僕の両親
女優『怜奈』は隼の本当の母親だった。
そんな時、本当の母親から電話があった。
僕の兄弟が出来るそうだ。
「お袋、おめでとう。僕はお兄さんになるんだね。何だか嬉しいな。今度優香を連れて会いに行くよ。あっ、親父にもおめでとうって伝えといてね」
何だか嬉しい。
ずっと独りぼっちだったから尚更なのかな?
いい兄貴にならなければいけないな。
そんなことを考えていた。
お袋に子供が出来たと解り、ある感情が膨らんできた。
それはニューヨークに住む両親への愛だった。
僕はこの二人を本当の親だと信じていた。
だから今更、その思いを変えられないんだ。
僕はマネージャーが売り付けた記事を信じていなかったんだ。
ニューヨークにいる母が生母だと確信していたからだった。
実は、二人の母は一卵性双生児だったのだ。
マネージャーが隠し撮りした授乳シーンは、この母と見間違えたのだと思っていたのだ。
その頃、付き人をしていた母。
それはお袋が僕に母乳を飲ませる目的だったのかも知れない。
それでも僕は写真の女性をカルフォルニアから帰って来た母だと思っていたんだ。
だから幾ら大女優の隠し子だと言われても否定してきた訳だ。
でもどちらが本当の親であっても、遺伝子には影響がないのかも知れない。
一卵性双生児のDNAはほぼ同一だと聞く。
正直な話、僕はどちらが本当の親でも良いと思っていたのだった。
でも、その感情が今乱れている。
そのきっかけを作ってくれたのが優香だった。
「お袋、頼みがある。僕にとって両親はニューヨークに住む二人なんだ。だから僕の戸籍を移動させてほしい……」
『ありがとう隼。でもその心配はしないで。隼は一旦私の戸籍に入ってから、妹の籍に入っているの。だから隼は相澤隼なのよ。相澤って解るでしょう? 隼の叔父さんと同じなの。隼は日本ではニューヨークの御両親の養子ってことになっているの』
「それじゃ僕は、そのままで……相澤隼で良いのか?」
『ありがとう隼。妹が喜ぶわ。妹は隼が大好きなの。ソフトテニスの王子様騒動の時、こっそり週刊誌を送ったの。そしたらすぐに電話があり『隼凄い』って泣いていたのよ』
「ソフトテニスの王子様か……」
『ねえ、隼。どうしてそんなこと言い出したの? もしかしたら優香さんの……』
「そうだよお袋。優香に教わったんだ。他人の子供を子宮で育てたいって言ってくれた優香に……」
『他人の子供って、まさか代理母? あのね隼。あれはマネージャーが勝手に……』
「違うよ。実は僕には水子がいるんだ。その子に隼人って名前を付けて二人で供養していたんだ」
『隼人って!?』
「優香が名付けてくれたのは親父の名前だった。お袋が隼人から隼と名付けたように、優香は隼に人を足した。どうしても、僕の子供を人にさせたかったんだと思うんだ」
『まさか隼、アナタに子供が!?』
「ごめんお袋。その通りだよ。その人は結ぶ夏って書いて結夏って言うんだ」
『えっ、結夏さん? 真二さんの言ってたアパートの隣の……』
「違うよ、そっちが優香だよ。お袋ごめん、優香に結夏だなんて紛らわしいね」
『そうね。それでは優香さんも勘違いしてしまいそうね』
「でも優香には解るんだ。だから嘘はつけないんだ。結夏は、あっ結ぶ方のね。結夏はストーカー被害にあっていて、再会した時にしがみ付かれたんだ。僕は結夏とそのままマンションへ行ってしまったんだ」
『その時に子供を宿したって訳?』
「そうらしい。でも結夏は子宮外妊娠だったんだ。だから流産して、出血多量で死んでしまっていたんだ」
『いたんだって!?』
「二年前のことだよ。僕は結夏にプロポーズした、『ニューヨークに行って両親の許可をもらおう』って。だから結夏をずっと待っていたんだ。でも結夏はその日に亡くなっていたんだよ」
『そんな……』
「結夏の両親は、結夏のお腹の中にいた胎児の父親が僕だと解っていたようだ。でも僕に迷惑がかかるからって、連絡してくれなかったんだ。だから結夏はストーカーに殺されたってことにされていたんだ」
『で、そのストーカーって逮捕されたの?』
「いや、逮捕されたんだけど無罪放免だよ。だって残されていた体液は僕のだし……」
僕は躊躇いながらも、あのオンボロアパートの傍にある太鼓橋から結夏が落ちた経緯を話し出していた。
勿論、それがストーカーの仕業に見せ掛けた松田さんがであることは伏せて……
「優香は、結夏の流れた胎児を自分の子宮で育てるって言ってくれた。それが出来るって信じているんだ」
光明真言と地蔵菩薩真言が水子を賽の川原救う。
「胎児と言えど人なんだって。だから供養してあげたいそうだ。たとえそれによって祟られようと構わない」
優香の深い慈愛に満た言葉に思わず目頭を押さえた事実を僕はお袋に伝えた。
「優香は僕を愛してくれている。だから僕も本気で……」
『そうよ。優香さんを大切にしてあげなければバチがあたるわよ』
「もう当たったよ」
僕は優香に内緒でお遍路の下見に行き、バイクがエンストしたことやパンクしたことなどをお袋に話した。
お袋は笑っていた。
挙式は僕の誕生日だ。
そのことをお袋に打ち明けると、嬉しいことにニューヨークの両親も駆け付けてくれることになった。
実はその月は移動やら何やらが多いんだ。
だから暫く日本で生活することになったのだ。
そのついでで、僕の結婚式に合わせた訳ではない。
そりゃそうだ。
ニューヨークの両親にはまだ優香との恋を話してもいなかったのだから……
「えっ、本当なの?」
『隼に嘘言ってもしょうがないでしょう? 本当のことよ。その時に優香さんに会いたいそうよ。でも、もしかしたら妹の言ってた『ゆうかさん』って、結夏さんのことかも知れないね。確か、結婚承諾書も署名捺印したとか言っていたわ』
「うん。その婚姻届けならお焚き上げの時、結夏のお母さんに署名捺印してもらって天国の結夏に届けたよ」
『そのお焚き上げって?』
「あっ、お焚き上げってのは、さっき打ち明けた結夏との水子を救うことの出来る最後の儀式なんだ」
『そのお焚き上げで隼は結夏さんと天国で結婚式したってことね。結夏さんの水子を自分の子供だって認知して、その水子を優香さんの子宮で育てる。そう言うことね?』
「そうだよ。流石にお袋だな。大女優だって言われてる訳だ」
『何言ってるの隼。親をからかうものじゃないわよ』
「本気でそう思っているよ。あの、水子のことなんだけど、優香に相談したら『隼人君の本当の親になるのには一番いい方法だって』言われたんだ」
『流石に優香さん。隼が惚れ込むはずね』
「ありがとうお袋。優香がどんなに喜ぶか……。あっ、これからのことは優香と相談しながら決めるよ」
『そうねー。それが一番ね。隼、くれぐれも優香に悲しい思いをさせては駄目よ』
お袋はそう言いながら、受話器の向こうで泣いているように思えた。
「優香……何て言ったら良いのか解らないけど、どうやら僕はお兄さんになるらしいんだ。だから……僕と一緒にお袋に会ってくれないか?」
「えっ、私も行っても良いですか?」
「勿論だよ。優香は僕の婚約者なんだから……」
「嬉しい」
優香は泣いていた。
「優香本当にありがとう。僕を救ってくれて、僕を愛してくれて。優香が居なかったら僕はまだ泥沼の中だった」
「芙生って知ってる?」
優香は突然言った。
「ふう? 風のこと? それもも楓? カエデとも読むけど、鈴を良くビーズで編むだろう? あれに似た実があるんだよ」
「あっ、森林公園のハーブ園でクリスマスのリース作りのボランティアしたことがあるの。その時見たわ。サクランボに似た、小さくてゴツゴツした物でしょう?」
「あっ、それそれ」
「残念ながらその楓ではないの。芙生の芙は蓮華なの。泥沼でも美しい花を咲かせる仏の世界の象徴なのだそうよ」
「蓮華?」
僕は優香の言葉に、札所十八番の太子堂とでも言うのだろうか? 立派な宝仏がところ狭しと並んでいた蓮華堂を思い出していた。
「そう、蓮華。泥沼は蓮に栄養を与え、美しい花を咲かせることも出来るの。隼が苦しんできたことは無駄ではないのよ」
「そう言えばあの蓮華堂の中にあった大日如来様も、お舟の観音様の近くに安置してあったのも本当にいいお顔だったな」
僕は優香とこの像が重なり思わず手を合わせて跪いた。
「大日如来様。大日如来様。唱え奉る光明真言は大日普門の万徳を二十三字に集めたり……己の空しゅうして一心に唱え奉ればみ仏の光明に照らされて三妄の霧自ずから晴れ浄心の玉明らかにして真如の月まどかならん」
僕が急に御題目を唱え出したから、優香は目を白黒させていた。
僕には優香が大日如来そのままに見えていた。
もしかしたら優香は神様が僕に遣わしてくれた生き神様なのかも知れない。
「どうしたの隼?」
「いや、何でもない。ただ、急にあの蓮華堂の中にいた大日如来様を思い出しただけだよ。それと同時に、優香があの日唱えた言葉が浮かんだんだ」
「そうね。あの後、お互いに光明真言を唱えたんだわね。阿謨伽尾盧左曩摩訶母捺鉢納入鉢韈野吽」
「おんあぼきゃべいろうしゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん」
僕も優香に追々した。
「芙生とは、どんな場所でも行いが正しければ美しい花を咲かせてくれるって教えなのよ。だから隼、正々堂々と生きて行こうね」
僕は優香の言葉が嬉しくて何度も何度も頷いた。
芙生。
その響きに僕は魅了されていた。
僕がいい加減な男だったから、優香もきっと泥沼だったに違いないだろうと考えながら……
十月十日は僕の誕生日だ。
今年は偶々土曜日にあたり、その日から三連休が始まる。
僕はその日に挙式しようと思っていた。
保育園も休みになるから優香も賛成してくれるはずだった。
それにしても出来すぎている。
何年か振りにシルバーウィークがあったり、誕生日から三連休になったり……
なんだか後が怖いと感じていた。
「優香、もしかしたら全てが運命だったのかも知れないね」
「そう、運命かもね」
優香は何故か遠い目をしていた。
お袋に子供が出来たこともあって、ニューヨークの両親とはホテルでの会食だった。
「俺は今まで通り、あのアパートに住むよ」
「叔父さん、だったら僕のマンションに来て、あのアパートは僕と優香が住むよ。だってオーナーなんでしょう?」
「あら、違うわよ。あれは私が隼のために用意した物よ。もしかしたら家賃払っていた?」
「止めてくれよ。お金なんて貰える訳がない。ただ修繕費なんか負担してもらっているだけだよ」
「あっ、だから安かったのか? あれっ、叔父さん確か宝くじが当たったんじゃなかったの?」
「いや、当たったのは当たったけどジャンボじゃなかったんだ」
「それを勘違いして、僕は叔父さんがマンションを買った物だと思っていたのか?」
「そうみたいね。だから隼は優香さんとあのマンションで住んでくれたら嬉しいわ」
「優香、それでいい?」
そっーと優香を見ると頷いてくれていた。
結夏との思い出がいっぱい詰まっているマンションだから本当はイヤなんだと思いつつ、僕は優香をバグしていた。
「そうだ隼、何時かのように濃厚のチューしてくれよ。結婚式の予行練習みたいなもんだ」
「お前は相変わらずデリカシーのない奴だ」
親父が呆れたように言った。
「相変わらず仲がいいのね。私達が結婚した日に二人は出逢ったの。お互いが一目惚れですぐに……」
「だから私が子供を授かった時、責任を感じて私が母親になるって言ってくれたのよ」
「私は、怜奈が必ず大女優になるって信じていたの。だからよ」
「解っているわよ」
お袋はそう言いながら笑っていた。
「お袋、親父聞いてくれ。僕はこのまま相澤隼でいたいんだ。今まで通りにお父さんとお母さんの子供として……」
「隼それで良いの?」
「勿論だよ。これからもずっと僕のパパとママでいてください」
僕は戸籍上の両親の前で三つ指をついた。
隼はまだ優香の企みを知らない。