三十九杯め 竜の里に行きなさい
四角い穴の先は、広い空洞で見覚えのある場所だった。
「地龍と戦った場所じゃな」とリベリーが言った。「魔核の外に出たらしい」
「ああ。迷宮の魔核よ、聞こえるか」
(うん)と念話が飛んできた。
「地龍を出すのはここでいいのか」
(お願い)
俺はラテをアイテムボックスから出した。右前足が欠損し、腹に大きな縫い傷のある巨大な死屍地龍は、頭にオリハルコン製の兜をかぶっていた。
「ラテ、ここでラスボスをやってくれ」
(あたしはこの迷宮のヌシだった。また迷宮のヌシに戻れっていうなら、戻ってやるさ)
「しっかり頼むぞ。これは俺からのプレゼントだ」
俺はアイテムボックスから髭槌牛を出した。
(ふ、わかってるじゃないか、飼い主殿)
ラテは、むしゃむしゃと髭槌牛を食べ始めた。
(洞窟の奥に進んで)と迷宮の魔核が言った。でかい牛を食っているラテの横を通り、俺とリベリーは洞窟の一番奥に行った。
(目の高さに、すべすべした石があるだろ?それに二人で触って)言われた通りにすると、目の前の壁が左右に開き通路が現れた。俺たちはその通路を進んだ。少し歩くと大きな空洞があった。洞窟ではなく、人工的な空間だった。床には大きな魔法陣があった。
(転移魔法陣の真ん中に立って)
俺たちは魔法陣の中央部にある円の中に並んだ。
(しっかりくっついて。離ればなれにならないように)
「密着なのじゃ」と言ってリベリーが抱きついてきた。
(じゃあ、行くよ。転移!)
魔法陣に白い光が走り、俺たちは光に包まれた。ジェットコースターが落下を始めた時のような、ひゅん、とした感覚があった。
(ご利用いただき、ありがとうございました)という声が聞こえた。頭の中に直接響く念話であり、録音音声のような、無機的な声だった。それは、迷宮の魔核であり、迷宮の作者イリヴルク・ガルドルウィタの人格コピーの声だった。(強化と試練、酒と恋のテーマパーク、マルメロ迷宮を、お楽しみいただけましたでしょうか。またのお越しをお待ちしております!)
気が付くと、俺たちは違う場所にいた。
お寺の本堂のような、広い部屋だった。天井は高く、床には魔法陣があった。魔法陣が発するまばゆい光が薄れていき、その部屋に人がいることがわかった。正面に玉座があり、そこに顎髭を生やした壮年の男が座っていた。右手には、いかにも武人という男が立っていた。左手には、着物姿の女性がいた。皆、俺たちが現れたのを見て驚きの表情を浮かべていた。
「おのれ、何奴!」と右の武人が叫んだ。
「お久しゅうございます、父上」とリベリーが言った。
「青姫か?久しいな」と正面の玉座に座っていた顎髭の男が言った。「その姿、おぬしも龍になったということだな。おぬしの横にいる男は?」
「妾の伴侶、カフィ殿です」とリベリーは俺にくっついたままで言った。「妾はカフィ殿より『りべりー』という名を賜りました」
「名を得たか。その男に龍の血を分けたのだな」
「はい。妾が生涯添い遂げるお方、我が愛しの夫にございます」
リベリーが俺を抱く手に力を入れた。俺はすっと身を離した。「密着がいいのじゃ」とリベリーが言ったが無視した。
「俺はカフィだ。コーヒーを探し求める者だ」と俺は言った。
「カフィ殿は、世界を救おうとしない救世主なのじゃ」
「救世主じゃと?」と玉座の男が言った。「聞き捨てならんな」
「俺は救世主などではない。コーヒーを探し求める者だ」
「妾はカフィ殿の行くところ、どこへでもついていくのじゃ」
「ついてきたければ勝手にするがいい」と俺は言った。すると右にいた武人が「きさま、さっきから聞いておれば矮小な人間の分際で生意気な口をききおって。青姫よ、そなた、そやつに騙されておるのではないか?」
「グルオガ兄さま、妾の選んだ伴侶、カフィ殿に失礼な口をきくのはおやめくだされ。それに妾はもはや青姫ではありませぬ。りべりーです。りべりーとお呼びくだされ」
「ぐぬぬ……」グルオガと呼ばれた武人を俺をにらんだ。
「兄さま、そして父上。お聞きください」とリベリーが言った。「妾の腹は、カフィ殿の子を宿しております」
え?
「リベリー、どういうことだ。聞いてないぞ」
「……我が妹が、矮小なる人間の男に寝取られただと?ふざけるな!死ね!」
グルオガは俺に指を向けた。その指から真っ赤なブレスが光線となって俺に向かってきた。俺の方がグルオガの側にいたので、俺はリベリーをかばう形になった。
(ぱぱのぴんち えい!)
俺の左目の中にいたルアックが鏡防返呪を展開した。相手の攻撃を跳ね返し、相手の防御も阻害する最強の盾だ。鏡防返呪が真っ赤な光線を受け止め、一瞬のタメがあり、その光線は更に細く、収束され、強烈な光の槍となってグルオガを襲った。グルオガは左胸を貫かれた。何が起きたのか理解できないまま後ろに倒れた。胸から血が噴き出した。
ロブスがアイテムボックスから勝手に飛び出し「龍の血にゃ!」と言って、グルオガまでジャンプし、着地すると同時に胸の血を吸い始めた。
「ロブス、治療してやれ」と俺は言った。ロブスは肩から斜めにかけた革ベルトから小瓶を抜き、中身をグルオガの口に流し込んだ。胸の傷が光を発して塞がっていった。グルオガはよろよろと上半身を起こした。その途端に口から血を吐いた。
「もったいないにゃ!」と言って、ロブスはグルオガの口に吸い付き、溢れる血を吸った。
ロブスがグルオガから離れた。口の周りを真っ赤に染めたロブスをグルオガは見た。グルオガの口の周りも真っ赤だったが、頬も赤くなっていた。そして瞳をうるませて「可憐だ」と言った。
「なんにゃ?」
「ロブス殿、と呼ばれていたな。拙者の伴侶となってくれ!」とグルオガはロブスに頭を下げた。
「にゃ?」
「拙者の伴侶はとうになくなってしもうた。拙者の伴侶となり、子をもうけてくれ!」
「何を勝手なことを言ってるにゃ。ミィはボスのペットにゃ。5回も交尾したにゃ」
「ぬ?」
「ミィもボスの子をはらんでるにゃ」
え?
「ロブス、聞いてないぞ」
「ぐぬぬ、このような可憐な娘までかどわかすとは、許さんぞ、矮小なる人間め!」
「控えよ、グルオガ」と玉座の男が言った。「おぬしは力で負けたのじゃ。負け犬の遠吠えは見苦しい」
「ぐ……」
「カフィ殿。愚息が失礼をした。我は龍の里の長、ドラグゼドルじゃ。我は強い者を好む」と玉座の男、ドラグゼドルは言った。「して、先ほどの小瓶の中身はなんじゃ?貫かれた心の臓を再生したようじゃが」
「エリクサーだ」と俺は言った。
「エリクサーじゃと?神代の奇跡の薬ではないか」
俺はロブスの革ベルトから3本の瓶を抜き取ると、ドラグゼドルの前にあった小さなテーブルに置いた。「あいさつ代わりに受け取ってくれ」
「3本の瓶か。これはなぞかけじゃな。セステルよ、どう見る」
左にいた着物の女が思案の表情を浮かべた。そして、
「一は孤独。二は対立。三は対立を乗り越えて統合し、新たな価値が生まれたことを示す数。三とは、力、智慧、真理を示す数にございましょう」と答えた。
いや、そんなつもりはないんだが。適当な数を抜き取っただけだ。
「カフィ殿、おぬしにとって三とは何か」とドラグゼドルが言った。
「注ぐ、待つ、観察する、だ」と俺は言った。「酸味、甘味、苦みの3要素をバランスよく抽出するために必要なことだ」
「ほう。待つとは何を待つのじゃ」
「粉に湯が浸透し、粉の持つ潜在能力をすべて引き出すことだ。それは無理やりに引き出せるものではない。それはただ、時間の経過のみが引き出せるクオリティだ」
「時計では測れぬ時間のことを言っておるのだな」
「時計で測れるかどうかは問題ではない。大切なのは焦らずに変化を待つこと、そしてタイミングを外さないことだ。早すぎれば味が出ないし、遅すぎれば雑味が出る。それを見極めるための観察だ」
「時間とは何か」
「コーヒーを味わう時に必要なのは、過去でもなければ未来でもない。今、この時だけだ」
それを聞いて、ドラグゼドルは、くっくっく、と笑い出した。
「気に入った。カフィ殿。リベリーの伴侶として歓迎しよう」
「父上、妾がこの里に帰ってきたのは、伴侶の紹介のためだけではありませぬ。闇龍人について教えていただきたいのです」
闇龍人と聞いて、ドラグゼドルの眉がぴくりと動いた。が、「今宵、歓迎の宴を開く。話はそこで聞こう。こちらからも聞きたいことはある。夕刻に使いを出す。それまではゆるりとされよ」と言った。
「みごとな受け答えじゃった、カフィ殿。さすが妾の伴侶じゃ」と、御殿の廊下を歩きながらリベリーが言った。俺たちは、龍御殿の中にある客間を使わせてもらえることになった。ヒルダという名の、若い女性が先導してくれた。聞けば、「近習」という、殿様の身辺警護をする役目なのだという。
御殿の外には、霧に包まれた岩山が広がっていた。水墨画のような景色だった。霧の中に、巨大な岩がぷかぷかと浮いていた。
「あれは浮き岩じゃ。なぜ浮いておるのか、なぜ存在しておるのか、誰も知らぬ」とリベリーが言った。
客間につき、ヒルダは礼をして去った。
「さて」と俺は言った。リベリーとロブスが俺の前に座っていた。「お前ら妊娠してるのか」
「そうじゃ」
「にゃー」
「気づくのが早すぎないか?」
「わかるじゃろ」
「にゃ」
「いや、普通は妊娠が判明するまでに1か月くらいかかるんじゃないのか?」
「自分の中に自分のものではない魔力が芽生えたのじゃ。そりゃ、気づくじゃろ」
「にゃ」
「気づいたときになぜ教えてくれなかったんだ?」
「さっき、あの場で気づいたからじゃ」
「ミィもにゃ」
「二人ともか」
「龍の里の雰囲気が影響したのかもしれんの」とリベリーが言った。「ここは時間の流れ方が異なっておるし、妾にとって心が落ち着く場所じゃ」
「ミィも」
「ふわふわ漂っていたカフィ殿の種が、妾の腹に着地したのじゃろう」そう言って、リベリーは自分のお腹をさすった。
(ぱぱ ほんとにぱぱになったね)と俺の目の中でルアックが言った。
「リベリー、ロブス」と俺は言った。「あんまり無理するなよ。体をだいじにしろ」
「あたりまえじゃ。せっかく授かったカフィ殿の子じゃ。腹に触るようなことは控えるのじゃ」とリベリーは言った。「まあ、妾も龍じゃ。滅多なことでは腹に触ったりはせんがの」
「ミィもだいじょうぶにゃ。獣ははらんでる時も戦うにゃ。はらんでる時の方が強いにゃ。あ、でも交尾は控えるにゃ」
(じゃあ、るーたんがぱぱのおあいてする るーたんも ぱぱのたねがほしい)
「おいおい」
「妾も少し控えさせてもらうが、あんていきに入ったら、少しくらいなら、してもいいのじゃぞ?」とリベリーが恥ずかしそうに言った。
その時「失礼します」という声があり、障子がすっと開いた。近習の女性、ヒルダだった。「お湯の用意ができました。こちらはタオルと着替えでございます」
ヒルダに案内され、廊下を歩いた。「男湯」と書かれた暖簾があった。「カフィ殿はこちらに」とヒルダが言った。
「妾はカフィ殿といっしょがいいのじゃ」
「ミィも」
「奥方様がたはこちらです」と言って、ヒルダはリベリーとロブスの背を押すようにして「女湯」と書かれた暖簾の方に連れて行った。
「ドワーフの里では男も女もいっしょに風呂に入ったにゃ」とロブスが言った。
「ドワーフのような下等で野蛮な連中といっしょにされては困ります」とヒルダが言った。
俺は男湯の暖簾をくぐり、戸を開けて中に入った。脱衣所があり、俺は服を脱いで籠に入れた。脱衣所の先に露天風呂があった。俺は体を洗い、湯に入った。霧に包まれた岩山の風景が眼前に広がっていた。どこかで、かこーん、と鹿威しの音がした。
なんとも静かな空間だった。湯が、体の隅々にまでしみとおるようだった。
「おーい、ボス、覗かにゃいのか?」という声がして、静寂が破られた。
せっかくの水墨画的な雰囲気が台無しだった。
きゃっきゃと騒ぐ女たちの声を聞きながら、じんわりと体の芯を温めてくれる湯を俺は心ゆくまで楽しんだ。
サウナがあった。入ってみると中は暑かった。というか熱かった。壁に温度計がかかっていた。温度は二万℃だった。熱いわけだ。炎攻撃無効があったよかった。そうでなければ黒焦げになるどころか、一瞬で体が蒸発していただろう。汗が噴き出した。
「高温で液体を抽出か。まるでエスプレッソだな」と俺は言った。ん?エスプレッソ?何か忘れてる気がするが……。細かいことは気にすまい。この世界でコーヒーを飲むという野望に比べれば、すべては些事にすぎない。
俺は7分ほどサウナにいて、外にあった冷水に入った。冷たかった。温度計を見ると、マイナス273.15℃だった。そうか、絶対零度か。冷たいわけだ。氷攻撃無効があってよかった。そうでなければ、氷の彫刻になるどころか、一瞬で粉々になっていただろう。絶対零度で水が凍らないのはなぜだろうと思った。しかし考えてはいけない。ここは異世界なのだ。元の世界の常識で推しはかろうとするのは愚かなことだ。俺は1分ほど冷水に浸かり、置いてあった椅子に腰かけた。体の表面が冷たく、芯がほかほかとしていた。体をきれいに拭き、俺はまたサウナに入り、冷水に浸かり、椅子に座った。それを5回繰り返した。
浴衣に着替え、脱衣所を出ると休憩室があり、リベリーとロブスが待っていた。二人とも浴衣を着て、濡れ髪で、頬を上気させていた。体から湯気が出ていた。
こうして完全に整った状態で、俺は歓迎の宴に臨んだ。
毎日10時、16時に投稿します。




