四十九杯め 再会しなさい
俺は湯に浸かっていた。
隣にはリベリーがいた。ロブスはグルオガに誘われ、卓球をしに行った。勝負ごとの好きなロブスはグルオガの誘いを断らなかった。「死ぬまでにやりたい100のことが、また一つ叶う!」と言って喜んでいた。
ルアックはセステルといっしょに酒造りをしていた。みんなが「うまい!」といって自分の造った酒を飲んでくれるのが、よほどうれしかったらしい。
そんなわけで俺とリベリーは二人きりで湯に浸かっていた。すっかり混浴が解禁になってしまったようだが、気にすまい。異世界でコーヒーを飲むという野望の前では、すべては些事にすぎない。
俺とリベリーは、並んで湯に浸かり、岩山を眺めていた。霧はすっかり晴れていた。そして浮き岩はどこにも見当たらなかった。封印門に魔断岩を載せ、ぴったりと蓋をしてしまったことで、竜の里は神秘のヴェールを失ってしまったようだった。
俺はリベリーを見た。湯けむりの中で、頬を上気させていた。髪をアップにしていたので、細いうなじが見えた。儚ささえ感じさせるその横顔を、俺は美しいと思った。
「なんじゃ、そんなに見て」とリベリーは言った。
「きれいだ」と俺は素直に言った。
「……バカじゃな」リベリーは、湯の中で手を伸ばし、俺の手を握った。
「もし世界とお前を天秤にかけなければいけないなら、俺は世界ではなく、お前を選ぶ」と俺は言った。
それを聞いて「ズルいのじゃ、カフィ殿は」とリベリーは言った。「そんなことを言われたら、決意が揺らぐのじゃ」リベリーの目には涙が浮かんでいた。
あの封印門の中には、世界に厄災をもたらす闇龍が潜んでいる。闇に潜み、外に出せと暴れ狂っている。一つの大陸を沈ませ、世界の人口の9割を死滅させたという、巨大な力だ。その力の発する、闇と、拒絶と、恨みを押さえる蓋が必要だった。かといって、ぴったりと蓋をしてしまえば、ガス抜きができず、爆発してしまう。ババ様のいう「安全弁」になれる存在が必要だった。
ババ様は、自分が蓋になると言っているが、もはやその体はその役目を果たせなくなっていた。
リベリーは、自分が蓋になると言っている。
「龍種の妊娠期間はどれくらいなんだ」と俺は言った。ずっと気になっていたことだった。
「時計で測れる時間ではない」とリベリーは言った。「1年か、百年後か、はたまた明日か。時が満ちた時、龍の子は産まれるのじゃ」
「出産予定日がわからないと、いろいろ不便そうだな」と俺は言った。
「カフィ殿、ロブスに子の名を付けると約束したそうじゃな」
「ああ」
「この子の名付けも頼むのじゃ」
「ひよこ丸って名前があるだろ」
「それは胎児ねーむじゃ。ちゃんとした名を別に付けてほしいのじゃ」
「わかった。産まれてきたら顔を見て決める」
「楽しみじゃ」
世界に厄災をもたらさないため、一番現実性が高いのはリベリーが蓋になることだった。そして、その案を取る場合、子を産む時が来る、ということは、リベリーが蓋になる時が来ることを意味していた。蓋になれば、リベリーは龍の姿のまま自我を失い、闇龍の発する毒気をその身で中和し、冷気として放出する役目を担うことになる。そして長い時を経てその体は蝕まれ、寿命を削られ続ける。
俺はリベリーをそんな目に遭わせたくなかった。
ルアックは「蓋を開けて中に飛び込んで闇龍と話をすればいい」と言っていた。その道があるなら、それを選びたい。しかしそのためにどうすればいいのか、見当もつかなかった。ババ様に話を聞いてみたいが、ババ様は、エリクサーを飲んだとしても、長い時間話し続けることはできず、ほとんどの時間を布団の中で過ごしていた。
「妾のことを思うなら、どうか自分の道を歩んでくだされ、カフィ殿」とリベリーは言った。「それが妾を救う道にもなるのじゃから」
同じようなことを、どこかで誰かに言われた気がしたが、俺には思い出せなかった。
俺たちは湯からあがった。脱衣所で浴衣を着て、いっしょに男湯を出た。リベリーは客間に戻った。
俺は天守閣に行った。
フラペチーノと交信するためだった。フライナ・フラインヴァルグの動向が気になったし、ゴブリンやドワーフ達の様子も知りたかった。俺は転移魔法陣に蓋をしていた魔断岩をアイテムボックスにしまった。
「応答せよ、フラペチーノ」
(あ、マスター!ちょうどよかったです)とフラペチーノが言った。
「どうした」
(マスターのお知り合いという方が訪ねてこられまして)
「知り合い?誰が来たんだ?」
「それが」
ぶちん。
突然交信が終了した。そして足元の転移魔法陣が光り始めた。ジェットコースターが落下を始めた時のような、ひゅん、とした感覚があった。
(ようこそ、強化と試練のテーマパーク、マルメロ迷宮へ)という声が聞こえた。(この迷宮では強化されるのはスキルだけではありません。あなたのキャラも強められます。ドワーフはもっと酒を飲むようになり、人はもっと恋をするようになる……。強化と試練のテーマパーク、マルメロ迷宮を存分にお楽しみください)
気が付くと、床に魔法陣の描かれた人工的な空間にいた。通路を歩いていくと、大きな洞窟があり、右前足が欠損し、腹に大きな縫い傷があり、頭にオリハルコン製の兜をかぶった巨大な死屍地龍がいた。
「よう、ラテ、元気にしてたか」
(飼い主殿、久しぶりだね。あたしはこの迷宮のヌシさ。元気でやってるよ)
俺はアイテムボックスから髭槌牛を出した。
(ふ、わかってるじゃないか、飼い主殿)
ラテは、むしゃむしゃと髭槌牛を食べ始めた。
洞窟の壁に四角い穴が開いた。入ってみると、そこは迷宮の魔核の管理室だった。
「何が起きてる?」と俺は言った。
「久しぶりだね、カフィくん、あるいは」とモニターパネルの中のイリヴルク・ガルドルウィタが言った。「世界を救おうとしない救世主さん」
「転移魔法陣は一回しか使えなかったんじゃないのか」
「キミの知り合いが来て、スナちゃんといっしょに、迷宮の損傷個所にエリクサーを撒いたんだ。『迷宮が生き物ならエリクサーが効くでしょう』とか言ってさ。おかげで魔力が回復したんだよ」
「なぜ俺を呼んだ」
「キミの知り合いに脅されたんだ。カフィくんを呼ばないと迷宮の魔核を叩き壊すって」
「そんな凶暴な知り合いは知らん。そいつは誰だ」
「行けばわかるさ」
俺は管理室の床にズブズブと飲み込まれた。液体の中を通るような感覚があり、外に吐き出された。目の前に翡翠色の巨大な鉱石があった。そこはドワーフの里の最下層だった。そして振り向くと──
「ご主人さま!」と叫んで一人の女が抱きついてきた。
波打つ美しい金髪、青い目。
首と肩を強調した、白と青のドレス。
腰には剣を提げるための革ベルト。足元は短靴。
「鍛治の街グリドガルド」にある、エルフが経営する「カルマイア婦人服店」で服をあつらえた時と同じ服装だった。しかし、その時よりも何倍も美しく見えた。その女は──
アラビカだった。
アラビカは俺の唇に吸い付いてきた。俺はそのまま押し倒され、猛烈な勢いで、洞窟の中をごろごろと転げまわった。俺の浴衣の裾がはだけた。
アラビカの吐く息が熱かった。
「会いたかった、ご主人さま!」
そう言って、俺の上に馬乗りになっていたアラビカは金髪をかき上げて、また俺にキスをした。だんだんと俺も妙な気分になってきた。
「ここでしてください、ご主人さま」とアラビカは言った。「ロブスやリベリーとはしたのでしょう?ならば、賢明にして懸命なアラビカにも、同じようにしてください」そう言って、俺を見るアラビカの目はうるんでいた。
「ちょっと待て!」と俺は上半身を起こした。「ほんとうにアラビカなんだな」
「はい!ご主人さまのことが好きで好きで仕方がない、ご主人さまのアラビカです!」そう言って抱きついてきた。
俺はアラビカを抱き返した。
「よく戻ってきたな」
「……はい」
俺たちはしばらくの間、何も言わず、ただ抱き合っていた。体温の交換が、空白の時間を埋めてくれるかのように。
「しかし、よくここまでたどり着けたな」
「スナさんが案内してくれたんです」
「そうか。……スナ師匠、いるか?」
「はい、さっきから目の前に」とスナは言った。「いるのかいないのかわからないようなわたしですので、もうしばらく気づかないでいてくれたら、姫の裸体が拝めたのに……」
「ん?」
「いや、けっこうたいへんでしたよ。フライナ・フラインヴァルグの居城からさらってきてここまで来るのは」
「フライナ・フラインヴァルグの居城?突き止めたのか」
「もぬけの殻でしたがね」
「奴は今どこに?」
「さあ。……詳しい話は姫から聞いてください。そろそろ帰らないとさすがに叱られます。王さまの依頼をそっちのけにして、この迷宮まで来ましたので」
「スナさん、お世話になりました」と言ってアラビカはスナの手を握った。
「乗りかけた船ってやつです。おっぱいの件は貸しにしておきますよ」
そう言って、スナは気配を消した。おっぱいの件?気にしないことにしよう。
「さ、邪魔者もいなくなりましたし、続きをしましょう」そう言ってアラビカが服を脱ぎ始めたので、慌てて止めた。
「なぜ止めるのです、ご主人さま?」と不思議そうにアラビカが言った。「ロブスやリベリーとはしたのでしょう?とても激しかったと聞いています。凍てつき、焼き尽くされるほどに」
「スナ師匠め、覗いてやがったな……」と俺は言った。「人には覗きをするなと言ったくせに」
「幽閉されているあいだ、アラビカは自分がどれだけご主人さまのことが大好きか、再認識したのです。熱い思いをしたためた『姫騎士からの手紙』は、原稿用紙換算で700枚を超える大作となりました。読んでいただけないのが残念です」そう言って服をまた脱ぎ始めた。「ここでするのです。さあ!」
「さあ、じゃない」と言って俺はアラビカの肩に手を置いた。「リベリーやロブスと、そういう関係になったのは、そういう雰囲気になったからだ」
「そういう雰囲気とは?」
「俺が死にかけて生き返った後だったり、ロブスが女子会で勝ったり、いろいろあったんだよ」
「その話はスナさんから聞きました」とアラビカは言った。「ロブスがご主人さまの心臓を貫いたり、ロブスがリベリーの心臓を貫いたりしたんですよね」
「そうだ」
「なるほど。賢明にして懸命なアラビカは理解しました。ご主人さまは、心臓が貫かれると性的に興奮する質なのですね」
「そんな性癖はない」
「では、ご主人さま」とアラビカは俺に向き合って言った。「アラビカと戦ってください。アラビカが勝ったらお願いを一つ聞いてください」
「断る」
「なぜですか」
「お前と戦う理由がない」
「アラビカにはあります」その表情は真剣だった。「アラビカは、大好きなご主人さまから離れ、いっしょにいられなかった時間を埋めたいのです」
アラビカの目が俺をまっすぐに見ていた。
「話をしよう」と俺は言った。「竜の里の方も気になるが、それくらいの時間はあるだろう」
「では、私と語り合ってくださるのですね!」と言ってアラビカの顔がぱぁっと明るくなった。
「ああ、いいぞ」
「うれしい」
アラビカが手を差し出してきた。この場面で握手?と思ったが俺は握り返した。
「では始めましょう」と言って、アラビカはものすごい握力で俺の手を握り返してきた。「拳での語らいを!」
アラビカの上腕二頭筋が、ばん!と膨れ上がった。
「嘘でしょ?」
「やるって言いましたよね?」
こうして俺はアラビカと戦うことになった。
毎日10時、16時に投稿します。




