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11 渋谷、“あいどる”文化、《ピーチ・エンジェル》、『藪の中』

 日曜は終日、家から出ずに部屋のベッドの上で過ごした。

 傍らに横たえたパネルの中で寝そべっている☆さやか、

一糸纏わぬ艶かしい姿で微笑み返す。

……抱き枕ヲタクの気持ちが今ようやく解った。

彼女を抱きしめたいと

いくら願っても、その実体は

ミリm()ほどの薄いパネルでしかないのだ。


 吐息交じりに、服を着たいと

言い出す☆さやか。

ゆっくりと起き上がり、

その弾む豊かな乳房を隠しもせず、

両脚を床に着け八の字に曲げて座り込む

彼女、胸の前に両手を下げ、

画面外から掴んだ服を広げて見せて、

「こんな衣装が着てみたいなっ」と甘えた声でねだる。


 その服は低解像度でノイズ混じりの擬似3D。

彼女の肩から太ももにかけてを覆い隠している邪魔な衣装画像は、

何だか見覚えのあるアイドル・コスチュームだ。さては、この間の

寿司屋で観たテレビ番組〈アノ人イマ(アノニマ)()〉の再放送、

平成アイドルの懐かし映像だな。


「今なら渋谷で展示されてるんだって! ねぇ、連れてって~」



 明けて月曜、23区・渋谷駅までやって来た。

都内一複雑なラビリンス駅で迷いながらも、

どうにかして地上への出口に到着。

渋谷は都内でも有数の危険地帯だ。

街行く人々の8割が未成年、

14歳未満に絞っても半数以上になる。


 昔から続く映画館が多い街として有名だが、

上映されるのは文化・芸術作品ではなく

コドモ向け平成アニメのリバイバルばかりだ。

四半世紀前までは若者文化発祥の地であり

年齢層もずっと上だったらしいが、

今では荒ぶるKUSOガキ様の街と化している。


 奴ら曰く『14歳以上はオジサン・オバサン』。

罪に問われ始める14歳になる前に一通りの軽犯罪を

済ませておこうという、けしからん輩が多い街なのだ。

 なのでトラブルに巻き込まれないよう、

用心のために麦藁ハットの後ろにもVID-Inを

貼り付けてバックミラーのようにしてある。


 月が替わって今日から六月。衣替えを済ませた

女の子達が薄着で街中を闊歩するシーズンだ。

万が一にもKUSOガキ様と接触してしまわないよう、

人込みで四つ辻ができるほどごった返すスクランブル

交差点を注意深く渡ってゆく。


 途中、騒がしく連れ立って歩く中学生の集団とすれ違う。

男子は白い半袖シャツに黒ズボン、

女子は白いブラウスにミニ・スカートだ。

「要注意対象、接近中。

コリジョン・コース、3秒以内」

☆さやかが何度も教えてくれる。



 何とか無事に交差点を渡りきると、

大きなビルのショウ・ウインドウではレトロ・アイドル特集が

組まれている。今では絶滅したアイドル達のコスチューム変遷を

知ることができるらしい。誰それが実際に着ていた実物衣装

だとか、そのレプリカ等がマネキン人形に着せられて年代順に

ガラスの向こうで並んでいる。


 捜し求めていた衣装を前にして、ヴァイザー隅で横顔を見せて

いる彼女の目が爛々と輝く……。

「8時の方向、

マイクロ・ミニ、

推定13・5歳、

ハーブ・ユーザー」囁く☆さやか。


 おっと、油断も隙もあったもんじゃない、と何度も移動を

繰り返す俺。近頃渋谷に流行るものの中に「スカートめくられ」

なるものがあって、それに引っかかったら最後、

問答無用で現行犯逮捕、さもなくば

集団リンチ後の示談で全財産を失うことになる。


 展示されているコスチュームはセーラー服をベースとしていて、

昭和後期のシックなツー・ピース制服から始まり、

平成初期にはポップなキャンディー・カラー、

中期の着崩した半袖シャツ&ミニ・スカート、

末期のヘンタイ露出ストリーキング型へと移り変わっていく。

 アイドル盛衰の歴史はテレビのそれと連動していたわけで、

テレビがKUSOガキ様とジジババ様の娯楽に成り下がった時、

“あいどる”文化は消え去った。


 どうやら☆さやかのお気に入りは平成中期タイプで、

比較的まだ露出が少なめだった頃のものらしい。

真夏のスイカの様なカラーリングの、

赤い半袖ジャケットに赤いミニ・スカートのツーピース、

襟元はセーラー服を残しつつ太めのネクタイを装着、

生地模様は〈伊勢丹()〉デパートの旧タータン柄を

ほうふつとさせる。


 衣装の変遷は平成末期までで終わっていて、

浄化のものはない。いまの時代、

アイドル相当のアーティストは

――いないわけじゃないんだが――

文化的な市民権を得ていないためだ。



 大衆がアイドルに幻想を持てなくなってしまって以降は、

アイドルという概念自体が成立・存続できなくなって

しまっている。

 結婚やサラリーマンになる道を選ばなかった特に女の子達は

こぞって歌や踊りに熱中し誰もがアイドルを夢見ていた時代が

あったが、そもそも誰もがなれるものではないし、大所帯

グループ・アイドルなども登場したものの粗製乱造を繰り返した

挙句にスキャンダルが続発。

 崇拝する対象としての偶像は、もはや絶滅した。

夢見た者も魅せられていた者も揃って幻滅させられた結果、

日本から“あいどる”文化自体が消失したのだ。


 全国の小学校ではヒップホップ・ダンスとやらを授業に

取り入れ、ここ渋谷周辺でも街角にはダンス教室が溢れ、

歌のレッスンや声優スクールも数多く興ったものだったが、

今ではほとんど見かけることはない。

 夢破れた女の子達は路頭に迷うも同然で、

渋谷・原宿・表参道で悪さを繰り返した挙句に、

アイドル[互]地下少女となるのが、お決まりの末路(コース)

 裏原宿の地下ヘンタイ場のステージで、

夜な夜なダンサーを演じるのだ。


 江戸時代末期の「ええじゃないか」マーチ・ダンスよろしく、

庶民が踊り狂っているのは禄でもない時代ということの証左。

噂では、敵性国家の工作員が学校教育に低俗ダンスを持ち込ませ

日本人を堕落させるという、そんな長期作戦の結果なのだという話

だが、いやはや、法螺話も大概にしろと言いたい。


 お気に入り衣装の360度スキャンを終えた☆さやか、

3Dモデリングした自前の衣装に着替える。

自分で仕立てただけあって、

プロポーションにぴったりで……

とても似合ってるよ。まるで……そうだな、

【美樹本ハルヒ()】の水彩画から

跳び出して来たようじゃないか。

今までに見たことのあるどんなアイドルよりも

“あいどる”らしいんじゃないかな。


「えへへー」ご満悦な彼女。

 色鮮やかなコスチュームに身を包むAId Idol。

そんな彼女、〈AIdol さやか〉を連れ立って

歩いていると……

10歳は若返ったような錯覚を覚えてしまう。

 とはいえ油断は禁物。ぼさっとしてると流行りの

「チーマーごっこ」のカモにされてしまいかねないんで、

治安のマシな代官山方面へと足早に歩くことにする。



 夕暮れ時、渋谷の外れには

まだ昔の落ち着いた町並みが残っている。

大通りを曲がって道を1本入ったところで、

昔ながらの風情ある蕎麦屋を見つけた。

木造家屋の引き戸を手でスライドして店内に入ると

客はまばら、KUSOガキ様の姿が1人も見えないので

一安心。代官山や恵比寿に近いこちら側は

奴らの侵攻が止まっている地帯と見える。


 いや、単にテレビで再放送

アニメとか特撮番組が始まる頃だから、

コドモらは家に帰っただけかもしれない。

AId3Dのフル・アニメーションで

繋ぎ目なしのほうが断然イイと

思うんだが、どういうわけだか、

手描きのセル画アニメだったり

特撮模型から吊り糸が見えたりするほうが、

最近のKUSOガキ様には新鮮に見えるらしい。

据え置きの大画面テレビの前に何人も集まって

ワイワイ騒いで観るのだとか。


 1人客なのに店員さんが座敷に案内してくれた。

 ちなみに、これは死んだ祖父さんから昔聞いた話なんだが、

大昔から立ち食い蕎麦屋とかの軽食はあったものの、きちんと

した食事のときは靴を脱いで座敷に腰を下ろしてでないと

落ち着かなかったとか。今どきの日本人は靴を履いたまま

平気で何でも食べることができるが、昔はそうでもなかった

らしい。

 最近の復古主義的風潮で、お座敷あります的な店が

だんだん増え始めてきている。


 靴を脱いで畳敷きの座敷に胡坐をかいて座り、

年季の入った木製のテーブル、その上に置かれた

お品書きに目を通す。☆さやかはもちろん食事はできないが、

ヴァイザー越しに料理を眺めては調べ物をすることが

好きらしいんで、色々と注文してあげたくなる。


 たまにはきちんとした和食を食べるのもいいもんだ。

昔ながらの丼物――鳥もも肉の親子丼――とかも捨てがたいが、

ここはやっぱり蕎麦だね。〈盛り蕎麦と天ぷら〉(10円也)、

それに〈冷酒〉を1合(7円也)だけ注文した。


 突き出しのキュウリとカブの浅漬けを肴に、

日本酒をちびりちびりと愉しむ。

酒は決して上等とはいえないものの、

昔からの製法で混ざり気なしの本物だ。

漬物の塩梅も丁度良く、旨い酒がどんどん

すすんで良い心持ちになってくる。


 そうこうしていると、障子戸が開いて

割烹着姿の看板娘さんが注文の品を運んできてくれた。

せいろに盛られた蕎麦と篭に盛られた天ぷらとが別々に

併せて到着。

 そうそう、店員さんに配膳してもらってるがチップは要らない、

というかそもそもそんな習慣は日本には今も昔もない。

似たようなもので、お駄賃とか心付とかポチ袋とか大入り袋とか、

廃れ気味だった習慣なら復活してきている。


 海の向こう《フランス》では、クレープの元になった料理、

「ガレット」にして、ソバ生地を焼いて食べるらしい。

きれいで安全な水が少ないから焼いたほうが安全なんだろう。

 日本ではソバといえばたいてい“蕎麦切り”麺で、

通は茹でた熱いのよりも水で冷やした物を好み、

刻んだ焼き海苔がかけられた〈ざる蕎麦〉よりも、

海苔なしの〈盛り蕎麦〉を好むのだ。

啜るときに海苔が邪魔になるし、

海苔の匂いが意外と蕎麦の香りの邪魔になるんでね。


 おっと、蕎麦は時間が経つと

伸びてしまって食感が悪くなるし、

天ぷらも冷めると美味しさが半減してしまう。

どちらもさっさと食べてしまうに限る。


 蕎麦猪口には濃い目の黒い醤油つゆ、そこに

箸でつまんだ蕎麦を何本か先のほうだけ少し漬けて、

音を立てて一気に啜る――ずびっずびっずびび~~~――

旨ぁっ。なんでも、蕎麦を「手繰る」ともいうそうだ。

3、4回噛んで食感を愉しんだら、さっさと飲み込んでしまう。


 これが、せっかちな江戸っ子の喰い方ってやつなわけだが、

音を立てずに静かに口に入れたほうが、お行儀がいいことは

間違いない。ただ、蕎麦ってやつは淡白で味らしい味がないんで、

ワインのテイスティングよろしく音を立てて啜ったほうが

香りが愉しめるわけだ。


 この時期から収穫されるソバの実はあんまり美味しくないんで、

夏は素麺や饂飩だとか“冷やし中華”でも喰らうことにして、

これを最後に蕎麦は秋・冬までおあずけってことにしよう。

 この蕎麦は美味い。工場でロボットが造ったものじゃなく、

人がわざわざ手打ちでこさえてくれた蕎麦は、それだけで

美味い気がしてくるから不思議なもんだ。


 天ぷらはエビ・イカ・ししとうが篭に乗っていて、

安い立ち食い蕎麦屋じゃないんでさすがに竹輪とかは出ない。

いや、好物なんだけどね、竹輪の磯辺揚げ。

蕎麦つゆが濃いんで、天ぷらは塩でいただくことにする。

「はふっハフッ、うまっ旨うま……」寿司もそうだが天ぷらも、

ハフッ、江戸時代頃までは往来の屋台で振舞われる庶民の軽食

だったらしいのに、特に海外では高級日本料理の代名詞にまで

なってしまうんだから、世の中わからないねぇ。


 蕎麦も麺にして食べ始めたのがやっぱり江戸時代からで

大衆料理だったのも同じなのに、海外では知名度が低すぎないか? 

小麦粉から出来てる饂飩のほうがよっぽど知られている。

 麦と違ってソバは、日本列島のほとんどの気候・風土で

収穫できる有難い作物だってのに。きっと、日本人くらいしか

愉しめないものなのだ、この蕎麦ってやつは。天ぷらと蕎麦を

合わせて食べると美味し幸せすぎ。

 日本人に生まれてよかったぁと思う、そんなひと時。


 残った蕎麦つゆに蕎麦湯を注ぎ、大昔は贅沢品だった

砂糖をたっぷり使った蕎麦つゆを残さず飲み干す。

落ち着いたところで☆さやかに〈ことテン〉止めさせて、

あのサイトをチェックさせてみると、ヘンタイ・ムービーの

販売数は300枚以上になっていた。いいペースだねぇ、

もう1合飲みたくなってくるよ。



 まだ残ってる酒をちびちびやってると、むかし渋谷で起きた

事件のことが何故か、ふと思い出された。平成中期に発生した

スキャンダル、いや、大スキャンダルになるはずが、ただの

ヘンタイ・ロリコン事件で終わってしまったという、

あの忌わしい事件のことだ。


 渋谷でブイブイいわせていた12歳の少女4人が

見知らぬ中年男に声をかけられたところから話は始まる。

簡単な清掃バイトを持ちかけてきたその男に付いていくと、

そこは裏原宿にあるマンションの一室。

『ここに来た意味わかるよね?』という、男の一言はあまりにも

有名。その部屋で何やらかんやらあったらしいが詳細は不明、

というか気の毒すぎてそういうことになってる。


 深夜になっても女の子達が帰って来ないのを心配した親達が

警察に捜索を依頼。部屋で拘束されていた女の子の1人が

隙を見て裸足で外へ逃げ出し助けを求めた。

 警官が部屋に踏み込んでみると、

中年男はすでに自害した後だったという。

 ここまでがロリコン事件のあらまし。


 所轄の調査によると男の自殺は不可能だったとされ、

偽装の疑いが濃厚。男の足取りからヤクザの関与が示唆されるも、

立証ならず。地下デート・クラブ《ピーチ・エンジェル》の顧客

名簿を地元警察は押収したが、暗号や符丁で書かれていたため、

悪質なヘンタイどもの一斉検挙はついぞ実現しなかったという。


 何人ものジャーナリストが事件を追い、

どうやら名簿の解読にはある程度成功していたものの、

大物政治家や有力者ばかりが名を連ねていたために警視庁は

有耶無耶にせざるをえなかった、ってなスキャンダル説が

持ち上がる。

 そして、その状況証拠ですと言わんばかりに、

ジャーナリスト達は次々と不自然な死を遂げたのだった。


 時代が浄化に変わっても、

この事件の真相は『藪の中』なのだ。

 こんな難事件でもテレビドラマだったら40分で解決

してくれるのになぁ。『ウチのBBAがね~』が口癖で有名な、

あの刑事【クォロンボ()】みたいな人は日本にいないのかねぇ。

 まぁ俺もまだ生まれてなかった頃のヘンタイ事件だし、

〈ことテン〉で知っただけなわけだが、

何のことはない、その頃にはもう

渋谷は狂ったKUSOガキ様の街と

化していたってことだろ。

 なーにが政治スキャンダルだよ、

これも都市伝説の類だな。


 ふと☆さやかの要約を見ていると、被害者の両親が捜索を

依頼した先が《根尾多摩東警察署》と表示されているのに気づく。

そうか……被害者(自称)の小学校はネオたま東にあったのか。

 そこは昭和のテレビ番組〈仮面ライダァ()〉特撮ロケ地として

有名で、今でも聖地巡礼する人が絶えない。

 当時の女の子達は皆もう40代中頃の

オバサンになってるんだろうな……。


 同郷のよしみというか、ガラにもなく何だか同情してしまった。

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