4 カラオケ、〈サイフ/CYPH〉、円点、デノミ、「銭/cyen」
ニコたま駅周辺には何でも揃ってて、カラオケ・ボックスは
歩いて1分の所だ。
思忍ちゃんの父親ってのは、
俺の親父の兄貴で椿家の長男だったんだが、いい歳をしながら
白州家に婿入りした。白州家は代々貿易商を営んでいて大変な
資産家だったが、大戦後に没落。それでも伯父さんは主に
ユーロ方面から輸入雑貨を仕入れていて、事業は順調だった
はずだけどな。
多摩川でのバーベキューだとか、白洲家の
家族行事に俺も何度かお呼ばれして
御相伴に与ったりしたもんだ。
雫恵さんはまだ元気で
家族一同、分け合いあいとした、
絵に描いたような中流家庭だった。
……と、昔を思い出していたら、うなじがみえた。
「ここでいいですよね」と振り返る思忍ちゃん。
4人程度の団体客を10組以上収容できそうな、
こじんまりとしたビルの前、ヴァイザーで
空室状態を確認する。
彼女はバディAIにやる骨ガムに余念がない。
30分で切り上げることにしてカラオケ部屋を借りる。
長いと怪しまれるからだ。いや、別に後ろめたいことは
何ひとつないんだが――それが何か?――
狭い部屋の中は完全防音、
天井にはカメラ・レンズが2つ、
こちらを向いている。
念のためケン太にタグらせてみたが、
監視カメラでーす、と
自己紹介したAIはその2台のみ。
これ以上は今は望めない。そこで、
アリバイ確保のためにも
彼女に1曲唄ってもらうことにし、
タグ・フリーの歌唱マイクを渡す。
昭和時代の女の子が好みそうなアイドル曲を、
いとも慣れた感じで唄う彼女。
かつて『あいどる』と呼ばれた人達は、浄化の今では
もう絶滅した。
この曲はアイドル全盛期の過ぎ去りし日々の栄光、
その記録といえるだろう。
テンポがスローでメロディは素朴、
それでいてアカペラ気味で、
歌唱力がないと上手くは聴こえない、
けっこう難しい曲のはずだ。
俺が気に入ったのは、
ヴァイザーに映し出される歌詞の中に
横文字がほとんどないってことと、
日本語が千年以上前から使われてきた
古式ゆかしい大和言葉ばかりなところだ。
だからこそ昭和っぽいんであって、昭和末期のバブル時代以降にディスコだとかクラブだとかが流行ってから、アップ・テンポで大音量、意味ありげでいて実は中身のない歌詞未満のカタカナ・ワードの羅列を早口で捲くし立てることで、ほぅれアートでござい、ってな強引さは微塵もない。
いま彼女が唄っている歌詞は、
昭和乙女の切ない恋心を詩に乗せたもの。
平成野郎の俺には正直言って
理解できているとは到底言いがたいのだが、
付き合って半年も経つのに
手すら握らないようなチキンハートな男には、
そりゃぁむしろ怒って当然だべ?
という程度には解る。
彼女が唄い終ってから、
できるだけ監視カメラAIの死角になるように
並んで座り直し、今度は俺がマイクを持つ。
スイッチは入れずに唄うフリをして、
JK2との会話を進めることにした。
「カラオケではいつもこれを唄うんです。小さな頃はアイドルに
憧れてたので」
今はもうそんなコドモじみた夢は
追っていないらしくて、一安心。
肝心なことで聞き出せたのは、
伯父さんの事業は前々から
うまくいってなかったらしく、
今回が二度目の不渡り目前、六月中に
足りない金を用意しなくてはならないらしい。
「それで、幾らあれば足りるのかな?」
「お父さんから聞いた話だと、3万円あれば足りるらしいんです」
「3万って、そりゃまた大金だな」
円点換算だと300万円ポイントを
正味一ヶ月で工面しなきゃならん。
3万円もあれば丸1年は遊んで暮らせるぜ。
「……学生がアルバイトで稼げる額じゃないよ」
助けてあげたいのはやまやまだが、
俺もニンキョーなんかやってるもんだから、
貯金全部はたいても1割程度にしかならない。
「簡単な事務とか接客とか、掛け持ちで、なんとかならない
でしょうか」
「掛け持ちにも限度ってもんがあるし、
1日で合計千円以上にもなるような
高額バイトなんてどこにもないし、
もしあったら皆が殺到してるだろうな」
骨ガムを夢中でしゃぶってる〈アルベルト〉を確認する彼女、
ややあって、
「じゃぁ……ヌゥド・モデル、とか」と上目遣いでこちらを伺う。
たしかに、芸術はAIに任せられる分野ではないことから、
ヒトが大勢携わっている。世間にある大学の大半は
芸術関係だ。とはいえ、美術ヌード・モデルだからって
特別高い時給が払われてるわけじゃない、その筈だ。
世間知らずのお嬢様は自分にそれだけの価値があると思って
いるのか、はたまた相場に疎いというか、金銭感覚に乏しいのか。
たった1日で千円という額は、それだけで非合法な響きさえある。
「私……なんでもしますから。三郎さん、
ニンキョーさんなんでしょ? その……何か、
特別なお仕事を紹介、してもらえませんか……」
尻すぼみに言い終える。
「何でもするとか簡単に言うもんじゃない。俺はニンキョーである
前に君の親戚だぞ。従妹が不幸になるのを承知で黙って見てる奴が
どこにいる。それに“ニンキョー”ってもんを誤解してる。大昔の
任侠でもなければ、ヤクザでもないんだ」
もうそんな時代じゃないしな、決まり文句は、
『 NINKYO Is Not Kin to Yakuza Oldies. 』
「…………」俯いてしまう彼女。
「そもそも君にそんな仕事が務まるとは思えない、違うか?」
「…………」
言葉は濁したがそれに反論がないってことは、
彼女が“未経験”だということを暗に証明している。
むかし性フーゾクと呼ばれたヘンタイ産業は
今ではご法度となり、地下ビジネス化した。
働き口などすぐに見つかるもんじゃないし、
それはアングラ経済への入り口でもある。
彼女だってコドモなりの知識で知ってるはずだ。
そこまでしなくても他に方法はないものか、
商売仲間に融通してもらうとか、色々と。
それに彼女の取り越し苦労で、実はそんなに
差し迫った事態ではないのかもしれない。
「……お父さんの知り合いとか
お友達とか援助してくれたんですけど、
どうしても足りないらしいんです。このままだと
家屋敷を手放すことになるし」まっすぐ俺を見つめて、
「奉公人の皆さんに暇を出すだけでは済まなくなるんです。
私もバレエや学校をやめなきゃいけなくなるし」
涙混じりの目で窮状を訴える彼女。
ホーコーニン? ホー・コーニン? って何だ。
犬小屋から呆れ顔を出したケン太が「奉公・人」と、
その意味をヴァイザーに表示してくれる。
どうやら彼女は事態を把握してるらしく、こんな
ギリギリになるまで思いつめ、藁をも掴む思いで
ニンキョーの俺に打ち明けたのだと、
俺のほうが今更になって解った。
重苦しい沈黙が部屋を包み込む。……すると、
頭の奥の静かな小部屋で何かがざわめき始める――
JK2……お嬢……バレエ……
ヌード・モデル……ヘンタイ……アイドル曲……
ブザー・モード……レ[互]調整豆乳……衣替え……
お供え……スマイル……マグロ……出涸らし……ちくわ……
インク……ペーパー……うなじ――透き通った、蝶の羽
潜在意識から湧き上がってきたその得体の知れない何かが、
俺の意識下ではっきりとした意味を持ち始めて、次第次第に、
構成がデキ上がってゆく。
「あっ? あぁ~」思わず出てしまった素っ頓狂な声が
部屋中に響き渡る。
彼女はキョトンとして怪訝な顔。
「なんとか、なる、かもしれない」と、なんだか俺でない誰かが
俺の口で言うのを俺は自分の耳で聞いていた。
思忍ちゃんのつぶらな瞳が大きく見開かれる。
一縷の望みに賭けた甲斐があったというような
悲壮な笑みが浮かんで、むしろ痛々しい。
ぬか喜びさせたくなかった俺は、
これが単なる思い付きでなく確かに
実現可能なことを検証することにして、
返事を明日に延ばし、
「巧くいけばヌードにさえならず、君はバレエを踊るだけで、
後は俺のほうで何とかカネを工面できるかもしれない」
と言うだけに留めた。
5分ばかり超過したんで、3円50銭を
財布とサイフで支払い、カラオケ屋を出る。
外はもう夕暮れ時だ。
彼女の買い物に付き合い、
レタスやアスパラガスに“はぁぶ”のパセリとかバジルとか、
東京産生野菜のたくさん詰まったポリ袋を片手に提げながら、
白州邸まで彼女を送る。
賑やかな駅前から歩いて10分ほどの距離、
23区・世田谷の閑静な住宅地の一本道。
この辺りは都民が大勢まだ住んでいる町だ。
皇居を擁する千代田区はもう人が住む
所ではなくなっていて、千代田区を中心に
23区のほとんどで人口が減少中。
住人は中級・上級さらりぃまんばかりで、
その他大勢は郊外の集落から23区へ通うのだ。
ドーナツに穴が空いていたと思ったら、
その穴にもさらに穴が空いていた、という笑えない話。
『穴あんドーナツ化現象』とも言われている。って、
そんな食いもん見たことないが。
23区には遊んでいる物件がたくさんあることはあるんだが、
今では賃貸アパートさえ借り手がおらず、空き部屋は
あろうことか小規模な野菜工場に転換している。
LED照明を使って室内で水耕栽培するのだ。
ふと見ると、電柱脇で
上流マダムと思しき妙齢のご婦人が
辺りをキョロキョロと見回してる。
そう、ここではまだ電柱がちらほら残ってるが、
23区では電柱はほとんど撤去され地下に埋設されていて、
景観を乱すような送電線等の架線を見ることは滅多にない。
人が減っているのに、都市は成長している……。
こちらに気づいたマダムがそわそわし出す。
俺の右手からぶら下がっているポリ袋あたりを凝視して、
表情がパッと明るくなり、
「あのぅ、ご迷惑でなければそれ頂けませんこと?」と
マダムが近づいてきて言う。
下さいとへりくだってるのか寄越せとねだっているのか、
よく判らない日本語で話しかけられてしまった。
マダムの指差す方を見ると、ポリ袋じゃなく、
尻ポケットに捻じ込んだままの〈ネオたま新聞㋙〉だ。
なんで要り用なのか知らんが、
「どぞ、どーせ拾い物ッスから」と新聞を渡して、
礼を言ってくる彼女を手短にやりすごす。
「ブリッブリッぷぅ~」という音のする方、
電柱の根元に視線を移すと、
見るからにお上品なレトリーバー犬がちょうど今
おク●をお垂れ遊ばされたところ。
こちらを向きながら甘えるような声で、
「クーン、く~ん」と鳴く。
マダムとラブラドールを尻目に、
思忍ちゃんと2人で歩き出す。
俺のようなニンキョー然とした風体の男に、
あのようなマダムが話しかけてくることなど
本来ありえない。
隣で連れ立って歩いている彼女の制服が
特にこの界隈ではステイタスになっていて、
〈アルベルト〉ほどではないにしろ
AIに護られているのが当然だから、
俺が不審者だったらとっくに問題になってる、
てな風にマダムは考えたはずだ。
要は、俺の身分や安全性は思忍ちゃんに、というか、
彼女のバディAIによって保証されていたようなものだな。
「あの犬は何て言ってたんだ?」呟く俺。
「あのメス犬/ビッチか」ケン太が囁く、
「……『大好き! 抱いて!』だな、たぶん」
「お前の〈バウワウ通訳モジュール〉は何だか偏ってるなぁ、
せいぜい“撫でて”ってとこだろ。それに『たぶん』って何だよ」
「確度80・8%だぞ。偏ってるとしたら、
飼い主に似たんじゃないか?」
と言い捨てて小屋へと引っ込む豆柴。
“皮肉”のほうは完全に機能しているようだ。
彼女からの夕食のお誘いを三度断って家路に就く。
ネオたま方面下り列車はラッシュアワーで満員状態。
俺のパーソナル・スペースは半径30センチまでクランチし、
四方八方が他の乗客で埋め尽くされる。
いわゆるスシ詰め状態だ。
◆
一直線なんで大きなカーブもなく、
うたた寝しちまうくらい、
列車は安定して走行する。
何もすることがないと、30分
立ち続けるというのは苦痛だが、
〈ことテン〉見てればアッという間だ。
金、カネ、マネー……サイフの話、
特に、元号が浄化になった頃からを
おさらいしてみよう。
「ケン太っ、ことテンまとめてくれよ」
「承知」
と豆芝が要約を始める。
「浄化元年に帝が、ある和歌を一首詠まれた。時の政府はそれを事実上の詔勅として承ったらしい」
「そして浄化三年のことだ。全国民へ政府から電子的な財布つまり〈CYPH〉が支給された。ICチップでオンライン決済できるネット上の数字は『国民貢献度数』と名前が付けられたんだが、皆は、『円ポイント』『円ポ」『円点』だとか、好き勝手に呼んでるな」
「サイフは浄化になって最初の社会実験だった」と続ける豆芝、
「こと現金に関しては、政府は徴税の逆のことが下手で、国民は節税・脱税・租税回避の逆のことが下手なわけだが、技術が進歩したことで、国中に張り巡らされたAIネットワーク上でなら、サイフのような相互扶助システムを低コストで運用することが可能となった。
これは、デノミ前の旧円にして毎月1万円ポイントまでなら政府を通してサイフで簡単に借りることができるシステムとして始まった」
「ただし政府との貸借履歴は記録として残るからな、差し引きゼロ未満つまりトータルでマイナスは恥だと思えよ。
このトータル・バランスが改善しないユーザーは国全体で今では常時3割弱ってところだ。
最初は一時的な恩典ですぐに終了するんじゃないかと思われてたらしいが、案外うまく周っているんだな。“打ち上げ花火”が周回軌道に乗ったようだ。毎月の補充額が旧円換算で5万円まで増額されるほどになった」
「とはいえ、恩典は帝のお情けだからな、いつ終了してもおかしくない。サイフ・システムは国民の権利ではないと政府は強調しているぞ。
ベーシック・インカムだとか社会福祉なんかじゃないってことだ」
うーむ。今では、
上限額を6万円(旧円換算)までに増額するかどうかで
長いこと議論になってるんだが、結論はまだ出ていない。
どうやら慎重論が優勢のようだ。
複雑怪奇な社会保障システムのせいだな。
◆
〈萌やしちゃん〉のCM映像が今の自分と重なる。
無菌室に並ぶたくさんの大豆から一斉にニョキニョキと芽が出て、
ヒトの手とは似ても似つかないロボットアームに十把一絡げに
まとめられて『〽ドナ♪ドナ』と出荷されて行くのだ。ちなみに、
店頭ではフリーズドライ加工されていて、食前には水で戻される。
「続けるぞ」とケン太、
「国民全体による富の再配分がどうにか実現できたわけだが、サイフは事実上の国民総背番号制だという批判もある。自国政府をどこまで信用するかという問題だな」
「ヴァイザーのような持歩器が普及していたこともあって、あっという間に全国民がサイフを使うようになった。全ユーザーの使用履歴、ビッグ・データは公開されないとはいえ政府が活用しているわけだが、仕方のない理由があってな、平成末期に日本の社会保障制度が事実上、頓挫したんだよ。行き詰まって、もうそれ以上続けられなくなったわけだ。
『自転車操業』の言い換えに過ぎなかった賦課方式の老齢年金は、なくなった」
「高齢者はサイフのヘヴィー・ユーザーだ。亡くなった際には、所有していた全ポイントは国庫へと返還され、主に新たな出生者への給付に充てられる。
こうして今では、一部を除き全品目についてサイフで少額決済が可能となっている」
……ふぅ。車窓から外の景色を眺めると、
ネオたま駅まであと5分ってとこだ。
俺が二十歳になる前までに起こったことが
大体おさらいできた。
『一部を除き』の一部ってのは、
宗教法人への寄付とかお布施のことだな。
ずっと前から無税扱いだったのに、特に
新興宗教団体が猛烈に反対したような記憶がある。
そうそう、無税といえば、円点サイフを使った
少額取引には非課税となっている。そこんとこ、
おさらいしよう。
「ケン太ぁ、3行でまとめてくれよ」
「無茶言うな」
と白い豆芝、
「浄化十一年にデノミネーション実施。紙幣は“銭”に、硬貨はそのまま“円”とされ、新札は発行されなかった。円点の通貨単位も銭へと変更された。銭(センチ円)だから、100銭が1円と同等の価値だ。ちなみに、銭/円点による少額決済については非課税としたことで、デフレ化を未然に防いだと言われている」
……ふぁあ。欠伸が出てきた。
今では旧10万円分に相当する新千円札を
新しく発行することを政府は検討している
らしいんだが、その材質はPETボトルのような
重合体(ポリマー)になるんだとか。
もっとも、そんな高額紙幣は普段の買い物や
少額決済では必要ないけどな。
預金口座から円点へ振り替える人が大勢いる
お陰で、今ではいくらポイントを増やしても
強制的に徴収されたりしなくなっているし、
月々のチャージ・5万銭を超えるような多額の
支払いにも円点が利用されるようになってきている。
列車が減速し始めた。もうすぐネオたま駅だ。
最終的には現金取引を大幅に制限
あるいは原則違法化することを
政府は検討しているのかもしれない、
などと警鐘を鳴らしているつもりらしい
有識者(自称)がいるわけだが。個人的には、
現金がなくなるなんてありえないし、
最後まで残るもんだと信じている。
円点システムの弱点は、大量のAIが複雑に連絡する
電子ネットワークであるってこと、それ自体だ。
仮に電力危機等の有事が発生し
システムがダウンしたなら、
決済が一切できなくなっちまうぜ。
実際、円点のヘビーユーザーたちは毎日の支払いを
可能な限り円点だけで済ませようとしてるらしいが、
それでも数千円分の現金は常備していると聞く。
まるで災害時の飲料水や非常食のような感覚で、
現物や現金をしっかりと確保してるってわけ。
浄化十六年現在、これまでのところ
円点システムは深刻な障害に見舞われてはいない。
電源は民間とは別系統で、管理してるのは自衛隊だからだ。
発電には日本列島を周回・防衛している核力潜水艦が
平時利用されているし(艦船数非公開)、セキュリティにも
国防級が求められるため、同じく自衛隊が防衛し
《日本公供連絡》社が保守する〈日本連絡網〉、
通称『にっぽんネット』上で運用されている。
にっぽんネットへの物理的あるいは電子的な
侵入・破壊工作は、国家に対する挑戦とみなされる。