秩父札所巡礼へ
秩父鉄道和銅黒谷駅では、外側のドアは開きません。中よりのドアより下車および乗車してください。
幾つか線を乗り継ぎ、中よりのドアしか開かない和銅黒谷駅で降りる。
隙間がある場所もあると車内アナウンスもあった。
大施食会の後に歩いた駅だったから一瞬戸惑ったけど……
この駅前でドリンクを飲んでいた時にあの電話があったのだ。
叔父が足繁くアメリカに通っていたのは、僕の本当の父を探すためだったなんて……
僕が、両親だと信じてきたニューヨークに住む叔父の兄夫婦の子供じゃなかったなんて。
今でも信じられない。
僕は本当に叔父の兄夫婦を両親だと信じていた。
だから、あの二人の子供だなんて信じられるはずがないんだ。
何故叔父があのマネージャが隠し撮りした写真を鴨居に置いたのか……
事情を知った今なら判る。
叔父はきっと、本当の父に二人の姿を見せたかったんだ。
だから、アメリカに旅立つ前に撮った写真と抱き合わせて置いたのだろう。
叔父の優しさ。
母の辛さ。
ニューヨークに住む両親の思い。
それらが僕の頭の中で渦を巻く。
どうしょうもないほど僕の魂は揺れていた。
優香には悪いけど、抱いて遣れなかったんだよ。
優香が結夏との間に出来た胎児に名付けてくれた隼人が、本当の僕の父親の名前だったなんて……
偶然にしては上手く出来過ぎている。
だから僕はそれが運命だったと思ったんだ。
アメリカで行方不明になった恋人探しに母は出掛けた。
その拠点になったのが妹の住むカルフォルニアだったのだ。
その時母は、僕を身籠ったことに気付いたんだ。
母は、妹の不妊症を自分のせいだと思い込んでいた。
だから、要求を飲んでしまったのかも知れない。
だから、妹夫婦の子供を代理出産したと嘘の書類を提出してしまったのだ。
でも日本では流石にそんな書類を提出する訳にはいかない。
それに日本では、代理出産であろうとなかろうと、出産した人が母なのだ。
だから母は、僕を一旦自分の戸籍に入れてから養子に出すと言う形をとったんだ。
それでも自分の手元におきたかった。
だから再びアメリカに旅立つ妹夫婦を説得したのだ。
だから僕は子役として母の傍にいたんだ。
でも仕事のない日は叔父に預けられたのだ。
叔父は親友の帰りをあのオンボロアパートで待っていた。
だから撮影のなかった日だけ保育園に預けられたんだ。
叔父も急がしい人だった。
だけど全ての人達の願いを受け入れて僕を育ててくれたのだった。
結夏と肌を合わせたあの日。
僕は何も考えていなかった。
その行為で結夏が生命を宿すとも気付かず……、結夏を抱いていた。
でも僕は真剣だった。
だから結夏に言ったんだ。
『ニューヨークに行って両親の許可を貰おう』
って――。
僕達は未成年だった。
女性は十六歳から、男性は十八歳から親の承諾があれば結婚出来るんだ。
だから結夏待っていた。
ニューヨークの両親の承諾書の記載された婚姻届けを見つめながら、あの部屋で待ち続けていたんだ。
それでは二年近く何も行動を起こさなかった言い訳にもならない。
結局僕は結夏を待っていた振りをしていただけだったのかも知れない。
それでも僕は結夏と結婚するために、体育教師になろうとした。
教育実習を無難にこなし、大学を卒業すればいいと思っていたからだ。
一番てっとり早いと踏んでいたのだ。
収入の安定した公務員なら、結夏の御両親も許してくれるはずだと思ったからだ。
僕はやっぱり優柔不断な男だったかも知れない。
結夏も僕も初体験だった。
聞かなくても結夏を見ていりゃ判る。
だから尚更結夏に溺れたんだ。
一年近く、男性に後を付けられていた結夏。
何時か何かをされると怯えていた結夏。
だから、結夏は僕に抱き付いてきたんだ。
『あはははは。ねえ隼、そっちに行っていい?』
あの日見た夢がよみがえる。
ぼくはその日、優香にときめいた。
結夏が忘れられないくせに……
だから結夏にはすまないと思いながらも、優香との再会を運命だと思ってしまったのだった。
それなに、僕は優香を抱かなかった。
優香もきっと初めてなのだろう。
そう思った時、あの日の結夏が脳裏を掠めた。
その途端怖くなったんだ。
又結夏って呼んでしまいそうだったから……
『又結夏のことを話けどいい?』
言うにことかいて、そんなことを口走っていた。
優香が負担になるようなことを言っていたんだ。
和銅黒谷駅から札所一番の入口まで約一キロ半。
其処から更に一キロ半ほどの場所に札所一番はあったのだった。
約一時間弱の行程だ。
僕達はコインロッカーに荷物を預けて、一番札所へと旅立ったのだった。
身に付けたのは必要最小限の物だった。
優香はサンドイッチを入れたバックを大事そうに肩に掛けた。
『大事な物が入っているから』
僕がその荷物を持とうとしたら優香が言った。
初日で一番きついのは二番札所への坂道だと聞いていた。
だから金剛杖だけは手にしていた。
金剛杖は弘法太子の化身と言われるそうだ。
でも、結夏おばさんから借り受ける時戸惑った。
何て言うか、年寄り臭かった。
僕達はまだ二十歳になったばかりだったからだ。
でも、どうしても必要になるとごり押しされたのだ。
「誰も持っていないね」
周りを見ながら優香が言った。
駐車場の脇を通り階段の前に移動した。
其処で一礼してから山門を潜り抜け境内に入る。
その後手水場で手を洗い口をすすいでから輪袈裟と念珠で身支度を整えた。
いの一番に納経所で購入した納め札と、昨夜書いた写経を所定の箱に入れた後灯明と線香と賽銭を上げた。
胸の前にて合掌して三礼する。
「うやうやしくみ仏を礼拝してたてまつる」
本堂に向かって二人同時に言った。
「むじょうじんじんみみょうほうひゃくせんまんごうなんそうぐうがこんけんもんとくじゅうじかんげつにょらいしんげつき」
これは開経偈と言い、挨拶みたいなものだと思う。
次はいよいよ、般若心経だ。
「ぶっせつ、まかはんにゃはらみったしんぎょう」
般若波羅蜜多とは、仏様によって完成された大いなる智慧の世界の真髄を説かれたお経と言う意味だ。
「かんじんざいぼさつ。ぎょうじんはんにゃはらみったじ。しょうけんごうんかいくう。どいっさいくやく。しゃり。しきふいくう。くうふいしき。しきそくぜくう。くうそくぜしき。じゅそうぎょうしき。やくぶにょぜ。しゃり。ぜしょほうくうそう。ふしょうふめつ。ふくふじょう。ふそういげん。ぜこくうちゅうむしき。むじゅそうぎょうしき。むげんにびぜつしんい。むしきしょうこうみそくほう。むげんかい。ないしむいしきかい。むむみょう。やくむむじょうじん。ないしむろうし。やくむろうしじん。むくしゅうめつどう。むちやくむとく。いむしょとくこ。ぼだいさった。えはんにゃはらみったこ。しんむけいげ。むけいげこ。むうくふ。おんりいっさいてんどうむそう。くきょうねは。さんぜしょぶつ。えはんにゃはらみったこ。とくあのくたらさんみゃくさんぼだい。こちはんにゃはらみった。ぜだいじんしゅ。ぜだいみょうしゅ。ぜむじょうしゅ。ぜむとうどうしゅ。のうじょいっさいく。しんじつふこ。こせつはんにゃはらみったしゅ。そくせつしゅわつ。ぎゃていぎゃていはらぎゃてい。はらそうぎゃていほじそわか。はんにゃしんぎょう」
仏説摩訶般若波羅蜜多心経と書かれた半紙をを奉納するべく持参した。
僕達は時間が許す限り写経することにしたのだ。
それは長い般若心経を読み上げるだけで日が暮れてしまうような気がしたからだった。
結夏と隼人の御霊を成仏させるべく半紙を買った。
その余りを有効利用したのだ。
きっとそれなら隼人も許してくれると思ったのだった。
「おん、あろりきゃ、そわか」
これは此処、札所一番の真言だ。これを三度繰り返す。
「おんあぼきゃべいろうしゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん」
そしてあの光明真言となった。
これも三度繰り返す。
「南無大師遍照金剛」
その後で御宝号も三度唱えた。
「願わくばこの功徳を以て遍く一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん」
回向文を一度唱える。
「ありがとうございました」
と御礼をしてから、水子供養所へと向かう。
その足で、戦没者慰霊塔とその奥にある慰霊碑に向かい合掌した。
八月二十四日に訪れた、施食殿の横を通り納経所へ向かった。
僕達は鐘を突かなかった。
全てのお寺にある訳でもないし、突くこと事態を禁止しているお寺もあるようなので……
他の方々の迷惑になるような行為は出来る限りやらないでおこうと話し合ったのだ。
僕達がなぜこんなのも本気で礼拝するのか、それは結夏と隼人親子を苦しみから救うこと。そして優香は、僕の心を救うこと。
そうだと思った。
でも優香は、自分をエゴイストだと思っているようだ。
僕を独り占めにしたかっただけだと……
だから尚更優香が愛しいのだ。
次に向かう札所二番の真福寺には納経所が無くて、光明寺でやっていると聞いた。
僕は光明真言とゆかりのあるお寺なのかと思った。
あの日降りた栃谷バス停の横を通り、札所二番入り口の看板を頼りに斜めの道に入った。
道なりに進んで行くとかなり勾配のある薄暗い山道へと入った。
途中で自転車回っている人に出会った。
バテて休んでいるようだ。
「もう少しですよ」
僕がそう声を掛けた。
「本当?」
疑っている優香に向かって僕は案内板を指差した。
「あっ、本当だ」
其処には二番入り口の文字がはっきりと書かれていた。
途端に優香は足を早めた。
そのすぐ横を曲がり暫く行くと真福寺の駐車場があり、其処から階段が見えた。
その先の階段には無数の石仏が並んでいた。
無人のお寺なので、開経偈や般若心経まで唱えることにした。
早速上へと向かうと、現れたのは静寂と言うのがピッタリな本堂だった。
「おん、あろりきゃ、そわか」
これが二番の真言だ。
光明真言、御宝号回向文を唱え、御礼を言ってから境内を後にした。
「此処は最後に加わったお寺だそうだよ。一度火事に合って消滅したけど、お坊さんが必死に御本尊を守ったそうだよ。焼け残った欄間などを使って明治時代に再建されたらしい」
僕は本で得た知識をひけらかていた。
優香は僕の説明を頷きながら聞いていた。
山道を下る。
その先にある江戸小道には樹齢五百年のキンモクセイがあったそうだけど、枯れてしまい去年伐採されたそうだ。
だから敢えて遠回りをした。
その坂の下で僕達を待っていたのは滝だった。
殆ど人が気付かない隠れた名所なのだ。
其処で一休みしてから、光明寺に行き御朱印をいただいた。
山田橋を渡り三番札所へ行く。
「おん、あろりきゃ、そわか」
一番から三番まで同じ真言だと言うことに気付く。
それでも、一心に唱え続けた。
納経所の近く縁側にに子持ち石が陳列されていた。
そっと優香を見ると泣いていた。
その姿に僕も泣かされていた。
三番の案内板の横を右に折れて巡礼橋へ向かう。
その道は真っ直ぐ四番札所の金昌寺に繋がっているようだ。
「あっ、此処で杖を付いちゃ駄目」
「え、何で?」
「金剛杖は弘法太子の化身だけど、橋の下にも寝て居るそうなのよ。矛盾してるけどね」
確かにそうだと思いながら、僕は杖を持ち上げた。
比較的大きな通りに出た。
でも其処には信号どころか横断歩道さえ設置してなかった。
せっかくあれだけ立派な巡礼橋が作りながら、其処までは気が回らないようだ。
宝の持ちぐさりと言うか、仏作って魂入れず状態だと思った。
その通りは車の往来の多く、なかなか渡るタイミングが掴めない。
やっと左から来る車がなくなった。
そう思った矢先、右から来た。
特に左側は少しカーブしているようで、突然車が目の前に来る状態だった。
「此処、絶対に歩行者専用信号が必要ね」
堪りかねて優香が言った。
やっと渡った道の先に小さな休憩所があった。
個人がお遍路達をもてなす場所を提供しているようだ。
僕達は其処で食事を取らせてもらうことにした。
優香のサンドイッチは保冷剤に包まれていた。
札所二番は最後に札所三十四番の仲間入りしたお寺です。
江戸小道にあった樹齢五百年以上のキンモクセイは枯れて伐採されました。
江戸小道に入らず真っ直ぐに下りた場所に、小さな滝があります。
そちらもお薦めです。