五十五杯め 空を飛びなさい
封印門の第3階層に入ると、闇龍の悪意が濃くなり、俺は溶かされそうだった。体の輪郭があいまいになってきた。
「しっかりせい」と俺が背負っているババ様が言った。ここにリベリーがいてくれたら、と思った。安定感抜群の、そばにいてくれるだけで安心できるリベリーが。
「青姫でなく、ともにいるのが皺くちゃ婆で悪かったな」とババ様が言った。
「ババ様、心が読めるのか」
「ここは闇龍の最深部、魂の溶け合うところじゃ」
俺たちは静かに深い闇の中を沈み込んでいった。
そこには闇龍の言葉が一つだけあった。
ただ一つだけの言葉。
それは──
「理解してほしい」
ということだった。
俺の背中から降りて、ババ様が言った。
「すまぬ。我はおぬしを封ずることばかり考えておって、おぬしの気持ちなど考えたこともなかった。ゆるしてくれ。自分が何をしていたのか、知らなかったのじゃ」
たぶん世界一長生きの生き物は、そう言って泣いた。
受け止めて、受け流して──
黒い水晶の結晶が現れた。闇龍の魔核だった。
俺とババ様は両手でその黒い結晶を包んだ。俺の手が黒く染まっていった。ババ様の手も黒く染まっていった。
闇龍の抱えていた「理解されない悲しみ」が伝わってきた。
受け止めて、受け流して──
そして受け容れる。
俺は「亡骸従属」と唱えた。
黒い水晶の結晶が、黒く輝いた。
巨大な壷を満たしていた真っ黒な悪意が水晶の中に吸い込まれていった。黒く染まっていた俺の手からも黒い悪意が吸い込まれていった。
ババ様も吸い込まれていった。俺は驚いたが、ババ様の表情は明るく、うれしそうに泣いていた。俺はババ様に手を伸ばしたが、「これでいいのじゃ」と言って、ババ様は水晶に吸い込まれていった。
すべての黒い悪意が吸い込まれ、闇龍の魔核は、小さな黒い点に凝集し、まばゆいほどの、真っ黒な輝きとなった。
そして──
光が収まった時、そこにいたのは、白と黒の少女だった。
その髪は、白をベースにして、黒のメッシュが入っていた。
その服は、白をベースにして黒のワンポイントがあちこちに入っていた。
そして、「我は始源の龍。名をつけるがいい」と言った。
「カフェオーレ」俺は即座に言った。
「……始源の龍への名付けじゃぞ。ちょっとはためらったりせんのか」
「黒はコーヒーの色。白は牛乳の色だ。だからお前の名はカフェオーレだ」
「ふはは、よかろう!」そう言うと、始源の龍であり白と黒の少女であるカフェオーレの体が白く光った。「我が名はカフェオーレじゃ!」
「いろいろ聞きたいことはあるが、まずは引っ張り上げてもらうか」
俺は俺の腰の縄を引っ張った。するすると引っ張り上げてくれた。途中でカフェオーレが「おぬし、龍度はいくつじゃ」と言った。
「10だ」
「なら飛べるじゃろ」
「え?」
「こうじゃ!」
カフェオーレの背中から黒い翼が生えた。そして俺の脇に手を入れ、はばたき始めた。
「うわっ」
そして封印門の出口までひとっ飛びだった。カフェオーレはそのまま洞窟の天井まで飛んだ。見下ろすと、急に縄の手ごたえがなくなったせいだろう、ドラグゼドルが慌てていた。そしてグルオガとセステルが寝かされていた。ルアックは起きて俺を見ていた。
俺を抱えていたカフェオーレが着地した。そして俺の腰の縄をほどいた。
「ありがとう。気が利く……な?」
カフェオーレがまた俺を抱え飛び上がった。そして天井近くから俺を地面に向かって投げ飛ばした。そして「飛べるかどうかは、落ちた時に決まる」と言った。
ばん!と破裂音がした。カフェオーレに投げ飛ばされた俺の体は音速を超えていたらしい。
地面が近づいていた。まばたきをするようなほんの短い時間で、俺の脳裏にこの世界に来てからのことが思い出された。ああ、これが走馬灯か。さよなら、みんな。
そう思った時。
俺の背中に翼が生え、地面すれすれで俺は上昇した。
「「おお……」」ドラグゼドルとルアックが感心して、空中に静止し、羽ばたいている俺を見上げていた。
これが飛ぶということか。正直、どう翼を動かしているかわからない。
と思った瞬間、俺は落ちた。
ずごーん。
地面に叩きつけられた。リベリーから龍の血をもらった俺の体は強化されている。怪我はしなかったが、肩をしたたかに打ち付けた。ロブスに心臓を潰された時、痛覚無効を獲得したから、痛みは感じなかったが。
「ほれ、飛べたじゃろ。まだ不安定じゃがな」とカフェオーレが言った。
ドラグゼドルは、カフェオーレを見て、「ババ様なのか?」と言った。そりゃ、さっきまで皺くちゃ婆だったのが、少女になっていたら驚くだろう。
何はともあれ、これで大きな懸念事項をクリアした。リベリーたちの様子を見に行こう。闇龍の件が片付いたのだから、きっとよくなるだろう。
そう思った時。
ルアックが「パパ、何かが近づいてきてるよ」と言った。「闇龍の気配を持つ者たちがたくさん」
俺は地面に寝かされていたグルオガとセステルをアイテムボックスにしまった。俺たちは地上を目指した。龍の浮き彫りの前を通り、墓地を横切り、庭園までたどり着いたとき、「あっち!」とルアックが空を指さした。
ルアックの指す方向にいたのは、空を埋め尽くすほどの、翼の生えた者たちの群れだった。
「なぜだ」とドラグゼドルが言った。「この竜の里になぜ空から近づける!神との戦い以降の1万年、空からの侵入者など、一度たりともなかったことではないか!」
「浮き岩と霧がこの里を外部から隔絶しておったのじゃ」とカフェオーレが言った。「見たところ、闇龍の眷属のようじゃの。闇龍の力に惹かれてやってきたか」
中央に翼の生えたゴブリンが飛んでいた。その肩には白いバズーカ砲のようなものがあった。それが火を噴いた。真っ黒な光の束が、レーザービームのように飛んできた。
ルアックの鏡防返呪が展開されたが、いつもよりワンテンポ遅かった。龍御殿の廊下が吹き飛ばされた。
「どうしたルアック!」と俺は叫んだ。「今まではフルオートで展開されていたじゃないか」
「ごめん、パパ」とルアックが言った。「見てしまった」
「どういうことだ」
「今までは何も考えず反射で展開していた。でも、今は相手の攻撃を観察してしまった。聖騎士魔法の訓練のせい」
受け止めて、受け流す。
「ルアックは、相手の言葉を受け止めることを覚えた」とルアックは言った。「その結果、鏡防返呪の展開が、無意識ではなく、意識的に作動させるものになってしまった」
「元に戻せないのか」
「わからない」
「あやつらは敵ということでええんじゃな」とカフェオーレが言った。「ならば撃退するのみ。まだ体になじんでおらんが、闇の力を取り戻した始源の龍の力、見せてくれるわい」
そう言ってカフェオーレは龍化を始めた。体中にウロコが生え、巨大化していった。首が伸びていった。
その頃上空では、翼の生えた赤目のゴブリン、バジラ・イグニフェリオスが第2射の用意をしていた。肩に載せているバズーカ砲はフライナ・フラインヴァルグを改造したものだった。白いタキシードを着た細長い鯉のぼりのような形をしていた。砲身の先の部分はフライナの顔だった。大きく丸く開いた口が銃口だ。両手はぺったりと胴に貼り付き、右手の中指が欠損していた。両脚は膝が曲げられ、銃把になっていた。レバーを引くと、背中の穴から薬莢のようにガラス瓶が排出された。その穴に、エリクサーの入った瓶を装填し、レバーを戻した。
「ふぉっふぉっふぉっ。新しいおもちゃを試すのは楽しいのー。お、あそこにおるのは冒険者カフィじゃな。あやつのおかげで儂は第二の人生を見つけることができた。儂の感謝の気持ちを受け取るがよい」
バジラはバズーカ砲=フライナ・フラインヴァルグの照準を冒険者カフィに定めた。そして引き金を引こうとした時。
後ろから手刀で左胸を突かれた。
「ぬ?」
振り向くと、そこには翼を生やした、8歳くらいの赤い目をした少年がいた。無表情だったが、「これでよろしかったでしょうか、マエストロ」と言ってかすかな微笑みを浮かべた。
(小生がセラ・テイムした少年ですよ、わが永遠のしもべ、バジラ・イグニフェリオスよ)と念話の声が聞こえた。それはバズーカ砲に改造されたフライナ・フラインヴァルグの声だった。
「……なぜじゃ」
(小生も少しはあなたのお遊びに参加させてください)
「楽しいことをしてくれるの……」
バジラの指が引き金を引いた。心臓を貫かれ照準がズレていた。真っ黒な光の束が、レーザービームのように飛んだ。
その少し前。
リベリーは布団から身を起こした。リベリーの黒い痣が消えていた。ババ様が闇龍の黒い霧をすべて吸い込み、白と黒の少女、カフェオーレになったためだった。
「妾はどうしていたのじゃ?カフィ殿はどこじゃ」
どがーん。
と、爆発音がした。それはバジラが放った第1射が龍御殿の廊下を破壊した音だった。その音で、横に寝ていたロブスとアラビカも目を覚ました。
「なんにゃ!」
「賢明にして懸命なアラビカは非常事態であると考えます」
3人は飛び起きて音の方に向かった。みんな浴衣ではなく、いつもの格好だった。アラビカは龍のウロコのついた黒いボディスーツを着せられていた。封印門の中に潜った後、3人に何が起きるかわからないため、万全を期すためだった。
3人が庭園についたのと、バジラのバズーカ砲から第2射が解き放たれたのは、ほぼ同時だった。
真っ黒な光の束は、巨大化しつつあったカフェオーレの首に命中した。カフェオーレの首がはじけ飛び、頭が宙を舞った。
ルアックは、カフェオーレを守るために鏡防返呪を展開したが、それはまたしてもワンテンポ遅かった。
頭を失った首の断面がぐるりと剥けて、中から黒い悪意が噴き出した。それは火山の噴火よりも大きく高く、成層圏にまで到達し、縦方向に行けるだけいくと、今度は傘を広げるように世界に向けて広がった。もしも衛星軌道上に視点があったなら、ある地点からもくもくと広がり、大陸を覆っていく黒い霧を容易に観測できただろう。惑星規模の現象が生じていた。
まず倒れたのはリベリーだった。下腹部に生じた薔薇型の黒い模様はあっという間にリベリーの首元までを覆った。ロブス、アラビカも倒れた。
第2射を撃ったバジラは、心臓から血を吹きだしながら地面に落ちた。手に持っていた白いバズーカ砲=フライナ・フラインヴァルグがそばに転がった。
上空では500体もの被検体が赤い目を光らせていた。その体に異変が起きていた。静脈が盛り上がり、筋肉が肥大した。よだれを垂らしながら歯をむき出した。そして、背中に埋め込まれていた「雷魔法の魔石」が弾け飛んだ。
「1万年前の悲劇が、また始まってしまう」とドラグゼドルが言った。「世界の終焉が始まってしまう」
世界の終焉。
終わりの始まり。
1万年前の大災害の時には、それを鎮める力を持った始源の龍がいた。
その始源の龍は今──
その胴体は首から黒い霧を大量に放射し続けていた。
その頭部は俺の足元に転がっていた。光を失ったその目は、吐き出される黒い霧と、空中で狂戦士と化していく闇龍人たちの姿を映していた。
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