モノフォビア
【第88回フリーワンライ】
お題:
孤独恐怖症
なくしたとき(なくした、は変換自由)
溶けてしまったもの
フリーワンライ企画概要
http://privatter.net/p/271257
#深夜の真剣文字書き60分一本勝負
「まだ帰らないの?」
幼稚園の帰りの会でも、
小学校の放課後でも、
中学高校の部活の後でも、
大学のサークル打ち上げでも、
その二次会が終わった時にも、必ず誰かがそう訊ねた。
尾割彼方が帰るのは一番最後だった。
「まだ帰りたくない」
彼方は必ずそう答えた。
彼方は一人になることを極端に忌避した。恐れていたと言ってもいい。行動方針の根本には、誰かと一緒にいたい、という想いが常にあった。
そういう彼方だから、思春期を過ぎたころ、拙くて幼い関係ながらも恋人を作った。しかし長くは続かなかった。しばらくすると、新しい相手を見付けた。それも長続きはしない。
高校生になって、自分にはそういう関係が向かない、とようやく気が付いた。
ある種の依存になるのか、相手に言わせると、
「重すぎる」
ということらしい。
ならば、もう少し進んだ関係を築ける大学生ならば、と思ったが、そこで求められるのはむしろより軽い関係だった。最初はそのことに嫌悪感を覚えないではなかったが、やがてそれも薄らいだ。一人より二人、二人よりも三人四人と、より多くの人に囲まれている方が好ましかった。
地方大学を卒業するとすぐ、目的もなく上京した。都会の方が人の中にいられると思ったからだ。
アパートの一室を借りて、アルバイトを始めた。仕事から帰って一人になってしまうのが嫌で、アパートはすぐに引き払った。代わりに、ネットカフェに軸足を置いて、アルバイトをかけ持ちした。
朝は早朝からコンビニエンスストア、昼から夕方はパチンコ店、夜は居酒屋、それが終わったらネットカフェに帰るサイクル。
場所は出来るだけ混雑するところを選んだ。いつもそばに誰かがいる。そのことが彼方に平穏を与えた。忙殺される反面、人生で一番孤独を感じずに済んだ時期だった。
いわゆるネットカフェ難民同然の生活だったが、アルバイトのかけ持ちのおかげで貯蓄はそこそこ出来た。
そんな時、アルバイト仲間の誘いでクラブに行くことになった。有名人もお忍びで訪れるようなところらしい。
軽快な音楽、視神経を焼き切るような光の奔流、浴びるほどのアルコール、見知らぬ男女の人いきれ。彼方は半ばパニック状態に陥り、その初めての世界に浮かされた。
気が付くと、彼方は店の奥の一室で、見知らぬ男女に囲まれながらソファに座っていた。焦点の定まらない目が、手元を見下ろす。手はガラス管を握っていて、その中には白いものが詰められていた。テーブル備え付けのアルコールランプで管を炙ると、なんとも言えない気持ちになった。
あらゆる思考が散逸した。悩み事がどこかへ吹き散らされた。自分という自我が染み出して、両隣の男女と一体化した。溶けて混ざって、みんなが一つになって、彼方は自分の殻を見失った。
そうして初めて、彼方の中から恐怖心が消えた。
「大丈夫?」
隣から声をかけられて、彼方は我に返った。そこは交差点で、誰もが信号待ちをしていた。彼方はその人波の中に立っていた。
よっぽど酷い顔をしていたのだろうが、声をかけてきたOLは彼方が応えないのを見ると、興味を失ったように前を向いた。
先頭以外の誰もが誰かの頭の後ろを見ている。だが、誰もがその頭を見ていない。誰も彼もがここにいながら、同時に誰も周囲を気にしていない。信じられないほどの人口密度なのに、ここにあるのは集団ではなく、極度に寄り集まった個人でしかなかった。
彼方はその事実に絶望した。人生で最も大勢の人に紛れていながら、今までで一番の孤独を感じた。それは昨夜の経験との落差から、より明瞭に感じられた。
こんなにもつらいのなら。
彼方は焦点の合わない目を前に向けた。他の誰もがそうしているように。
こんなにもつらいのなら、いっそなくなってしまえばいい。
彼方は、赤信号の渋谷スクランブル交差点へと、足を踏み出した。
そうしてようやく、本当に、孤独から解放された。
『モノフォビア』了
村上春樹的なサムシング。たまにはこういうノリもいいかと。
俺の中の村上春樹的とは、簡素で退廃的で徐々に破滅に向かっていくっていうイメージなんだけど(それと半端なエロ)、もしかしたら違うかも知れない。『ねじまき鳥』しか知らないからな!
尾割は終わりを意味して、彼方はなんか達観しつつ無性別な感じにしたくて名付けた。本文中一回も性別に言及してないことにお気づきになっただろうか。男女どちらの彼方で読んでもらったのかちょっと気になるところではある。
どうでもいいが、彼方っていう名前でぱっと思い付いたのが『学園戦記ムリョウ』の妙見彼方だった。無量に匹敵する強キャラ感あったのに以外とあっさりストーリー進んで肩透かし食った覚え。
まあそんなところで。