水子供養
女子高生相手のソフトテニスのコーチ代理の仕事は大変だった。
優香には嘘は付けないから、女子高校生を相手にインストラクターのアルバイトをしていることを正直に告げた。
「てな訳で、八月三日までは拘束されることになったんだ」
『いいわねー。若いピチピチギャル付きで。鼻の下長く伸ばし過ぎて、羽目を外さないでよね』
僕の発言を鸚鵡返して、釘を刺す優香。
(なんて可愛いヤツなんだ)
僕は優香にメロメロだった。
「解っているよ。僕が愛しているのは君だけだよ優香」
携帯電話を口元に寄せ、「チュッ」と軽い音をさせる。
「わぁ、コーチ代理の恋人ですか!?」
いきなり声がして振り反ると、生徒達が洗い髪をタオルで拭いていた。
(挑発に乗ったら駄目だ。コイツ等は僕をからかっているだけだ)
湯上がりの、そのはつらつとしたボディラインに戸惑いながら頭を振った。
「コーチ代理の恋人さーん。今すぐ来ないと私達が奪ってしまいますよ」
彼女達は一斉に叫んでいた。
「冗談にもほどがある。僕と優香の絆はそんなもんじゃ壊れない!!」
僕は遂にキレた。
その挙げ句……
よせば良いに、通話状態にしたままで優香に恋人宣言をしてしまっていた。
「へー、彼女ゆうかさんって言うんだ。ゆうかさーん。聞いてますか? 彼氏は貴女以外興味はないそうです。安心しておやすみくださーい」
やはり冗談だったと思いながらも……
インストラクターの仕事も大変なことを認識した。
(事務で正解だったかな?)
何だか結局は良い仕事を選んだのかも知れないと思い始めていた僕だった。
「ごめんね優香」
生徒達が引き上げた後、優香に謝った。
『やっぱ女子高校生ね。隼もしかしたら遣られぱなしなんじゃない?』
「当たり」
『でも隼。そんなこと報告するためにくれた電話じゃないわよね?』
やはり彼女は鋭い。
僕の全てを声だけで判断してしまうようだ。
「実は結夏のお盆のことなんだ」
『そうね。もうそんな時期ね。その頃は早番だから夕方には行けるよ。それとも一人で行きたい?』
優香はそう言ってくれた。
「えっ、早番って、夏休みじゃなかったっけ?」
『今は違うのよ。だから大変なの』
僕はその後で優香の愚痴をたっぷり聞く羽目になってしまっていた。
アルバイト明けに、お盆のことで結夏の母親に相談に行った。
「相澤君。貴方の気持ちは嬉しいけど、結夏のことは忘れて。それが一番良いと思うのよ。貴方にはまだ未来があるわけだし……。それに結夏と流れた子供は永代供養してもらっているから大丈夫よ」
「それでも……、僕にも二人の供養をさせてほしいんです」
「そう言えば秩父を遍路していた時に聞いた話だけど。振り出しの一番では、水子供養もしているとか……」
「すいません。詳しく聞かせてください」
「確か八月二十四日に大施食供養会って言うのがあるそうよ。あっそうだ。確かパンフレットもらって来たんだったわ」
おばさんの出して来たパンフレットには、【秩父霊場第一番の大施食會(四萬部のお施餓鬼)八月二十四日】と記されていた。
僕はそのパンフレットを隅々まで目を通した。
「午前十一時と午後二時に水子施食会法要ってありますね」
「去年行って時は凄かったわよ。午年御開帳と日曜日だったからね。ほら、前に施食殿の写真が掲載されているでしょう。彼処で五十人もの僧侶が御題目を唱えながら回るのよ。荘厳だったわ」
僕はおばさんの話を聞きながら其処へ行くことを決めていた。
「隼君。もしその気があるのだったら、迎え火を炊く時に来てくれる?」
「迎え火ですか?」
「八月十三日の夕刻になるわ。その時は家族だけだから……」
おばさんのその言葉には僕への思い遣りが溢れていた。
「ありがとうございます。必ず来ます」
僕は頭を下げた。
その時、散華を貼った観音様が微笑んだ気がした。
「何時か僕も回ってみたいです」
「あっ、それだったらその一番に全部揃っているわよ。私達も其処で準備してから回ったの。もしイヤでなかったら、それを着てくれたなら嬉しいわ」
おばさんそう言いながら白い衣装を二組出して来た。
「貸してもらっても良いですか? 出来れば二つ」
「隼君、もしかしたら好きな人が出来たの?」
おばさんの言葉にハッとしながらも頷いた。
「だったら行かない方がいいんじゃない?」
「その娘には結夏のことで心配をかけました。出来れば二人で回ってみたいと思っています。エゴだと思っていますが」
「だったらその娘も連れて来て……。あ、それもエゴね」
おばさんはそう言いながら微笑んだ。
僕はあの日見た観音様の散華を貼った台紙のことを優香に話したんだ。
そしたら、二人で回ってみようってことになったんだ。
昔。僕が保育園に通っていた頃には夏休みってのがあって、それはお盆休みと重なっていたんだ。
だからその時にでも回ろうとしたのだけど、優香の話では今はないそうだ。
それどころか夏休みに入った幼稚園児まで預かることになって、てんてこ舞いなのだそうだ。
時代が求める保育園へと変貌しているようだ。
だから、僕は彼女と一緒に結夏を迎えたいと思っていた。
(結夏、帰っておいで)
迎え火を炊きながら名前を呼んだ。でも僕は流れた子供の名前を知らない。おばさんに聞く訳にもいかなかった。
「でもまさか隼君のお相手が優香さんだったとは」
おばさんは笑っていた。
「同じ……ゆ、う、かでしょ。最初は結夏さんの名前を私と間違えて……今では判りますが、大変でした」
「ごめん」
「彼って嘘が下手だからバレバレなんです。だからそんなにも愛されていた結夏さんが羨ましいです」
「駄目よ。駄目、駄目。隼君は早く結夏のことは忘れてあげてね」
「はい。そのためにも来月秩父の札所を回ってみます。でもおばさん。あの駄目はもう流行らないです」
「あら、そうなの? 私聞いたのが最近だから」
おばさんはその場の雰囲気を盛り上げようとしているのだと思った。
「ありがとうございます。大切に着させていただきます」
僕達は二人分の白装束を受け取ってからバイクに跨がった。
「このバイクにも結夏との思い出が沢山あります。でも僕達はその全てを大切にして行きます。本当に僕はエゴだと思います。でも彼女も、それでいいって言ってくれてますから……」
「本当は結夏さんに物凄く嫉妬しているんです。でも、それは私が彼を愛しているって証拠ですから……」
「二人共、良い人ね。幸せになってね」
おばさんはそう言いながら泣いていた。
「おばさん。こんなこと言えないと解っていますが、結夏の分まで優香を大切にしたいのです。どうか……僕を許してください」
僕の言葉におばさんは何度も何度も頷いてくれた。
僕はその後で結夏との思い出の場所へ向かった。それはあのカーテンを買った店だった。
「辞めよう此処は」
優香はそう言ったままで俯いた。
見ると泣いているように思えた。
「あのカーテンには結夏さんとの思い出が詰まっているのでしょ? だったら大切にしましょうよ」
「優香……君って人は」
僕は優香抱き締めた。そしてこれでもかって言うほどキスをした。
僕の唇で優香の愛が優しく溶けていった。
僕達は結局、マンションへ向かった。
愛し合うためではない。
妊娠させてしまった結夏のこともある。
だから僕達は結婚するまで触れ合わないと決めたのだ。
テーブルには隣のスーパーで買ってきたお惣菜が並んだ。
でもその一つ一つに優香の思い遣りが込められていた。
キッチンペーパーを敷いて唐揚げをレンジに掛ければ油分が落ちる。
それにカイワレ大根を乗せてレモンを搾れば栄養バランスも良くなる。
優香の料理には、僕の健康を気遣う工夫に溢れていた。
キッチンを片付けてから優香はテーブルに一枚の紙を置いた。
「何これ? 何が書いてあるのか解らないよ」
「これは光明真言よ。上に書いてあるカタカナ読みみて」
「ん? オンアボキャ、ベイロシャノウ、マカボダラマニハントマ、ジンバラハラバリタ、ヤウン? 意味が解らないよ」
「阿謨伽尾盧左曩摩訶母捺鉢納入鉢韈野吽」
これは所謂密教のご真言で、正式名称は不空灌頂光真言と言うそうだ。
十悪五逆四重緒罪によって地獄餓鬼修羅の道にに落とされ生まれ変わった死者に対して光明を及ぼして緒罪を除くようだ。
「これで何が出来るの?」
「私どうしても、結夏さんと流れた隼の子供を救ってあげたかったの」
「これを唱えれば救われるの?」
「本当に救われるのは私なのかも知れないけど」
優香のその言葉には人間のエゴが含まれているように思われた。
それは僕にも当てはまることでもあった。
優香は僕の心を救ってやりたいと思っていたのだ。
「優香、ありがとう」
僕は優香を抱き締めた。
「ごめんなさい。まだ続きがあるの」
優香は僕の体をそっと外した。
「この真言だけじゃダメってこと?」
優香は頷いた。
「こっちの地蔵菩薩真言が大事なの」
「オンカカカビサンマエイソワカ?」
「口奄訶訶訶尾娑摩曳娑婆訶
胎児と言えど人なのだと優香は言った。
だから供養してあげたいそうだ。
たとえそれによって祟られようと構わない。
それには優香の深い慈愛に満ちていた。
僕は思わず目頭を押さえた。
「三途の川って聞いたことがあるでしょう? そこにあるのが賽の川原って言うの」
「賽の川原……」
「ねえ隼、賽の河原って知ってる? 群馬の草津にもあってね。でも、其処では確か西って書くらしいわ」
「名前だけなら……」
「私も良く知らないんだけどね。亡くなった子供達が賽の河原で親を思いながら石を積むと、鬼が出て来て壊すんだって。その子供達を守っているのが地蔵菩薩なんだって」
「だから地蔵菩薩真言なのか?」
「そうよ。その真言が賽の川原から子供達を救い出してくれるそうよ」
賽の河原……
死んだ子供が行くと言われる冥途の三途の川のほとりにあるとされる。
父母の供養のために小石を積み上げて塔を作ろうとすると、たえず鬼に崩される。
無駄な努力とも解釈されるが、それでも子供は小石を積む。
地蔵菩薩はそんな子供を守るために存在しているのだった。
だから辻々で、子供達を見守っているそうだ。
だから僕はその真言を一心不乱我が子に捧げた。
その姿に優香は泣いていた。
「さっきの光明真言と地蔵菩薩真言を組み合わせることで水子の霊も救われるのだって。これを用意してから真言するの」
蝋燭、線香、炊いたお米、水、髪の毛一本、段ボール、半紙、墨と硯、筆。
まず胎児の名前を決める。
胎児だって人だから、隼の下に付けて隼人にした。
本当は男女どちらでも通じる名前がいいそうだ。
でも隼の子供なのだから隼人しかないと優香は言った。
半紙に名前を書き、段ボールの間に髪の毛を挟みご飯を糊にしてくっつける。
僕達は八月十五日の土曜日から九月の十九日の土曜日までの三十六日間、毎日朝早くから光明真言と地蔵菩薩真言を唱えることにした。
そして最後の日にその名前が記された半紙を胸に仕舞うつもりだ。
その前日の夜は優香は僕の部屋に泊まってもらう。
それは翌日から行く、秩父札所巡礼の準備のためだった。
帰って来てから菩提寺に行ってお焚き上げをしてもらうことにするつもりだったのだ。
優香は水子供養の方法として、光明真言と地蔵菩薩真言を教えてくれた。