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29 ニゥたま、公園、試作品、ハイカイおじさん

 3日後の日曜。

ここは丹生(ニゥ)多摩南にある富士見台公園、

小高い丘の上に造られた大きくて綺麗な公園だ。

遠く西の空には富士山が霞んで見える。

南には根尾多摩の下町風景、

東には二子(ふたこ)玉川の街並みが一望できる。


 この公園は、さんたま圏内でいちばん景観の良い公園として

知られている。整備された煉瓦舗装の道を足漕ぎサイクリングする

一団が通り過ぎ、心地よい風が吹く。


 思忍と2人、芝生の上にピクニック・シートを敷いて座る。

大きな木の陰で昼飯の弁当を食べるところだ。

カンカン帽を被ったまま、胡坐をかいて座る俺の右隣では、

彼女がお行儀よく脚を揃えて曲げて座っている。


 梅雨が明けるのはもう少し先のことだが、今日は雲がまばらで

良い天気だ。公園内は人々で賑わい、平穏な日常風景に

心が癒やされる――


……ここ二ヶ月もの間に色々ありすぎたからな。

時折り吹きつける強い風になびく、長い黒髪。


 ふと見ると、

遠くで若い男女が何やら立って話し込んでいる。初対面らしく、

身振り手振りが大仰でペコペコお辞儀したりして……

最近よく見かける光景だ。主に若者の間で流行のソフト。

バディにインストールすると、自分の趣味・嗜好などを

把握しているAIが道行く他人のバディAIとマッチングを始める。

どんなアルゴリズムか知らないが、飼い主同士の相性が良いと

判定されると、お互いのバディ同士がくっ付いて離れなくなって

しまうそうだ。


 引き剥がすには2人の飼い主が同時に指示する必要があって、

なんというか、そこだけ抜き出すと、宇宙船の自爆シーケンス

みたいなのだ。責任者2人が同時にキーをガチャリっていう、

あのシーンな。

 バディを“リリース”した後は特に何もする必要がなく、それで

終わり。実用性皆無なのに、「バディが取り持つ縁」とでも

言おうか、そんな些細なことがきっかけで

始まる交際もあるのだとか。


 いま流行りなんで、思忍と2人でバディに注入れてはみたん

だが、なーんの反応もなかった。大方、たいしたアルゴリズム

じゃなく、擬似ランダムなんじゃなかろうか。一種の無責任な

占いなんだろう。


 その知性体の個体登録者は、東北三陸企業

《奥羽の組 システム建設 ()》社、略して《オゥウノ》。

なるほど、ここが“知の個”会社だったのか。

ふざけたソフトばかり乱発してるってんで、

近ごろ悪目立ちしてる奴らだ。


 思忍は横でアルベルトの黒い尻尾を撫でてやっている。

こちらを向いて微笑む、つぶらな瞳。

 彼女が手で握ってくれた塩結びを片手に、

野菜中心のおかずを箸でつつく。


 お結びに巻かれている焼き海苔から、香ばしい磯の香りが漂ってきた。


 和食に欠かせない食材の一つが海苔だ。

焼き海苔のことがあまりに好きすぎる日本人は

それをモザイクの替わりに使ったほどで、その昔、

未成年の顔写真や同人誌の局部なんかに黒い長方形が

貼られていたのには、海苔と何か関係があるはずだ(たぶん)。


 焼き海苔はペーパーみたいだといって海外の人が口にしなかった

のは、もう過去のこと。今では、タンパク質やビタミン豊富な

海の野菜として喜ばれている。日本で平たい焼き海苔が

登場したのは意外とそんなに昔のことじゃなく、

江戸時代からだそうで、和紙を作る技術が応用されたのだとか。

それまでは生海苔が一般的だったらしい。海藻のノリは絆創膏

としても利用されていたとかで、効果のあることは科学的にも

立証されている。


 はたして日本人はいつ頃から生海苔を食し始めたのか、どうやら

神話の時代かららしいのだ。だからなのか日本人の多くは、

ノリの細胞を溶かす特殊なバクテリアを腸内に持っている。

吸収できないとただの食物繊維として体外に排出されるだけの、

単糖の重合体(ポリサッカライド)を酵素で溶かして栄養を効果的に吸収するのだ。


 こんなに有難いバクテリアと共生している日本人を

ハメリカ民は羨ましく思っているそうで、

それは別にノリを食べたいわけじゃなく、

ウシを食べられなくなった者として、だ。


 俺が和食党なんで気を利かせて、

金平牛蒡を初めて作ってきたと言う思忍。

 なんでも、ゴボウを日常的に食べるのは

日本人と台湾人ぐらいしかいないとか。

栄養もそこそこあってお通じも良くなるし、

和食ではありふれた健康食材なんだが、

外国人には木の根っこにしか見えないらしい。


 大戦中、贅沢品だったゴボウを――よせばいいのに――

良かれと思って《UN》の外国人捕虜に与えたら

『虐待だ』と訴えられた、なんていう残念な逸話もある。

そんなことだから今になっても常任理事国にしてもらえ

ないんだろう(きっと)。


 おっと、今は〈ことテン〉しない。お呼びじゃないよ、ケン太。


 思忍の金平牛蒡は悪くはないが、おかずは全体的に

スイーツみたいな甘めの味付け。今度から砂糖よりも

昔ながらの酒・味醂・水飴でよろしく、と頼んだ。

 嫌な顔ひとつせずニッコリと請合う彼女。

なんだか気の早い夫婦気分だ。


 涼しげな白い袖なしワンピースに身を包み

大きな麦藁帽子の下で微笑む思忍。その笑顔に

時折り陰りが見えるような気がするのは、

帽子のせいだけだろうか。

 俺には責任がある。責任……ケッコン!?


 ポカポカした暖かい陽気で心地良くなり、

ガラにもなく結婚のことなどを考えてしまう。

 しかし彼女はまだ17歳のJK2、

自分の意思で結婚を決めるのには早い。

まだあと3年近くある。

 伯父さんさえ承諾してくれれば

婚約や結婚も無理じゃないが、

大きな貸しを作ったばかりで

娘さんを下さいと言うのは、

なんだか気が引けてしまう。


 俺のほうもニンキョーなんていうその日暮らしだし、

結婚するとなれば勤め人になったほうが……ん? 

俺いまサラリーマンになろうとか思ってるのか? 

我ながらどうしちまったんだか。

 ライタから貰ったあのサイフで

気が大きくなっちまったのかもな。

まだ一度も使ってないし、

これから使う気もないんだが、

持っているというだけで

心に余裕が生まれてくる、

きっとそういうもんなんだろう。


 彼女の桃色の唇がゆっくりと開く。


「……もうそろそろ、あれから一ヶ月に

なりますけど……」話を切り出す思忍。

「うん?」その話はできれば今したくないんだがな。

「次は……

いつ行けば……

いいですか?」

「へぁ!? 何いってんの? 

次なんてないよ! 

もう行かなくていいんだよ!」

「え? ……でも、

約束してしまいましたし、

……あの……オム・あんこ」

「え? え! えぇぇ!? あーーー、

そうだったっ! そういう話だった!」



 撮影の最後があまりにもあんまりな展開だったんで、

うっかりしていたが、Hしたいだけで名ばかりだったはずの

《親衛隊》は結局、最後までNGを出さなかったのだった。

 ということは、【咲香】は約束通り、オムあんこを持って

難儀民慰問にまたぞろ行かなくてはならない。

 しかし、そんなことをさせるわけにはいかない。そんな

約束なんか守る必要はないと言い聞かせる俺だったが、

思忍は譲らない。


 両脚を揃えて座っていたところを、改まって

正座してこちらを向く彼女。

 胡坐を崩してだらしなく座っていた俺も

座り直して正座せざるをえない。

 膝と膝とを突き合わせるようにして話し込む2人。

両手を大げさに動かして身振り手振りで説得を試みる。


 結果、俺の根負け。

 相手が誰であれ何であれ約束は守らなければならないと

彼女は言い張り、頑として譲らない。

あぁ、思忍……日本人の鏡だよ。

 とはいえ、俺も全面的には認めるわけにはいかない。

落とし所を探った結果、約束を守ったことになる

最低限のお膳立てをさせられるハメに。

 傍らで尻尾を振っているパッドの中では、

黒いGS犬が長いベロを出して見せている。


 そして、漆塗りの重箱の最後、与の重を開けて見せる思忍。

 そこにぎっしり並ぶのは、〈オムあんこ〉の試作品。

パッと見はケチャップ味のオムライス風おにぎり、でも

中身はアンコ。

お萩にしか見えないけど、アンコの中身は茹で卵。

俵型の赤飯結び、中には卵焼き。

今川焼き、アンコ&豆乳カスタード入り。

 つまり、玉子(卵黄)とアンコ(小豆)縛りの創作料理なのだ。

 最後の2つは割りといけた。きっと、

別々ならもっと美味しかったことだろう。

この非レンジ料理を《Hし隊》どもが

食べさせられるのかと思うと、いい気味だ。

胸がスカッとするぜっ。



 夕方、ネオたま南の駐車場。

【ちBIKKOのチョウ】さんが住むダイハチまで

やってきた。駐車スペースはやっぱり、あの(ナンバー)0。

現代の遊牧民/ロマ/●プシー(gypsy)とも揶揄される

ハビ屋(ヤー)さんたちなのに、彼はいつもココにいる。


 ノックもそこそこに後部ハッチを手動で開けると、

口からセミ・ヌゥドルを啜ったままフリーズしている

チョウさんと目が合った。

 や、食事中でしたか、すんまそん。

 ハイドロガス・ボンベと野戦用(サバイバル)携帯コンロで沸かした

お湯で、シー・フード味の即席(BAKAちょん)カップ麺にありついていた

ところらしい。


「イカとかタコとか魚介類の

フリーズドライかぁ……お湯じゃなくて豆乳にしたら

栄養バランスがいいんじゃね?」と見かねて言う俺。

「それだ!」ポリ箸をこちらに向けて叫ぶチョウさん。

 俺の顔へと跳ねる、〈萌やしちゃん〉。


「マジで? またやんの。

……まぁワシらはいいけどよ。

あの娘は怒ってんじゃねーの?」

俺の話を聞いてから不安気に訊くチョウさん。

「怒ってる感じでは、ないんだけどね。

『約束は約束だから』って聞かなくってさ」

「ふーん。また何も保証できねぇぜ。

空気読んで場の流れをリードするくらいなら

少しはできるかも、だけどよ。

それでもいいってんなら、

浮世にハビッ子る連中に声を掛けるけどよ……

集めるメンバーは同じで、やっぱあの4人だな。

他のヤツだと色々と心配なんでな」


「あれ? あとの5人は?」

「若い衆は、大丈夫そうな知り合いを

みんなで1人ずつ誘ったのよぅ。

またやるって言えばきっと来んだろな~。

なんせ、ホラ、ワシら……」

1人だけ事情を知るチョウさんは

意味ありげに笑って言う、

「【咲香】ちゃんの親衛隊だべっ?」


「あのライダァのお面、また

被ったほうがいいのかい?」

 そう、数多いる改造人間の中でも〈ライダァマン〉は

ほとんど生身の人間、コチラ側なのだ。自薦から他薦へ

ステップアップしたライダァでもある。

「いや、もういいっしょ、『面が割れて』んだし。

準備してほしいことはこないだと同じなんだけどさ、

今度の企画は老人介護ならぬ“少女愛護”、

アイドルのお世話っていう体裁で演りたいんだ」

「応! よくわからんけど

任せときな、【Pさん】よっ」


「……なぁ、バキよ」

 ぁ、長くなる話や良い話系をするときの出だしだ。

「独りで暮らす分にはダイハチでもいいんだけどよっ、

KUSOとXだけは困りもんでな~。

 SHONBENはPETボトルで済ませることもできんだけどよ、

KUSOはダイハチの中でしたくねぇんだわ、これが。

公園やコンビニなんかでわざわざトイレを借りるのよぅ。

 Xはそもそも女が来てくれねぇしよ、来てくれたとしても

2人で寝られるほどスペースがねぇからな、

Xどころの話じゃねぇわけ」

 ……何の話だ? 


「家ってのは大事だ。誰にも見られねぇで安心して

KUSOができて、Xもできる場所だからよ。

家の次にいいのは車だな、自家用車がいい。

シートを倒せば走るラブ・ホテルに早代わりだ。

おめぇにゃ家がある。それだけでも十分、

幸せなことなんだぜぇ」

 そんな風に考えたことはなかったな。

親の代からすでに持っているもんだから、

持っていない人の気持ちを思うということが今まで、

なかった。


 なにやら場違いなくらい陽気な音楽が遠くから近づいて来る。


 聞き覚えのある、あれは有名な沖縄民謡だ。駐車場に

一台のダイハチが引っ張られて入って来た。

「おっと、もう7時かぁ。

【ちょんBOKEのヒデ】さんの時間、

〈セーラー・ヒデヲ〉に変身する時間じゃん」


 ダイハチ小屋の小窓を通して、見覚えのある

オッサンが中で座っているのが分ったんだが、なんとまあ、

見てるほうが恥ずかしくなるような、夏のセーラー服姿だ。

じっと一点を見据えていて、なんだか虚ろな表情をしている。

 誰が見てもありゃ、痴●(CHIHO)だ。


 ん? スピーカーから流れてくる歌詞の一部、

『〽ハイサイ♪――』の「サ」が「カ」に上書きされて

聞こえたぞ。こりゃチョウさんの声だな。おいおい……

そんなことして大丈夫か? この“曲の”権利的に。


「だいたいこの時間になるとBOKEが始まって、この調子よ。

まっ、有名人だし、この曲かけてっとスルーされねぇで、

みんな面白がってよ、物好きな誰かが必ず引っ張ってくれんだわ。

どうも本人は23区方面に向かいたいらしいんだけどな、

朝方になると結局またネオたまに帰って来ちまう。

なんでなんだか、よくわからねぇんだ。

しばらくは面倒見てやらねぇとなっ」

 そう言ってチョウさんは小屋の外側に貼ってある色紙に

手を伸ばして、傾いていたのを直す。


 白い色紙には黒い毛筆で、現代俳諧/ポエムが

したためられている。



『徘徊したって

 いいんじゃね

 ニンゲンっしょ』 ひでを

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