四十八杯め その頃○○では(承前)
予備施設に先についたのは、白いタキシードの男、フライナ・フラインヴァルグだった。
それはヴィアードヴァルトの森の片隅にあった。フライナはここに来るのは初めてだった。正確な位置を把握していなかったので、入り口を見つけるのに苦労した。木々の影に隠れて石盤があった。手を置くと空中に文字が表示された。
「森と人とのはざまに住み
欲と知恵の境目をうろつき
奪うが作ることも知っており
醜いと笑われるが、
その姿は人の影を映している
我は何者か」
フライナはうんざりした。なぞかけなど、何の意味もない時間つぶしではないか。このような無駄な仕掛けをするなど、バジラ・イグニフェリオスに対する教育が足りなかったようだ。
答えはすぐにわかった。バジラ・イグニフェリオスのことを知る者なら、誰にでもわかるだろう。しかし、フライナは、どうしてもその答えを言うつもりになれなかった。
攻撃魔法で辺りの木々を薙ぎ払い、地面の土を吹き飛ばすと、黒い岩肌がむき出しになった。
「魔断岩ですか。小生の魔法で破壊できないわけです」
岩肌には扉があった。無理やりにこじ開けようとしたが、扉はびくともしなかった。何度やってもダメだった。
フライナは息を吐くと、その場に座り込んだ。見上げると空が青かった。空を見たのは久しぶりだった。
立ち上がって石盤に手を置いた。空中に文字が表示された。
「答えは『ゴブリン』です」
言った途端に、まず、扉が音もなく開いた。扉の中に、下に降る階段があった。
そして、答えを言った途端に、フライナはとてもイヤな気分になった。フライナは、そのイヤな気分を「自分は扉を開くことに成功した」という消毒済みの物語で上書きした。しかし、べったりとした、イヤな気分は完全には消えなかった。それは「嫌な予感」であったが、そのようなものを認めるのは、フライナの主義に反していた。フライナは、階段を降りていった。背後で音もなく扉が閉まった。
降りていくと、広大な空間があった。洞窟ではなく、人工的な空間だった。通路の左右に、巨大なガラス瓶がいくつも並んでいた。ガラス瓶は溶液で満たされ、上部の金属部分からは天井に向かってパイプが伸びていた。その中には裸の人が入っていた。老いた者もいれば、若い者もいた。男もいれば女もいた。共通しているのは、みな、目を閉じ、口には管につながったマスクを付けられ、背中に小さな手術の跡があることだった。
バジラ・イグニフェリオスは、人さらい犯罪結社である鈍色の仲買人がさらってきた人々の中に赤目族がいると、こっそりと予備施設に連れてきていた。それをフライナは知っていた。しかしそれを咎めようとは思わなかった。バジラのやることは、自分のために役立つことであると、単純に信じていたのだ。
フライナには、心を許せる人間がいなかった。誰も信じず、誰にも頼らずに生きてきた。バジラに対して、道具に対する以上の信頼を抱いていた。無意識に、頼れる人を求めていた。フライナはそれに気づいていなかった。否、気づいていたが、気づかないふりをしていた。
「これがバジラの研究成果ですか」巨大なガラス瓶の列を見ながらフライナは言った。「小生が使わせてもらいますよ」
おそらく、これは生物兵器なのだろう。背中に傷があるのは、「消毒済み」の証だ。すでに奴隷契約が施されているのだろう。契約違反をすれば、脊椎に埋め込まれた微小な「雷魔法の魔石」が発する電撃により、耐えがたい苦痛を味わうことになる。ここにいるのは主に絶対服従する軍団だ。
「問題はどうやって起動するか、ですね」
フライナは、とりあえず手近なガラス瓶を破壊し、中から人を取り出した。それは8歳くらいの少年だった。マスクを外し、軽く胸をたたくと、「がはっ」と液体を吐いた。生きてはいるらしい。
フライナは少年に手をかざした。
「セラ・テイム」
少年の体が光に包まれた。
その時だった。
「そこで何をしておる!」
振り返ると、憤怒の形相のゴブリンがいた。大きな背嚢を背負っていた。その目は赤かった。
「あなたこそ何者ですか。ここは我がしもべ、バジラ・イグニフェリオスの庭ですよ」
「もはや、しもべではない」とゴブリンが言った。「儂は儂じゃ」
「おや?」フライナは鑑定器を出して目にはめた。「ゴブリンB、趣味は人体改造、状態異常呪い……。あなたもしかして」
「久しいな、フライナ・フラインヴァルグ。我が主だった男よ」
「バジラ・イグニフェリオス!」フライナは喜びの表情で言った。その感情もまた、フライナが唾棄すべきものであったが、フライナには止めることができなかった。力を失い、さまよい、ようやく味方に会えたのだ。
「今すぐに呪いを解除してあげましょう」そう言ってフライナは右手の中指にはめた解呪の指輪をバジラに向け、詠唱を始めた。
「古代の深淵よりもたらされし力よ
今ここに、穢れを祓う光を顕現し──」
「やめろ」とバジラは言った。しかしフライナは詠唱を続けた。
「やめろと言っておるんじゃ!」
バジラが指をフライナに向けた。
次の瞬間。
フライナの指輪が、右手の中指ごと吹き飛んでいた。
「え?」
人差し指と薬指の間に空間があり、血が噴き出していた。どくどくと血が噴き出し、ずきずきと痛んだ。それは久しくフライナが味わったことのない感覚だった。
「儂はゴブリンでいることに誇りを感じておる。余計なことはするな!」
「バジラ、あなた何を言って……」
「それに何じゃ!儂の大切な研究成果に勝手に触りおって」
バジラは、とことこと歩いていき、ゴブリンの体には大きすぎるガラス瓶をかついで帰ってきた。そして「まったく余計な仕事を増やさんでほしいわい」と言いながらガラス瓶の入れ替え作業を始めた。
その様子をフライナは呆気に取られて見ていた。小生しか見ていなかったバジラが、小生のことを気にもせず作業をしている。これではまるで、まるで──
「高潔なる魂の持ち主ではないか」
ガラス瓶の蓋を開け、少年の体を苦労して押し込もうとしていたバジラの頭をフライナが掴んだ。
「セラ・テイム!」
フライナはその瞬間にほぼすべての生命力を失い、その場に倒れた。
バジラをテイムすれば、結果がどうなるかフライナにもわかっていた。それでもフライナには、それをするしかなかった。バジラに戻ってきてもらいたかったから。
少年をガラス瓶に押し込み終わり、少年にマスクを付け、ガラス瓶の中を溶液で満たした。バジラは床に転がったフライナの上にかがんだ。
「まだ息があるな。せっかくの素材だ。遊ばせてもらうとしよう」
緑色の肌をした赤目のゴブリンが、白いタキシードの男の足をつかみ、ずるずると引きずっていった。
* * * * *
その頃、王城の街の冒険者ギルドのギルドマスターであり、SSS級冒険者であるスナ・ウィーバのアイテムボックスの中では。
鉄の皮膚の覆われた姫騎士、アラビカが苦しんでいた。理由は酸欠である。
「急に息ができなくなりました。生命力が減り始めています。仮死状態ですし、生命力にはだいぶ余裕があるので大丈夫ですが……。ここは一体どこなのでしょうか。世界のどこかにあるフライナ・フラインヴァルグの城の、塔のてっぺんにある部屋にいたはずなのに……。どうやら、あいてむぼっくすの中とアラビカは愚考します。しかしご主人さまのそれとは、だいぶ違いますね。エネルギー体になっていません」
そんなことを考えていたら、急に棺桶の底から槍が突き出してきた。
「ひぃっ!」
槍は、鉄の皮膚で覆われ、仮死状態になっているために動けないアラビカの頭のすぐ脇を通過していた。
なぜそんなことが起きたかと言うと、
スナは、アラビカの入った棺桶をアイテムボックスに入れた後、塔の窓から外に出て、塔の外壁を降りていた。塔の内部は罠だらけであり、そこが一番安全なルートだった。塔の壁の突起に指をかけると、「かちり」と音がして、壁から槍が射出された。しかしそのような罠は「スナ流暗殺術」の前には無力だった。スナは槍が当たりそうな場所にアイテムボックスの扉を開いた。スナは無傷だった。この技さえあれば、たとえ罠だらけの壁だろうと、安全に降りていける。
しかし。
アイテムボックスの中にいる者にとっては、安全どころではなかった。
(どなたか知りませんが、出してください!)
アラビカは念話を発した。アイテムボックスの中から念話を発するのはお手の物だ。
しかし、スナは「何か聞こえましたが空耳でしょう。いるのかいないのかわからないようなわたしですが、空耳が聞こえるなんて、焼きが回りましたね。ああ、また槍の罠ですね」
アイテムボックスの扉が小さく開き、槍を吸収した。
ぐさり。
(ぎゃー!腕に刺さった)
「よくしゃべる空耳ですね。あ、また槍の罠」
ぐさり。
(太腿がーっ)
「もうすぐ地面です。また、槍の罠、と思ったら何本も飛んでくるタイプですか」
ぐさっ
ぐさっ
ぐさっ
(もうだめ、出してー!)
「うるさい空耳ですね。念のため出してみますか」スナはアイテムボックスから棺桶を出した。穴だらけになっていた。「スナ流暗殺術は便利ですが、中のものに傷がつくことがあるのが難点です」
スナは棺桶の蓋を開けた。中の女性像が穴だらけになっており、穴から血が出ていた。
「おや、生き物でしたか。いるのかいないのかわからないようなわたしですが、とんだ失礼をいたしました」
そう言って、アイテムボックスから瓶を取り出し、どくどくと中身を棺桶の中に注いでいった。鉄の皮膚に包まれた体が光った。鉄の皮膚に亀裂が走り、亀裂からまばゆい光があふれた。そして光が弾け──
アラビカは元の姿を取り戻していた。波打つ美しい金髪、青い目。首と肩を強調した、白と青のドレス。
「おや、どこかで見たことのある人ですね」スナはアラビカの顔に自分の顔を近づけた。
「顔が近いです。……ひゃっ」と言って、アラビカは棺桶の中から身を起こした。スナがアラビカの胸をまさぐっていた。
「この、乳首に触れるか触れないかの微妙なタッチ。これは、王宮に伝わる『百合秘奥義』ではありませんか」
「聖騎士フィラ・ウィタラートにじきじきに仕込まれました」
「我が師匠をご存じなのですか」
それには答えず、スナはアラビカの乳首をそっとなでた。
「はぅ……」思わずのけぞったアラビカの背筋を指で下からなであげた。涙さえ浮かべていたアラビカだったが、我に返り、スナに殴りかかった。
ぶん。
音速を超えていたアラビカのパンチは空を切った。衝撃波が発生し、そばにあった木を吹き飛ばした。
「いきなりあぶないじゃないですか」
「あぶないじゃないか、じゃありません!」アラビカの顔は怒りで真っ赤になっていた。「ご主人さまのチューで目覚めるのが、アラビカの夢だったのに!」
「アラビカ?」スナは記憶をたどった。「あなたひょっとして、カフィさんのお知り合いですか?」
「ご主人さまをご存じなのですか!」アラビカはスナに詰め寄った。
「知ってるも何も……」
スナは自分がギルドマスターであることを明かし、マルメロ迷宮でカフィに会ってからのことを話した。
「棺桶に注いだのはエリクサーですよ」とスナが言った。「エリクサーもカフィさんの発案です」
「では、アラビカが元の姿を取り戻したのは、ご主人さまのおかげなのですね!」そう言ってアラビカは目を輝かせた。
「間接的に、ですけどね」とスナが言ったが、聞いていなかった。
「こんなやり方でアラビカをお救いになるとは、アラビカも思っていませんでした。さすがはご主人さま!」
アラビカは棺桶を持ち上げると、底の方に溜まっていたエリクサーをごくごくと飲み干した。飲むたびにアラビカの体が輝いた。
「ぷはー」
「鉄分とか溶けてるんじゃないんですか、それ?」
「もともとアラビカの血液から作り出した鉄だから問題ないのです」とアラビカは言った。「それに、ご主人さまの作ったものなら、一滴たりとも無駄にはできません!」
「作ったのはドワーフですが」
アラビカが聞きたがるので、スナは、マルメロ迷宮でカフィに会ってからのことを余さず話した。リベリーとロブスが、カフィと一夜を過ごしたことについても。
アラビカの目に、メラメラと炎が燃えた。
「アラビカをその迷宮に連れていってください!」とアラビカは言った。
「え?なんでですか?」
「その迷宮に行けば、ご主人さまのところに行けるのでしょ?」
「まあ、そうかもしれません。転移装置を起動させるにはいろいろ条件があるみたいですが……」
「連れていってください!」
「ちょっと待ってくださいよ。わたしは今、王さまの依頼でここに来てるんです。帰ってフライナ・フラインヴァルグのアジトを見つけたって報告しないといけないんです」
「兄上の依頼など、後回しです」
「兄上って……。あ!あなた、姫騎士ですか!」とスナは言った。「どうりで見たことがあると思いました」
「アラビカの言葉は兄の言葉。賢明にして懸命なアラビカが、ギルドマスターであるスナ・ウィーバに命じます。アラビカを迷宮に連れていきなさい!」
「ま、いいですけど。その代わり」とスナは言った。「おっぱい揉ませて!」スナは、仕事よりも自分の性欲を優先する女だった。
「ダメです!アラビカの純潔を奪っていいのはご主人さまだけです!」
「固いこと言わないで!乳首だけでも」
「はうぅ」
「あ、固くなった」
「……なりません!」
こうして復活した姫騎士アラビカは、冒険者ギルドのギルドマスターにしてSSS級冒険者、スナ・ウィーバとともに迷宮を目指すことになったのだった。
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