3 カフェ、『自保法(ジポほう)』、「人工知性体」
駅前でカフェを見つけ、オープン・テラスの席を取り、
丸テーブルを挟んで思忍ちゃんと向かい合って座る。
どうしようか迷ったが通り沿いのテラス席なんで、
麦藁シャッポはそのまま脱がずにおくことにする。
ボーイ、じゃなかった、
ギャルソンが注文を取りに来た。
彼女は少し迷ってカフェ・オ・レに、
俺はエスプレッソにした。お冷も貰いたかったのに、
ガス入りがあるからそれを注文しろって、
やんわり言われてちょっと戸惑う俺。
いくら水が貴重になったからって、今でも
氷水はタダでくれるもんだろ、フッツー、日本ではさぁ。
と考えてから思い直し――日本では当たり前でも、
海の向こうでは違うんだろうな、ふんっ――駄目元で、
水抜きでいいからグラスに氷をたっぷりくれと言ってみたら、
あっさりダコーしてくれた。
何が引き金になったのかは判らない。
テーブル席に座る彼女の両肩、その背後に
黒いGシェパード型が、じわりと滲み出た。
それはあくまで
こちらのヴァイザーでの映像にしかすぎないんだが、
転送データ量が控えめで背景が透けて見える
ところなんかは、さながら背後霊のようだ。
こちらを値踏みするかのごとく、半眼で視線を逸らさない
大型の訓練犬型AI。どうやらまだ待機中で、存在を
自己主張するだけのモードらしい。『番犬注意』の
警告プレート、みたいなものか。
ケン太は……小屋の中だ。
甲斐人の伯父さんは変わりないかとか、
バレエ教室にはまだ通ってるのか、とか
当たり障りのない会話の切れ目で
ギャルソンが注文の品を運んで来た。
コクのあるほうの角砂糖をエスプレッソに落としてから、
支払いは後じゃなく今だと気づく。
キャッシュ・オン・デリバリーつまり代引ってやつだ。
いつもはオートやセルフサービスの店ばかりなんで、
うっかりしてた。なにしろ、自分のためだけに
店員に何かしてもらうってことが、
ここん所めっきり少なくなった。
財布を出そうとする彼女を片手で制して、
お勘定の8円をギャルソンに手渡す。
相場は1割ってとこだから、80銭でいいだろう。
心付の80銭をヴァイザーで指定。席に座ったまま、
腰から下げた組紐を引っ張り、
紐に通してある五円束の先、
ホオヅキ玉を彼に向けて突き出す。
俺の財布兼サイフは、このホオヅキなのだ。
彼も心得たもので、
がま口をこちらに向けてきた。近頃の再流行で、
これには彼のサイフ・タグが貼り付けてあるらしい。
がま口とホオヅキ玉で軽くベーゼしながら、
80銭を転送。
額に満足した彼は受領サインをこちらに転送。
間違いなく取引終了のサインを彼に転送し、
チップを終える。
彼は愛想よく『メルスィ』と一言だけ返すと
所定の位置へと戻って行った。
視線を戻すと、
彼女が俺のサイフをじっと見つめながら、
「それ! カワイイですね~」あどけなく微笑む。
ちょっと前まで中学生でしたってな無邪気さだ。
実は市販品じゃなくて俺の独自設計で、臙脂紅・江戸紫・孔雀緑に彩られたゴム紐を三つ編みにし、先端部は脱着式の橙ホオヅキで、これは一体成型の樹脂製だ。色と材質を選んだら後は材料をセットするだけで、モデリング・デッキが10分ほどで仕上げてくれるんで、手間・暇はかかっていない。ホオヅキの中にタグを封入すれば、世の中に二つとない一点物サイフの一丁上がりっ……
と、我ながら説明が長くなってしまったのに気づき、
「あ、冷めないうちにどーぞ」とカフェ・オ・レを平手で勧める。
「はい、いただきます」
俺はデミタスの中身を軽くステアし、
グラスの中の氷に一気に注ぐ。
グラスを指3本で摘んで
軽くシェイクして一口。
彼女は白い角砂糖の上から
少なめのコーヒーを注いでからステア、
後から多めの互換ミルクを注ぐ。
店のメニューには確か、
『レ[互]調整豆乳』
と画面表示されていた。
今はもう牛乳は出回っていないんで、
混パチ物……互換材なのだ。
白と黒の2色は回転するマーブル模様から、たちまち1色に混ざっていった。
カップの取っ手を指3本で摘み、
ソーサーにカチャリと置く思忍ちゃん。
カネを紐で束ねて持ち歩く人を初めて見たらしく、
彼女はむしろそちらのほうに興味を持ったようだ。
もともと日本で最初のカネから穴が空いてたんで
これが仕様だとか、カネが数字じゃなく目に見えて
手で触れるのが好きなんだとか、一通り説明する俺、
「で、相談ってどんなことなのかな?」と本題に入る。
「実は……あの、私」
と真剣な面持ちで彼女が語り始めた、そのとき、
てっててっててーん♪ ちゃっちゃっちゃっちゃっ♪
間の抜けたメロディが結構な音量で響き始めた。
手の平大の片手持ちパッドを取り出し
慌てて操作し始める彼女。
昔からあるコドモ向けのベーシックなヴァイザーだ。
その小さなLCD画面を一本指打法で押したりなぞったり、
応答が鈍いのか、別のイベントを発生させちまったかしたらしい。
確かに、あれはイライラする。
俺だってもうあの頃には戻りたくない。
つーか、もう無理。
てっててっててーん♪ ちゃっちゃっちゃっちゃっ♪
パッド型ヴァイザーが無情にも
メロディをリフレインする。
他の客の視線が痛い。
学生への着信イベントだと判ると
クスクス笑いも聞こえてきた。
「ちょちょちょっと失礼しますっ」
と席を立つ彼女は、
人気の少ない場所を探してダッシュ、
メロディがドップラーする。
うら若き乙女への着信にしては
古風というか古臭いというか、あれは確か
何とかいう時代劇ドラマの曲だったよな、
ゼニガタ……ケーブ? じゃないな、くるぅぞう警部?
うーん、俺もいい歳だし、もうコドモじゃないから
テレビは観ないんで、よくわからん。
誰から電話なのか知らないが、
話は『〽これから♪イイところ』だったってのに、
邪魔をしないでもらいたいもんだな。
これだから同期通信は好かんのだ。
グラスからもう一口啜る。むぅ~ん、
コクのある苦味ばしったエスプレッソ。
エスプリ漂う優雅な曲が流れているカフェで、
あんな時代劇メロディは場違いだってのもあるが、
大勢がいる公共の場で自分への着信を知られるってのは、
かなーり恥ずかしいことだ。そんなことをしちまうのは
コドモか粗忽者と相場は決まってる。
俺が生まれた頃までは日常茶飯事だったらしいんだが、
そんなのは電話が一家に一台だけという、
貧しい時代をまだ引き摺っていた頃までの話。
個人用の持歩器として電話自体が見直されてからは、
着信という私事は自分だけに報せる設定がデフォルト、
でなければ〈ブザー・モード㋙〉とか互換のバザー・
モードへ一時的に切り換えるってのが、大人のマナーだ。
要は、初期のマナー・モードから
デフォルト設定が反対になったわけで
――うろ覚えなんだが――
これに最初に気づいたのはヒトじゃなくて
AIだったんじゃなかったかな。
戻りが思ったより遅い彼女。
麦藁シャッポを目深に被り直す。
待っている間にAIについて~〈ことテン〉!
「まとめて読んでくれよ、ケン太」
「承知した」
と豆芝が囁き始める。
「半導体で構成されるコンピューターが発明されて70年余り、ヒト脳の処理能力に匹敵する性能まで進歩した頃から、日本では“人工知性体”として再定義されるようになった法的知性体、それがAIだ」
「その基盤となる法律が『自己保存権基本法』、通称『自保法』だな。生命体、組織体、知性体の自己保存権を日本国の名の下に国家が保障するものだ」
「生命体の自意識や身体を尊重しない行為は、侵害となる。
組織体の理念・経営判断や経営資源を尊重しない行為も、侵害だ。
知性体は、生命体や組織体の知性からの発現として定義されている。人から発現した芸術作品や著作物、組織から発現した商品や役務等がこれに当たる。
知性体の意味・名称や構成・構造を尊重しない行為は、侵害だ」
「生命体、組織体、知性体の各個体、その構成情報は、『にっぽんネット』上の〈日本蔵人〉内において一連のビット・パターンや意味データとして政府により集中管理されている」
「自己保存権を保障されるべき個体として蔵人に登録されると、国内自由市場において消費活動を行うことが前提とされ、オンライン取引に必要不可欠な識別番号がICタグの形で賦与されることとなる。
また、基本的に納税の義務を負う主体となる」
「蔵人へのアクセスは管理者によって柔軟に制御されることになる。
食料品を例に挙げると、材料の組み合わせや加工手順等、その製法・レシピ自体もまた知性体として、管理者により非公開とすることも可能だ」
「この法整備、大規模な社会実験が実施されたのは浄化四年のことだった。ゼロ・ベースからフル・スクラッチされた法的枠組み、それが『自保法』なのだといえよう」
「ちなみに」とケン太が続けて、「〈ブザー・モード〉を
提案したとかいうAIについてだがな、
個体情報を手繰ることはできなかった」
「ん? おかしいな。前に何かで読んで
知ったような気がするんだけどな。
じゃ、都市伝説だったのかもな」
「いや、確かに存在していた筈なんだが、タグが永久欠番扱いだ。
識別番号で検索しても、〈蔵人〉からは無回答となる。
事由についても明らかにされていない」
……ふぅ。情報の洪水に眩暈を覚えつつ、
〈ブザー・モード〉に最初に気づいたAIは
その権利を今も主張しているんだろうか、
なーんてガラにもなく独り思いを馳せているとこで、
思忍ちゃんが戻って来た。
「ごめんなさい。お父さんが
夕飯の支度で足りないものがあるから、
帰りが遅くなるようだったら買って来てって」と彼女、
照れ隠しなのか「こう見えても炊事は得意なんですよー」
とか捲くし立て始めた。
「……それで、あの、相談なんですけど、
私、アル……ベルト!」
彼女がトを言い終わる前、やや食い気味に
Gシェパード型AIが目を剥いて反応する。
彼女がパッドを慎重に操作すると、
灰白色で大きな骨がポンッと突然現れ、
たちまちしゃぶられる。
警護AIは、もう一心不乱で骨に夢中だ。
「ふぅ、危なかった。これで10分は大丈夫です。父さ……
家のお父さん、厳しくって」と胸の谷間を撫で下ろす彼女。
嫌な予感がしてきた。確信はないがひょっとして、
あの骨ガムには特殊加工がしてあって、訓練犬型のような
高度AIにはテキメンに効くっていうアレなんじゃねーか?
なんでも、強制〈待機モード〉が10分は継続するってのを
聞いたことがあるが、今ではもう対策が講じられたはずだ。
そもそもアレがひっそりと流行ったのは一昨年のことだから、
そうだとすると〈アルベルト〉とやらは、その間
アップデートされてなかったってことになる。
伯父さんはAI関連に疎いからありそうなことではあるが、
それにしても、娘さんのほうが一枚上手だったというわけ、か。
「アルバイト、したいんです、私」
ようやく本題に入る思忍ちゃん。
そらきた、と思うものの顔には出さずに
カマかけてみることにする。
「伯父さんに内緒で? ははぁん、何か高価な
プレゼントでも買ってあげようとしてるのかな?」
「プレゼント、みたいなもの、かも。
あの、ですね……お父さんの会社いま危なくて、
お金がどうしても足りないんです」
おいおい、会社の危機を救えるほどの金って幾らぐらいだよ
――ひゃくまん円とかぁ? ウケるぅ――いずれにせよ、
保護者に内緒で未成年と大金の話をするっていうのはな……
『犬も歩けば棒に当たる』とは云うが、
俺は出歩くと災難に巻き込まれる。今日は厄日か。
オマケに『アルバイト』ときたもんだ。こいつは
日常に定着した数少ない《ドイツ》由来の言葉だが、
意味はずいぶんと違ってきている。要は、
待遇は問わないから短期で稼ぎたいってことだ。
なんでも、明治時代からそうらしい。
元々は学生同士の隠語だったというから、きっと
当時から後ろめたい隠し事だったんだろう。
縮めて『バイト』ともいう。
わざわざ確認するまでもなく、彼女の通う
お嬢様学校は校則でバイト禁止のはずだ。厄介だな……
「カラオケとか、どう?」
「はい?」首をかしげる彼女。
「いろいろ、聴かせてくれ」
「ぁ、はい!」
傍から見たら
あたかも男前に次のデート・コースを決めたようだったかも
しれないが、俺は心の内ではゲンナリとしていて、どうにも
気が乗らない。
店に入るときは気づかなかったが、ドア上の壁際に
モノリスが2つ仲良く並んでオブジェになっている。
幼児ほどの大きさの、艶消しで真っ黒な何の変哲もない、
ただの直方体だ。
2人で真下に来たときに、その1つが落ちてくるという、
訳のわからない妄想が頭をよぎった。




