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しつこい男

 

 ***


 川田くんと付き合うことになった。キスまでしてしまった。

 長瀬先輩にフラれたばかりだっていうのに、川田くんの優しさについ甘えたくなってしまった。軽い女だと思われたかな。

 川田くんはゆっくり好きになってくれればいいですよ、と言ってくれた。だから付き合っているといっても、気持ちはまだ友だち以上恋人未満というやつだ。

 でも、好きになれたらいいな、と思ってる。ううん、ちがう。好きになりたいと思ってる。川田くんの気持ちに応えたい。

 明日からの文芸部では緊張して上手く話せないかもしれない。そんな気持ちを抱えながら私は眠りに落ちていった。

 ―――私は知らなかった、次の日まさか長瀬先輩とあんなことになるなんて。


 ***


 翌日、授業が終わってすぐに部室を開けて川田くんを待ち、やって来た彼からノートを奪い取った。襲われるかと思いました、と私が熱心に読む横で川田くんは鞄を置きながら言った。


 読み終わった私はすでに机に出していた鉛筆をくるくると回した。さあ、続きをどうしよう。


「ちょっと短かったですか」

「ううん! いいよ、これすごくいい。『山村さん』かわいいねえ。これを川田くんが書いたって考えると……」

「だって先輩が無理矢理付き合う流れにするから、このままじゃ『山村さん』がただの乗り換え女じゃないですか。先輩はそれでいいんですか」


 拗ねたようにそう言う川田くんはとても可愛かった。思わず噴き出してしまって、川田くんがますます膨れ面になる。


「『山村さん』も悪女方面に進むっていう選択肢もありだよ。面白かったら何でもあり。それより、この終わり方がいいよね。『長瀬先輩』はもう一回くらい出番が欲しいと思ってたんだー」

「あ、それはそういうの先輩が好きそうだな、と思って。よかったです」


 はにかんで川田くんが答えた。不覚にもその表情にきゅんとしてしまう。

 ああ、今初めて後輩がいてよかったって思った。なんて言うと川田くんはまた拗ねてしまうだろうから、私は何も言わずに執筆にとりかかった。


 鉛筆の先をノートにつけてふと思い出す。


「そうだ、長瀬先輩って言えばさ」

「現実の方の長瀬先輩ですか?」


 時間つぶしにだろう、文庫本を開きかけていた川田くんがきょとんとして言う。

 あれ、今日は珍しく川田くんが私の目を見て話してくれてるな、ということに気付いて私は言いかけた言葉を飲み込んだ。


「やっぱりいーや。なんでもなーい」

「先輩、待ってるんですから早く書いてください」

「はーい」


 いいよね、聞かなくても。何も今確かめなくちゃいけないことじゃない。そんなに大したことじゃないし。

 もし知っているのだとしたら、何を思って川田くんはあんなふうに書いたのか、それを確かめることへの恐怖を前に私はさっさと白旗を上げた。


 ***


 次の日の朝は先輩と一緒に登校する約束をしていた。

 もう通い慣れた道も、隣に先輩がいるというだけでいつもと違って感じられる。学校に行くのがこんなに楽しかったことはない。

 僕は先輩と繋いでいる左手にぎゅっと力を込めた。

「川田くん、そんなにしたら痛いよ」

「ごめんなさい、先輩。でも嬉しくて」

 もう、と言って先輩が僕を睨み上げた。でもその口元は緩く弧を描いている。

 ああ、幸せだ。ずっとこんな時間が続けばいいのに。

「先輩?」

 いきなり先輩が立ち止まって、僕の背中に隠れるようにした。それを訝しんで先輩の視線の先をたどり、僕はすべてを了解した。

 長瀬先輩だ。身長が高いので離れていても彼だとわかる。

「大丈夫ですか、先輩」

「何でもないの、ごめん、行こうか」

 先輩は気丈にそう言ったけれど、明らかにさっきより歩くスピードが遅くなっている。

 ちくしょう、なんであんなやつに。ゆっくり待つ、と言った昨日の自分の言葉を嘲笑った。そんなこと、できるわけもないくせに。

「先輩、ついてきてくださいね」

 返事も聞かず先輩を引っ張って先へ先へと進んだ。やがて長瀬先輩に追いついて横に並ぶ。

「長瀬先輩、おはようございます」

「おはよう。えっと、君は……あれ、もしかしてこの前の」

 長瀬先輩は僕の横で小さくなっている先輩に気付いたようだった。僕の制服の裾を掴んで俯いていることに、にやりとしそうになるのを堪え、僕は溌剌として長瀬先輩に挨拶する。

「初めまして、一年の川田昌悟です。実は昨日から山村さんとお付き合いしてます。だから先輩、前の告白のことは忘れてください。じゃあお先に失礼します」

 言うだけ言って先輩を連れて早足でその場を去った。

 乾いてひび割れそうだった心に満足の波が押し寄せる。先輩は僕のものだ。

「ひどいよ、川田くん」

 今にも消えそうな先輩の声も、涙も、僕は愛しくてしょうがなかった。


 ***


「先輩、今日もノリノリですね」

「えへへ」


 「川田くん」悪人化計画を進めるつもりが、だんだん性格が壊れてきてしまって自分でも怖い。この後どうなるんだろう、と少し心配だ。「山村さん」には何とか強く生きていってほしい。


「それにしても、これを読んでると僕は先輩に嫌われてるんじゃないかって心配になります」

「え、何で?」

「『川田くん』の性格が昨日よりも歪んできてませんか? 同じ名前のキャラが先輩からこういう扱いを受けてると、先輩の中の僕のイメージを疑いたくなります」


 あ、やっぱり昨日より性格酷くなってるんだ、と指摘を受けて改めて実感しつつ、私も川田くんの中の自分イメージを疑っていたことを思い出した。


 川田くんが私をどう思っているかはわからないが、私の中で川田くんと「川田くん」は全くの別人だ。というか、もし「川田くん」みたいな人なんだとしたら、こうして部室に二人きりでなんていられるわけがない。そんなのは怖すぎる。


「川田くんは優しくてかわいい私の大事な後輩だよ。このお話はフィクションです、実在の人物とは関係ありません、だから、安心して」

「優しくてかわいい、ですか」


 大事な、の方を強調したつもりだったのに、川田くんはその前の言葉を繰り返して項垂れた。誉めたのに。


「まあいいです。じゃあちょっと待っててくださいね」


 いつものように川田くんを観察する体制に入ろうとして、その前に私は、はい、と授業中のように手を上げた。すでに片肘をついていた川田くんが首を傾げる。


「あのね、一つだけお願いというか注文があるんだけど」

「何でしょう」

「『長瀬先輩』に対してフォロー入れるような展開はいらないからね。川田くんはすぐに『山村さん』をいい人にしようとするから、このままだと『長瀬先輩』に謝りに行きそう」

「それはまあ、ちょっと考えてましたけど」

「ああいうしつこい男はほっとけばいいんだよ」


 あ、口が滑った。


「『長瀬先輩』が何かしつこくしましたっけ。フッた側でしょ?」

「いいから! わかった?」


 川田くんはこのときは表現の自由、という決め台詞を使わずに、はあいと間延びした返事をした。


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