結夏を傷付けた者
就職が決まりそうです。
数日後。
僕はスポーツ用品販売店の前にいた。
『必ず行きます』
そう言った手前、行かない訳にはいかなかったのだ。
「あれっ、此処って?」
其処は中学でテニスを始めた時に叔父に連れて来られた店だった。
僕はソフトテニス部に所属していた。
ダブルスで組んだ相方のお陰でかなり良い成績を残したんだ。
でも、高校では無いので仕方なく硬式テニス部に入っていたのだった。
そう言ってしまえば格好は付く。
でも、ソフトテニスを辞めた理由はそれだけではない。
それは、タブロイド誌のソフトテニスの王子様騒動だったのだ。
僕は子役の時に冷凍ハンバーグのコマーシャルに出演した。
その時の演出が頭に冠を着けた王子様役だったのだ。
だから、それをパロディー化したのだ。
【芸能界から突然姿を消したあの大女優の息子。ソフトテニスの王子様として復活】
って……
あの頃と変わりなく、店内には多くの商品が並んでいた。
「あのー、此方の事務の面接に来た者ですが……」
お客が来たと勘違いして出てきた店員に向かって言った。
「あ、はい聞いてます。此方へどうぞ」
少しがっかりしたのか、店員は心なしか寂しそうに映った。
店の奥に僕を案内してくれる時、チラチラと見た態度が気になる。
(僕のことを思い出せないんだなー。昔子役をしていた相澤隼だって言おうかな?)
自意識過剰かなと思ったけど、何時もこのパターンが多かったのだ。
奥のスペースには面接会場が作られていた。
と、言っても普通のテーブルに椅子が置いてあっただけだけど。
「相澤隼君ね。君、何処かで会ったことある?」
「えっ、相澤隼!? 店長。ほら、子役だった相澤隼君よ。やっと思い出したわ」
「あぁ、あの相澤隼君ね。あれ、でも何か違う気がするな」
店長は首を傾げた。
「………………」
店員が店長に向かって何かを言っていた。
悪いと思いながらも僕は聞き耳を立てた。
「店長、絶対に彼を雇うべきです。ほら、あれですよ。あの人は今? 何て番組に出たら、この店もっと有名になりますよ」
店員はそう言っていた。
「ようし、採用決定」
「へ?」
あまりに驚き、僕は震え出した。
(ヤだよ。そんな理由で雇われるなんて最悪だよ)
たとえそれが有名税だったとしても、あまりにも酷い……
僕は泣き出したくなっていた。
「あれっ君、スポーツ全般だけじゃなくてテニスのインストラクターの資格もあるの? だったら手伝ってくれる? うちはスポーツクラブも経営しているんだ。この仕事に馴れるためのアルバイトみたいなもんかな?」
店長はそう言い出した。
僕は仕方なく頷いた。
スポーツクラブのインストラクターはやってみたかった。
だから僕はハローワークに行ったのだ。
でももしテニスのインストラクターだったらなお嬉しいのだけど……
早速大学へ行き、何時も心配してくれていた進路相談員の先生にどうにか内定を貰ったことを伝えた。
最悪な結果だけど仕方ない。
いや、仕方ないでは済ませたくない。
これで一生が決まるかも知れないんだから……
でも、インストラクターの仕事には魅力を感じていた。
「実は、其処の系列のスポーツクラブでインストラクターのアルバイトをすることになりそうです」
「ああ、彼処はこの辺では一番の大手だからな」
「先生知っているのですか?」
「何言ってるんだ。君もお世話になっただろう。ほら、テニスコートを改装した時使用させて貰った所だよ」
「えっ!?」
僕は言葉を失った。
そのテニスコートは市内で一番大きくて、インストラクターの指導も親切だったのだ。
本当は僕は彼処で働きたかったのだ。
まだ其処かどうかは判らないけど、何だかソワソワしてきていた。
「それにしてもハローワークとは……」
「すいません。実は其処へ行く前日、先生が一押しした事業所から不採用通知が届き落ち込んでいまして……」
「又ダメだったか……」
「はい。何が悪いのか判りませんが」
「君のような真面目な生徒こそ、雇うべきだと思うけどね」
そんなこと言われたらお世辞でも嬉しい。
僕は少し有頂天になっていた。
「私はまだ諦めきれないよ。君のような人こそ将来を背負う若者に教えるべきだと思うんだが」
「体育の先生ですか? せっかくスポーツ科学科を専攻しているに勿体無いとは思いますが……」
そう……
結夏との結婚を考えて、僕は学校の体育の先生になろうとしていたのだった。
優柔不断な男の決断だったのだ。
その意欲は結夏の死を知った時点で消滅していた。
就活をしながら、教育実習もこなすにはこなしていたのだが……
「実は準備は整っているにはいるのですが……」
「だったらまだ諦めることはないだろう?」
「それはそうなんですが、やっといただいた内定を無にする訳にもいかなくて……」
「そりゃそうだな。ま、しっかり頑張ってくれよ」
恩師はそう言ってくれた。
スポーツ科学科は体育の先生になるための登竜門的な学科だった。
短大では二種。
四年制大学では一種の資格が得られるのだ。
僕は本当は中学の体育の先生になりたかったのだ。
結夏と結婚するためだけではなかった。
僕はやっぱりソフトテニスが大好きだったんだ。
「君は本当はソフトテニスも遣りたいんだろう。この学校では交互にコートを使用しているから、両方出来たのではないのかな?」
気を遣ってくれたのか恩師はそんなことを言ってくれていた。
そんな時ニュースが入ってきた。
どうやら結夏のストーカーだった男が逮捕されたようだ。
でも聞いて驚いた。
まさかよりによって孔明のとこの兄貴だったなんて……
結夏の命を奪った犯人が……
結夏をボロボロにして流産に追い込んだ男が……
結夏の幼馴染みだったんだ。
そう言えばこの頃良い噂を聞かない。
不良少年達を束ねるリーダーだとか。その少年達を使って万引きさせていたとか……
僕は孔明の兄貴を知っていたから、信じられる訳がなかったのだ。
真面目な人だった。
僕にも優しく接してしてくれた。
僕が公園で仲間に入りそびれていたら手招きして砂場に導いてくれた。
僕達がの親友になるきっかけを作ってくれた人だったんだ。
でもそんなこと言っている場合ではない。
何故だよ。
結夏がアンタに何をした?
あんなにひどい目によくも合わせられたな。
結夏はアンタの家の真ん前だろう?
良く二年もの間、すまして居られたもんだ。
孔明が結夏を愛している事実も知っていたらしいんだ。
結夏がストーカーされていたことも知っていたらしいんだ。
(えっ!? それじゃ、ストーカーは別に居たってことか?)
僕は何が何だか判らなくなっていた。
何もかも計画的だったのか?
だったら何故だ?
スキンまで用意して、誰だか判らないようにして襲ったなんて。
結夏が哀れになった。
元々結夏はストーカーに付け狙われていた。
でも太鼓橋で実際に襲われたのが、自分の家の目と鼻の先のいた同級生の兄貴だったなんて……
僕に会いに結夏のストーカーが訪ねてきた。
驚いたことにソイツの陰に隠れて孔明もいたんだ。
孔明は確かに僕の親友だ。でも今は一番会いたくない存在だったのだ。
(よくもまあいけシャアシャアと)
僕は自分の心をコントロール出来ずに孔明を睨み付けていた。
気まずい雰囲気だった。
でも追い返す訳にも行かないから取り合えず中に入ってもらった。
孔明はそれを承知で来たのかも知れない。
(お前の魂胆は解っている。僕が隠れるように暮らしているから、争わないと思っているんだろ)
孔明は僕が大女優の息子だとからかって遊んでいる。そのことで僕がどんなに傷付くかなんて考えもしないで……
孔明は慰めているつもりなのかも知れないけど、それが負担だったんだ。
「僕は帰宅時、結夏さんを会社近くで見つけて後を付けてしまいました。まさか一緒の駅で降りるなんて夢にも思いませんでした。だからずっと一緒に帰れたらなんて思い、結夏さんが退社する時間を待つようになったのです」
先に言い出したのはストーカーだった。
「どの位の間?」
「一年位かな? 僕の会社残業がほとんど無いんです。だからつい……」
「待ち伏せか?」
僕の質問に頷いたストーカー。
それほど悪いヤツには見えなかった。
好きになった人を追い掛けてみたら同じ駅を利用していた。
ただそれだけだったようだ。
「兄貴は万引き犯のレッテルを貼られて苦しんでいたんだ」
遂に孔明も話し出した。
「レッテルって、もしかしたら万引きをしていないってことか!?」
孔明は悔しそうに、唇を噛み締めた。
「コンビニ側が目を着けていた中学生の不良グループがいたんだ。偶々捕まった時に兄貴が傍に居た。それだけだった。僕はその時トイレに行っていて、出てきたら兄貴が捕まっていたんだ」
「それが何故、ソイツ等のリーダーってことになるんだ?」
「知っていたのか?」
孔明の問いに頷いた。
「流石に不良グループって言われいるだけのことはあるよ。ソイツ等は兄貴の持っていた袋の中に商品を入れていたんだ。そしてソイツ等は兄貴をリーダーだって言ったんだ」
「それが結夏にどう結び付くんだ!?」
僕は思わず声を荒げていた。
「結夏に嫌われたと思ったらしい。実は兄貴も結夏を好きだったらしいんだ。だから耐えられなくなったようだ」
「まさか、その腹いせにか? そんなことで結夏は狙われたのか!?」
「僕が悪いんです。僕さえ後を付けなかったら」
「でも兄貴は結夏を犯してはいないそうなんだ。出任せだと思うけど」
「でもスキンが……」
「そうなんだ。確かに兄貴は、ストーカーの仕業に見せ掛けようとしていたんだ。だからスキンも用意していたと思うんだ。でも、太鼓橋の隙間から落ちた結夏を助けに行こうとした時、階段で……」
「その場でマスターベーションか? 結夏が苦しんでいるに良く遣れるよね」
僕はそう言った後で考えた。
だったら結夏の体内に残っていた体液の持ち主は誰かと言うことを……
それは僕のだった。
それしか思い付かなかった。
あの日僕は結夏と肌を重ねた。
出来上がったばかりの遮光性のカーテンを閉めて思いっきり結夏と愛し合ったんだ。
結局、結夏を傷付けたのは自分なのかも知れない。
『お天道様が見ている』
結夏は何時も言っていた。
だから、弾けたんだ。
スーパーから見える東側の窓に掛かる遮光性のカーテン。
それでやっと隠せた産まれたまんまの結夏のキレイな身体。
その全てで僕を愛してくれたんだ。
もしかしたら、結夏が気にしていたのはお天道様だけではなかったのだろう。
きっと、その窓の下で見ているかも知れない誰かさんからも隠したのかったのだ。
(でもコイツ、そんなには悪いヤツに見えないけどな)
でもそれは男の直感。
結夏から見たら恐怖だったに違いない。
ストーカーを見ながらそう思った。
でもそんな事実を話せる訳がない。
僕は卑怯にも知らんぷりを決めることにしたのだった。
幸いなことに僕は事情徴収をされてはいない。
黙ってさえいれば体液の持ち主が僕だと気付かれることはないだろう。
僕はたかを括っていた。
もっと苦しめば良いと思っていた。
結夏を死に追いやっておきながら、その事実を二年も隠していた孔明の兄貴を許せるはずなどなかったのだった。
その二年。
何も行動を起こさなかった僕の罪は棚上げにした。
本当は詫びなければならないのは僕だったのだ。
(結夏ごめんな。僕はどうやら責任を転換する癖があるようだ。本当に悪いのは他でもない、この僕なのに……)
それでも僕は、目の前で盛んに謝るストーカーに全ての罪を押し付けようとしていた。
結夏の居なくなった傷みを軽減させるかのように……
孔明の兄は何故結夏を助けなかったのだろうか?