五十一杯め 訓練しなさい
客間でアラビカが正座をして目を閉じていた。豊かな金髪をアップにしていた。浴衣がよく似合っていた。
「何をしてるんだ」と俺は言った。
「日記を付けているのです」とアラビカが言った。「王家に伝わる『良心の自由』という魔法により、魂の領域に日記を書き込めるのです」
「そうか」
アラビカの後ろにロブスが立っていた。ロブスも浴衣姿だった。ロブスはアラビカの頭の上で、ページをめくるような仕草をしていた。そして「にゃ」「にゃは」「にゃにゃ!」「にゃ……」などと声をあげていた。
「……」アラビカはしばらく目を閉じていたが、とうとう「ロブス、そこで何をしているのですか」と言った。
「お前の日記を読んでたにゃ」
「はぁ?できるわけがないのです」とアラビカが言った。「『良心の自由』とは、王族が、いつ敵に捕まって自白魔法をかけられてもいいように、他者が絶対に読み取れない領域を魂に作る魔法なのです」
「できるにゃ」
「嘘おっしゃい」
「ミィは魂に触れられるにゃ」
「え?」
「文字は読めないけど、魂に触れれば、そこに書いてあることはわかるにゃ」
その途端にアラビカの顔が真っ赤になった。
「ほんとうに読んだのですか?」
「にゃ」とロブスは言った。「エロ日記だったにゃ。ボスと交尾した時のことも詳細に書いてあったにゃ」
「うそ」
「ミィのことも書いてあったにゃ。『バカっぽいところもありますが、とても優秀な子です』って。『姫騎士からの手紙』はボスと会ったら、あんなことやこんなことがしたいという妄想にあふれていたにゃ」
「やめて!」
「お前も中身はエロちゅーがくせいにゃ。あのグルオガとかいうやつと大差ないにゃ」
「ぎゃー!」
アラビカが切れて、ロブスに殴りかかった。「良心の自由を返せ!」
ロブスはすべてのパンチを紙一重でよけていた。
「ケンカすんな。ロブスは妊婦なんだぞ」
「そういえば、お前の日記に書いてあった『聖騎士魔法』って何にゃ?」とパンチをよけながらロブスが言った。
「王家に伝わる魔法です」アラビカは、フェイントも入れると1秒に20発くらいのパンチを繰り出しながら言った。「1万年前に編み出され、改善されてきました。アラビカは棺の中で鉄の皮膚に覆われ、仮死状態になっている時にその奥義を悟ったのです」
「聖騎士魔法は何のためにあるにゃ?」徐々にスピードをあげるアラビカのパンチをさばききれなくなってきたロブスは、アラビカの腕を取り、関節を極めた。
「何のためって……。闇龍に対抗するためです」アラビカは畳の上で体を回転させ、ロブスの関節技から逃れた。「虎に負けるアラビカではないのです」
「ミィのことを虎って言うな、ゴブっ娘」
え?
「アラビカ、今、何て言った?」と俺は言った。
「虎に負ける私ではないと言いました」
「いや、そこじゃなくて」
「聖騎士魔法は闇龍に対抗するためのものって言ったにゃ」
アラビカとロブスは、にらみ合い、互いを威嚇しながら、俺の周りをぐるぐると回り始めた。
「そういや、アラビカには闇龍のことはまだ話してなかったな」と俺は言った。「実はたいへんなことになってるんだ」
俺はアラビカとロブスを座らせた。そしてアラビカに、闇龍が封印されていることや、封印門の蓋として機能していたババ様の代わりに魔断岩を置いたこと、しかし完全に蓋をしたのでは、闇龍の暴走を招いてしまうこと、このままではリベリーを蓋にせざるを得ないこと、それを避ける方法として、ルアックから、封印門に潜り、闇龍との対話を試みる案が出ていること、そしてその具体的な方法が見つかっていないことを話した。
「闇龍との対話は可能かもしれない、いえ、可能であると、賢明にして懸命なアラビカは考えます」とアラビカが言った。「聖騎士魔法の神髄を会得した者であるならば」
鏡台の前で髪をとかしていたリベリーが振り向いて言った。「その話、父上たちにも聞かせた方がええじゃろ」
近習のヒルダに頼み、ドラグゼドル、セステル、グルオガにも来てもらった。俺の目の中からルアックが出てきて俺の膝に座った。
アラビカが話し始めた。
「一万年前、神と龍の戦いがありました。神に屈しないため、龍は闇龍を放ちました。神を追いやることに成功しましたが、闇龍は世界を滅亡寸前に追い込みました」
「ドラグゼドルが言っていた話と同じだな」と俺が言うと、ドラグゼドルがうなずいた。
「闇龍の暴走により、高度な文明の栄えていた大陸が一つ海に沈みました。残った人々も殺し合いました。闇龍の悪意が精神に干渉し、狂気に陥ったためです」
俺は、ぞくりとした。封印門の洞窟で感じた冷気が、地の底から立ち上ってくるのを感じた。その冷気は、何千年もの時間をかけて凝集した、闇と、拒絶と、恨みだった。
「ヒト族の王は、残された人類の知恵を結集し、闇龍の悪意に呑まれない方法を編み出しました。それが聖騎士魔法です」
「聖騎士魔法とは、浄化魔法ではないのか」
聖騎士フィラ・ウィタラートが初めてルアックを見た時に、聖騎士魔法で浄化しようとしたことを思い出した。
「はい、今では浄化魔法が主流となっています。しかし聖騎士魔法の神髄はそこにあるのではありません」アラビカが居並ぶ面々を見た。「聖騎士魔法の神髄は……」
「受け止めて、受け流すことにゃ」とロブスが言った。「アラビカの日記に書いてあったにゃ」
「ロブス!」アラビカがいきり立った。「なぜお前が言うのです、アラビカの決めゼリフだったのに」
「受け止めて、受け流す、か」とグルオガが言った。「まるで武道だな」
「アラビカ、説明を続けてくれ」
「『覚えてらっしゃい、虎野郎!』とでも言いたいところですが、ご主人さまがそうおっしゃるなら……。アラビカは、フライナ・フラインヴァルグに幽閉され、棺の中で自らを鉄人形に変え、仮死状態になっている時、すべての状況を受け容れていました。ご主人さまから遠く離れ、二度と会えないような状況であることも、その上で、ご主人さまがいつか救いに来てくださるという不合理な願いを抱いている自分も、ただただ受け容れていました。そして悟ったのです。これこそ、聖騎士魔法の神髄であると」
「話が見えねえぜ」と、見た目は武人、中身は男子中学生のグルオガが言った。「その話と、闇龍とどうつながるんだ」
「黙って話を聞くにゃ、エロちゅーがくせい」とロブスが言った。
「その呼び方はやめろ!」
「エロちゅーがくせいはエロちゅーがくせいにゃ。今もミィのパンツを見てたにゃ。だから話の筋が見えてないにゃ」ロブスはあぐらをかいていた。浴衣の裾がはだけ、虎柄のパンツが丸見えだった。「そんなだから、たっきゅうでもミィに負けるにゃ」
「いいかげんにせよ」とドラグゼドルが言った。「話が前に進まないではないか」
こほん、と咳払いをしてアラビカが話を再開した。
「闇龍の悪意の本質は、認められないことへの不満です。『神を斥けた英雄である自分が、なぜ封印されなければならないのか』という鬱屈した思いであると、賢明にして懸命なアラビカは考えます」そう言って、アラビカはルアックを見た。「あなたも同じ考えなのでしょ、ルアック?」
「蓋を開け、中に飛び込み、封印されてる子の話をきちんと聞いてあげればいい。ずっと閉じ込められてたら、誰だっておかしくなる。きちんと話を聞いてあげればいい」と俺の膝の上でルアックが言った。
「闇龍と対話するには、闇龍の悪意に負けない魂の強さが必要となります」とアラビカが言った。「その強さは、訓練によって身につけられるものなのです。そして、その強さの鍵となるのが……」
「受け止めて、受け流すことにゃ」とロブスが言った。
「もう!」アラビカは頬を膨らませた。
「訓練とは、何をすればいいのじゃ」とドラグゼドルが言った。
「特別なことは、何も」とアラビカが言った。「ただ、日常の中で、見るもの、聞くもの、触れるもの、思うこと、感情、それらすべてを受け止めて、受け流すことが何よりの訓練となります」
「そんなことが、闇龍の悪意に対する訓練になるというのか。我には今一つ、理解できん」とドラグゼドルが言った。「セステルよ、お前はどう見る」
「某は台所番。料理のことしかわかりませぬが……」とセステルは言った。「素材の味を味わい、ねじ伏せるのではなく、その味を生かす。受け止めて、受け流すとはそのようなことなのでございましょう。封印されし闇龍は、某にとって、ただただ怖い存在でしたが、闇龍の悪意とは、料理の素材のように、受け止めることができるものなのかもしれませんな……」
「セステル姉は素材の扱いがうまい」とルアックが言った。「セステル姉の蒸した米を使うといい酒ができる」
「もったいないお言葉です、酒の妖精様」
「リベリーよ、お前はどう思うか」
「父上、もし誰かが封印門に潜り、闇龍と対話せねばならぬとしたら、そのお役目、妾が引き受けます」
「リベリー……」と俺は言った。「妊婦だろ、大人しくしとけ」
「賢明にして懸命なアラビカが引き受けます。アラビカは聖騎士魔法の先生なのですから」
「みんなで行けばいいにゃ」とロブスが言った。「みんなで行けば怖くないにゃ」
「ロブス殿が行くなら拙者も行く」とグルオガが言った。
「エロちゅーがくせいには稽古が必要にゃ。たっきゅうじょうに行くにゃ。ミィが稽古をつけたるにゃ」
そう言ってロブスはグルオガを連れて部屋を出ていった。
「酒の妖精様」とセステルが言った。「某にも稽古をつけてくだされ」
「わかった。台所で酒造り」
俺の膝から降りて、ルアックはセステルと出ていった。
「我はババ様と話してくる」とドラグゼドルが言って部屋を出ていった。部屋に残ったのはリベリーとアラビカと俺の3人だった。
3人で卓球場に行った。ロブスがグルオガと卓球をしていた。
「受け止めて、受け流す」と言いながら、ロブスのスマッシュをグルオガのラケットが受け流した。
「後ろに受け流してどうするにゃ。相手の球の勢いを利用するにゃ!」
「こうか」
「こうにゃ!」
猛烈なラリーが続いていた。ロブスが「ちらり」と言って浴衣の裾から生足を出した。「うっ」と言ってグルオガが前かがみになった。
「未熟者!」ロブスの放ったスマッシュがグルオガの額を直撃した。グルオガの額が赤くなり、ピンポン玉の当たったところから煙が出ていた。「まずは己の性欲を受け止めるのにゃ!」
俺たちは台所に向かった。セステルとルアックが酒造りをしていた。
「パパ」とルアックが言った。「今まで、雑菌さんたちは皆殺しにしていたんだけど、雑菌さんたちの声も聞くことにしたんだよ」
「ほう」
「『雑菌』という名のばい菌はいないことがわかった。みんな、話せばわかる子たちだった」
できたばかりの酒をセステルが盃に入れてくれた。リベリーは「妊婦なので遠慮するのじゃ」と言って飲まなかった。俺とアラビカはその酒を飲んだ。これまでのルアックの酒は、一口飲んだだけで「うまい酒」とわかる酒だった。今度の酒は、口当たりは水のようでいて、飲んで少ししてから香りと味が広がる、深みのある酒だった。
「変わったな」
「うん」そう言ってルアックは微笑んだ。ほんの小さな笑顔だったが、ルアックが笑うのを見たのは初めてだった。
俺たちはババ様の部屋に向かった。
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