不意打ち
私が長瀬先輩を苦手として逃げ回っているのにはそれなりに理由がある。
あれは衣替えが終わったばかりの六月のこと。
一日の授業が全て終わった後、掃除当番だった私は校舎裏までごみ捨てに行っていた。早くもグランドで走り回っている陸上部やサッカー部を横目にしながら、私も部活に行かないとなあとぼんやり考えていた。
この頃は、まだ打ち解けられていない唯一の新入部員、川田くんとどうしたら仲良くなれるのかというのが目下の悩みの種だった。
普段あまり男子と話すことがない上に川田くんは年下なので、余計にどう接したらいいのかわからない。加えて去年は文芸部の先輩が引退してから真面目に部活をしていなかったので、部活の時間に何をしたらいいのか、先輩としてどう振る舞えばいいのか、私はさっぱりわからなくなっていた。
あんまり部活に行きたくない、というのが本音だった。
好きな本の話をしてみたり、お題を出して小説を書いてみたり、どうにか文芸部らしく活動しようと最初のうちは頑張った。文芸部に期待して入部してくれた川田くんをがっかりさせたくなかったのだ。
でも川田くんは人見知りなのか、何をしてもいま一つ盛り上がらない。いつも緊張している様子で、その緊張が私にも伝染してしまう。
慣れないことをしようとしている疲労感と上手くいかないことに対する焦りを何度も川田くんにぶつけそうになってしまった。
その度にえいちゃんに泣きついて愚痴を聞いてもらっていた。おかげでまだ、ギブアップせずにすんでいる。
幸い川田くんは毎日部室に来てくれるし、私が話しかければちゃんと返事をしてくれる。私のことを嫌いなわけではないのだ。だからきっと仲良くなれるチャンスはある。
たどり着いたごみ捨て場で私は何かの選手のようにごみ袋を持ってスタンバイした。金網のしきりの向こうへ狙いを定める。
よし、今日も頑張ろう、と勢いよくごみ捨て場にごみ袋を放り投げた。
ぱんぱんと音を立てて手を払うと、少しだけ気分も晴れやかになったような気がした。
この後に待っている出来事を知らない私は、軽い足取りでごみ捨て場を後にする。
「山村さん、俺と付き合わない?」
教室へ荷物を取りに戻る帰り道、たまたま通りかかった体育館裏で後ろからそんな風に声をかけられ、衝撃で足を止めそのまま固まってしまった。
信じられない気持ちで聞いたばかりの台詞を頭の中で反芻する。
一体誰が! 私なんかに!?
相手の少し焦った様子の声音に、私まで一気に頭の中が真っ白になった。振り向いて相手を確かめたいような、このまま何も聞かなかったことにして逃げたいような、二つの気持ちが心の中でせめぎ合う。
付き合わない、なんて誰かに言われたのは初めてだった。それどころか自分から誰かに告白したこともない。ずっと私は恋愛には無関係だと思ってきたのだ。
つまり、なんというか、こういう状況でどうしたらいいのか全然わからない。
だって、付き合わない、って言われても何で私に? 人違いなんじゃないだろうか。
意味もなく制服のスカートのプリーツの数を数えていると、痺れを切らしたのか再び声をかけられた。
「あの、山村さん? 聞こえた、よな? ……こっち向いてくれないか」
今度は悲しげにそう言われる。
ああ、どうしよう。どうしたらいいんだろう。ここでいきなり走って逃げるのは、いくら何でも感じが悪いよね?
つまり、私には振り返るという選択肢しか残っていないらしい。
誰が私に告白したのかとにかく確かめよう。うん、どうするか考えるのはそれからじゃん。
どきどきする心臓を宥めながら意を決して後ろを向き、そして言葉を失った。
何かを言おうとしていたわけではなかったのに、あんぐりと大口を開けて固まってしまう。
長瀬、先輩?
振り返った先にはどこかほっとした表情を浮かべる、言わずと知れた高校の有名人、バスケ部部長の長瀬先輩が立っていた。
え? 先輩が、俺と付き合わないか、なんて私に言ったの?
どんなモノ好きが告白してきたのか、と思ったらとんでもない大物人物を引き当ててしまった。拾った宝くじで一等を当ててしまった、みたいな気分だ。
やっぱり走って逃げておけばよかった、と後悔した。ただでさえ告白されたことに戸惑っているのに、その相手が長瀬先輩だというのは私の許容を超えている。
長瀬先輩は眉間のしわを普段よりもっと深くして私のことをじっと見ていた。部活の前にアップをしていたのか額には汗が浮かんでいて、袖まくりされたジャージからは筋肉のついた腕が伸びて、その先では拳が固く握られている。
唸るような咳払いに驚いて顔を上げた。ごくん、と唾を飲み込んで、先輩の喉仏が上下に動いた。
「突然で驚いてるかもしれないけど、俺前から山村さんのことが気になってたんだ。去年とかよく試合の応援に来てくれてただろ? 一目惚れで。でも今年に入ってから全然姿を見かけなくなったし、山村さんの教室に行こうかとも考えたけど、きっと迷惑かけると思ったから行けなかった。そしたら今日偶然山村さんを見つけて、もうこれは今日しかないんじゃないかと思って」
睨まれてるんじゃないかというほどに強い視線で射抜かれて、目を逸らせなかった。