表情を伺っていた。私のことをじっと、目線を外さずに私を見ていた。
「どうした? 具合でも悪いのか? なんならおぶってやってもいいぞ?」
「ううん、そうじゃないんだ。ただ、昔の事を考えちゃっていて」
「何も心配いらないよ」
私は首を傾げたがすぐに彼は、
「紅羽は俺を過去の束縛から手を差し伸べて引き上げてくれた。そのお返しとでもいうか、紅羽がもし自分の過去について悔やんだり、苦しんだり、悲しくてどうしようもない時は、俺が引き受けてやる。俺も一緒にその罪を背負ってやる。ずっと一緒に居てやるさ」
唖然としたあと、彼が言ったことを理解する。直後、顔が熱くてしょうがなくなる。すぐに彼から顔を背ける。
「? やっぱり具合悪いのか?」
「っっ! 何でもないからこっち向かないで!!」
私の顔は今鏡でみたらきっと茹でダコの様な感じだろう。ああ、漫画とかでありがちなことを、私がするなんて……っ!
でも、彼が言ってくれたその言葉は、私の中で深く染み込んできて、自然と笑みが浮かぶ。
「よし! デザート買いに行こうっ!」
私の記憶が戻っても、彼が居てくれる。彼が一緒に背負ってくれる。私も、彼の罪を一緒に背負ってあげる。
二人でお互いの荷物を分けあって、背負うんだ。
心臓に手を当てる。いつもより鼓動が速い。なんか、気持ちがふわふわするような、ドキドキするような変な感じだ。この感情がなんなのか、私はまだ理解できていなかった。
「…………ふぅ。これで終わりっと」
最後の洗い物を終えて、食器を棚にしまう。これで今日の家事は終了だ。後は、のんびりと風呂でも入り、明日の学校の準備をするだけだ。
いや、むしろそんなことはどうでもいい。やはり考える事は、あの女。紫瞳をどうするかだ。
流石に俺の能力は未熟だ。だからあいつと戦うにしても無理がある。普通にやったら絶望的だ。そんなのは今日のあの状況を見れば一目瞭然だ。ならばどうする。紅羽と二人で戦うか。それもあり得るがやはり力の弱い俺を狙いに来るはずだ。だったら俺は足手まといになるだけだ。
ダメだ、どう考えても俺は役立たずじゃないか――
リビングでのんびりと俺の部屋から持ってきた漫画を読んでいる少女を見る。あんな少女でも、彼女はあの化け物じみた奴と戦うのか。そして、勝機はあるのか。
「なぁ、紅羽」
「ん、何?」
顔をそっと上げて俺を見る。それはやっぱり、俺と同じくらいかそれより下の少女が持つ表情だ。
「明日、おまえはどうするんだ? 紫瞳を追うのか?」
「そうだね……そろそろ時間もないし、明日探しに行くつもりだよ」
「……勝機はあるのか?」
「ないよ」
あっさり彼女は答えた。驚愕してしまって何も言葉が出てこなかった。
「私の異能力じゃ、あんな異常能力には勝てないよ。やったところでいい時間稼ぎになるかな」
「時間稼ぎって、何のために時間を稼ぐんだよ?」
「それはね、神威さんの力のためになんだよ」
「神威さんの? 一体何で?」
神威さんの異能力は、そこまで時間を稼ぐほどのものだろうか……
「神威さんの異能力ってね、幻を見せることじゃないんだよ」
「えっ?」
神威さんの異能力は確か、幻想を相手に見せる力、そういってたはず。
「神威さんの異能力の本質はね、ある部分の空間を一時的に保管したり、逆に消滅させる力。だからそれを使って、紫瞳を一時的に空間の狭間へと送り込む、ってのが本来の作戦なんだ」
「確かに神威さんの城の周りにあった柵は、違う空間で遮られていたような……」
「そうよ。あそこは元々、異能力者じゃないと中の空間に入れない仕組みになっているの。だから、普通の人が入ってもただの柵と門ってことで中に入れないの。それに幻を見せているのは空間を曲げて見せているだけなのよ」
確かに言ってることは間違っていない。神威さんの力があれば、紫瞳だって戦うことなく仕留められる。
「ただ、神威さんの力はちょっと例外でね、使う場所とか時間が掛かるみたいだから。あんまり公言していいことでもないしね」
「だったら、俺も一緒に戦わせてくれないか?」
「それはダメっ!!」
彼女は血相を変えて否定する。
「今日あれだけの怪我をしたのに明日すぐに動けるわけ無いでしょ! それに、今日戦って分かったでしょ!? あの女の強さを、反則じみた能力を! 今あなたが行っても殺されるだけよ!」
「でも、紅羽はそんな相手に一人で行くんだろうっ!? なおさら放って置けるかっ!?」
「ダメったらダメっ! 元々怪我してるのにどうやって動くつもりよっ!?」
「既に怪我は治った! もう動けるさ!」
「外傷が無くてもまた開くかもしれないじゃない!? そんな人を連れていけるわけがないじゃない!?」
頭部に貫かれた傷、足元を刺された所、両方とも外傷は既になく、元の皮膚と一体化していた。流石に頭部の傷は、時間がかかったし意識もすぐには戻らなかったけど、足下の傷は数秒でふさがっていた。
何度も何度も彼女を説得しようとしたが、絶対に来てはダメとしか答えてくれず、俺は諦めることにした。
しかし、それは表面上だけで、彼女が探しに行ったらすぐに後を付けるつもりでいた。
「じゃあ、ちょっと風呂入ってくるわ」
ちょうど風呂が沸いたし、話も終わったので風呂場に行くことにした。少し一人でゆっくりさせて欲しかった。
今日一日で一体何から何まで全てが変わってしまった。まさか昔のことを今更になって思い出すとはなぁ……
それ以前に俺の出生や家族までが、全て本物じゃないとは心底驚いたもんだ。
身体や頭部を洗い、湯船に浸かる。しかし、風呂というものは本当に気持ちのいい。この寒い季節だと特にそう感じさせられる。
外国だとシャワーしかないと聞くが、かなり損をしているんじゃないかと勝手に思っていたが、そんなのんびりとした時間は唐突に終わる。
「しっつれいしまーす、っと」
心臓が止まる。比喩表現ではなく、本当に止まっただろうと俺は一瞬思った。
それもそのはず、この場にあの少女、天音紅羽が入ってきたからだ。そう、タオル一枚という布切れだけを纏ってこの風呂場へ。
「おまえバカなのかっっ!? 何考えて入ってきたんだよっっ!? 俺が入っていくのを見たのだろうがっっ!?」
「うん、だからだよ?」
ものすごく慌てている俺とは正反対にごく自然な風に入ってくる紅羽。当然彼女の方を向くわけにも行かず、窓の方へと視線を向ける。
「べっつにー、優くんは私に手を出したりはしないんでしょー?」
何も言い返せないので黙っておく。そんな彼女は見なくても先程から上機嫌なのは分かっている。どう考えても俺をからかっているに違いない。流石に付き合っていると心臓に悪いので、
「じゃあ、俺出るから」
そういってすぐに出ようとする。しかし、そうも行く訳もなく、
「えー、ちょっと待ってよー! 私だってこれでも勇気出して入ってきたんだよ! だからー」
そういって彼女は鏡の前に座り、タオルを少しはらけ出させる。目が行きそうになってもすぐに理性が総動員して止める。
「……背中洗ってくれないかな?」
「……はぁ」
どうせ言っても聞かないんだろうな、そう考えてすぐに終わらせることにした。
しかし、それこそがある意味自分の首を絞めていることにこの時は気づいていなかった。
「ほら、ボディーソープとかこっちに寄越せ」
「はーい」
妙に元気な声で返事する紅羽は、本当にただ小さい少女だ。……ある一部分を除けば、だが。
「ところでさ、優?」
「あー、何?」
正直いって、この状況を楽観視できる訳がない。さっさと終わらせて出たいので何も考えずに行う。
「今更だけどさ、優は優って呼べばいいのかな? それとも確か……優羽だっけ? どっちがいいのかな?」
そういえば、そうだったな。昔の名前は大参優羽だったのを数時間前に思い出した割に、ずっと優の方を使っていたな。
「それだったら優でいいさ。学校でもどこでも優って使ってるし。それに」
なんだかんだ色々と考えているが、結局のところ、
「その大参優羽って名前を使うと、俺の本当の家族を殺した奴らが、俺のことを狙ってくるんじゃないか?」
「あっ! それもそうだね……」
俺の本当の名前を使うと、大参家の唯一の生き残りとして生きるということになる。それに、
「今更、本当の名前って言っても今の名前が定着しているんだから変えるもなにもないけどな」
俺は四ノ宮優。元は大参優羽だとしても、あの時から今まで、そしてこれからもこの名前で生きていくのだから。
「よし、背中洗ってやったぞ。じゃあ俺は出るな」
「うん! ありがとう!」
そう言った彼女の顔は、何故か誰かの顔を思い出させるような、そんな笑顔だった。だがしかし、
「「あ」」
こっちを向いた少女は、自分の置かれた状況を理解できていなかった。さっきまで纏っていたタオルは足元あたりに落ちていることに気が付く。
つまりは……そういうことだ。
「優の……バカーーーーっっっっ!!!!」
彼女がその場にあった桶を、本気を投げたのだろうと思ったのは、その絶叫が聞こえた後、頭部にものすごい痛みが走ったからだった。
風呂での一戦が終わり、そろそろ寝ることにした。あの後、正座されこっ酷く説教されたが最後に、
「……優だからいいけど……」
「? 悪い、何か言ったか?」
「うるさいっ! とにかく、さっきのことは全部忘れなさいねっ!」
と言った風にして開放された。俺は本当に何もやっていないのにどうして怒られなきゃいけないのか、理不尽なもんだな……
そうした後、特にすることもなくリビングやら俺の部屋やらでのんびりとしていた。
そっとリビングを見ると、今日の疲れもあったのか、紅羽がソファにもたれかかって寝ていた。
流石にここで寝ていると風邪をひくので、起こそうとしたが、朝同様全く起きる気配はなかった。仕方ない。部屋まで連れて行くか。
俺は彼女を俗に言うお姫様抱っこをして部屋まで運んでいく。本当に軽い。女の子ってこんなに軽くて小さいんだな。
それに、背中も小さくて、丸み帯びていて、なんかいい匂いがする……マズイ、思い出してしまうし理性が暴走しそうになるから考えるのを辞めよう。
部屋に入り、彼女を布団に寝かせる。こんな女の子を本当に一人であんな化け物と戦わせる気か?
正直言って狂気の沙汰としか思えない。部屋を出る時にこっそりと、
「おやすみ」
そう伝えて部屋を出る。廊下に出る間際になにか声が聞こえた気がしたけど気のせいだろう。
さて、じゃあ俺も寝るとするかな。明日は紅羽が起きる前に起きないと跡を付けられないからな。
一度リビングに降り、全ての電気を消したのを確認し、自室へと戻る。
そのまま電気を消し、ベッドに入る。眼を閉じた瞬間、あの時と同じ感覚がよみがえる。
またあの暗闇の空間に来たのだ。でも今までとは違う。今までは全てが真っ暗に包まれた空間だったのに、今回は明るく感じられた。目を開くと、俺の部屋が見える。でも、いつもと何かが違う。多分、今この世界の全ての時が止まっている、そう俺は感じた。現に時計を見ると、動いてはいなかった。
『やっと……思い出したのね』
あの声が聞こえる。もう思い出した、この声を。
「ああ、大体のことは思い出せたよ……母さん」
目の前に大人の女性が現れる。でも本物の人間じゃない。かなり姿が薄れている。既に存在が消えかけているのだろう。
『十年前のこと……思い出しては欲しくなかった。でも、あなたはいつか気づいてしまう。その力に、異常能力に』
「ああ、あの時から俺は、既に運命が決まっていたんだよ。この罪を背負って、この力を持って、生きていくことを」
『もう、後悔はしてない……?』
「後悔しまくりさ。あの時どうして皆を助けてやれなかったのか、ってね。でも俺は今やらなきゃいけないことがある。後悔してここで悲しんでいても、母さんたちは絶対に許してくれないだろうってね。だから」
どうしても、この言葉は言わなきゃいけなかった。こんな出会い方でも、言いたかった。俺は頭を下げて、
「本当にごめんなさい。許してもらおうなんて思っていない。それでも、言いたかったんだ」
『本当にあなたは……あの人にそっくりね……』
「……だって家族だもん」
誰にそっくりだなんて、言わなくても分かっているさ。
顔を上げると、既に母さんの表情は、薄れてしまっていてよく分からなかった。だけど、多分笑っているんだろうと思った。
『もう私はここには来れないわ。これで最後。だから最後に伝えておくわ』
母さんが俺に近づいて、抱きしめる。そして、耳元で囁く。
『私達はあなたを絶対に許しはしない。でもね、私達はあなたを心の底から愛しているわ』
涙が溢れる。心が苦しい。これが本当の別れ、家族との別れなのだから。
『力の使い方はもう思い出したでしょう。それで、あの子を守ってあげてね』
「えっ?」
『……あの子のこと、お願いね』
直後、彼女の姿が完全に消える。そして、全ての時間がまた、動き出した。
あの子って、誰のことだよ……母さん……
残ったのは、止めどなく流れる涙だけだった……
――ごめんね、優。
俺が目を覚ましたのはまだ夜も明けきってない頃だった。それは、多分、神の気まぐれだったのかもしれないし、必然であったのかもしれない。
いつの間にかベッドで寝てしまっていた俺は、さっき起こったことを思い出す。
本当の、母さんと話したこと、十年前のことを思い出したこと、そして……
「あの子って、どの子だ?」
思い出した限りでは俺は誰かといつも一緒に居た気がする。多分それは、あの事故で亡くなってしまった、俺の妹だろう。だったらあの時、お願いねって言われたのは……
思いつく人が一人しか居ない。だからなんとなく起き、その人が居るであろう部屋に行く。
しかし、その部屋は元々誰もいなかったように、何もなかった。
「おい、紅葉……?」
敷いていた布団も片付けられていて、紅羽が来る前と同じ状態の部屋に戻っていた。
慌ててリビングに行くと、やはりそこには誰もいない。その代わりにテーブルの上に手紙が置いてあった。
すぐさま中身を取り出し、読む。そこには、こう書いてあった。
『優へ。どうせあれだけ言っても私の跡を追うだろうと思ったので、先に出ていくね。いろいろとご迷惑をおかけしました。それに、やっぱり優はこっちの世界に来ちゃだめだよ。元の生活に戻って、普通の高校生として生きてよ。私はね、優を危険な目に合わせたくないの。もう誰かが傷つくのを、見たくないんだ。だから……さようなら。後、私の分も背負ってくれる、そう言ってくれてありがとう』
「ふざけんなよ……勝手に住んで、勝手に出ていきやがって……っっ!! それにな……っっ!!」
震える手でその手紙を置く。この感情を言い表すなら、
「俺の罪を背負ってくれるって言ったし、俺はもうどこにも行かないって言っただろうがっっ!!」
この不器用な少女を、すぐさま探し出してやるという、怒りだった。
すぐさま外に出ようとするが、その前に一つだけ違和感があった。それはカバンが一つだけポツンと取り残されたのか、リビングに置きっぱなしになったままだったことだ。
彼女が使用していたのを見たのは二つ。一つは自分の衣類が入っていて、もう一つは最初に会った時に付けていたガントレットをしまっていた。じゃあ最後の一つは……?
ゆっくりとカバンへと近づき、中身を覗く。そこにあったのは――
まだ明かりも差さない漆黒の夜。季節は春と言っても、この時間はとても寒い。厚着でも肌が出ている部分は本当に冷たい。
「ここね……」
たどり着いた先は廃ビル。駅から離れていった場所はこういう建物が多く、隠れる場所としては最適なのだろう。
「神威さんが言った通りなら、ここに紫瞳が……」
神威さんの情報収集によると、髪が紫色のした、血色の悪そうな少女がここに入っていったという情報があった。これが本当なら、中にあの少女が居るはず。
意を決して中に入る。ビルとはいえ電気も通っていないため、先は真っ暗だった。
エレベーターはやはり動いておらず、階段で上がる。人が居る気配は全くなく、どの階も、もぬけの殻だった。
違うところに逃げたか隠れたか? そう考えつつも、一応のためすべての階を確認したが誰もいなかった。
「……いないか」
そう安堵し、踵を返す。ここにはあの少女はいないようだ。しかし次はどこに行こうか。もうあの家には行けないし、神威さんの家に行くのもいいけど、彼が来てしまったら不味い。
のんきに考えていた直後、異変を感じた。さらに直後、殺気が感じられた。私はすぐさま横に飛んだ。
すると先ほど私がいた場所にいくつもの塊が落下していた。それらは多分、このビルの構成している壁や床をはぎ取って投げたものだろう。つまり、
「あら、こんな夜遅くにごきげんよう」
上を見上げると、階段のさらに上に屋上へとつながる梯子があった。そこから出てきた少女、天使のように空からゆっくりと降りていき、地に足を着ける。その少女の顔は天使とは程遠く、残忍な顔をしている。
「紫……瞳っ!」
すぐに持ってきていたカバンからガントレットを取り出し、両腕に付ける。
「纏えっ!」
声と同時に、ガントレットが呼応するように火を噴く。同時にこの場が少し明るくなる。
「ふふっ、本当に退屈しなさそうでたのしいですわ……さぁ、私をがっかりさせないで下さいねっっ!!」
彼女の周りに無数のビー玉が浮遊する。個々が別々に意志を持っているかのように動き、変形する。これが彼女の持つ、異常能力……
「さぁ、始めましょうっっ!」
彼女のビー玉が一斉に私めがけて飛んでくる。それを私は避けずに、
「こんなものでっっ!!」
真っ向から手のひらから炎を出し、すべて溶かす。ガラスを溶かす位、温度を高めることは楽勝だ。
「へぇ……結構やれるのね。じゃあ」
紫瞳が手を上げると、周りにある物、全てが浮いた。この異常能力に、限度なんてないのだろうか?
「これはどうかしら?」
彼女の手が下へと振り下ろされる。それと同時に浮いていた物が私めがけて飛ぶ。三百六十度、全方位から襲い掛かる。
「だったら、こうするわ!」
真下に爆発を起こし宙へと舞う。そして天井にもう一度爆発をさせる。天井に穴が開き、そのまま上の階であった屋上へと降り立つ。
私が屋上についたと同時に下から衝撃が走る。そっと覗くとそこは既に瓦礫で埋まっていた。
「すごいわね。あんなやり方で私の力から逃れられるなんて……」
少し驚いている様子だが、その割には全然余裕そうな紫瞳は先ほどと同じように自身を浮遊させて屋上に降り立つ。こっちはかなり手一杯なのにあっちはそんな素振りも見せない。これが異常能力者……
「こっちからも行かせてもらうよっっ!!」
片手で起こす爆発により、一瞬にして間合いを詰める。そして手前で一回転し、頭目掛けて回し蹴りをする。
しかし紫瞳は、それを難なくかわす。空振ったもののそのまま手をかざす。
「もらいっっ!!」
手から炎を射出する。この至近距離ならかわせないだろう!
「甘いですわ」
地面が剥がれ、瞬時に私の炎と紫瞳の間に割り込み炎を食い止める。
「反則級ね、それっっ!?」
炎を止め、距離を置く。あの力は本当に厄介ね。距離を詰めても反撃され、空ければなぶり殺しにされるだけだ。だから、
「攻めるのみしかないねっ!」
再接近し、爆発を利用した勢いで蹴りや手刀を試みるけど、紫瞳は難なく全てをかわし、時にはその力で防いできた。結局、一度も攻撃が当たらず、再度距離を空けてしまった。
そう何度もこっちは能力を使えない。そろそろ限界が近づいてきた。呼吸は乱れ、集中力も落ちてきた。お腹はすいてきたし頭痛も収まらない。
「ほらっ、私をもっと楽しませてっ!! まだ力は残っているのでしょうっっ!?」
顔を上げると、紫瞳は楽しそうにし、今度は階下の瓦礫を浮かせてきた。本当に反則級ね。
「ほらっ、ほらっ!」
彼女の腕を横に、下に、振り下ろすと、瓦礫が群れをなして飛んでくる。力を使い、無理やり横に飛ぶ。しかし、小さな破片が頭にかする。
「ぐっっッッ!」
どうにか堪えたが血が流れ、眼に染みる。そこまで問題ないけど、もう力が……
「まだまだ楽しませてよっ! 私を……満足させてよっっ!!」
更に瓦礫を浮遊させて、私の方へ投げようとする。これはやばい。どうしようと考えているうちに、
「待って!!」
自然と声が出た。ただ単に時間を稼ごうと思ったのか。それもあるが本当は違う。本当はただ単に――
「……一つ聞かせてほしいことがあるの」
「……はい?」
今まで聞く耳も持たずに凶器を投げ続けていた彼女が止まる。それは、私がずっと疑問思っていたこと、ただそれを聞いてみたかった。だから問う。
「あなたはどうして異能力者を狙うの? どうしてゲームと称して戦いたいの?」
彼女は家族を失った。父親と、自分の力によって。そこから彼女は、何を考えて今まで生きていたのだろうか、と。
「私が? 何故? ふふっ、そんなの決まっているじゃない」
そんな彼女は、不敵な笑みを浮かべて答える。それは最初から決まっていたことだったのだろう。
「私はこの力ですべてを失ったっっ!! 家族もっ! 家もっ! 何もかも全てっ! だったらもう何にすがれっていうのっ!? 自分で全て壊して失ったくせにっ! だったらいっそ私は好きなことをやってやるっ!! だから私は……っっ!!」
さっきまでとは違う表情、悲しみと怒りが混ざった形。そんな彼女は、昔に戻れないことを悔やんでいる、それだけのことなんだろう。
「もう何もかも全て……壊してやるっっっっッ!!」
彼女の目が妖しく変化する。それは暗い紫色をしていた。そして彼女を中心にして、全てのものが浮遊する。瓦礫、窓ガラス、そして……
――この廃ビル全てさえも浮遊させた――
「全部全部全部全部、壊してやると決めたのだからッッ!!!!」
廃ビルが少しずつ軋み始め、やがて階層毎に分断されていく。一つひとつが細かい鉄塊となり、私の元へ降り注ぐ。
そうか、あの子は、彼と同じなんだ…………
鉄塊の数々を避けることもかなわず、私はそこで意識を失った――




