アクシデント
お遍路中のアクシデントと、バイクのトラブル。
行程は甘くみてはいけなかった。
白久駅の手前を左に曲がり、三峰口駅前を目指して歩き始めた。
昨日通った道なのに覚えていない。
本当に此処で良かったのかと不安になった。
それでも法雲寺の駐車場より一時間ほど歩くと三峰口の駅舎前に着くことが出来た。
法雲寺に着いたのは納経場が開く頃だった。
だからまだ十時くらいだと思う。
実はこれから長い戦いが始まる。
法雲寺から次の観音院までの距離が一番長くて、十八キロくらいはあるようだ。
「さあ、此処からが正念場だ」
僕は自分に言い聞かせるように言った。
三峰口駅前の道を進むと橋があった。
下には荒川がゆったりと流れていた。
その先の橋を渡り、右に曲がった。
案内板を頼りに信号を渡り、次なる目的地を目指す。
でもその先の辻には巡礼道を示す札もなかった。
そんな場所を何十分も歩いていると不安になった。
「本当に此方で良いのかしら?」
遂に口に出る。
「多分……」
それしか言えない僕。
「不親切だね」
優香の言う通りだと思った。
秩父に観音霊場が置かれて今年で七百八十一年だと言う。
秩父は古くからお遍路と係わりあってきた。
だから案内板設置さえも蔑ろにされてきたのかも知れない。
きっと皆知っているものだとされているのかも知れない。
お遍路初心者のことなんか考えてもいないのだと思った。
それでも優香に不安を与えないように平気な振りをして先に進む。
二人で怯えていては辿り着けないと思っていたからだった。
道なりに進むと、薄暗いトンネルが見えて来た。
でも図書館で借りた地図のコピーにもさっき見た案内書にも何も記されていなかったのだ。
「まさか又迷子?」
「とにかく先に行ってみようよ。何か標識があるかも知れないから……。叔父が言ってたんだ『二本の道は一本だ』って」
「えっ、日本は広いよ」
「その日本じゃ……、ま、それも含まれていると思うけどね。交差点で道に迷っても必ず目的地に行けるってことのようだ。きっと親父の受け売りだと思うけどね」
「アメリカに冒険に行った隼のお父様なら言うかもね」
「だろ?」
「だから心配することはないのかな……?」
優香は急に元気になって歩みを早くした。
「そんなに張り切ると後が大変だよ。優香は明日から仕事なんだろう?」
「そうだよね。今日中に着かなくても、又別の日があるのよね」
そう言いながらも優香はまだ頑張って歩いていた。
トンネルの先は更に解り難かった。
丁字路に印しさえも存在していなかったのだ。
「バカにしているね。まるで遭難してくれって言っているみたい」
優香の言葉に頷きながらも左に折れる。
でも、幾ら歩いても案内板はなかったのだ。
もう一度案内書を見る。
でもパニクり始めた頭では、その道が何処なのか判断出来なくなっていた。
僕達は遂に歩みを止めた。
さっきの元気はもう出ては来なかった。
トンネルが示すように、山深い場所なのだと思う。
もし本当に遭難でもしたら……
そう考えたら恐くて仕方なくなったのだ。
『これから大変な行程になると思うけど、最後まで頑張ろうね』
白久駅前での優香の言葉を思い出した。
(昨日のように標識を見逃すこともあるかも知れない。だから無理はさせたくない)
僕はそう考えた。
「やっぱり引き返そう」
その途端僕は言った。
それでも、そっと優香を見る。
優香は頷いてくれていた。
僕達は元来た道を引き返した。
実は、それこそが一番勇気がいる行動だったのだ。
ふりだしに戻ることをしたくなくて誰もが無理をしてしまうからだ。
さっき左に折れた丁字路を右に曲がる。
本当にさっきの道かどうかも判らない。
だけど覚悟を決めて、優香と共に歩みを進めた。
内心ドキドキだった。
道を間違えたら全く別な場所へ飛ばされるだろう。
そう思いつつ、それでも進むしか道はなかったのだった。
それでもどうにかトンネルまでたどり着いた時はホッとした。
優香は今にも泣くき出しそうな顔をしていた。
僕達は何とか三峰口駅前までたどり着き、御花畑駅に向かった。
コインロッカーに預けた荷物を持ち、帰路に着いたのだった。
結局、結願寺まではたどり着けなかった。
隼人之霊と書かれた札をお焚き上げにしてもらうにはもう少しかかることになったのだった。
秩父札所巡礼の道はまだまだ続くのだった。
後で案内書を良く見てみると、うっすら書いてある山があった。
どうやら其処がトンネルのようだ。
本当はあそこから行けたらしい。
と言うか、僕達は正規ルートを通っていたようだ。
でも何故、標識がなかったのか?
それが不思議だった。
でもその巡礼の旅が僕達の絆を更に深めてくれたには違いなかったのだ。
「明日は午後から雨らしいけど、シルバーウイークが全部晴れて良かったわね」
優香がポツンと言った。
翌日。
全行程を把握しようと一人でバイクで秩父へ向かった。
又迷子になれば、優香が悲しむと思ったのだ。
優香の心を早く解放させてやりたかったからだ。
でも本当は僕がそれを望んでいるからだった。
水子供養とお遍路が済んだら、隼人の霊と墨書したお札を結夏の菩提寺でお焚き上げてもらってからだけど……
僕の誕生日は十月だから、その時に籍を入れようと考えていたからだった。
だから、どうしても九月中にはお遍路を済ませておきたきったのだ。
国道140号にある和銅大橋信号を右に曲がろうと、バンドルをきった。
その信号手前には、優香と降りた和銅黒谷駅前にに出る信号があった。
和銅大橋を渡り、その先を真っ直ぐに行く。
標識がその先に国道299があることを教えてくれたからだった。
ポールの立つ場所を潜り抜けて、右に曲がると椋神社に出会した。
(えっ、椋神社!?)
僕は其処が、秩父事件の舞台となった場所だと勘違いした。
(もしかしたら、此処は吉田!?)
物凄く不安になった僕は傍にいた人に近付いた。
「すいません。あれ秩父事件の椋神社ですか?」
「あっ、違うよ。あれはお田植え祭りの椋神社だよ。秩父事件の椋神社は吉田だから、あの山の向こうだよ」
「ありがとうございました」
そう言った時、栗尾行きのバスが僕の横を通り過ぎた。
「あっ、そうか。確かあの先だ」
「は?」
「いや、今のバスです。栗尾って確か札所三十番の手前でしたよね?」
「そうだけど」
「実は僕、札所三十番に行こうとしていました。色々とありがとうございました」
僕はお礼を言ってからバスの後を追い掛けようとバイクのキーを捻った。
……カタカタカタ。
でもその音はエンジン音に結び付かなかった。
(結局バッテリーじゃなかったってことか?)
僕は途方に暮れながら、取り敢えずガソリンスタンドへ向かおうとバイクを押し出した。
「すいません。この近くにガソリンスタンドはありますか?」
さっき椋神社のことを聞いた人の所までバイクを転がして尋ねてみた。
でもその人は首を振った。
「一番近いのは多分秩父かな?」
その言葉にがっかりしながらもお礼を言ってから僕はバイクを押して元来た道を戻っていた。
(何やっているんだろう僕?)
優香に黙って出てきた罰かも知れないと思った。
でもそんなことより、どうやったら家に戻れるか心配だった。
暫く行くと木陰が見えたので、休憩を取ることにした。
何時もならそれだけで又走り出してくれるからだ。
物凄く心配だった。
もしかしたら、このまま此処で……
そんな思いも交錯していた。
何だか情けなくなったけど、元気付けようと持ってきたサンドウィッチ系パンを取り出した。
(何で……? どうして僕こればかり買ってんしまうのだろう?)
一種の癖なのだろうか?
コンビニや大学の購買部へ行くと、ついこれに手が伸びるんだ。
(優香ごめんね。僕、結夏のことを忘れられないみたいだ)
余計に落ち込んで暫く其処から動けなくなった。
それでも一時間ほどしたら、何とかエンジンが掛かってくれた。
僕は一目散にバイクショップを目指すことにした。
何度かエンストして馴れていた。
一度エンジンがかかると、切らない限り動いてくれるからだった。
「又エンストしました。バッテリーではなかったようです」
「お客さんが、セルが回らないって言うからバッテリーを交換したんだけど……」
責任は僕にある的な返事だった。
「カタカタって音はしていました。だからプラグも変えてくださいって言ったのですが……」
僕も負けていられない。
だって僕は、最初からプラグ交換を依頼していたのだから……
「でも、お客さんが言ったから、こっちも判断した訳で……プラグではないと思いますが、其処まで言うのであれば解りました。プラグを交換しましょう」
店員はそう言って、裏の修理場にバイクを持って行った。
納得がいく訳がない。
第一、僕は此処でバイクを買った訳ではなかったのだ。
僕の愚痴が効いたのか、雨がとうとう降ってきた。
その自転車屋の前を通りながら、遠方の店へとバイクを走らる。
其処のシールが貼ってあるから、別の店に行く訳にいかないんだ。
僕はこの道を何時もボヤきながら走っていたのだった。
僕はその翌日も秩父へ向かった。
今度は順調だった。
(何だよ。結局プラグだったんじゃないか。僕が言った通りに換えてくれれば、こんな思いしなくても済んだのに……)
そんなこと思いつつ、雨の国道299号を進んで行く。
秩父から小鹿野へ向かう道は急なカーブの連続で、命の危険を感じた。
とてもじゃないが、優香と一緒に走れる道ではなかった。
僕はやはり考え方が甘いようだ。
もしバイクで回れたなら楽出来る。
そんなことを考えていたのだ。
幾ら歩いても着かなかったはずだ。
その道は果てしなかった。
右、下吉田の標識がある信号を幾つも越えてやっと札所三十番の案内板を見つけた。
「これじゃ迷うはずだ」
思わず独り言を呟く。
優香に怖い思いをさせてしまったから余計だった。
次に出て来た案内板を右に曲がる。
農場の休憩所のような板張りテラスを左に見て、真っ直ぐに進むと山全体が白くて赤い場所に出会した。
それは水子地蔵だった。
赤い風車が風に回っていた。
「うわっー!!」
僕は悲鳴を上げた。
右も左の斜面も、水子地蔵で埋め尽くされていたのだ。
そんな山が三つ、それ以外の山も切り開かれたていた。
「隼人……ごめん」
まともに見られなくなった僕は、隼人と同じような水子達にも謝りながらバイクのアクセルを吹かせた。
その先のトンネルを抜けて少し行くと、札所三十番観音寺の駐車場があった。
岩井堂にも匹敵する階段だった。
僕は芭蕉の句碑がある奥の院まで上ってみた。
でも、其処で気が付いた。
携帯のリアカバーが無くなっていたのだった。
納経所に寄って携帯の電池カバーを無くしたことを告げたら、もしあったらとっておいてくれると言われた。
その帰り、急カーブの上り坂を越えた時に違和感を覚えた。
それはパンクだった。
雨の中必死に転がして山道を下った。
「その先に公衆電話がありますから、其処にある電話帳に自転車屋さんが載っていると思いますが」
そう言ってくれたのは地元の尾田蒔中学校の生徒達だった。
早速電話帳に載っていた自転車屋に片っ端から電話した。
最後に残った一件。
此処が駄目ならバイクを置いて帰るしかない。
そう思っていた。
でも、その人は車で取りに来てくれて直してくれたのだった。
パンクの原因は、空気圧だった。
タイヤに空気が入っていなかったのだ。
説明を受けながら対処法を尋ねてみた。
「オイル交換とかした時に見てもらえますよ」
とその人は言った。
(オイル交換だけじゃない。バッテリーもプラグも換えた。しかも昨日、プラグ交換も依頼した。どうして何もしなかったのか?)
僕はバイクを買わされたショップに不信感を抱いていた。
「後輪だから良かったですね。もし前輪でしたら大怪我をしていたと思いますよ」
実はそのタイヤが最後の一本だったと言う横瀬町の自転車屋さん。
感謝だけでは足りない。
そう感じた。
パンクは空気厚によるものだった。
走行中に裂けたみたいです。