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10 壱円寿司、「旧合衆国」、イルカ/クジラ、〈シズラー〉

 景気づけに選んだ店は、池袋南の壱円寿司。さすがに

値段は均一とはいかないが、1皿だいたい1円前後の

安心価格で寿司を提供してくれる全国チェーン店だ。


 左右に開いた〈歩けドア()〉を抜けると、明るくて

清潔な店内は昼の繁忙期を過ぎたからか閑散としている。

養豚場の柵みたいに区切られた

白くて長いテーブルがいくつかあって、

思忍ちゃんと並んで座る。


 目の前には

黄金色のタブレット型ヴァイザーが備え付けられているが、

客の持歩器のほうを優先するようになっているらしい。

 手持ちのヴァイザーとウィスパーで、「らっしゃい!」と

威勢のいい寿司坊主が現れる。「今日は何にしやしょっ?」と

愛想のいい鉢巻頭のすぐ下に横長の透明ケースがあって、

ネタの名前と画像がティッカー表示のように

右から左に流れては消え、一周しては繰り返す。

回転(3D画像)寿司屋だ。


 テーブルに据え置きの〈出涸らし茶〉パウダーをお湯で

戻してから一口啜り(無料)、おもむろに注文し始める。

タコ(octopus)、ホッキ貝、コハダ、サンマ、カツオ、

シャコ、ぜんぶ混パチ物でない昔からのネタにした。

 彼女の注文は、アワビ互換、エンガワ互換、タイ互換、

イクラ互換、マグロ互換、アナゴ互換、ギョク互換。俺より

一回り近く年下な彼女はどうやら互換材には頓着ないらしい。



 しばらくすると注文の品々が届き始めた。

パッド下のテーブル表面が円形にスライドし、

ポッカリと空いた穴の下から丸皿が1枚ずつ、

クルクル回りながらせり上がって来る仕掛けだ。


 見えないところに監視店員が1人くらいいるとは思うが、

可能な限りの無人オートメーションを追求した結果、

半無人寿司屋となったわけだな。安いかわりに

風情も何もあったもんじゃない。


 十円寿司ならもうちょっと風情があって、本物の冷蔵

ケースのガラスを前にして木製のカウンター席に座り、

板前さんと粋な会話を弾みつつ、互換材フリーな

昔ながらのネタばかりで舌鼓を打つことができるんだが、

それは今となっては贅沢の内に入る。


 六本銀坂の街だけに存在するという百円寿司に至っては、

俺も噂でしか知らないが、ヤクザ者よりおっかない

寿司名人との一対一(タイマン)勝負、少しでも気に入らない客には

時価ネタでかなりの額をふっかけるそうで、

その場で現金一括払いできないと、身包み剥がされて

マグロ漁船に三ヶ月は乗せられてしまうとのこと。

 そんな店に足しげく通えるのは、

さらりぃまん/役員ぐらいのもんだ。


「うまっ旨ぁ」寿司を指で摘み醤油を付けネタを下にしたまま

口へと放り込む俺。彼女は箸で摘んでお行儀よく食べてゆく。

 店の青白い壁には天井下の高いところにパネルが並んでいて、

権利の切れた昭和時代のテレビ再放送や

権利の安い平成時代の歌番組が音もなく

ヘビー・ローテーションされている。


 ヴァイザー上でメニューをじっと見ていた☆さやかが急に

ピョコンと動き出し、頼んでもいないのに〈クジラの刺身〉を

手でクリックした。

 むぅ、店で一番高い部類で1皿5円もするというのに、この

イタズラっ子め、そんな風に舌をペロッて出してカワイク笑っても

許さないゾ。まぁこれも互換材じゃないし、たまには珍味も

いいかなと思い直し、キャンセルはしないでオアイソすることで、

これ以上注文されないようにしておく。

「食ぃねぇ、食ぃねぇ!」威勢よく叫ぶ寿司坊主、

『〽スシ♪食ぃねぇ~♪』



 テーブルの丸穴からせり上がってきたソレは、

鮮血色に濡れた鯨肉の薄切りが5枚並べられた丸皿。

臭い消しのおろしニンニクと醤油ダレでいただく。

 ☆さやかは興味津々といった風で、こっちを見つめている。


 あむ……煮詰めのシャコの後だからか、

さほど臭みが感じられずイイ感じである。

うん、旨い、かも。

最近の鯨肉は大陸の連中に優先的にまわしているんで、

日本で出回ってるのは量が限られているはずだ。

値段が高いのも頷ける。


 ちなみに、ここでいう“大陸”とは北アメリカ大陸のことで、

昔なら「合衆国」とか呼ばれていた地域を主に指す。平成時代

までは大陸といえばチャイナ地域のことを指していたらしい。

当時の超国家が没落してからはそっちを「大陸」と呼び、

いわゆる中華大陸のほうは略して「中陸」と呼ぶのが通例だ。

 ややこしいことに、昭和時代は“チャイナ/チナ/支那”大陸で

通っていた。


 さて、クジラの話をするならその前にマグロ、いや、

まずウシの話をしなければならない。あれは大陸、つまり

旧合衆国が分裂する数年前のことだったが、ある日突然

ウシ由来の食物を摂ることができなくなってしまったのが、

コトの始まりだ。


 匂いだけなら健康被害はないが、牛肉や乳製品を飲み込むと

下痢や嘔吐に苦しむ人が世界中で続出するようになった。

原因は依然として判明しないままなんで、今に至るまで

ヒトはウシを食物にすることができなくなっている。

いつになったらもう一度ウシを食べられるようになるのか、

その目処はまったく立っていない。


 旧合衆国が最も被害を受けたわけで

『バイソンの復讐』『肉骨粉の呪い』とまで

噂されたんだが、旧合衆国のウシだけでなく

地球上のすべてのウシで同じ現象が起きたんで、

それはあまり関係なさそうなのだ。


 まぁ、牛肉を常食していたのは旧合衆国

市民の中でも人口の1%程度だったんで、

やっぱり直接関係なさそうにも思えるが、

程なくしてかつての超国家が分裂することになった。


 いま「大陸」を支配しているのが、

社長(CEO)を頂点とするコーポラメリカ、

略して《ラメリカ》/(R)america。

 ハワイ諸島まで後退したのが、統領(president)を

頂点とするアロハメリカ

――または土着者が呼ぶには、カメハメリカ――

略して《ハメリカ》/(H)americaだ。


 ラメリカのバ●ァ(BBA)社長とハメリカのク●ンボ(KURONBO)統領の双方とも、

我が方こそが真アメリカである、と主張している。


 ハメリカでは牛肉を消化してくれる、ヒト腸内細菌遺伝子を

研究中だが、彼らが捜し求める理想のビーフ消化遺伝子は

まだ発見されていない。

 ラメリカではウシ研究を継続する傍ら互換材を模索した結果、

マグロの血合い肉を化学処理することでビフテキもどきとする

ことに何とか成功。


 日本人でも、新鮮な物なら醤油で煮詰めれば何とか食べられ……

いや、それでも食べたくないんで、猫の餌にでもして有効利用

しようか、というのが血合い肉である。タダ同然なんで冷凍して

くれてやったのがそもそもの間違いで、ラメリカ民が〈ビフテキ

互換マグロの血合い肉〉の味を覚えてしまった結果、乱獲されて

しまい日本人の大好物であるところの天然マグロ自体が

入手困難になってしまった。


 そこでラメリカ民が次に目を付けたのが他ならぬクジラであり、

〈ビフテキ[互]クジラ()〉である。たかだか150年前の

先祖が灯油互換鯨油として利用することはあっても赤肉は

食べずに捨てていた、あのクジラをラメリカ民は

喜んで食べ始めたのである。

 ハメリカ民の事情も大体同じだが、人口が比較的少ないからか、

クジラでなくイルカを食べるようになった。食べ方は勿論、

〈ビフテキ[互]イルカ()〉で。クジラには食用に適さない種類

があるがイルカにはそれがないんで、理に適ってはいる。


 そりゃあ日本人もクジラやイルカの赤肉を食べてきたが、それは

あくまで捨てるのが勿体ないからであって、血生臭い肉でも醤油の

力を借りれば何とか食べられるという話でしかない。漁法や調理

技術や料理のレシピやらは文化として残ってはいるが廃れ気味で

あり、日本人の大半が好き好んで食べてきたような肉ではないので

ある。


 そもそも明治時代頃までは血抜き技術が洗練されてなかったこと

もあり、牛肉でさえ血生臭くてなかなか食べなかったのが当時の

平均的な日本人であって、昭和の大戦前後で物不足だった頃に

豚肉や牛肉の互換材として食べていた頃が、クジラやイルカの

赤肉消費量のピークだった。

 今でも、ケミカル脱臭だの化学調味料だの人工着色料だの

合成香料だのを使ってまで強引にでも食べたいというような

代物ではない。


 ……とはいえ悪いことばかりではなく、特に日本人が必要と

する水産資源を食い尽くしかねないのが肉食害獣クジラ&イルカ

なんで、ラメリカ&ハメリカが間引いてくれたお陰で、他の水産

資源が近年豊富になってきたという良い側面もある。値段は高い

ながらもマグロが、あるところにはちゃぁんとあるのは、

そういう理屈だ。

 まぁ、上物は百円寿司屋とか、そうでもない物や養殖物は

十円寿司屋とかにあるわけで。


 ビフテキもどきのほうはといえば、

国内では都内23区なら〈STARBUCK's()〉が

あちこちにクジラ・チェーン店を構えている。

 他には、アキバで有名な屋台店、

〈LASSEN's()〉なんていう

イルカ・チェーン店もある。


 ちなみに、マグロと違ってクジラやイルカの加工処理は

日本の専売特許なんで、今では日本の重要な輸出品として

貿易黒字に貢献している。その市場規模は主にラメリカの、

およそ400万人だ。

 限度ってものを知らない旧合衆国市民が獲り過ぎると、

絶滅させてしまうのが歴史から火を見るよりも明らかなんで、

クジラやイルカの捕獲量を政治的に制限している重要な立場に

いるのが、日本だ。


「ご馳走様でした」ニッコリと礼を言う思忍ちゃん。

店を出て池袋を離れニコたま駅まで彼女を送り、

そこで袱紗ごとカネを渡した。

俺はというと、そのまま自宅へ戻り

あのムービーの予約数を確認したら、

すでに100件を超える勢いだったんで、

その日は夕方から爆睡した。



「“うなじ萌ゑ”だってのは知ってたけどさ、そこに処理量の

半分も費やしてるとなると非効率を通り越してただのアホだね」

 呆れたというよりは感心したという風に言うのは、

エロゲー(ero-game)界隈のモデリング系ハッカー、

【シズラーのシンゴー】だ。

 そう、俺はうなじフェチなのさ。

なのに、あぁそれなのに、今の☆さやかの

うなじにはエロスが感じられない。

「全体的に肌質に瑞々しさが欠けているんだろう。3Dエロ

ゲーマー御用達のベクトル石があるからそれを使うといい。

2Dビデオ・カードの頃から肌色に定評のあったメーカーの

製品でね。3D時代初期に業界で後れを取ったんだけど、

起死回生を狙って肌質再現ロジックを回路に盛り込んで、

見事返り咲いたのさ」


「何だい? その肌質なんとかってのは」

「なんでも医者が最初に気づいたらしい。肌の下の血管・血流の

流れが精気を感じさせる元なんだとか。人間の目は肌表面の

色だけを見ているわけじゃなく、その下の精気も診ているわけ。

単に自分では気づいてないだけでね。そこで、人体モデリング・

データから架空の血管や血流を再現した後で、その上から

ほぼ不透明のスキンを重ねるわけだ。さらに、体温上昇やら

発汗までシミュレートするから当然、処理量は爆発的に増大する。

肌質改善には独立したベクトル石にやらせたほうがいいよ。負荷

分散した上で……ちょうどいい、そっちの『要らないものリスト』

にあるから、そのベクトル石を使うといい」


「これが?」このモデルは失敗作だという

散々なユーザー評価だったことくらい、

俺だって知っている。

「酷評されたのは確かに低性能だったからだけど、試験的に回路に

焼き付けてあった肌質再現ロジックはまだロックされてたんだ。

リストにあるロット・ナンバーのは特別で、アンロックされている

エンジニアリング・サンプルなのさ。〈シズラー〉ソフトさえ

インストールすればそれを利用できる。あ、スキンの透明度は

上げないほうがいいよ、人体模型みたいになるから」


「なるほど。で、引き換えにはこのデク人形

――可動部品がちっともない――でいいんだな?」

「をぃをぃ~、ただの人形じゃあない。〈モリダカ・フィギュア〉

なんだぜ。三次元アイドル・フィギュアの走りだよ。昔々

あるところに、ミニ・スカートが似合いすぎる【盛高萬里()】、

その仔鹿のようにスラリとした美脚のことが好きで好きで堪らない

ヲタクがいた。そいつが業者に頼みこんで発注した、一体しかない

特注品、そのレプリカなんだよ。世の中に12体しか出回ってない

希少品なのさ。なんでも金型が流出したとかでね、なんせ

個情(コジ)法』もなければ『自保(ジポ)法』すらまだなかった頃の話さ。

 そのヲタクってのが【マジックハンドのタクロー()】だよ、

聞いたことくらいあるだろ」


「うーん、あるような~ないような~……

そいつは技術屋で片手は義手だったのかい?」

「いんや? まったく。テッキーじゃあなかったし、

五体満足だったよ。50年近く前の話だけどね。

モリダカも『〽私がオバ♪(BBA)さんになっても♪』ってか」

「……ほんじゃま、オーナーの

ハビタイヤーさんを紹介するから

適当なところで落ち合って

ブツを受け取ってくれ」

「ありがたいね。保存状態にもよるけど、お釣りを渡さなきゃ

いけないくらいだ。3つほど貸しだと思ってくれていい。アンタは

年に一度くらい、ネットにないお宝を掘り出してくるからね、

今後ともよろしく」


 ヴァイザーに映るのは、まつ毛の長い女の子の片目だけ。色っぽいウィンクをして音もなく消えた。



 スカラー型とベクトル型の両方の機能を兼ね備える合い●●(AINOKO)

ハイブリッド・プロセッサ4基を1枚の拡張カードに載せて

ポーリーに挿してあるわけだが、カードを3枚追加して

合計4枚にハイブリッド石を1基ずつ載せて、

分散処理することにした。

 各カードにはRAMが直付けされていて、

容量は各々異なるが合計384PiB(ペビバイト)

基本的に、この4基の石で

AIは知性を発揮することになる。


 それに加えて〈ダンサー〉用に従来のベクトル石カードを1枚、

〈DIVA〉&〈撫子〉支援用にベクトル石カードを1枚、

〈シズラー〉用にベクトル石カード1枚、

〈ブラウンダム〉用にゼロ㎐スカラー石と観測スカラー石の2つを

載せたカード――×86(チョメハチロク)エミュレーション・モード――を1枚。

これで拡張スロット8つすべてが埋まってしまった。


 ボードから伸びるメモリー支援コネクターにストレージの

〈フラー・コレクター〉を追加して、☆さやかのデータは

すべてそちらに移してある。 今まで使っていたSSDの

〈Micromen αH7()〉は

勿体ないんで外さずに、

ケン太用のバックアップ領域として

そのまま使うことにする。


 さてと、

麦藁ヴァイザーを被って

ポーリーの電源投入――

……システム起動に問題なし。

 消費電力は倍増したが許容範囲だ。

仮に今の10倍の電力に達したとしても、

リダンダントなデジタル電源で運用に支障はない。

 発熱は3倍増してエアコンが唸るが、

それに見合った品質が得られるなら安いもんだ。

 〈シズラー〉の動作検証のため、まずは☆さやかの

うなじだけを拡大して表示させることにする。


 彼女の後ろ姿、

ツインテールを解いた髪で首筋は隠れている。

ミント色に淡く光るその豊かな黒髪を

彼女が両手でゆっくりと持ち上げてゆく。

白い首筋が露わになり……

首筋から肩口にかけての流線型は、

見慣れているはずなのに新鮮な美しさ。

緑がかった黒髪の生え際が……

後頭部から背中にかけて

ズーム・インしてゆく。


 麦藁ヴァイザーを投げ捨て、

映像表示を高解像度パネルに切り換えて、

目を近づけて凝らして視ると……

半透明の産毛まで確かめることが、できる。

 産毛と黒髪とが微風に揺らめく様はさながら……

稲穂のようでもあり麦穂のようでもあり……

目立たない毛穴からはまるで吐息が漏れているかのようで……

瑞々しい柔肌は活き活きとした命の躍動を感じさせる……


 このうえなく艶かしく……

堪らないうなじを前にして……

思わず声が漏れてしまう。


あたかも、それが何かの合図であったかのように、

彼女がゆっくりとこちらを振り向いて……

長いまつ毛のその下の、濡れた瑪瑙(メノウ)のような

2つの瞳に吸い込まれてゆく、俺――


後になって思い返してみれば……このとき、俺は恋に堕ちていた。

他に形容する言葉を、俺は知らない。

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