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モンタージュ  作者: よしかわ こう
第一章
2/8


 ブラインドが勢いよく開かれ、アイマスク越しに日の光が感じられた。まだ眠りたい欲求に反して体は覚醒し、長椅子に押し込められていた四肢は窮屈を脱しようとブランケットの隙間から手足を伸ばした。

 伸ばされた指先が空になった酒瓶に触れると横に乱立していた他の酒瓶も派手に薙ぎ倒れ、残っていた酒がテーブルの上を濡らし、床に染みをつけた。

「いい加減起きたらどうだ。もう十時だぞ」

 男のくせして一々小うるさい、甚雷(じんらい)らしい言葉だった。

 分かったと言ったつもりだが、アルコールの抜け切らない寝起きの口は呂律も怪しく、甚雷の耳にはただの唸り声にしか聞こえなかったらしい。

「そろそろ自分の歳を弁えろ」

 ブランケットから顔を覗かせた(みつ)は「黙れ」と、白眼をくれてやったが、とうの昔に崩れ去った化粧の残骸を留めた目元に僅かばかりの剣を滲ませたところで間抜けなだけだ。

「喉渇いた。水」

 甚雷は非情にも圓の願いを無視し、自分のデスクを整理するに余念がなかった。

「くそ……ただの平社員の分際で」

 なんとか身を起こした圓は倒れたカットグラスを持ち上げるも、惨澹たる有様の机上には圓の欲している水は一滴もなかった。目の端に映る泡盛の空瓶が恨めしい。前日の夜遅くにやってきた近所のおやじの手土産だった秘蔵の泡盛は、ものの数時間後には空になっていた。程よく酔いも回り、気分も良くなった圓は台所の奥にしまいこまれて久しい、取って置きのワインボトル五本を宴席に並べ、棚の奥に隠し持っていたブッカーズが鎮座する頃には記憶が途切れていた。

「あー頭痛い」

 背凭れに背を預け、両手で頭を抱えて片膝を立てる圓の姿に「どんだけ見苦しい恰好だ」眉間に皺を寄せた甚雷は、スリップの肩紐もしどけなくズレ下がり、肌蹴た裾を気にする素振りも見せない酔っ払いに嘆息した。

 意匠の施されたアルミ製のワインクーラーに手を突っ込んだ圓は、手の平に掬った溶けた氷水で喉を潤した。

「断酒したんじゃなかったのか」

「昨日までは」

「聞いた俺がバカだった」

 暢気な鼻歌と共に事務所のガラスドアを抜け、圓と甚雷の不毛な会話の間に割って入ってきたのは自称助手の赤木青子(あかぎせいこ)で、青子は応接室の惨状を目にするなり悲鳴を上げた。

「今日の午前中に来客があるって、昨日言いましたよね!」

「そんなの聞いてない」

「ちゃんと言いました。社長が単に忘れただけでしょう」

 圓の肩書は代表であったが、青子は圓を社長と言ってはばからない。ただの肩書だからどちらでもいいので気にしないが、そもそも、圓と迅雷、どちらが代表になるかもジャンケンで決めたことなので、更に輪をかけてどうでもいい肩書だ。

「アオコちゃん。コーヒー」

「アオコじゃありません。セイコです、セイコ」

 赤木女史の二親は大切な娘に名前を与えるに、ちょっとおふざけが過ぎたのではと圓は常々思う。

 カットグラスを突き出したままコーヒーを催促する圓を尻目に、青子は猛然と応接室を片付け始めた。終いには邪魔者扱いされ、片手で追い払われた。

 よろず屋の代表である圓は事務所の並びにある自室に追いやられる羽目になった。ついでに熱いシャワーを浴びて酔いを流し、新しいスーツを身に帯び、手早く化粧を終える頃には清廉を絵に描いたようなやり手の女実業家に仕上がった。甚雷からすれば、仕立ての良いスーツに袖を通した手錬の詐欺師と断言され、青子からは企業誌の表紙もイケるじゃないですか、と一応称されている。圓はその中間を行きつ戻りつする稀有な女だった。

 事務所内に充満していた酒の匂いは挽きたてのコーヒーの芳香にとって代わり、朝らしい匂いを肺一杯に吸い込んだ圓は、青子からコーヒーを受け取った。

「ところで来客ってなに。なんでうちに客なんて来るの」

 自分の事務机に腰を据えていた青子はくるりと椅子を回転させながら、腰に手をやった。

「前日にお伝えしましたが、それもお忘れなんですね」

「システム手帳どこにやったかな」

「手帳などお持ちでしたか?」

 青子は一言に伏した。

 腹に収まったコーヒーと前日の酒の余りがいい具合に撹拌され、不躾にも噯気を出した圓は、両目を吊り上げる青子を余所に取り出した煙草に火を点けた。

「煙いです、社長。煙草なら外で吸ってください、外で。未成年の身には煙も毒ですから」

「未成年なら未成年らしく学校にでもお行きなさい。それより客はなにを理由にこんなとこに来るの」

「依頼人は上田拓郎氏。行方不明になったお兄さんを探してほしいそうです」

 有能らしく、空ですらすらと答えた青子だが、本来であれば青子の日常は偏差値に見合った学校に通学しているはずであるが、何故毎日ここに“出勤”しているのか、代表である圓もよくは覚えていない。キャビネットに整然と並べ置かれたファイルのひとつに青子の履歴書が収められてはいるのだが……未だに雇った記憶がない。

 しかしながら今となっては青子の事務能力なくしてはよろず屋も立ち行かず、それを思うと圓と甚雷だけで始めたよろず屋がいかに無軌道だったことか。暇という暇を持て余した二人が半分は道楽で始めたようなものなので、忙しくなったらなったで本来の動機から逸脱することとなり、それはそれで困りものだが、青子の加入によって仕事の依頼は格段に増えていた。

「人探しなんて趣味じゃないんだけど」

「なんでもやるのがよろず屋でしょう? 人探しだって十分に含まれる内容じゃないですか。それに、実績もあることですし」


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