僕の父
隼の父が生きている!?
それが代理母騒動の発端だった。
(全く……良いムードだったのに)
それでも平然としなければいけないと思っていたのだ。
叔父は咄嗟に離れた二人を見て、目を白黒させていた。
「あれっ、優香ちゃん、どうして此処にいるの?」
「あ、いえ、そのう」
シドロモドロの優香が可愛い。
「何でもないよ。それよりさっきのは何?」
そう言いながらもさっきの叔父の言葉を考えた。
叔父は確かに父親が見つかったと言った……
「叔父さんヤだな。親父はニューヨークだろう?」
僕は余裕をかました。
内心はドキドキ状態だったんだけど。
「ところで今キスしていなかったか?」
でも叔父は僕の質問には答えてくれなかった。
(ヤバい……見られてた。当たり前か、いきなり入って来るんだもん。心臓が止まるかと思ったよ)
でも本当は誤魔化したかったんだ。
幾ら何でも叔父に優香とのキスを目撃されるとは思わなかったんだ。
それもよりによって、叔父のアパートで……
「うん、してた」
でも優香は言った。
(これって恋人宣言と一緒じゃないかな?)
僕はそんなことばかりを考えていた。
「そう言えば優香ちゃん、隼のこと大好きだったからね」
「えっ、そうなの?」
本当は知ってるくせに優香に質問した。
「もう、意地悪」
優香は怒って口を尖んがらがせた。
「隼今だ。ほれ、もう一度チューだ」
いきなり僕の体を押した叔父。
勢い余って、僕は優香とくっついた。
「叔父さん、こんなことさせるために来たんじゃないでしょう?」
僕の言葉を受けて叔父は改めてかしこまった。
「隼。お前の本当の父親は俺の親友だったんだ」
話が見えない。
なんで僕が見も知らない人の子供なんだ?
「あっ、そう言えばパパが言ってた。このアパートに暮らしていた恋人達のことを……」
「優香ちゃんのパパは隼人達のこと知っていたからな」
「えっ、今何て言ったの? 確か隼人って言わなかった?」
「ああ、言ったよ。隼の名前は隼人から取ったんだよ」
「そんな……」
僕は僕の親父の名前とは知らずに結夏との間にもうけた子供に付けてしまっていたのだった。
平成五年流行語に清貧の思想。
ってのがある。
暮らし向きは質素でも、志は大きく。
そんなことみたいだ。
父はそれを貫いていたそうだ。
叔父と一緒に生活していたこのオンボロアパートの借り主は父だったのだ。
優香が写真を見つけたのは父の部屋だったのだ。
それはあのマネジャーから叔父がネガ毎買い取ったものだった。
そしてそれは父の写真と一緒に鴨居に隠されていたのだ。
お前の子供は無事に育っている。
きっと叔父はそんな意味も込めたかったのだろう。
それでもあの写真は流出した。
それが僕が大女優の息子だと噂された元になってしまったのだった。
それでも僕は嬉しかった。
あの人の傍で仕事が出来ることが嬉しくて堪らなかったんだ。
ニューヨークの母を本当の母だと信じていた。
でも本音は本当にあの女優の子供なら嬉しいと思っていたのだった。
だから何時も傍から離れようとしなかったんだ。
もしかしたら、僕がその噂の出所かも知れない。
何時もそう思っていた。
だからこそ、あの人に迷惑を掛けてはいけないと思い込んでいたのだった。
芸能界を辞めたのも、ソフトテニスを封印したのも、全て其処から来ているのだ。
マネージャーは僕を追い払いたかったんだ。
だから僕に辛くあたったのかも知れない。
僕の両親はあの部屋で結ばれたのだ。
でもその両親が誰なのかは知らない。
一人は……
きっと叔父の親友。
手作りしたキャンピングカーでアメリカ横断に出掛けた人。
そしてその人はそのまま行方不明になった。
じゃあ母は?
何処でどう、あの女優と結び付くんだ。
何で代理母なんてことになったんだ。
一体僕の母親は何処のどいつなんだろうか?
「あっ、優香ちゃんも来る?」
「えっ、何処へだよ」
「勿論隼の親父が入っている病院だよ」
「えっ、病院!? 何処か悪いのですか?」
「いや、念のための入院だよ。ヤツはアメリカで記憶喪失になっていたんだ」
「記憶喪失!?」
僕達はあまりに驚いて、同時に発言していた。
「どうする優香ちゃん。お父さんにはキチッと許可してもらうから……」
「だったら行きます。一緒に連れて行ってください」
優香は頭を下げた。
「あっ、それだったらバイクで来れば良かったな」
「ま、いいじゃないか。たまには三人で歩こう」
叔父は僕達が開けた窓を全部閉めてから、僕から受け取った鍵で施錠した。
「あれっ、確かオーナーですよね?」
病室のドアを開けて驚いた。
其処には、ソフトテニスのインストラクターをしていた時にレイクサイドセンターで会ったテニスコートの経営者らしき人物がいたからだ。
「相澤隼君。君はやっぱり私の孫だったんだね」
又又、話が見えない。
どうして僕がオーナーの孫なんだろうか?
ニューヨークにいる両親の身内にはこんな人はいないはずだ。
僕は何が何だか解らず戸惑っていた。
その時、あの人が入って来た。
「あっ、隼。隼も来ていたの?」
あの人は平然と僕の名前を呼んだ。
「隼って何? ねえ教えて、僕は一体誰の子供なの? ニューヨークにいる両親は僕の何?」
判らないことが多過ぎて理解出来ない。
僕は……
ただ、噂の女優を見つめていた。
「隼はね。私と隼人さんの間に出来た子供よ。でもそれが判った時、隼人さんはアメリカで行方不明になったの」
僕の体をそっと抱いてくれた時、子供の頃から感じていた母の温もりがした。
だから……
僕はこの人が大好きだったんだ。
だから僕はその思いを無理矢理封印していたのだ。
「隼のアメリカでの戸籍上の両親は兄夫婦だよ。代理母ってことにしたからね。でも、日本では認められてないから……」
「だから、私の子供になってるの。本当は代理母なんてことにするのはいやだった。でも妹は子供が産めないのよ。だから、どうしてもって頼まれたの」
「アメリカの戸籍だけでも良いって兄は言っていたよ。自分達には日本に子供がいるって思うだけで……それだけで……って」
「妹は本当は私から隼を取り上げる気はなかったの。私の……芸能活動に支障をきたすことも考えてくれたのよ」
(だから僕は日本に残されたのか?)
それはニューヨークにいる両親の優しさだと感じていた。
僕はベッドで横たわっている本当の父の顔を見つめていた。
「さっき寝たところだよ。真二君から息子が生きていたと電話をもらった時は本当に驚いた。まさか記憶喪失になっていたとは……」
「一年くらい前だったかな? こいつが乗っていたキャンピングカーが見つかったって連絡が入ったんだ。すぐに行って確かめたよ」
「その中に居たの?」
「ううん、誰も居なったんだって。だから俺は時々アメリカに行ってこいつの行方を捜していたんだよ」
「事故か何かな?」
僕は何気に発言していた。
「キャンピングカーが隠されていたことからみると、強盗かも知れないって言ってたね。風来坊がやって来て住み着いた。そんな感じだったらしいよ」
「西部劇みたいだね」
何気に僕は言った。
「其処はそんな場所だったようだ。だから誰も気にしなかったみたいだね」
「パスポートとかなかったのかな?」
普通だったら日本の大使館とかに連絡が入るものだと僕は思ったんだ。
「行き倒れで見つかった時は所持していなかったそうなの。だから私にも何の連絡もなくて……」
「真二君はやっと息子を見つけたそうだ。でも、息子は真二君を覚えていなかったそうだ。詳しく調べてみたら……その後で記憶喪失だと判ったらしい」
「だから……連絡がつかなかったの。私も必死に探したのよ。そんな時、カルフォルニアにいる妹に会いに行ったの」
きっと母はずっとアメリカで捜し続けていたのだろう。
そのうちに妊娠しているの気付いたのかも知れない。
アメリカでの代理出産をする場合は、アメリカ永住権の他に煙草を吸わないなどの条件があるそうだ。
二十一歳から三十七歳までの健康で経済的に安定している人。
そして一人以上な出産経験がある人が代理母となれるそうだ。
母にはそんな資格はないけど、その頃カルフォルニアに居た両親は届けを出したのだった。
たちの悪い週刊誌やタブロイド誌によると、僕は日本人として存在していないそうだ。
アメリカ産まれだからじゃない。
確かにアメリカで産まれた赤ちゃんの国籍はアメリカになるようだ。
でも日本人の夫婦から産まれた赤ちゃんは日本人国籍も取得出来るのだそうだ。
だから僕は一応日本人となっているそうだ。
僕の両親は、カルフォルニアに仕事で勤務していたのだ。
その地域では、一年以上子供に恵まれない夫婦には体外授精による代理母が認めてられているそうだ。
でも日本では、あくまでも出産した人が母親とされているのだ。
だから両親は偽りの出産届けを提出したのだと報じられたのだ。
その母親がある大物女優さんの妹だったから、代理母は嘘で本当はその女優が産んだ子供だと言われていたのだった。
あの授乳写真はそれを裏付ける証拠だったのだ。
叔父が多額の現金で買い取ったはずの写真……
それでも流出してしまったのだった。
でも、それがあったから僕はこの人を母親だと信じていたのだ。
周りの人には単なる噂だと釈明しながらも。
それでも僕はニューヨークにいるのが本当の母だと思っていた。
お袋には悪いけど、その思いを今更変えられないんだ。
「退院したらあのアパートに連れて行くよ。彼処がコイツの原点だからな」
叔父はそう言った。
僕は父の顔を見て母の言葉を思い出していた。
『そんな、あの人と同じ顔して私を見ないで』
何時だったかは覚えていない。
きっと僕は甘えて抱っこでもしてもらいたかったのだろう。
僕は寂しがりやだったんだ。だから母が傍にいる時くらいは甘えたかったんだ。
何故母が言ったのか今やっと解った。
僕の隣で眠っている男性が、僕そっくりだったからだ。
目を瞑っていても判る。
やはり僕は本当にこの男性の子供なのだろうと。
きっと父もあのアパートで母に甘えたのだろう。
ラブラブな一時を過ごしていたのではないのだろうか。
「叔父さん。父は僕と同じ大学だと聞いたけど、学科は何だったんですか?」
「隼と同じスポーツ科学科だよ。御父さんの仕事を継ぐためだよ。でも本当の夢は体育の先生だったんだ」
僕はハッとした。
そして、あの日の言葉が脳裏によみがえっていた。
「オーナー、僕は本当は迷っています。進路指導の先生は『私はまだ諦めきれないよ。君のような人こそ将来を背負う若者に教えるべきだと思うんだが』と言ってくれています。僕は本当は学校の体育教師になるために保健体育教員コースに進んだのです」
「だったらやればいい」
オーナーそう言った。
「本当は体育の先生になるための準備は就活と一緒にしていました。せっかく保健体育学科を受講しているに勿体無いとは思っていました」
「そうか……親子だからかな。隼は気付かない内にこいつの意志を受け継いだの知れないな」
違う。僕は結夏との結婚を考えて、学校の体育の先生になろうとしていただけだったのだ。
全ては愛する結夏と暮らすための決断だったのだ。
僕は何てずる賢い男なんだろう。
一番てっとり早く結婚の承諾をもらえる方法として体育の先生を選んだだけだったのだ。
二十歳になる前に結夏と一緒に暮らしたくて、御両親を説得する一つの方法として考えただけだったのだ。
ニューヨークの両親の承諾をもらわなくても、秋には互いに二十歳を越える二人。
だから僕は安易に進路を決めたんだ。
そんないい加減なヤツがせっかく雇ってくれた人達を裏切っても良いのだろうか?
僕の悩みは又始まっていた。
スポーツショップの経営者は隼の祖父だった。