五十二杯め ババ様は元気になりなさい
ババ様が寝室として使っている客間に行くと、畳敷きの部屋の布団の上でババ様は寝ていた。ドラグゼドルがババ様の手首を握り脈を取っていた。
「どうだ、ババ様の様子は」と俺は言った。
「変わらぬ。よくもなっていないが、悪くもなっていない。少しの時間しゃべると眠ってしまう」
「そうか」
「聖騎士魔法の話は伝えた。理解されたかはわからぬが。……そうじゃ、カフィ殿」ドラグゼドルは、ババ様の手を布団に戻した。「ババ様がおぬしとサシで話がしたいそうじゃ」
「俺と?」
「うむ。それと頼みがある」ドラグゼドルは吸いさしを持ち上げた。中にはエリクサーが入っていたが、残りわずかだった。「エリクサーを融通してもらえんか。ババ様にはよい薬になるようじゃ」
「わかった」
俺たちは、しばらくババ様の寝顔を眺めた後、部屋を辞した。そして天守閣に向かった。魔断岩をアイテムボックスにしまうと、床の魔法陣がむき出しになった。
「フラペチーノ、応答せよ」
(はい、マスター)
「言ってなかったが、アラビカは受け取った」
(お会いになれたのですね。よかったです!)
「みんな元気か」
(はい、調理済みの肉を食っているおかげで、全員ハイゴブリンに進化しました。私はゴブリンジェネラルに進化しました)
「そうか、よかったな」
(はい!)
「悪いがエリクサーを送ってもらえるか」
(分量は?)
「在庫はどれだけあるんだ?」
(千本ほどです)
「すごいな。じゃ、5百本くれ」
(了解です)
「それからガラス製のドリップケトル、ドリッパーを10組、小型の蒸留器が1個あると助かる」
(手配します)
「転移魔法陣を開けて待ってる」
(なる早で手配いたします)
「頼んだ」
ぶちん。通話終了。
フラペチーノは有能だが、頼んだ仕事をするのに1、2時間はかかるだろう。俺たちは風呂に入ることにした。
かこーん。鹿威しの音が響いた。湯から湯気が立っていた。
リベリーとアラビカが俺の左右にいた。二人とも髪をアップにしてうなじが見えていた。
俺は岩山をぼーっと眺めた。
「気持ちがいいな……」と俺は言った。
「ほんにの……」
「ええ……」
ちょうどいい湯加減だった。
「これもまた、今、この時を味わう訓練だな」と俺は言った。
「まったくです」とアラビカが言った。
俺は立ち上がった。「俺はサウナに入るがお前らどうする?」
「妾はサウナは苦手じゃ。氷属性じゃからな」
「アラビカは?」
「ご主人さまの行くところならどこへでも」
そうしてサウナに入ったのだが。
「ぎゃー」足を踏み入れた途端、アラビカの右足が蒸発してしまった。そうだった。このサウナの温度は2万℃だった。俺は脱衣所の籠の中の浴衣の袖に入れてあったエリクサーの瓶を持ってきて、アラビカの足にかけてやった。足が生えてきた。
「なんだ、炎攻撃無効はまだだったのか」
「はい、でも今ので獲得しました」
「よし。じゃついでだ。リベリー」
「なんじゃ」
「アラビカの手を凍らせてくれ」
「え?」
「わかったのじゃ」
「ちょっと!」
リベリーは湯から出てきてアラビカの腕を掴んだ。リベリーの指からマイナス273.15℃の冷気が噴き出てアラビカの手を凍らせた。アラビカの手が凍り付き、次の瞬間、粉になった。リベリーは湯船に戻った。
「ぎゃー」
俺はエリクサーを手にかけた。手が生えてきた。
「呪い無効と精神干渉無効は?」と俺は言った。
「それはどちらも獲得済みです」
「試してみるか」
俺はアラビカの手を取り、「ゴブ化!」と言った。
しーん。
「手だけテイム!」
しーん。
「よし。毒無効は?」
「それも取得済みです。」
「ドワーフの里で肝試しをしたんだな」
「はい。強いお酒はあまり好きではありませんが、がんばりました」
「そうか」
「おかげでご主人さまの血も飲めました!」
「ん?俺の血も猛毒なのか?」
「そうじゃぞ」とリベリーが湯船から言った。「妾の血を分けたのじゃ。毒無効なしでカフィ殿の血を飲めば即死じゃ」
「そうか。もう献血はできないな」
俺は体を拭いてからサウナに入った。アラビカもついてきた。今度は蒸発しなかった。二人並んで高熱に耐えた。アラビカの白い肌が赤くなっていた。汗が噴き出した。
「まだでしょうか、ご主人さま……」
「あと1分だ……」
サウナから出ると俺は冷水に飛び込んだ。アラビカは足先をつけただけで躊躇していた。
「入らなければならないのでしょうか」
「無理するな」
「いえ、アラビカは、ご主人さまの行くところならどこへでも!」
そう言って、少しずつ、少しずつ、顔をしかめながら冷水に身体を付けていった。
「聖騎士魔法の出番です。冷たい。冷たい。冷たさを受け容れます。冷たい。……あれ?首まで入ったら、じんわりです」
「身体の芯が温まってるからな」
それから椅子に座り、体を休めた。
「これが整う、ということですか」
「こんなもんじゃないぞ。5回くらい繰り返すと、心が洗われたようになるんだ」
「賢明にして懸命なアラビカは、1回でやめておきます」
アラビカは立ち上がると脱衣所に向かった。
俺は湯船に入った。横にリベリーがいた。
「みんな成長しておるな」とリベリーが言った。「それに比べ、妾は何も変わらん」
「そうか?」
「ロブスは妾の思いつかんようなあいであをたくさん出しよる。ルアックは笑うようになった。アラビカは、カフィ殿から自立した。妾は何も変わらん」
「変わらなくてもいいじゃないか」
「そうかの」
「お前には莫大な魔力がある。それが安定感を生む」
「お、久々の解説者カフィ殿じゃな」
「俺はお前が隣にいてくれるだけで安心できるんだ。それでいいじゃないか」
「……ズルいのじゃ。そんなことを言われたら、ますます好きになってしまうのじゃ」
「でもな、リベリー。自分が犠牲になろうとするな」
「妾は……」
「フライナ・フラインヴァルグの攻撃を受けた時も、お前は俺たちを守るために盾になってくれた。そのことには感謝してる。でもな、もっと仲間を頼ってほしい」
「……」
「俺はお前を失いたくないんだ」
リベリーは俺の肩に頭を乗せた。
「ずっといっしょにいられたらええんじゃがの」
「ずっといっしょにいられるさ」
かこーん。鹿威しの音が遠くで響いた。
天守閣に戻ると、頼んだ品が届いていた。
「まるで置き配だな。フラペチーノ、応答せよ」
(はい、マスター)
「荷物が届いた。助かった」
(いえ)
「何か変わったことはないか」
(迷いゴブリンを一匹保護しました)
「ほう」
(髭槌牛を一撃で倒すほどの強者でした)
「そいつは今、どうしている」
(迷宮を出ていきました。エリクサー作りに長けており、蒸留器とヒラミ草を餞別がわりに渡しました。事後承諾ですみません)
「構わん。冒険者ギルドにも開示済みの情報だ。通信を遮断してたのは俺の方だしな」
(そう言っていただけると助かります)
「ドワーフ達は元気にしているか」
(はい。何かしらの理由を付けて毎日酒を飲んでいます)
「相変わらずというわけだな」
ということで通話終了。俺はアイテムボックスから魔断岩を出して魔法陣に蓋をした。
ババ様の寝ている部屋に行くと、ドラグゼドルがババ様の横にいた。
「エリクサーが手に入った」と言って俺は瓶をドラグゼドルに渡した。
「かたじけない」
「客人か……」ババ様が目を開けた。「すまぬが二人で話がしたい」
ドラグゼドルとリベリーが部屋を出ていった。部屋を出る時、リベリーが振り返って俺を見た。俺はリベリーに笑顔でうなずいた。リベリーは障子を閉め、去っていった。
「寝たままで失礼するぞ」
「話してだいじょうぶなのか、ババ様」
「このところ調子がええ。おぬしの持ってきてくれる水薬のおかげでな」
ババ様はまっすぐに天井を見ていた。
「闇龍の封印門の中に潜るそうじゃな」
「ああ。俺はそのつもりだ」
「すまぬな。……我の寿命は尽きようとしている。もはや闇龍を封ずる門の門番たりえず、里を守ることもかなわぬ。我は弱体化し、この里も弱体化してしもうた。心残りは青姫と胎の子じゃ。どうかあの子らを守ってくだされ。無垢と混沌の王を」
「無垢と混沌の王……」
「かつては我もそうじゃった。しかし闇龍をわが身から切り離し、我はそうではなくなった。思えばあれが、我の罪の始まりじゃった……」
そしてババ様は目を閉じ、眠ってしまった。
さて、俺は部屋に戻ってエリクサーでも作るか。そう思った時。
アイテムボックスの中から(きゅう)という声が聞こえた。
ん?
俺は久しぶりにステータス画面を開いた。そしてアイテムボックスの中身を調べた。リストの中に「エスプレッソ:飛竜の赤ちゃん」という項目があった。
「やべ、忘れてた」
俺はアイテムボックスからエスプレッソを出した。子犬くらいの大きさで、濃茶色がベースで、薄い黄土色の縞模様があった。迷宮でリベリーが拾ってきた飛竜の赤ちゃんだ。目をくりくりさせて、「きゅう」と言った。
「ヒルダ、いるか?」
「どうされました、カフィ殿。はっ。その飛竜はもしや……」
「みんなを呼んできてくれるか」
「承知」
ヒルダの姿がかき消すように見えなくなった。そしてみんなが集まってきた。
「おお、息子よ!」涙ながらにエスプレッソを抱きしめたのはグルオガだった。「元気だったか?」
リベリーが青くなっていた。「すっかり忘れておったのじゃ」
「だから言ったじゃん。そんな子拾ってきて飼えるのって」とルアックが言った。
エスプレッソは元気そうだった。
「時々ミィがあいてむぼっくすに入って、上級ポーションをあげていたにゃ」とロブスが言った。
「知ってたなら教えてくれよ」と俺は言った。
「いつ思い出すかと思ってたにゃ。薄情なやつらにゃ」
「ロブス殿であったか、我が子を保護してくれていたのは!」とグルオガが言った。「うれしい。この際、拙者の伴侶になってはもらえないだろうか」
「アホ抜かすにゃ。そういうことはもっとたっきゅうが強くなってから言うにゃ」
「魔物に襲われたいたところを保護したのは妾なんじゃが……」
「忘れてたくせに」とルアックが言った。
そんなバカ騒ぎをしていたら。
「若が戻ったのか」
振り向くと、ババ様が布団から手を伸ばしていた。グルオガがエスプレッソを抱えてババ様の手に触れさせた。ババ様は体を起こした。
「無理をするな、ババ様。また血を吐くぞ」とドラグゼドルが言ったが、ババ様は目を見開いて両手を広げた。セステルがババ様の背中を支えた。
「かわええのお」ババ様は両手にエスプレッソを抱え、頬ずりをした。エスプレッソが目をくりくりさせて「きゅう」と言った。
ずぎゅーん。
そのあまりの愛らしさに、ババ様はハートを撃ち抜かれてしまった。
その日以来、ババ様の容態は快方に向かった。
* * * * *
その頃、予備施設では、小さなゴブリンが、いそいそと働いていた。ゴブリンが押す代車にはたくさんの瓶が詰まれていた。瓶の中身はエリクサーだった。
そのゴブリンはバジラ・イグニフェリオスである。マルメロ迷宮からこの予備施設に来て、フライナ・フラインヴァルグと邂逅した。フライナ・フラインヴァルグはバジラをテイムしようとして、逆にほぼすべての生命力を失い、倒れてしまった。その後、バジラはヒラミ草から大量のエリクサーを作り、こうして運んでいるのだった。
バジラは肩から提げた布鞄にたくさんのガラス瓶を入れ、タンクの上によじ登った。タンクの蓋を開くと瓶の中身であるエリクサーを、どぼどぼと注ぎ入れた。タンクから降りて、荷車を押し、エリクサーを乗せ、タンクに登り……そんな作業を延々と続けていた。単純作業だったが、バジラの目は輝いていた。そして、ようやくタンクの中がエリクサーでいっぱいになった。タンクの底部からは無数のパイプが伸び、その先は巨大なガラス瓶につながっていた。巨大なガラス瓶の中身は、被検体である赤目族の老若男女だった。どの被検体も、背中には「雷魔法の魔石」を埋め込まれた時の手術痕があった。
「いよいよじゃ」
バジラは、タンクのバルブを回してゆるめた。タンク内のエリクサーが、パイプを通じて、それぞれのガラス瓶に流れ込んでいった。ガラス瓶の中で、エリクサーの濃度が上がっていった。それにつれて、ガラス瓶の中の被検体の体がうっすらと光を放ち始めた。エリクサーの濃度が一定に達した時──
ガラス瓶の中の被検体たちの目が開いた。赤い瞳が光っていた。
それぞれの被検体が、強い威圧を発した。建物全体が震えた。
「成功じゃな」
バジラは、脇に置いてあった白いものに話しかけた。
それは、人の姿をしていなかったが、白いタキシードを着ていた。右手の中指が欠損していた。それは、バジラによって改造された、かつてフライナ・フラインヴァルグと呼ばれた男の変わり果てた姿だった。
毎日10時、16時に投稿します。




