四十六杯め 風呂で男子トークをしなさい
かこーん。
どこかで鹿威しの音がした。
俺は温泉に浸かっていた。横にはグルオガがいた。
「……」
俺たちは無言だった。俺はこの男が苦手だ。何を話せばいいのかわからない。それは相手も同じなのかもしれなかった。グルオガの伴侶の話を聞いてみたい気もしたが、親しくもなっていないうちに、いきなりそんなことを聞くのは憚られた。
かこーん。
なおも無言でいるとグルオガが口を開いた。
「カフィ殿、せっかく男同士で湯に浸かっているんだ。腹を割って話そうではないか」
「そうだな」
そう言った時。
ルアックが俺の目から出てきた。裸だったが、バスタオルを体に巻いていた。
「酒の妖精様ではないか」グルオガがぎょっとした。「これは、まさか、混浴ということか。いや幼女との混浴は混浴と言わないか」
「何を言ってるんだ。ルアックもルアックだ。このタイミングで出てくることはないだろう」
「ルアックはこのお湯が好き。ドワーフのお湯と違って浄化魔法がかかってないから」
「そうであろう。龍御殿自慢の天然温泉だ」とグルオガが言った。「1万年前の戦いで死んで地下深くに埋まった火炎龍の死体が源泉らしいぞ」
「聞かなければよかった」
「ルアックは死霊王。アンデッドの頂点。死体から出たお湯なら身体になじむはず」
「そりゃよかった」
「パパならその子をテイムできる」
「地下深くじゃ無理だろ」
と言った時。
「あ、ルアック、ずるいにゃ!」という声が上の方からした。男湯と女湯を隔てる壁の上からロブスが顔を出していた。
「ロブス殿!」と言って、グルオガが股間を隠した。武人のような外見だが、意外と恥ずかしがりなのかもしれない。
「ロブス、お前そんなところで何をしてるんだ」
「ボスが覗かないから、ミィが覗くことにしたにゃ」そう言うと、ロブスは壁の上で逆立ちをした。美しい背筋、殿筋、ハムストリング、ふくらはぎが並び、虎縞の尻尾が踊った。そしてロブスはそのまま男湯に向かって倒れ、空中で半回転し、俺の横の湯の中に落ちてきた。飛沫一つ上げない完璧な着水だった。
「あー、いい湯にゃ」
「ロブス、無茶なことをするな。お胎の子に障ったらどうする」
「平気にゃ。そっと降りたし、もうあんていきにゃ」
「早すぎるだろ。妊娠期間はどれくらいなんだ?」
「100日にゃ」
「3か月ちょいか。短いな」
「そうにゃ。虎はそんなもんにゃ」
俺たちがそんな会話をしていると、グルオガがロブスの胸を凝視していた。
「おい、俺の妻の胸を凝視するな」と俺は言った。
「ミィは構わないにゃ」
「ロブス!前を隠せ!」
俺は脱衣所に戻り、バスタオルを持ってきて、ロブスに後ろを向かせ、バスタオルを巻いた。
「これでよし」
グルオガががっかりした顔をした。
「ボスは中途半端にゃ」とロブスが言った。「俺が求めるのはこーひーだけだ!とか偉そうに言っておきながら、ミィの裸を見られるのをイヤがったりするにゃ」
「イヤなものはイヤなんだ」
グルオガが遠い目をして空を見ていた。
「ロブス殿のおかげで、死ぬまでにやりたい100のことが、また、2つも達成できた」
「2つ?」
「女の子と混浴する、女の子のおっぱいをナマで見る、の2つだ」
「また、と言ったな」
「女の子にチューされる。女の子のぱんつを見る。その2つもロブス殿のおかげで達成済みだ」
「性に目覚めた男子中学生か。あんただって、伴侶を得てこの里に戻ってきたんだろ」
「そうだ」
「ということは経験済みなんだろ?」
「そうだが……。あれを経験済みと言っていいものか」グルオガはまた遠い目をした。「伴侶と交わったのは一度きりだ。相手は龍のウロコで作った全身ぼでぃすーつを身につけていた。ちゅーも、モミモミもなかった。しかも真っ暗で何も見えなかった」
「全身ボディスーツ?」
「龍と人間が交わるのは命がけだ。龍の血を分け、強い肉体を得たとしても、限界はある。どうしても制御が効かず、魔力が漏れてしまうことがあるからな。拙者の場合は炎だ。カフィ殿もたいへんだったであろう」
「ああ」リベリーと交わった時は、俺の局部は凍り付き折れてしまったのだった。
「龍が女の時はまだいい。人間が女の場合、出産は命がけとなる。拙者の伴侶は、生まれてきた子に胎を焼かれ、死んでしまった」
「……」
「俺と伴侶の子は、飛竜となり、今頃どこかの空を飛んでいることだろう」
「あんた、かわいそうな奴にゃ」とロブスが言った。「おっぱいくらい見せてやるにゃ」そう言ってバスタオルを外し、ざばーんと立ち上がった。
「!」グルオガの顔が真っ赤になった。鼻孔が広がって目が充血した。「拙者はこれで失礼する!」と言って湯船から出た。股間を押さえ、前かがみになっていた。そして「目に焼き付いているうちに!」と言いながら脱衣所に入っていった。
「見た目は武人、中身は男子中学生」と俺は言った。「苦手な奴だと思ったが、中学生として扱えばいいということだ」
「根っから悪い奴じゃないにゃ」
「そうだな。でもお前はサービスしすぎだ」
「ミィにはなんで裸を見せちゃいけないのか、よくわからないにゃ。元が虎だから」
「イヤなものはイヤなんだ」
「るーたん のぼせた」と言ってルアックは俺の目の中に帰っていった。
ロブスが立ち上がり「おーい、りべりーもこっちにくるにゃ。ぐるおがは帰ったにゃ」と言った。
壁の向こうから「妾はセステル姉さまと積もる話があるのじゃ。そっちには行かんぞ」という返事があった。
「ノリが悪いにゃ」と言って俺の横に来た。そして俺の手を取り、自分の下腹部に置いた。
「こんなところで何を」
「ちがうにゃ。もう動くにゃ」
「え?」
指先に意識を集中すると、薄い肉の壁の向こうからノックするような感触があった。
「元気だな」
「あたりまえにゃ。ボスとミィの子にゃ。二匹いるにゃ」
「双子なのか?」
「双子ではないにゃ。オスとメスにゃ」
「わかるのか」
「ここまで育ったら気配でわかるにゃ。名前を考えておいてほしいにゃ」
「名前は顔を見て決めたいな」
「それでもいいにゃ」
手のひらでロブスの下腹部を包むと、たしかにそこには生命の気配があった。
「人の形か、虎の形か、どっちで生まれてくるんだ?」
「知らないにゃ。どっちでもいいにゃ」
「そうか。……お腹を冷やさないようにしろよ。お前、いつも臍を出してるだろ。お腹の隠れた服を着ろよ」
「関係ないにゃ」
「あるだろ」
「服を着ている虎を見たことあるにゃ?」
「ない」
「にゃ。自然が一番にゃ。あ、でも浴衣は好きにゃ」
ロブスは湯船から立ち上がった。「ミィもそろそろ出るにゃ。ごゆっくりにゃ」そう言って尻尾を振って脱衣所に向かった。
俺は一人になった。
かこーん。
どこかで鹿威しの音がした。
霧に包まれた岩山を見た。霧は前よりも薄くなっていた。そして違和感を覚えた。
違和感の正体はすぐにわかった。
浮き岩が一つも飛んでいなかった。
* * * * *
脱衣所を出て、休憩室にいたリベリー、ロブス、セステルと合流し、客間に向かおうとした時、騒ぎが起きていた。ドラグゼドルがババ様を羽交い絞めにしていた。
「離せ、我は戻らねばならぬ」白髪を振り乱し、ババ様はドラグゼドルの手を振り払おうとしていた。
「もう蓋はしたのじゃ。ババ様が戻ることはない」とドラグゼドルは言って、暴れるババ様を後ろから押さえようとした。
「蓋などしてはいかん!」とババ様は言った。
「おい、どうしたんだ」と俺は声をかけた。
「おお、カフィ殿、よいところに。この通り、ババ様が戻るといって聞かんのじゃ」
「客人か。これは里の問題。口を出すでない」とババ様は言った。
その時。
どくん。
リベリーの胎から波動が広がった。
胎慟だ。
「胎内の子は皆、無垢と混沌の王」とババ様が言った。「離せ、ドラグゼドルよ。我は行かねばならんのじゃ」手を振りほどこうとして力んだ瞬間、
「ぐはっ!」
ババ様は血を吐き、膝をついた。
「ババ様!」リベリーが駆け寄った。
「ロブス!」俺が声をかけるとロブスは浴衣の上にかけていた革ベルトから瓶を抜き、エリクサーを飲ませた。ババ様の体が白い光で包まれた。エリクサーを栄養ドリンク代わりに使ってしまっているような気がしたが、そんなことも言っていられなかった。
「弱った身体で無理をするからじゃ」と言って、ドラグゼドルはババ様を抱き上げた。「おぬしらもついてまいれ」そう言って歩き始めた。
向かった先は客間だった。布団があり、ドラグゼドルはババ様を布団に寝かせた。ババ様は小さな寝息を立てて寝ていた。
「ババ様の代わりに岩で封印門に蓋をしたのが気に入らんらしくての……」とドラグゼドルは言った。「そのようなことをすれば異変を招き寄せるといって聞かぬのじゃ」
「そういえば」と俺は言った。「浮き岩が一つも飛んでないぞ」
「なんと。……ヒルダ!」
「ここに」障子が開き、そこに近習の女性、ヒルダがいた。
「浮き岩がどうなったか、調べてきてくれ」
「御意」
ヒルダの姿が、かき消すように見えなくなった。
ドラグゼドルが障子を広く開いた。霧に包まれた岩山が見えた。しかし浮き岩は飛んでいなかった。俺たちは黙って、浮き岩のない、外の景色を見た。
「あれは冥府の門」小さな声でババ様が言った。「1万年の長きにわたり、我はその上に座り、闇龍を抑えておった。それは世の理の根幹にあった。おぬしら、それがわかった上で、我をあの門より移したのか」
「ババ様、門を塞いだのは分厚い魔断岩じゃ。どんな魔力も通しはせん。門を塞ぐのにこれほど適したものは他にあるまいて」とドラグゼドルは言った。
「塞いではならん。呼吸をするように、少しずつ、あやつの悪意を抜き出していた。我はそのための安全弁だったのじゃ」
「ババ様」とリベリーが言った。「でもそのために、ババ様はしゃべることもできず、死にかけていたのではありませんか」
「青姫か。そちの胎の子、だいぶ元気がええようじゃの」ババ様はかすかな笑みを浮かべた。「何百年ぶりじゃ?この里で子が生まれるのは」
「5百年ぶりだ、ババ様」とグルオガが言った。「俺の子が生まれたのが5百年前だ」
「もうそんなになるんかの……」ババ様はまた寝息を立て始めた。
「父上」とグルオガが言った。「やはり元に戻すべきではなかろうか」
「何を申す」とドラグゼドルは言った。「ババ様にまた蓋の役目をせよと言うのか。そんなことはさせられぬ」
「しかし、霧が薄れ、浮き岩もなくなった。これは異変ではないのか」
「さりとて」
「では妾が」とリベリーが言った。「ババ様の代わりを務めましょう」
「おい、リベリー」と俺は言った。「ダメだ、それは」
「いいのです、カフィ殿」と言ってリベリーはドラグゼドルの方を向いた。「ただ、ひよこ丸を無事に産み落とすまでは待ってもらいたいのじゃ」
「生まれてくる子をほったらかすのか?」
「カフィ殿に任す。時々連れて来てくれたらそれでよい」リベリーの目には涙が浮かんでいたが、それをこぼさないようにしていた。
ヒルダが戻ってきた。「報告します。やはり龍御殿の周囲を飛んでいた浮き岩は、一つ残らず消滅したようです。里の記録に当たってみましたが、この1万年のあいだ、このような現象は発生していませんでした」
重苦しい空気が一層深まった。
「くそっ、せっかく、誰も犠牲にならずに済む方法が見つかったと思ったのに」と俺は言った。「おい、ロブス、何かいいアイディアはないか。お前なら何か思いつくんじゃないか」
「ボスは熱くなりすぎにゃ」とロブスは言った。「そんな、らしくない様子じゃ、いいアイディアも出ないにゃ」
「頼むから、そんなこと言わないでくれ」
「この件についてはミィよりも適任者がいるにゃ」とロブスは言った。「にゃ、ルアック?」
俺の目とサングラスのあいだからルアックが出てきた。
「ルアックは死霊王。アンデッドの頂点にして冥府との懸け橋」古代中国の女帝のような格好をした幼女が宙に浮かびながら言った。「その子とお話をすればいい」
「その子?」
「封印されてる子。ずっと閉じ込められてたら、誰だっておかしくなる。きちんと話を聞いてあげればいい」
「バカな!」とドラグゼドルは言った。「闇龍と対話じゃと?ありえない!」
「そういう態度がこの事態を招いた」とルアックは言った。「最初から決めつけるのは悪い癖」
「酒の妖精様」とセステルが言った。「某には、酒の妖精様のおっしゃることは、もっともなことに聞こえるのでございます。料理をする時にも、大切なのは、肉や野菜など素材の声に耳を傾けることでございましょう」
俺は「うん」とうなずいた。この人とは気が合いそうだ。
「ですが、1万年も封印され、荒れ狂う闇龍と、どのように語り合えばよいのでしょう。某には見当もつきません」
「蓋を開けて中に飛び込めばいい。そうすればイヤでも話ができる」とルアックは言った。
「闇龍の封印の中に飛び込むじゃと?ありえない!」と叫んでから、ドラグゼドルは、ルアックの冷ややかな視線に気づき、咳ばらいをした。「そんなことをすれば、飛び込んだものはただでは済むまい」
「強い人が行けばいい。闇龍にも負けない強い人が」
その時。
どくん。
リベリーの下腹部から波動が広がった。
「どうしたのじゃ、ひよこ丸」リベリーの顔色が変わった。「何をそんなに怯えておるのじゃ」
どくん。
胎児の発するその波動は俺たちを包み、俺たちに共有した。
それは怯えと不安だった。
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