困惑と共に
鮮やかな日差しが部屋の中に注ぎ込む。まだ肌寒いが日光によって少しは暖かく感じるのだろうか。それでもまだ春の初め、風や気温は冬の頃の影響のため、カーテンで閉められた部屋の中はやはり寒く感じる。
そんな気持ちで目が覚める。布団から出られない人はここから何分もベッドの中で格闘するようだが、あいにく俺はその系統ではないため即座に起き上がる。
昨日はいろいろな出来事があった。あまりに現実味がなさ過ぎて全部夢ではないかと錯覚してしまうほどだ。しかし、これは現実だと語る人物がすぐそこに居る。
隣の部屋へ一応ノックをし、返事はないが寝室へと入る。そこの部屋は元々使用していなかったせいか本当に何もなく、ただ布団が敷いてあるだけで後は最初から付いていた窓とクローゼットくらいしかない。
その布団の中には何やら小さな生物が丸くくるまっていた。中から小さいけれどかすかな寝息が聞こえてくる。
誰かとは言わずとも分かっているため、起こさずにリビングへと降りる。とりあえずは顔を洗って目を完全に覚ますことにした。
時刻は九時を過ぎたくらいであり、思っていたよりも長く寝てしまっていた。
今日は平日ではあるのだが、祝日となっていたため学校はない。だからそんな早起きするつもりはなかったため、ちょうどいいくらいの時間だ。
着替え終わり、洗濯機を動かした後に朝食を作る。簡単な目玉焼きにソーセージを合わせるという定番なものだ。
今なら笑えるが昨夜は本当に大変だった。今寝ているあの少女は本当に何も持たず、単身で男一人の家に押しかけてきた。こんなことが現実にあることだろうかと頭が痛くなるほどだ。しかも、挙句の果てに着替えの服がないため、俺の服を着ることになった。だが、それを着た彼女の状態が非常にまずく、恥ずかしくて直視することができなかった。
当たり前だが俺しか住んでいない以上、男用の服しかない。仕方なく、俺が使っていた寝巻を渡したのだが、やはり女性である以上、男とは違った部分がある。そこ部位のせいで上へと上がってしまい、シャツが少しきつくなってしまった。さらにか、それを知ってか知らずか、本人は「どうっ? ちょっとサイズきついけどちゃんと着れたよっ」とかいいながらシャツを下に無理やり引っ張って着たため、主に胸あたりが強調されてしまい、とてもじゃないが直視できず、すぐに自室へと逃げてしまった。
そんな少女が来てからは問題しかなかったが、一番の問題はそこじゃない。
紫瞳。そんな少女が持つ凶悪な力、異常能力とは一体どんなものなのか。そして、俺の力。これはいったい何なのか。どうして、いつ、この力を手に入れたのか。俺はただただ、その答えが知りたい。そのためには、どうすればいいのか。俺にはあまりにも知ら無さ過ぎている。
だから、俺はその少女に会ってみたい、とも思っている。そうすれば、この力の意味が分かる、そんな気がしたんだ。
当たり前だが、あの寝ている少女は絶対にそんなことを許さないだろう。むしろ会わないで済むように守ってくれているのだから。
朝食が出来上がるころには起きるだろうと思っていたがそんな気配は全くない。まだ寝ているのだろうか、そう感じたため、もう一度寝室へと入る。
そこで見たものは想像を絶したものだった。
先ほどのとは違い、大の字になって寝ていた少女、天音紅葉は、それは大胆に姿を現していた。まだ寒いはずなのに毛布は全て横に薙ぎ払われおり、口から少しだけ涎のようなものが見えた。あえてそこは見なかったことにしておく。
しかし、問題はそこじゃない。俺が貸した服がきつかったせいなのか、脱げてかなり上へ上へと引っ張られていて、存在感がなかなかあるその胸元が見えそうになっている。また、同じく貸した寝巻用のズボンが捲れて下着が露わになっていた。
理性を必死に抑え切り、なんとか横にあった布団を掛ける。というか普通に考えて流石に寒くないのか、と考えるほどの余裕が持てるくらいになったころには危険は去っていた。
そうこうしていると、あまり聞かない軽快な音が部屋に響いた。この音は、インターホンだと気づき、リビングに戻ってすぐさま出ることにした。
「どちらさまでしょうか?」
「すいません。こちらのお方の荷物を運んできました」
声からして女性のようだ。しかし、荷物というのは何のことだろうか。さらに、この人は誰だろうか。とりあえず、俺の知らない人だとは思うが。
疑問を抱きながらも、外に出てみるとそこに居たのは若々しい女性だった。
見た目は、肩くらいまでの栗色の髪で眼は翡翠のように澄んだ緑色だった。背は大体俺くらいだが、多分ヒールを履いているから本当はもう少し低いのだろう。感覚的には大人な女性、そんな感じが思い描かれた。
「これ、あの子忘れていったでしょう? わざわざ用意したのに全部忘れるとか考えられないわよねぇ」
彼女の後ろからその荷物とやらが置かれていた。計三つ、旅行用のカバン程度の大きさでそこに鎮座していた。一瞬、目を疑ったが何度瞬きしようがその数は変わらない。
「申し訳ないけど、これらを中に入れさせてもらうわね。あの子、決めたことは絶対にやるっている意志で生きているようなものだから」
彼女はそのまま必要ないほどの荷物を俺へと渡していく。一つだけでも数キロはあるものを三つも重ねて持った俺はよろめいたが、何とか耐えきり玄関へと持っていく。彼女はこの荷物を全てここまで一人で運んだのと考えるとかなりの疲労があるだろう。
「わざわざ荷物を持ってきていただいてありがとうございました。せっかくでしたら中でお茶でも入れましょうか?」
飲み物くらいでも準備しようかと思ったが、
「いえ、それよりも神威さんから伝言を預かっているのでそちらを」
やんわりと彼女は俺の提案を断り、何故か懐から手紙らしきものを渡してくる。礼を言ってその手紙を読む。
『四ノ宮くんへ。
そちらに天音くんが行ってしまっただろうが、すまないがそちらが迷惑でなければ泊めてやってほしい。というのも、君も狙われている対象であるゆえに、残念ながら危険な状態にある。そのため、こちらの方に詳しい天音くんの近くにいた方が安全なはずだ。本人も心配だったみたいですぐに荷物を準備して飛び出してしまったよ。肝心な荷物は忘れていったけどね。数日間でなんとかするから、よろしくお願いするよ。
追伸 彼女は朝がとっても弱いからといって、そんな時に襲わないようにね』
読み終わったと同時にその紙を粉々に引き裂いた。理由は何故か分からないが最後の追伸でイラついたからだろうと考える。
ふと目を上げると、先ほど目の前にいた女性はいなくなっていた。辺りを見渡してもすでに人の気配はなく、彼女の姿は見えなくなっていた。
なんとなく、母親という感じの雰囲気だったから紅葉の親と考えた。しかし、彼女はずっと神威さんといた、と言っていたはず、ならばあの人は誰なのか?
思考を巡らしても分からないことだらけだ。いっそのこと、今までのこと全てを理解したいと思うのが人間だ。
リビングに戻り食べ終わった朝食を片付ける。もう一人分作っておいたが、やはりまだ起きる気配はないため、ラップを巻いておく。
紅葉が朝弱いことが分かったため、このままだと分からないことを延々と考えるだけになってしまう。せめて起きてくれれば質問攻めできるのに、と考えたが無理やり起こすのも気が引ける。
ならばどうするか。やはりもう一人の関係者、神威さんに会うしかないのだろう。あの人の方がより詳しいはずだ。
一応、もう一度寝室を覗いたが、心地よさそうな寝息が聞こえたため、まだ起きないだろうと判断し、自分の部屋からコートを出して羽織り、簡単に書置きをして外に出た。
外は春が来た割にはまだまだ寒く、風が一度吹くとさらに寒さが増す感じだ。
神威さんは多分、あの学校にある門に居るだろうと考える。どのような理屈で家の門となっているかは異能の力によって、全て説明できてしまうためあまり考えないことにする。
俺の家から徒歩数分にある学校は、そんなことを考えているうちに到着する。しかし、今日は日曜日のため正門は空いていない。といっても横の小さな門は空いているためそこから入ることは出来る。
俺は入っていないが、部活に参加している学生がいるため、出入りは出来るようにしてある。現にグラウンドにはちらほらと学生がいるみたいだ。
そんなところは気にせず、そのまますぐ近くに存在感がありありとしている、あの門へと近づく。周りが小さな柵で囲まれているため軽く乗り越える。
その瞬間、どこか違うところへ飛ばされた感じがする。しかし、周りの景色は変わっていない。
いや、違う。ある部分が違うと俺は気付いた。そう、ここからでもグラウンドは見える。にもかかわらず、俺から見たグラウンドには先ほどの学生たちがいなくなったかのように消えていた。
試に一度柵の外側へ出てみると、先ほどのような妙な感じがした後、グラウンドを見たが、そこには周りを走っている学生が何人もいた。
やはりこの柵の外側と内側でどこか違う空間に飛ぶようになっているのだろう。
そしてもう一度の柵の中に入り、門をくぐる。中は先日来たものと同じ、洋風な城をイメージされた玄関当たりへと変化していった。
しかし、天窓から差している暖かそうな日差しの真下、最上階の踊り場には誰もいなく、周りを見渡しても人はいないみたいだ。
他の部屋に居るのだろうか、そう思いいくつかの部屋を探そうとしたが、あまりに部屋の数が多そうなため、諦めてここで待つことにした。
階段を上がり、最上階へと着く。城の中で唯一外から差し込む日差し。見上げてみるがあまりに眩しくて目を細めてしまう。
「綺麗でしょう? 私のお気に入りの場所なのよ」
瞬間、声のした方へと目を向ける。あまりに眩しいため、最初は良く見えなかったが段々戻っていき、すぐ隣にその人物がいた。
「ここだけが、唯一本当の日差しが差すところなのよ。とても暖かくって、気持ちいいのよね」
目の前には、今朝会った女性が天窓の方へと向き、眩しそうにしていても、それでいて朗らかな印象を受けた。
大人の女性、そんな言葉を表しているのが、俺の目の前にいる女性に合うのではないかと思うくらいの、綺麗な人だ。
しかし、そう思っていたのは束の間。
「そして、やっぱりわたしのところに来たんだね。四ノ宮くん?」
一瞬、天窓から鋭い光が差す。目を一瞬閉じ、開いた先には先ほどいた女性はいなくなっていた。代わりにそこに居たのは、
「神威さん……」
昨日と同じ黒いスーツで身を固めた、時折間から見えるやけに白い肌が特徴な、神威さんが目の前にいた。
「あの人は神威さんが見せていた幻か?」
「幻……そうだね。私が外出するように使う人物だよ。さすがにこのままの容姿で出入りしたら、いろいろとまずいからね」
彼はほんの少しだが、憂いを帯びたような表情で頷く。それでも、すぐにいつもの柔和な笑みを浮かべるので気のせいだとも感じた。
「さて、四ノ宮君。君がもう一度私のところに来ることを信じていたよ。勿論、理由も分かっている」
ここに来た理由はお見通しだったのだろう。また、ここに来ることも予想できていたのだろう。
「それなら話は早いな。分かっている通り、俺のこの力について知りたいんだ……っ!」
「君の力について、ね。それは本来、君が一番知っているはずだけども。君は本当に何も知らないのかい?」
「ああ。俺は今までこの力を使ったことはないはず、さらに『異能力』という言葉すら今まで聞いたこともなかった」
「ふむ……」
顎に手を当て、思案する神威さん。やはり俺の力についてはあまり詳しくないのだろうか?
「とりあえずと言ってはなんだが、君は今まで力を使ってきてはいなかった。しかし、昨日の出来事によってその力の存在が分かり、使用したのだね?」
「ああ。空中に投げ出された瞬間だけしか使っていないけど」
「君はその時、何をしたのかい?」
そこから簡単に説明した。誰かが俺に話しかけたこと、眼を開いたら感じている時間の流れが遅くなっていたこと、なんとなく手をかざしたら、刃物同士が一か所に集まったこと。
神威さんは納得したように、
「なるほど。まず君は、多分だけど電気系統の異能力者だろうね。君の視界にあるもの全てが遅く見えたのは、おそらく脳に送る電気信号の速度を急激に上げたからだ。それともう一つの刃物については、ある一点に磁場を生成して、金属類をくっ付けた。これで説明はつくね」
確かに俺の起こった現象に対しての言い分としては正しい。納得はできた。しかし、
「じゃあ、俺が落ちていく時に現れたあの声についてはなんだろうか……確か、『いつかは知ることになる』とか言っていた気がするけど」
「それについてなんだが……」
神威さんが先ほどの笑みを止め、真面目な表情に変わる。
「君は、人の記憶について知っているかい?」
「記憶……?」
「そう、人の持つ、記憶。これ自体はかなり曖昧なもので、自分の思い込みだけでもかなりねじ曲がってしまうものさ。例えば、夢で見た記憶と現実での記憶が混ざり合い、嘘の記憶でも本物であったと思い込んでしまうんだ」
「それが一体なんだっていうんだ? 俺の力に何か関係があるのか?」
「天羽君から聞いているが、君は昔の記憶をちゃんと覚えているんだってね?」
「ああ、ちゃんと覚えている。紅葉は記憶喪失の可能性があるんじゃないか、って神威さんから聞いていたみたいだけど、その可能性はあり得ない。俺は幼少の頃から今までをちゃんと覚えている」
流石にいつから、というのはあまりに曖昧過ぎるけれど、大体のことは覚えている。
自分の生年月日、家族構成、通っていた学校だって覚えている。
「しかしだね、先ほどもいってように、人の記憶は曖昧な物なんだ。幼少の頃なんてものはさらに薄く、違う記憶が植え付けられていてもおかしくはないんだ。例えばだが、この記事について君は何か思い当たることはあるかい?」
懐から、小さく切り抜かれた用紙を俺へと差し出す。それはかなり古い記事のようだ。時期としては今から約十年前、俺がまだ小学生のころだ。
記事の内容からして、交通事故によって数人の命が亡くなったものだ。十字路となっていた中心部分で、二台の車が激突し、片方が炎上してしまい、二次災害を起こしそうになったようだ。周りには公園があり、見晴らしの良い部分なのに衝突してしまったという、妙な事故だったらしい。原因としては加害者側の居眠り運転として解決した。
一瞬だけ、脳裏に何かがよぎった。そんな気がしたけど、やっぱり俺は、何もこの事故については知らないはず。
「いや、俺はこの事故については知らない。これは何だ?」
「この事件については私も少し関与させてもらっていてね」
俺とは何も関係ないんじゃないのか、そう考えたが神威さんの考えを先に聞いておくことにした。
「この事件で亡くなってしまったのは三人。家族連れの方だったみたいでね。加害者であったほうの運転手は頭部への打撲程度だったけど、家族連れはすぐに搬送されたけどダメだったようだ」
悲しい話だけども、ニュースではよくある話だ。当事者でない俺には、それは不幸な事件ですね、と思ったところでそこで終わりだ。泣くことも、怒りに狂うこともない。ただそうあるものだと受け止めるだけだ。
「そこで私は一つ、おかしな部分に気づいたんだ」
「おかしな部分?」
「この家族連れの家族構成を問い合わせたところ、実は四人だったんだよ。親二人に兄と妹のね」
四人? だってさっき亡くなったのは三人って……?
「そう。君が察した通り、病院に搬送され、亡くなってしまったといわれたのは三人、うち二人は女性で一人は男性であることがその記事に書いてあっただろう?」
もう一度記事に目を通すと確かに書いてあった。しかし、
「じゃあ、そのいない一人はどこへ? 家で留守番でもしていたのか?」
「いいや、その子はちゃんと運ばれたはずなんだ。でもね、その子は病院には搬送されていなかったんだよ。つまり、その子は違う所で隠れて生きているのではないか、ってことさ」
もう一度確認したがそこに書かれているのは亡くなった三人の家族、苗字は大参、やっぱり俺とは関係がなさそうだ。
「神威さん、結局この記事は俺と何か関係があるのか? 俺はこんな事件なんて知らなかったし、この生存者と何かあるのか?」
なかなかはっきりしないためか、少し苛立ちが募る。あまりにもったいぶるような喋り方だから、先が気になってしょうがない。
「つまりだね、私はこの事件で唯一生き残った少年は君のことではないのかと考えているのだよ」
一瞬、頭の中が真っ白になる。俺が、この事件の、生き残り?
「神威さん、それは流石にそれはあり得ないだろ」
だって俺は、
「俺にはちゃんと昔からの記憶はある。親の顔も、自分が幼少の頃から育った場所も、ちゃんと覚えている。むしろ、その事件自体知らない俺が、その当事者であるわけがないじゃないか」
「そういうと思ったよ」
神威さんはにっこりと微笑む。まるで、本当に、全てを見透かしているかのように。
「先ほども言ったが、記憶は曖昧なものだ。私だって、自分の幼少の頃、誰と何処へ何をしに行ったか完全に覚えているわけがない。そんなものだから勝手に偽の記憶を植え付けることだってある。例えば」
神威さんの眼が俺を捉える。その眼は、確信があるかのように感じ、絶対に揺るがない、そんな決意の眼だ。
「目の前で家族が亡くなるのを見てしまった記憶をなかったことにする、とか」
結局、俺はこの力については何も分からなかった。むしろさらに悩みが増えてしまったくらいだ。
――目の前で家族が亡くなった記憶をなかったことにする――
それって、つまりは自分の家族全てを否定する、そういうことだよな。俺はそんなことをしたのだろうか?
考えを否定するように俺は首を振るう。あり得ない。俺はちゃんと覚えているはずだ、本当の家族を、四ノ宮家にいる父母の顔を。
神威さんは結局、俺がその大参という家族の生き残りではないかと指摘したくらいしか答えず、この力については何も言わなかった。ただ一つ、最後に言っていたのは、
「紫瞳、彼女に会ったらすぐにわたしか天音くんのところに連絡し、逃げなさい。君がどう考えているかは知らないけれど、彼女に会ったらすぐに逃げること。死にたくなければそうしなさい」
神威さんも、大体俺の行動を読めているのであろう。俺が紫瞳に会おうとしていたのはバレバレだった。
しかし、どう考えても分からない。俺がなんでこんなに悩まなければいけないのか。この力がある意味。それは、本当に俺と似ている名前の子と関係があるのだろうか……
「見ーつけた」
突然、後ろから軽快な声がした。悩みすぎていたせいか周りに誰かいたことに気付かなかった。振り向くとそこに居たのは――
「はにゃ!?」
起き上がると本当に何もない部屋だった。先ほどまでは永遠とあるほど大量な美味な食べ物を食べようとしていたはずなのにいつの間にかそんなものはなく、あるのは体を暖かくしてくれている布団くらいだった。
「なんだー、夢だったのかぁ……」
軽く嘆きつつも、仕方ない。布団から出、大きく伸びをする。窓へ向かうと今日も天気の良さそうな一日になりそうだなぁ。
部屋から出ても、誰もいない感じだった。おかしいと思い、リビングへ行くと朝食がおいてあり、隣に書置きらしい紙が置いてあった。
内容としては、少し外出するから朝食でも食べて留守番しておいてくれ、とのこと。
「全く。私のそばから離れないで、ってあれほど言ったのに……」
軽くため息を吐く。現状がどれだけ危険なのか、彼には自覚できてないんじゃないのかなぁ……
何度も言うが、嘆いてもしょうがない。だけど、これだけはどうしようもない。朝食をとってから彼を探しにいくか、待つか考えたがその暇もなく、
「あれ? 電話が鳴ってる?」
違う部屋から私の設定した着信音が聞こえてきたので、すぐに音のする方へ向かうとそこに三つの大きなカバンが置いてあった。
多分、神威さんが届けてくれたのだろう。わざわざ手間の掛かることをさせて、申し訳ないと感謝をしつつ、音が発している方のカバンを開ける。
中にはたくさんの服が真っ先に現れ、その中から探るように手を突っ込み、ケータイを引っ張り出す。着信相手は神威さんからだった。
「もしもし? 天音です。どうかしましたか?」
「……四ノ宮くんは帰ってきたかい?」
いつもとは違う、やけに固い声が聞こえた。なにかあったのかな?
「いえ、まだ帰ってきていませんよ。もしかして、神威さんのところに行きましたか?」
「ああ。ただ、私のところから離れてもう一時間もたっているのだが……」
瞬時、嫌な感じが走った。
「彼は少し落ち着いてから帰るといっていたけれど、私の異能力で見張っていたのだがどこかで分からなくなってしまった」
「そんなっ!? もしかしたら紫瞳に……っっ!?」
会話中に小さく音が鳴る。多分メールが届いたのだろうと考える。
「すまない、今メールが届いたから読ませてもらうよ」
「私にも着たと思います。確認しています」
一度、耳からケータイを離し、メールの方を開く。そして驚愕した。そこにはただほんの数文字だけ書いてあった。
『追われている』
送り主は先日登録した四ノ宮優。送り先は私と、神威さん。
「これは悠長なことを言ってられないね。早く準備して四ノ宮くんを保護するんだ!」
「了解!」
すぐに身支度を済ませる。朝食を本当は味わって食べたかったけど、今は栄養を取るだけにする。少量だけ口に入れ、そのまま玄関に置いてある、空いていないカバンの一つを開ける。中には私の愛用の武器であるガントレットが入っており、腕へと付ける。
外へと出、
『纏え!』
腕に装着したガントレットから勢いよく熱が放出され、空へと飛び立つ。すぐに向かわないと、彼が危ない。お願いだから……無事でいて……っっ!!
「はぁ……っ! はぁ……っ!」
なんだよあれはっ!? 出会った瞬間にいきなり鈍器物やらを投げてくるかおいっ!?
数分前、見知らない女性に声を掛けられたと言われれば聞こえは良いが、それがまさかの紫瞳だとしたら、喜べないものだろう。
運が悪いのか、彼女は俺の顔をよく覚えていた。出会った瞬間に、
「あの時、私を邪魔した男ですね。それじゃあ、私と少し遊びましょうっっ!」
と、支離滅裂なことを発しながら周りにあったブロック塀が勝手に浮遊し、一つ一つ均等な大きさになるように分裂し、俺へと飛びかかってきた。
間一髪というか、上手く飛び逃げることで避けられたが、あんなもの何度も避けられるわけがない。すぐさま逃げ出したときに、
「あら? また鬼ごっこかしら? それはまた楽しいですわねぇ」
背筋がゾクっとした。あの声は完全に楽しんでいる。俺を捉えて、確実に殺すことを、楽しんでいる。こんなことって、本当にあり得るのかよっっ!?
悠長なことを考え暇もなく、あちこちへと曲がりながら紫瞳から逃げ、今は人通りの少ない路地の裏で隠れている。とりあえず紅葉と神威さんには連絡したからなんとかなるはずだ。
しかし、俺はあまりに軽く考えすぎていたんだろう。安易に紫瞳に会ってみようと考えてみるから本当に会ってしまうんだ。昔からそうだ。授業参観の時に俺を指名するなと思いつつも、本当は指名してもらいたがっていた。そういう時はいつも俺になり、結局恥をかいていたっけな……
あれ? あのとき俺の後ろにいたのは、母さん……だったっけ……?
首を振るい考えていたことを頭から捨てる。今はあの女から逃げること。それだけを優先するんだ。真っ向から戦えるような力は俺にはあったとしても今は使い方すらわからないし無理だろう。ここはすぐに紅葉と合流するか、神威さんのホームまで戻るか二つだ。
普通に考えれば紅葉と合流した方がいいが、相手が見逃すわけがない。絶対に戦うことになる。ならば俺は神威さんのところで身を隠した方がいいだろう。
そうとなればすぐに学校まで行かないと。ケータイから調べてもそんなに遠くはない。走れば十分程度で着けるはずだ。
希望を持ちつつ、路地裏からそっと顔を出す。そこには希望から絶望へと変わる瞬間であるものが見えた。
紫瞳。彼女がこの路地まですでに来ていた。周りには子供が遊びで使っていた小さな綺麗な玉、ビー玉を大量に浮遊させていた。
どうして、俺がいる場所が分かるっ!? 流石にあれだけでたらめに走っていたはずなのにどうして悠々と着いてこれるっ!?
「この辺かしらね? 私と同じ異能な力、そんな感じが伝わってくるわ……」
まさか、異常能力者ってのは異能者のいる場所が分かるのかっ!? そんなこと、神威さんも紅葉も言ってなかったはずだ。
これは不味い、そう思いすぐに顔引っ込める。路地裏を経由してもいけなくはないけどこっちは一本道だ。彼女は俺の後を絶対に追うと考えると必ずこの道の途中で俺に気付く。しかしここで動かないといずればれる。
仕方ないか、そう結論付けて、俺は裏の一本道へと走る。なるべく紫瞳と距離が出来るように全速力で走った。
しかし、ことはそんな甘くはなかった。裏道に出て数分で彼女は俺を見つけた。
「見ーつけた」
彼女は俺を見つけた途端、空へと飛びあがった。そして、あっという間に俺との距離を縮め、俺の前方へと降り立った。
「おいおい嘘だろ……あんた空も飛べるのか……?」
「簡単なことですよ。私の力は物質を浮かせ、飛ばすことが出来るの。小石でもあれば足元に付けて空を飛ぶようなことだって可能ですわ」
言っていることは理解できたが、頭は簡単に納得できていない。今まで歩いていたのは、本当にゲームのように楽しんでいただけだったのか?
「さて、それじゃあ次はあなたの力を見せて欲しいですね。私の力と対抗しうる力、そんなものと出会えるなんて、私はなんて幸せなのでしょう!」
「俺には力なんてない」
「……なんですって?」
「だから、俺にはそんな力は持ってないって――」
「あなた、ふざけているのかしら?」
瞬間、場の空気が変わる。先ほどまで楽しんでいた表情から、殺気めいた怒りのような表情に変わる。
「先日、お会いした時、あなたは私の力を妨害したのは分かっています。つまり、あなたは異能の力の持ち主でしょう?」
「そうだけど少し違う。俺は自分の力の使い方を知らないんだ」
戦わなくて済む、そう、少し期待できるような感じになりそうだったが、
「残念だわ。異能の力を持っていながら、それを使えないなんて。あなた中途半端ね。もう面白くないわ」
周りに浮いていたビー玉の一つが俺の脚へと飛びかかる。同時にビー玉は形を変え、鋭く尖ったつららのようになり、俺の脚へと突き刺さる。一瞬の静寂の後、
「っっ!?」
俺の脚は力が入らなくなり、床へと叩き付けられる。痛みは感じなかった。痛みというよりも貫かれた箇所が異常に熱い、そんな感じしかしなかった。恐怖のあまりに声も出せず、痛みも分からなくなっているのかもしれない。
刺された場所から血が溢れるかのように湧き出てくる。手で押し止めようとしてもなかなか止まらない。これって、俺、死ぬのか?
「あなたにはがっかりしましたわ。だからもういいですわ――死んでください」
彼女の眼は酷くつまらないものでも見るかのようだった。それでいて、彼女の名前の如く、暗い紫色に染まっていた。
彼女の周りに浮遊していたビー玉が全て形を変え、俺へと向かう。一つだけでも銃弾を受けるくらいの傷は負える程度の物だ。この量なら即死だろう。
そして俺の目の前まで来る。嫌だ。死にたくない。だって、こんな終わりなんて、あんまりだろ――
その場がまた暗闇に覆われる。前回にも似た感覚。昨日の落下していた時と同じ感じだ。そして、
『また、ですね』
「……っはぁ、……また、……だな」
少し息を整える時間が欲しい。もうあと一歩で俺の命が消える寸前だったのだから、すぐに平然と話せるわけがない。
聞こえてきたのは昨日の落下時、そして講堂で寝てしまったときに現れた、姿が見えない女性の声。それがまたここで聞こえる。いや、この暗闇の空間でしか会えないのだろうな。
深い深呼吸を数回繰り返し、息を整える。そして、
「すまないけれど、また窮地に追いやられているんだ。力を貸してくれ」
なんとなくだけど、この声の人が俺の力、そして過去について知っている人だ。ならば今は力を使わないとこの先が危ない。俺の目の前には大量の凶器が待っている。
『元々この力は私のではないのよ。あなたの物。そしてこの力そのものが、あなたの過去へと繋がる』
「どういうことだ?」
この力自体が俺の過去を繋げるとはどういうことだ?
『大参。彼の者はあなたにして、あなたではない人物』
「えっ?」
『思い出すことも、思い出さないこともあなたの自由。でも、結局あなたは思い出すのでしょう。あの十年前の事件を――』
少しずつ周りが明るくなっていく。そろそろ時間がないみたいだ。
「ちょっと待てよっ! おいっ! どういうことなのか説明してくれよっっ!!」
周りが白くなる中叫ぶ。そこから小さく、
『……なら。……ん』
先ほどとは違う、幼い子供のような声が聞こえたような気がした。
そして目の前が先ほどの状態へと戻った。すぐ近くに紫瞳が立っており、俺の周りにはいくつもの形を変えて凶器となったビー玉が浮いていた。しかし、
全ての動きが静止していた。これは落下していた時にも感じたものと同じだ。俺以外の全てが止まっている。この現象は、神威さんが説明していた通りである。
しかし止まっているのではなく、かすかにだが動いてはいる。ビー玉はほんの少しずつ俺へと向かっている。軽く触れてみるが、簡単には動かず、横から引っ張ってみてやっと動いたくらいだった。
止まっている物に物理的な干渉は難しいということが分かったため、その場から離れることにした。神威さんが言うには、今、この場は俺の力によって脳の回転速度を急激に上げているゆえに、俺の視界からは全てが遅く見えている。しかし、肉体自身を強化している訳では無いため、歩くだけでも体が重く感じる。それでも、かなりの距離を稼ぐことが出来たため、良しとしよう。ふっと力を抜くと、その場の動きが元に戻る。
多分俺の力が解けたのだろう。そう考えるのと同時に、
「えっ!?」
背後の方で驚きの声が聞こえる。普通に考えても、あの包囲網から抜け出せるとは思わなかったのだろう。
それでも、この通路は一本道。そして結構長いことからある意味有名な道となっている。そんなものだから彼女はすぐに俺のことを見つける。
「あなた……やっぱり異能力者じゃない! 騙していたのねっっ!?」
騙していたつもりはないが、そうなるだろう。答えることもなく、さっさと逃げることにする。踵を返し、通路を走る。
「まだ、鬼ごっこでもするつもり!? 私はもう飽きたのよ!」
彼女は浮遊していたビー玉を足の裏に付け、自身を浮遊させる。そして、俺へと向かって飛んでくる。さっきとは違い、全速力で飛んでくる。すぐに俺の横に着くと、
「もう逃げられないわよ!」
周りに浮いていたビー玉を俺へと飛ばす。先ほどのように俺の目の前まで近づいてくる。そして、俺は集中する。目の前にあるビー玉、その先に居る紫瞳。すると、また全てが止まったかのように感じる。さっきと同じ現象だ。
どのようにすれば俺の能力が使えるかが分かってきた。とりあえずは、目の前に集中することでこの力を使えるということがわかった。またすぐに包囲網から逃げ出す。そういえば、さっき脚を刺されたはずなのにどうして俺はこんなにいともたやすく動けるのだろうと、ふと思い出したので確認すると驚いた。
ズボンには穴が開き、周りには血が付着しているが、すでに血が溢れていた箇所は何もなかったかのように傷が癒えていた。
これも俺の力なのだろうか、そう考えたが仕組みに関しては全然分からないので、すぐに逃げ出すことに専念した。あともう少しで学校の校門に着く。そうすれば神威さんのところで匿ってもらえるはずだ。
ある程度進み、今度は力を解かないように集中し続けた。しかし、
「……っっ!?」
急に力が抜けてその場に倒れこむ。と同時にその場の動きが戻る。頭痛がし、耳鳴りがし、立とうと思っても体が全く動こうとしない。自分の体じゃ無いみたいだ。
少しづつ意識が遠のいていく。頭の中がグルグルして、気持ち悪い。考えることもままならない。
そうして、俺は完全に気を失った――




