いざ異世界へ④
「……どう見ても、友好的な存在にゃ見えねーな」
通路の奥から、感じていた悪意の元であろう生物が現れた。
一言で表すのなら、手足の生えた魚、というのが適当か。
とはいえ、その形相は凶悪で、人間を丸齧りできるほど大きな口には鋭い乱杭歯がびっしり生えている。
手足には鋭い爪があり、全体的に高い攻撃性を感じる姿だ。
『人間風情が、いつの間に入り込んだ? 見ない恰好だが』
ぎょろりと大きな魚眼をこちらに向けると、魚野郎は言葉を発した。
言葉からして、こちらを見下しているようだが、知性ある存在ではあるらしい。
『まあいい。ちょうど小腹が空いていた所だ。腹を満たすにはちょうどいい』
魚野郎にとって、俺たちは餌という認識か。
これは本格的にマズイ案件か?
とはいえ、大人しく食われてやるつもりは無いが。
「どうやら僕たちは、こいつの巣に入り込んでしまったみたいだね」
「ま、こうなった以上はしょうがない。やるしかねえ」
無抵抗でやられるわけにはいかない、とお互いに認識を合わせた所で、俺とシオンは魚野郎と向き合う。
場合によっては逃走も視野だが、まずは経路を塞いでいる魚野郎をどかさないといけない。
『矮小な人間如きが、抗うか』
「矮小かどうか、試してみやがれ!」
先手を取って、魚野郎に殴りかかる。
体格にはそこまで差が無いから、ダメージが全く通らないって事は無いはず。
向こうはダメージなど受けないとタカをくくっているのか、避ける素振りすら見せない。
「ぬおっ!? クソが、ヌメリまで見た目通りかよ!」
しっかりと魚野郎の顔面を捉えた、と思えば。
魚独特のヌメリで拳が滑り、威力を伝え切れない。
当然、魚野郎にとって大したダメージになるはずも無く。
『ふん、所詮は人間よ。まあ、逃げずに立ち向かう度胸は褒めてやってもいい』
無造作に振るわれる魚野郎の腕。
羽虫を振り払う程度の、大して殺意も無いような行動。
「ぐっ……」
それなのに、俺は勢い良く吹き飛ばされ、壁に激突して肺の中の空気を全て吐き出してしまう。
遅れて、体中を痛みが苛む。
何だよこれ……。
身体能力のスペックが違いすぎる……。
「カイト!?」
『他人の心配をしている場合か?』
俺がすんなりとあしらわれ、動揺した声を上げるシオン。
しかし、その隙を魚野郎は逃さない。
シオンの首を掴むと、片腕で軽々と持ち上げて見せる。
「かひゅっ……く……」
首を圧迫され、顔色を青くしながらも、シオンは魚野郎に蹴りを入れて抵抗。
しかし、それが効いている様子も無い。
くそ、こんな時に……動け、俺の身体……ッ!
自分の意志とは正反対に、先ほど吐出し切った空気を取り込もうと、俺の身体は呼吸を荒くする。
恐らく、あと10秒もあれば身体が動くようにはなるだろうが、その10秒は、致命的すぎた。
『ふむ、味はそう悪くない。オスにしては肉が柔らかいじゃないか』
がぶり、と大きな口でシオンの脇腹の辺りを食い千切り、咀嚼しながら満足気にする魚野郎。
呼吸が止まり、既に抵抗する力を失ったシオンは、両手足をだらりとさせたまま、身体を痙攣させている。
当然、大きく肉体を抉り取られた状態のシオンは、大量の血を流しており、遠からずその命を失うだろう。
このままじゃ、シオンが……!
「くっ、そがああああ!」
鈍い身体の動きを誤魔化すように、雄叫びを上げて魚野郎に突撃。
しかし、思うように身体は動かず、普段よりも緩慢な動きで近付いただけ。
魚野郎からすれば、ハエが止まりそうに見えていたのだろう。
シオンを持ち上げているのとは逆の手が、貫手となって俺の胸部を貫く。
焼けるような熱を感じた直後に、激痛。
「がふっ……こん、のぉ……」
恐らく、内臓を大きく損傷したのだろう。
喉奥から血が込み上げてきて、吐血。
急速に身体から力が失われていく。
『こいつを喰ったら、お前もちゃんと喰ってやる。それまで大人しくしていろ』
また、無造作に腕を振り抜かれ、俺は抵抗すらできずに吹っ飛ばされる。
壁にぶつかると思ったが、違う物にぶつかり、ガラスの割れるようなけたたましい音が響く。
『しまった、適当にやりすぎたか。まあいい。後で修復すれば問題無い』
魚野郎の呟きで、俺は部屋の中央にあったガラス管にぶつかり、それを破砕したのだと理解。
もしかすると、体中にガラス片が刺さっているのかもしれないが、そもそも貫通された胸部の傷が深すぎて、身体の感覚が無い。
『鮮度が落ちては不味くなるからな。早く喰わねば』
シオンが死ぬ前に喰らおうと、魚野郎が大きく口を開ける。
恐らくは、下半身くらいなら頬張れるくらいの大口だ。
止めようにも、身体は動かない。
俺は、肝心な時に無力なのか。
「やめろおおおおおおおお!」
叫び声を上げる。
傷口から血が噴き出したが、そんな事はどうだっていい。
今、この瞬間に動けなきゃ、俺は何のためにシオンと一緒に異世界に来たんだ。
何が化け物だ。
いくら化け物呼ばわりされた経験があっても、それはあくまで人間基準だっただけ。
悪魔に魂を売ったっていい。
人間を辞めたっていい。
今ここで、シオンを助けられるなら!
あわや、魚野郎の大口がシオンの下半身を食い千切ろうとしていた、その瞬間。
空気が変わった。
まるで、周囲の時が止まったかのように、魚野郎も、シオンも、何もかもが動きを止めている。
シオンの傷口から滴り落ちていたはずの血も、滴となって空中で留まっているじゃないか。
当然、俺も動けないし、声すら上げられない。
何がどうなっているのか、と思考を働かせようとするも、靄がかかったように上手くいかず。
いよいよ死ぬのか、と考え始めた瞬間に、俺の視界に白く光輝く何かが映り込む。
白い光を発しているのは、ガラス管の中にあった金属塊だった。
拳大程度の大きさのそれは、周囲を塗り潰すように輝きながら、ふわふわと空中を漂い、俺の方へとやってくる。
そして、俺の目の前で静止すると、より輝きを強めていく。
本来なら、目も開けていられないような強い輝きなのだが、不思議と直視できてしまう。
もっとも、身体が動かないので、目を閉じる事もできないのだが。
異世界に来て、いきなり絶体絶命の大ピンチ。
時が止まった不思議空間で、謎の金属塊は一体何を起こすのか。




