三十五杯め 壁を壊しなさい
ゴブリン集落でのバーベキュー撤収後、森の中にある隠された門を通り、ドワーフの里に入った。里長である「轟雷のバルグリム」が言っていた用件、地龍であるラテに兜をかぶせ、「あれ」を砕くためである。
大空洞を通り、居住層を抜けた。聖騎士フィラ・ウィタラートは、ドワーフの女から下着と服をもらって着替えた。何を見ても「ほう!」とか「これは!」と言って騒いでいた。俺たちはミスリルの採掘場である第2階層に降りた。さらに下り、第3階層はアダマンタイトの採掘場だった。
「ここから降りるぞ」とバルグリムが言った。四角い穴が開いて、真下に降りる梯子が見えた。「気をつけて降りるんじゃぞ。手を滑らせれば真っ逆さまじゃ」
俺は一段ずつ慎重に階段を下った。俺の上にフィラがいた。顔を上げると、フィラのスカートの中がよく見えた。黒瞳環という指にはめると夜目が効くようになる魔道具のおかげだった。
「スナ師匠、いるか」
「はい、カフィさんのすぐ下に」
「黒瞳環、借りっぱなしだったな」
「差し上げますよ」
「いいのか」
「ええ。その代わり、変なことに使わないで下さいよ」
「変なこと?」
「覗きとか」
そんなことを話していたら、足が地面についた。
「ここが最下層じゃ」
広い空洞だった。たくさんの横穴があった。
「迷うとドワーフでも出てこられなくなる。ついてこい」
俺たちはバルグリムの後について、横穴に入っていった。
「ここじゃ」
横穴を抜けたところに、また広い空洞があった。正面は、黒くて平たい壁のようになっており、行き止まりのようだった。
「掘り進みたいのじゃが、巨大な魔断岩に阻まれておる」
「魔断岩?なんだっけ、聞いたことあるな」
「魔法を通さない堅牢な岩石じゃ。円形闘技場も魔断岩でできておる」とリベリーが言った。
「左様。魔法を通さないため、掘削用の魔道具や爆破魔法でも穴を開けることができん。物理的に破壊するしかない。そこでじゃ」とバルグリムは俺を見た。「地龍であるラテ選手の出番じゃ」
俺は魔断岩の壁に手を触れ「収納」と言った。しかしアイテムボックスに収納することはできなかった。「動かせないものは収納できないみたいだな」
俺はアイテムボックスからラテを出した。オリハルコン製の、濃鉄色に輝く兜をかぶった巨大な地龍が出現した。フィラはとっさに腰に手をやったが、そこに剣はなかった。
「どこから出てきた!」
「俺のアイテムボックスだ」
「あいてむぼっくす?なんだそれは」
「説明は後だ」
「入ってみればわかるにゃ」と言って、ロブスがフィラの手を引いてアイテムボックスに入った。ロブスとフィラがアイテムボックスに吸い込まれていった。
「まったく自由な奴だな、ロブスは」
俺はラテに「あの黒い岩を砕けるか?」と言った。
(あたしはこの迷宮のヌシだった。今は飼い主殿、あんたのしもべさ。やってみるよ)
ラテはオリハルコン製の兜の下からぎらぎらとした目で魔断岩の壁を睨んだ。そして「グギャゴァァァァァァッ!」と吠えると突進した。ずがーん!とすさまじい音がした。
「落盤事故なんて起きないだろうな」と俺はバルグリムに叫んだ。
「だいじょうぶじゃ、結界を張ってある」とバルグリムが叫んだ。
「ルアック、お前の力場魔法、見えざる指でラテをサポートしてくれ」
(わかった)
俺の左目からルアックが飛び出した。ラテは、ずがーん!ずがーん!と壁に突進していた。その背中を見えざる指が押した。ラテのタックルが加速した。
びし。という微かな音がした。
びし。
びしびし。
魔断岩の壁に亀裂が入った。
「もう一息だ。行け、ラテ、ルアック!」
ラテが、「グギャァッ!」と吠え、壁に突進した。その背を見えざる指が押した。これまでで一番の加速だった。兜のトサカの部分が亀裂の部分に当たり、そのままめり込んだ。
びしびしびしびし……!
亀裂が縦に伸びていった。そして「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……」という地響きがし始めた。
「まずい、結界がもたん。崩落するぞ!」とバルグリムが叫んだ。
「リベリー!」俺が叫ぶとリベリーが空洞の天井を巨大な氷で覆った。そして巨大な氷の柱を何本も出現させ、壁と天井を結合し、空洞の天井を支えた。
地響きが収まった。
黒い壁は、半分に割れ、ぐらぐらになっていた。ルアックが左半分を見えざる指で揺すり、地面との間に隙間を作っていった。持ち上げると「ずぼっ」と音がして巨大な岩が地面から抜けた。その岩に触り「収納!」というと、アイテムボックスに入れることができた。右半分も同様にしてアイテムボックスに収納した。
黒い壁がなくなり、その先にあったのは、丸みを帯びて光沢のある、翡翠色の巨大な鉱石だった。
バルグリムが「こんな鉱石は見たことがない」と言って驚いていた。
俺は鉱石に触れ「収納」と言った。何も起きなかった。ま、そうだろうな、と思った時、
「やあやあやあ、誰だい、ぼくに触れるのは?」という声がした。俺はあたりを見渡した。そこにいたのは、リベリー、バルグリム、ラテ、ルアックだけだった。スナはきっとどこかにいるのだろう。俺は目の前の鉱石を見た。
「今しゃべったのはお前か」
「そうだ、そうだよ、ご名答」と鉱石が言った。
「お前は何者だ」
「このマルメロ迷宮の魔核だよ」
「魔核だと?」
「そうだ、魔核だ」
「しゃべるものなのか」
「正確に言えば、ぼくは、このマルメロ迷宮を作った天才魔導士イリヴルク・ガルドルウィタの自我を複製した自動人形だ。この魔核は、だいぶ厳重に隠してたんだけど、ほじくり出す奴がいたとはね。それで君は誰なんだい?」
俺はロブスとフィラをアイテムボックスから出した。代わりにラテをアイテムボックスにしまった。
「お前らも話を聞いておけ」
俺は魔核に向き合っていった。「俺は冒険者カフィ。コーヒーを求めて旅をする者だ」
「またの名を世界を救おうとしない救世主じゃ」
「ミィはボスのペットにゃ」
「るーたんは ぱぱ だいすき」
「何が起きている?」とフィラが言った。「この光る石は何だ?異世界から来た勇者よ」
「世界を救おうとしない救世主、だって?」と魔核が言った。「異世界から来た勇者?これはおもしろい!カフィくん、君の魔力から龍の血を感じたけど、君は龍じゃないのかい?」
「俺の伴侶が龍だ。龍の血をもらった」
「カフィ殿!」とリベリーが叫んだ。「今、妾のことを伴侶と呼んでくれたのか。初めてじゃの、うれしいのじゃ!」
「龍人がそこにいるんだね。円形闘技場で氷を出した子か……」と魔核が言った。
「なぜそれを知っている」
しかしそれには答えず、「カフィくん、君の伴侶といっしょに、ぼくに触れてくれないか」と魔核は言った。
俺はリベリーの腰に手を回し、二人でいっしょに魔核に手を触れた。
「ミィも!」と言って、下からロブスが割り込んできた。
「るーたんも」
「これに触ればよいのか?」とフィラが言って魔核に触った。
「フィラ、お前は俺の伴侶ではないだろう」
「誤差の範囲内だ。気にするな」
「気にするよ。それからスナ師匠?」
「さっきからここに」
「なぜあんたまで?」
「いるのかいないのかわからないようなわたしですが、そこそこ長い付き合いじゃないですか。ぽっと出の聖騎士になんか負けてられません」
「ペット枠はミィのものにゃ!渡さんにゃ!」
「あっはっは、モテモテだね、救世主くんは」と魔核が言った。「龍人、龍獣人、死霊王、聖騎士、暗殺者か……。これでドワーフなんかもいればもっとよかったのにね」
「儂も参加すればいいのか」とバルグリムが言って、魔核に触れた。
「ああ、男もイケる口かい?やるね」
「こいつは俺の伴侶じゃない」
「儂は轟雷のバルグリム。ドワーフの里の長をしておる」
「ドワーフの里長か。そりゃちょうどいい。みんな揃ってご招待だ」
魔核がそう言うと、硬かった表面が急に液体のようになり、そこに手をついていた俺たちは、翡翠色をした巨大な鉱石の中に吸い込まれていった。
* * * * *
世界のどこかにある居城の椅子に座り、フライナ・フラインヴァルグはぼんやりと窓の外の空を見ていた。小雨が降る、薄曇りの日だった。うす暗い部屋の中で、白いタキシードは周囲から浮き上がって見えた。
慢性的な人材不足の中、側近であったバジラ・イグニフェリオスを倒され、フライナ・フラインヴァルグは一人で多くの仕事をこなさなければならず、疲労がたまっていた。加えて、姫騎士をテイムした時に、ごっそりと生命力を奪われてしまった。そのため、非常に体が重かった。
バジラ・イグニフェリオスの代わりに自分の側近にするつもりでさらってきた姫騎士は、塔の最上階にある部屋に置いた棺桶の中に引きこもってしまった。鉄の膜に覆われ、仮死状態になっている。もう一度、死なない程度に痛めつけてからテイムしようかと思ったが、また失敗すれば、次こそは命まで奪われてしまうだろう。塩漬けにしておくしかなかった。
「死なない程度に痛めつける」という言葉は、フライナ・フラインヴァルグが、父であるハルヴァルド・フラインヴァルグから受け継いだものの一つだった。父ハルヴァルドは、死なない程度に痛めつけるのがほんとうに上手な人だった。
フライナ・フラインヴァルグは、首から提げたロケットの蓋を開けた。そこには、父ハルヴァルドと母ミルドリンの写し絵が入っていた。「尊敬する父上、愛する母上……」フライナ・フラインヴァルグはロケットに口づけをした。その口づけは、苦かった。その口づけがなぜ苦みをもたらすのか、フライナ・フラインヴァルグは考えないことにした。感情は不浄なものだった。「私には尊敬する父と愛する母がいた」という、清浄な物語で上書きされるべきものだった。
薄曇りの空を眺めながら、フライナ・フラインヴァルグは幼い日のことを思い出した。
フライナは、世界を整理することで生き延びようとしてきた少年だった。彼自身の言葉を使えば、世界を消毒することによって、生き延びようとしてきた少年だった。
父ハルヴァルド・フラインヴァルグはアクセサリー作りの職人だった。とても、腕のいい職人だった。定規とコンパスを使って設計図を引き、その設計図通りにアクセサリーを作ることが正しいと考えていた。彼のデザインはすべて線対称か点対称だった。「整理されているか、否か」がすべての判断基準だった。彼にとって製作とは、誤差の排除を意味していた。あいまいさ、ゆらぎ、例外は唾棄すべきものだった。測定できないものに価値はなかった。設計図通りになるまで、彼はひたすらに小さなハンマーで金属を叩いた。
父ハルヴァルドは息子フライナを「死なない程度に痛めつける」ことによって教育した。最初にフライナが「死なない程度に痛めつけ」られたのは、父の工房で、工具の置き場を間違えた時だった。「整理整頓もできない人間に職人は務まらん」といってハルヴァルドはフライナの顔の形が変わるまで殴った。妻が止めても、「これが息子のためになるんだ」と言って聞かなかった。彼にとって、肉体と心は矯正されるべき素材だった。ミルドリンがおずおずと「かわいそうじゃありませんか」と言うと、「かわいそうとは何事か。かわいそうというのは感情だ。感情のようなあいまいなもののために、息子の将来を犠牲にするのか」と言って怒鳴った。父ハルヴァルドは自分が怒りという感情に支配されていることに気づかなかった。「フライナを立派な職人に育て上げ、俺の設計図通りの作品を作らせることが息子の幸せになると、なぜおまえにはわからないのか」そう言ってミルドリンも殴った。母の鼻から血が流れるのを、幼いフライナは見た。血は赤かった。それは「整っていることだけが安全だ」という教訓が刻み込まれた瞬間だった。
父が仕事に戻ると、母ミルドリンは、幼いフライナの血をやさしく拭きとり、抱きしめて言った。「お前は自分のしたいことをして生きていいんだよ」しかし、その言葉はフライナの耳には届かなかった。「整っていることだけが安全だ」という教訓を、フライナは自分に向かってつぶやき続けていたからだ。ミルドリンは、悲し気に息子を見た。息子の瞳は赤かった。それは、母であるミルドリンから受け継いだものだった。母は被差別民族の出身だった。その民族は赤目族と呼ばれ、闇龍人の子孫と言われていた。王城の街に来てから表立って差別されることはなかったが、故郷の村での差別はひどいものだった。ミルドリンの体が弱いのは、成長期にろくな食べ物を食べることができなかったせいだった。職人であるハルヴァルドと結婚したのは、職人の子なら飢えることはないだろうと思ったからだ。しかし、我が血を分けた息子、フライナは、自分の幼少期と同じか、それよりもひどい暴力を実の父親から受けていた。それがミルドリンには悲しかった。闇龍人の血がそのような不幸を呼び寄せていると考えると、ミルドリンには自分の血が憎かった。しかし彼女は夫の暴力を止めるだけの力はなかった。彼女にできるのはぶつぶつとつぶやき続ける息子を抱きしめることだけだった。
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