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事後承諾

 

 ***


 ハンカチのお礼がしたい、と先輩が言うので僕はあることを提案した。

 それが今日のデートだ。

 断られると思って試しに言ってみただけなのに、先輩は二つ返事で了承してくれた。

 駅前で待ち合わせていたので十五分前にそこに行った。人ごみから先輩を探しながら待っていると、五分前に先輩がやって来た。

 事前に決めておいた通り、映画に行き、ランチを食べ、少し街をぶらぶらとし、おしゃれなカフェにも入った。その間ずっと僕は先輩を完璧にエスコートした。

 先輩はずっと楽しそうに笑っていた。その顔を見ているだけで僕は幸せな気持ちになった。時間が経つにつれてその気持ちは、ずっとこの人を一人占めしたい、自分の物にしたい、という思いに変わっていった。

 時間が過ぎるのはあっという間だった。そろそろ帰ろうか、と先輩が言い、そうですね、と僕も頷いた。

 駅前で先輩と別れる。先輩が背中を向けたときに、僕は衝動的に先輩を後ろから抱きしめていた。

「川田くん?」

 怯えたように先輩が僕を呼ぶ。

 僕は先輩を振り向かせると躊躇なくその唇にキスをした。先輩が目を瞠って僕を押しのける。

 先輩を抱きしめたまま僕は言った。

「先輩、僕と付き合ってください。長瀬先輩のことなんか、忘れてよ。今日みたいにずっと先輩のこと大事にするから」

「…………うん」

 先輩が小さく頷く。抱きしめる腕の力を強めて、僕の中の獣が歓喜に吠えた。


 ***


「長くなっちゃった」


 早く読んで、と川田くんにノートを押しつける。我ながら会心の出来だ。「川田くん」悪人化は順調に進んでいる。次の川田くんのターンで修正するのは不可能だろう。


 川田くんが読み終わるのをほくそ笑みながら待つ。でもなかなか川田くんはノートから顔を上げない。そこまで長い文章は書いてないんだけどな、と思っていると、みるみる川田くんの頬が赤くなった。

 あれ、キスシーン読んだくらいでそんなに赤くなるかな。川田くんの繊細さを計り間違えただろうか。


 聞こえないかと思うほど小さい声で川田くんが感想をこぼした。


「『川田くん』、強引ですね」


 私はそれに満足して川田くんの方に身を乗り出した。


「でしょ! 極悪人でしょ! もうこの性格は更生できないでしょ!」

「先輩、近い」


 更にはしゃごうとした私に川田くんはノートをぐいぐい押しつけた。押されるままに後ずさってまたソファにもたれかかる。


 川田くん、なんてノリが悪いんだろう。あんまり面白くなかったのかな。

 不安になって川田くんの様子を伺うと、彼はノートを閉じて机の上に置いた。

 やっぱり面白くなかったかな。また何か気に障っただろうか。


「先輩、これキスしてますけど」


 音量の戻った川田くんが確認するように言った。話に触れてくれたことが嬉しくて食い気味に答える。


「ね、すごいよね、早業だよね」

「なんか告白してますけど」

「川田くんがさっき流れを切ったから取り戻したんだよ。でもこの告白のとこは書いてて自分でもちょっとドキドキしたよ。ここぞというときに敬語じゃなくなるとなんかいいよね」

「先輩、いいんですか」

「ん、何が?」


 問い返すと川田くんが困ったように微笑んだ。


「話の中とはいえ、『川田くん』と『山村さん』が付き合うことになってますけど」

「あー」


 そうだった、「山村香澄」と「川田昌悟」は私と川田くんの名前を付けたキャラクターだった。ノリノリで書いているうちにすっかり忘れてしまっていた。

 で、でも創作だし。名前は同じでも架空の登場人物だし。別にそんなに気にすることでもないんじゃないかな。


 と、思いながらも川田くんと私の間に妙な気まずさが生まれてしまった。

 時計の針の音だけが部室内に響き渡る。さっきまでこんな音しなかったのに、こういうときには出しゃばって余計に空気を重くするんだから。

 耐えきれなくなって口火を切ったのは私だった。


「なんか、ごめんね。嫌だったよね。話とはいえ勝手に付き合わせてごめんなさい」

「僕こそ変なこと言ってすみません。嫌とかじゃなくて、少し気になっただけで、その、先輩の話は面白かったです」

「川田くん、気を遣わなくていいよ。ごめんね無神経なことした。もうやめよっかこの小説。はい、終わり!」


 ぱん、と両手を合わせる。

 本当は結構この話が気に入っていたからもう少し続けたかった。次に川田くんはどう返してくるだろう、と楽しみでもあった。

 でも大切な部員である川田くんが嫌なものをこれ以上続けるわけにはいかない。川田くんを傷付けてまで続ける価値がある話でもない。

 ここで完結にして、今まで部室で書いた他の話みたいに明日には綺麗さっぱり忘れてしまえばいい。


 時計に目を向けるとそろそろ下校時刻といった頃合いだった。丁度よく区切りになったし、これ以上一緒にいても気まずいだけだし解散しよう。

 そう言おうとすると、川田くんがノートを手にして立ち上がった。


「先輩」

「はい」


 聞いたことがないくらいきっぱりとした声で呼ばれた。思わず真面目に返事をしてしまう。


「先輩は別に嫌じゃないんですよね」

「え、うん。でも川田くんは嫌で」

「びっくりしただけで嫌だったわけじゃないです。先輩、これ続けたいって思ってるんですよね」

「うー、まあ、ちょっと楽しくなってきたところだったし、できれば」

「それなら続けましょう。今日帰ってから僕の分を書いておきますから、明日また先輩が続きを書いてください」

「いいの?」


 さっきはノリ気じゃなかったのにどういう心境の変化だろう。ああでも、川田くんの言葉を借りれば嫌だったわけではなく、驚いたからのあの反応だったということだけど。


「まあだってこれは創作で、架空の世界のことですから。いいんじゃないですか、別に」


 にっこりと笑ってくれたのであたしは目を輝かせて立ち上がった。


「じゃあ『川田くん』と『山村さん』が付き合ってもいいんだね」

「嫌になったら『山村さん』にフラせますから、先輩も嫌になったらフってください」

「いやいやいや。『川田くん』のしつこさを甘くみたらダメだよ。一度手に入れたら絶対離さないよ。絶対別れないからね!」


 指を突き付けて宣言すると川田くんは声を出して笑った。私も自分がおかしくなって笑ってしまう。

 笑い声に重なるように下校のチャイムが鳴り出した。私たちは仲良く帰り支度をして一緒に部室を出た。川田くんはノートを鞄に入れずにまだ手に持っていた。


「そういえば先輩」

「何?」


 部室の鍵を閉めて確認のためにノブを回す。よし、大丈夫。

 鍵は職員室に返さなければならない。いつもはどちらか一人が行くのだけれど、今日は話が続いているから、川田くんを促して二人で向かう。


「デートで男の方は十五分前から待ってるべきなんですか?」

「んーどうだろうね。私はあんまり早く待たれると、相手をその分待たせてしまってるみたいで嫌かな」

「そうですか。あともう一つ。先輩は強引にされるのが好きなんですか?」

「何それ、『川田くん』のこと? どうかな。読むときと書くときはいいけど、現実ではやっぱりもっと優しい人の方がいいかなー」


 いきなりキスはないよね、と川田くんに同意を求める。


「安心しました」


 川田くんは本当にほっとした、というように呟いた。

 え、安心したってどういう意味だろう。もしかして私が「川田くん」をあんなふうに書いたことでいろいろ誤解を生んでいたんだろうか。


 川田くん、私は別にごく普通の女子高生だからね。変な趣味とかはないからね。

 口に出すと余計に怪しまれそうだと思ったので心の中だけで念を押しておいた。


 そうしてたどり着いた職員室に無事鍵を返し、私と川田くんは校門で別れた。


「楽しみにしててください」


 川田くんがあのノートを掲げて手を振ったので、私も大きく手を振り返した。


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