五十四杯め 封印門に潜りなさい
ババ様が寝室として使っている客間にリベリーは寝かされた。意識がなかった。高熱があり、頬が赤くなっていた。部屋にいたのは俺とババ様だった。
「何が起きてるんだ。病気か」
「龍種が病で倒れることなどありえない。身体を調べてみよ」
浴衣を脱がすと、下腹部に黒い、刺青のような模様があった。クルミの実ほどの大きさの、薔薇の花びらを図案化したような模様で、恥丘と臍のあいだにそれはあった。その模様は動いていた。じわじわと広がっていた。
服を着せ、布団をかぶせた。
「闇龍の呪いじゃな」とババ様が言った。「蓋が割れ、闇龍の悪意が急激に漏れた結果じゃろう」
「なぜリベリーなんだ」
「青姫ではなく、胎の子への呪いかもしれん」
「胎児への?」
「胎内の子は皆、無垢と混沌の王」とババ様は言った。「闇龍もまた無垢と混沌の王じゃ。響き合っているのじゃろう」
「どうすればいいんだ」
「もうこうなっては闇龍の封印門に潜り、闇龍を鎮める他、手はない」
「あの模様は少しずつ大きくなっていたぞ。あれが広がりきるとどうなるんだ」
「死ぬ」とババ様は言った。「母も子も、死ぬ」
俺はリベリーの手を握った。死なせない、と思った。エリクサーを薔薇型の模様に垂らしてみた。一瞬動きが止まったが、模様はまた動き出した。
「エリクサーでも大きな効果なしか。ロブスやアラビカも妊娠してるんだ。あいつらのお腹の子も呪われるのか?」
「わからん。龍の血の濃さが影響しているのかもしれん。闇龍の呪いじゃからな」
そこに近習のヒルダが来た。
「カフィ様、たいへんです!」
「どうした」
「ロブス様とアラビカ様が……」
「すぐ行く。ババ様……」
「青姫のことは任せよ」
「頼む」
俺はヒルダといっしょに客間にいった。ロブスとアラビカが布団の中で寝ていた。リベリーと同じで、高熱があり、頬が赤くなっていた。俺はロブスの布団をめくり、浴衣の裾をまくった。
「あの、カフィ様、こんな時に何を……」とヒルダが言った。
「見ろ」
ロブスの臍の下に黒い模様があった。アラビカの下腹部にも同じ模様があった。黒い薔薇の模様は動き、母子を包み込もうと、花びらを広げようとしていた。
「一刻の猶予もない。みんなを天守閣に集めてくれ」
「はい」
俺は天守閣に行った。転移魔法陣の上に、二つに割れた魔断岩があった。闇龍の封印門を塞いでいた岩と入れ替えたのだ。
ドラグゼドル、グルオガ、セステル、ルアックがやってきた。
俺はリベリーだけではなく、ロブス、アラビカも倒れたこと、ババ様の見立てでは、闇龍の呪いが胎児にかけられたこと、その呪いが全身に広がれば母子ともに死ぬことを伝えた。
ドラグゼドルはしきりに顎髭をしごいていた。グルオガは悲痛な顔をして下を向いた。セステルが「して、どうするのでございましょう」と言った。
「俺はこれから闇龍の封印門に潜る」と俺は言った。「リベリー、ロブス、アラビカは参加できなくなった。これまで立ててきた計画どおりには物事は進まない。それでも力を貸してくれるだろうか」
「龍種はもともと計画など立てる存在ではない」とドラグゼドルが言った。「目の前に何があろうと打ち砕くだけじゃ」
「行き当たりばったり上等だ」とグルオガが言った。「ロブス殿やアラビカ殿、そして妹を死なせるわけにはいかん」
「どんな状況にも対応してみせましょうぞ」とセステルが言った。「時に、酒の妖精様は残られますな?」
「パパの行くところ、ルアックも行く」
「お前、龍度ゼロだろ。やめとけ」
「ルアックは死霊王、アンデッドの頂点にして冥府との懸け橋」古代中国の女帝のような格好をした幼女が宙に浮かびながら言った。「闇龍の吹かせる冷気など、ルアックにとってただのそよ風」
「無理はするなよ」
「パパは心配しすぎ」
計画どおりではなくなったが、龍種の3人がついてきてくれるのはありがたい。ほんとは計画を練り直した方がいい。でも、俺だって、もともと計画派ではない。コーヒーを淹れる前、俺はレシピを作っていた。レシピとは、まずお湯を40グラム注ぎ、40秒経ったら50グラム注ぐ、といった湯量と時間を記した手順のことだ。しかし、レシピどおりに淹れないことも多かった。粉の具合いを見ながら臨機応変に湯量や時間を変えた。今回もレシピどおりにはならないが、状況を見ながら対応していこう。
そして、時間の猶予がなかった。こうしている間にも、闇龍の呪いが広がり、リベリー、ロブス、アラビカとその胎内の子を死に追いやろうとしているのだ。
天守閣にババ様が来た。そして「我も連れていけ」と言った。
「ババ様はリベリーたちを見ていてくれ」と俺は言った。
「あの者たちのために我ができることは看病ではない。おぬしらとともに封印門に潜ることじゃ。看病はヒルダに任せておけばよい」
「ババ様だって、元気になったとはいえ万全ではないだろう」
「我はこの里を守ってきた最強の龍種。それに闇龍との対話に我がいないなど、考えられぬことじゃ」
「ドラグゼドル、どう思う?」
「ババ様に自重していただきたいのは山々だが、ババ様の気持ちもわかる。……カフィ殿、ババ様の同行を許してもらえぬか」
「そうか。ババ様、やばくなったらアイテムボックスに入ってもらうが、それでいいか」
「構わぬ」
「……わかった。じゃ、出発だ」
俺たちは天守閣を出て、龍御殿の長い廊下を歩き、廊下の一番奥で階段を降りた。ババ様をグルオガが背負って歩いた。「ふん、年寄り扱いしよって」とババ様は言ったが、背負われるがままになっていた。庭園を通る時、濃い霧が漂っていた。封印門に蓋をしてから消えていた霧が、また出るようになっていた。その先に墓地があった。墓標に名は刻まれていなかった。山道に入り、下っていった。霧が濃くなっていった。巨大な龍の透かし彫りの前を通った。翼をたたみ、眼を伏せ、牙を地に預けた姿だった。濃い霧が流れていた。霧には呼吸と脈動が感じられた。谷間を下っていき、誘うように、脈打つ霧に俺の意識はその脈動にシンクロし始めた。前回はここで眠って霧に飲み込まれそうになり、ロブスに殴られて正気に返った。今日はロブスがいない。眠るわけにはいかない。俺は目を見開き、深く呼吸しながら谷を下った。螺旋階段のような場所をくだり、洞窟の中に入った。
そして。
巨大な空洞にたどり着いた。
霧が静かに渦巻いていた。気を抜くと意識を持っていかれそうだった。足元から、体の芯を冷やす冷気が登ってきた。1万年の時間をかけて凝集した、闇と、拒絶と、恨みだった。
ドラグゼドルが俺とグルオガとセステルの腹に縄を巻いた。龍の血をすりこんだ、伸縮自在の特別な縄だった。
「準備はいいか」と俺は言った。みんながうなずいた。「じゃ、ルアック、頼む」
ルアックの見えざる指が巨大な魔断岩を持ち上げた。とたんに、すさまじい冷気が封印門から噴き出してきた。封印門の全貌を見るのは初めてだった。それは直径10メートルほどの巨大な魔法陣だった。
俺たちは魔法陣の中心部に立った。俺たちの腰からは縄が伸び、その端をドラグゼドルが握っていた。
ババ様が詠唱を始めた。
「古の門よ
我が呼びかけに応え、闇龍より我らを守りしその顎を開け」
魔法陣が光り始めた。
「古の門よ
我らを受け容れよ
我ら、安き心を持つ者なれば」
魔法陣の光が増し、俺たちの体が光に包まれた。そして、俺たちは半径500メートルの巨大な壷である封印門の中にいた。
一番浅い層である第一階層で俺たちに襲い掛かったのは、黒板を爪でひっかく音を、聴覚が壊れないギリギリの最大音量で聞かされているかのような、不快感だった。それが脳を包み込んだ。「ぐあぁぁぁぁぁぁっ!」俺は頭を手でつかんだ。自ら頭蓋骨を割り、脳みそをほじくり出したいくらいの不快感だった。グルオガも、その背中にいるババ様も苦痛に顔を歪めていた。
しかし。
「私たちの出番ですね、酒の妖精様」
「うん」
俺たちの前に出たセステルとルアックは平気な顔をしていた。
「この悪意はお料理の素材。泥だらけの野菜と同じ。食べるにはまずは下ごしらえです」
「酵母さんたち。素材のよさはそのままに、もっとおいしくしてあげて」
手を取り合った二人の周りから渦が巻き起こった。その渦は、第一階層を満たしていたドロドロの悪意を包んでいった。ドロドロの悪意の流れに逆らわず、それでいて、その流れには、二人の周りから出る光が溶け込んでいった。
受け止めて、受け流す。
アラビカが言っていた聖騎士魔法の極意を二人が実行していた。
黒板を爪で引っかく音にしか聞こえなかったものが、だんだんと輪郭を帯び始めた。
それはこう言っていた。
「斬れば世界を救うと讃えられ
置けば世界を壊すと責められる
火でも水でもなく
光でも闇でもない
持つ者の手を映し
置かれた場所の罪を背負う
一万年
名だけが先に歩かされ
身体は檻に残された
これは何か」
第一階層の悪意は、なぞかけのオブラートでくるまれていた。まだ浅い階層だからなのだろう。素直じゃない。
答えはコーヒーだ、と言おうとしたが、言わなかった。代わりに「答えは刃だ」と俺は言った。「刃そのものは善でも悪でもない。振るった刃は英雄になり振るわれた後の刃は危険物として封じられる。刃は意志を持たないのに結果だけを背負わされる」
受け止めて、受け流す。
俺はただ、闇龍の悪意を受け止めて、言い換えただけだ。コーヒー豆の持ついい成分を抜き出して、うまいコーヒーにするみたいに。
「……」
闇龍は何も言わなかった。俺の答えを受け容れたようだった。
セステルとルアックは力を使い果たしていた。俺は二人の縄をちょんちょんと引いた。縄が引っ張られ、二人は浮かんでいった。上を見ると、封印門の魔法陣が白く光っていて、まるで井戸の底から空を見上げているようだった。
俺たちの体は悪意の中に沈み込み、第二階層に至った。
そこは、悪意が物理攻撃をしてくる階層だった。
「拙者に任せよ」とグルオガが言って、俺にババ様を渡した。俺はババ様を背負った。「ふん、年寄り扱いしよって」とババ様は言ったが、背負われるがままになっていた。
「俺は神と戦い、世界を救った」
「仲間も世界も守った」
「それなのに封印された」
という言葉が、固い岩となって、俺たちに襲い掛かった。それをグルオガは受け止めて受け流した。岩に触れた手が真っ黒に染まった。腕が血を吹き出していた。
「ぐははは、ロブス殿とのたっきゅうの成果、見せてやる」
「調子に乗るなよ」
さらに固く、大きな塊が飛んできた。
「なぜだ」
「なぜ誰も説明しない」
「この怒り、誰にぶつければよいのだ」
グルオガはそれらを受け止めて受け流した。その動きは、武術の達人のそれだった。グルオガの肩から血が噴き出した。
「やるな、エロ中学生」
「その呼び方で呼ぶな!」
そして最後に巨大な岩が飛んできた。
「私が間違っていたのか」
とその岩は言っていた。グルオガは全身でその岩を受け止めた。首の後ろや背中から血が噴き出した。そして──
きれいに受け流した。
闇龍は言葉を言いつくしたようだった。グルオガは気を失い、闇の中を漂っていた。「いい仕事をしたな、グルオガ」と俺は言った。そしてグルオガの腰に結び付けてあった縄をぴんぴんと引っ張った。グルオガの体が引っ張り上げられた。
俺とババ様は最下層である第3階層に沈んでいった。
* * * * *
その頃、予備施設では、ガラス瓶の中の500体に及ぶ被検体がいっせいに上を見上げた。みんな目が赤く光っていた。
「闇龍の力が解放されたか」と、タンクの上で作業をしていた小さなゴブリン、バジラ・イグニフェリオスが言った。「力がみなぎってくるの」
バジラは脇にあった白いバズーカ砲のようなものをかついだ。そしてタンクの上から、大きな声で叫んだ。
「闇龍の子孫たちよ!今こそ、祖先のもとへ帰る時だ!」
被検体の肩甲骨のあたりから黒い翼が生えた。その翼は、ガラス瓶の中で収まりきらず、ガラス瓶にひびが入った。
「飛び立つのだ!」バジラがそう叫ぶと、バジラの背中にも翼が生えた。
そして。
一つのガラス瓶が割れて破片と液体が飛び散った。次々にガラス瓶が割れていった。
バジラが天に手をかざすと、天井が割れて開き、青空が広がった。
バジラは翼を広げ、バズーカ砲を肩に載せて飛び立った。500もの、翼を広げた被検体が後に続いた。
目指す先は竜の里だった。
最後尾に翼の生えた8歳くらいの少年がいた。少年の動きは、他の被検体とは少し違っていた。少年が従っていたのはバジラではなく、他の意志だった。しかしバジラはそれに気が付かなかった。新しいおもちゃを持って、みんなと飛び立つことにワクワクしていたから。
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