30 小部屋、アズキ、スイートビーン、トップ〝あいどる〟
土曜の明け方、思忍と熱いキスを交わす俺、
リクライニング・シートを倒して寝そべり、
彼女の心地よい重みを胸と腹で支え受け止めている。
車内からガラス窓越しに外を見ると、
23区のビル街が徐々に朝日に照らされてゆく。
朝チュンチュン鳴くようなスズメはいない。
俺がまだ小学生だった時分は聞いたことがあった
ような気がするんだが。あちこち植樹して
虫が全滅しないように薬剤を抑えてはいるものの、
小鳥たちは都会に帰って来てはくれない。
例外はカラスだ。今もあの道路脇の
ごみステーションで質素な朝食にありついている奴。
真っ黒で汚らしく、案山子も人も怖がらず、
なにやら妙に知能がありそうな、あんなカラスだけは
23区でも飛び交っている。
俺の舌に吸い付く彼女の舌が時折り震える。やはり思忍は
強がっていただけのようで、ここまで来て怖くなったのか、
言葉にしなくてもそれとなく判るというものだ。
あのワンピースの制服衣装をもう一度着て、
スカート越しに俺の太ももを挟む彼女。
いてもたってもいられず、今ここで無性に奪いたくなってくる俺。
しかし撮影が終わるまでは我慢、がまん。
あと小一時間もしたらネオたまに戻り、
〈みるくクラウン〉の撮影を開始するのだ。
そしてそれを最後に、終わったら
彼女を好きなだけ抱きまくるのだ。
いまハンドルをケン太に預けて走行しているこの軌道は、
旧山手線の外側に新設された、新山手線。
老朽化した旧山手の取り壊しが始まるまでは、
東京の環状軌道は二重になっている。
その二重丸の中心を通って中央線が東西に走り、
新山手から外側に向かって何本もの道路が放射状に伸びる。
官僚や政治屋どもはいったい何を考えているのやら。
住む人が減り用地買収が容易になった23区、
新設した道路や軌道で奴らが東京の街に描きたかったのは、
どうやらOMANKOマークだったらしい。
文字通り煙たがられる、《VorVo Cars》公司のは
借りるのをやめて、今回レンタルしたのは
《マヅダ車両㋙》社の都市型AIdカー。小型の割りに
料金は高くつくが、〈MAZUDAH 電気モーター㋙〉と
〈ハイドロータリー・エンジン㋙〉とのハイブリッドなのが
便利だ。
新山手を1周するおよそ1時間の間に、
軌道上のレールからフルチャージしてもらえる。
俺の舌をなぞるJK2の柔らかな舌先。
ぎこちないのが初々しくて可愛らしいが、
どうも動きが直線的で……なにやら繰り返される
パターンが読み取れそうな……と思うと
唇をハムハムと咥え始め、
甘い官能が俺の脳を直撃する。
車が一時停止したところで、
両腕で彼女を抱きしめ、うなじに吸い付く俺。
フロントガラスを見やると前方車両は
同じくAINOKOな路面電車、トラムだ。
デュアルモードなトラム/トレインが駅に着く度に
こちらも一時停止させられることになるが、
仮想軌道に沿って走るAIdカーの全車両が協調して
勝手に動いてくれるんで、楽チンなのだ。
そろそろネオたまに戻るとしよう。
「後方確認済み」とケン太が充電レールから外れ、
車線を変更してから囁く、「ハンドルを返すぞ」
渡されたハンドルを握りしめ、俺は一路、
ネオたま方面へとHydroカーを転がす。
「久しぶりの運転だった」囁く相棒、
「縦列駐車するときは任せてくれよ、得意なんだ」
というわけで一月半ぶりに、あのネオたま西公園にまたやって来たのだ。
天気の良い早朝だが、まず誰も来ることのない寂れた公園で、
あの即席ヘンタイ小屋が、背景に溶け込んでいる。
ベッコウ色の眼鏡を掛けた思忍が
スポーツバッグを肩に掛けて小屋へと向かう。
車中から彼女を見送る俺、あの黒子衣装やカクレミノがあった
としても、もうカメラで撮るなんてできない。その場にいたら
気が変になってどうにかなってしまいそうだからだ。近くに
駐車したままヴァイザーで様子を伺うのが、精一杯。
アシの付く製造番号を埋め込まれているとかいう、
「CAM-Shot」を使い続けるというのは、
どうにも薄気味が悪かったんで、
古い両手持ちタブレットを
彼女には持たせてある。
俺がまだヨチヨチ歩きだった頃に親父が使っていた、
外国製のタグ・フリー品で、311前の物だから
今では骨董品だ。
そのタブレット・カメラの映像をヴァイザーへ転送し、
自宅の〈ポーリー〉で録画することにした。そもそも
撮影したビデオなんて誰かが買ってくれるわけじゃなし、
本来なら必要ないんだが、奴らが趣旨から外れて無茶するかも
しれないと思うと、フリだけでもしたほうがよいと判断した。
もう☆さやかの支援も得られないし、凝ったことはできない
ということもあって、安全策を採る他ない。
彼女が小屋の入り口にパッドをぶら下げてから中へと入る。
俺の合図一つでアルベルトが中の連中に向けて、
〈ボスが来た・アラート〉を発令する手筈が整っている。
そのとき【咲香】はスポーツバッグの中へと隠れ、
男どもはピクニックシートを裏返すという段取り。
シートの裏には土俵が描かれていて、
廻しを着けた半裸の男どもは、
輪姦ハッスルならぬ相撲レッスル中で
ただのグラップルだと言い張るのだ。たとえ
〈メカ・コップ㋙〉並みに生真面目な警官であっても、
そんな場面で中へ入っていこうとは思わないだろう。まぁ、
ソッチの趣味があれば別な話に発展するかも、だが。
ヴァイザー画面に映るのは、一段高いステージの上で
唄い始める【咲香】。もうすっかりお馴染みの、あの曲だ。
一番の歌詞では、奥手の男に惹かれる切ない乙女心が唄われる。
二番では、それは実は岸辺に咲くアズキの花の見ている
幻想であったことが明かされる。アズキの実は収穫されてアンコに
料理されて今川焼きとなり、好いた男に食べられるはずが、なぜか
波打ち際に落ちてしまって、海の藻屑となる。
三番では、それはアズキの花びらに留まっていた蝶々の見ていた
悪い夢で、男の肩へと飛び上がって、煙草の匂いのするシャツに
泊まるところで終わる。
メロディは良いんだが正直、しょうもない歌詞だと思う。
この昭和歌謡曲の題名は〈紅いスイートビーン㋙〉。
唄っていたのは、正統派バーチャルぶりっ子(当時)の
【松田原佐世子㋙】、昭和末期を代表するトップ“あいどる”
だった、らしい。
アズキは大豆と共に古く神話の時代から日本人が食してきた
栄養源だ。もち米といっしょに炊くと白い米が紅く染まり、
めでたい料理・赤飯となる。女の子が初めての“月のもの”、
初潮を迎えたことを家族に報せる際に食卓に上るという風習が
あったそうだが、さすがに今ではもう廃れた。
また、いわゆる「小豆相場」といえば商品先物取引での
投機のことを指すわけだが、コメの先物なら江戸時代には
すでに始まっていて、これは世界に先駆けての権利売買、
デリバティブだったという。
ちなみに、同じ頃にコメ相場で使われ出したのが
〈ローソク足〉で、今でも株価チャートのために
世界中で使われている。




