二十九杯め 剣の稽古をしなさい
えっちな場面があります。苦手な方はご注意ください。
俺とリベリーは、初夜の床につこうとしていた。
しかし、その前に。
「ルアック。これからパパはだいじなお仕事があるから、お前はロブスお姉ちゃんのところにでも行ってなさい」
(やっぱするんじゃん。えっちなこと)俺の目の中でルアックは言った。そして目から出てきて「好きにしなよ、パパのバカ」と言って、壁をすり抜けて部屋を出ていった。
「スナ、はさすがにいないな」返事がないことを確認した。
俺はステータス画面を開けた。
「何をしておるのじゃ」
「お前のテイムを解除する。けじめみたいなもんだ」
「不要じゃ。……実はもう、テイムはされておらん」
「どういうことだ?」
「瀕死のケガでこの迷宮に落ちてきた時、エリクサーで治療してくれたじゃろ。あの時、精神干渉無効を取得して、テイムも解除されたんじゃ。……妾は自分の意志でカフィ殿に抱かれるのじゃ」
しゅるしゅる、と音がして、リベリーは帯を外した。俺もサングラスを外し、服を脱いだ。リベリーは、俺の心臓の上に手を置いた。
「後戻りはできないぞよ。よいのか、カフィ殿」とリベリーは言った。
「俺の覚悟を問いたいなら無駄だ、リベリー」と俺は言った。「俺は世界を救おうとしない救世主だ」
「世界を救おうとしない救世主、か。なぞかけのようじゃな」リベリーの着物が、はらり、と床に落ちた。「ならば、妾は何になればいいのかの?」
「言葉のない物語に」と俺は言った。「一杯の至高のコーヒーのような、言葉のない物語に」
そしてリベリーは「言葉のない物語」になった。
俺はリベリーと交わった。
この世界に来てからずいぶん不思議な体験をした俺だったが、龍人と交わる体験は、何と比べようもないほど不思議な体験だった。
リベリーの中に入っていく時、俺にはまだ輪郭があった。名前があり、言葉があり、役割があった。薄明の中、俺はほどけていった。俺とリベリーは、二匹の龍になっていた。二匹の龍は絡み合いながら、光に向かって上昇していった。
音もなく水面が開いた。深みから柔らかな気配が立ち昇った。感情が形を結ぶ前の震えがあった。リベリーの顔は、月の反射のように、見る角度ごとに姿を変えた。
空気が濃くなり、時間が粘りけを帯び始めた。心拍は、規則正しいリズムを刻み、黄金色の麦の穂を揺らした。一つひとつの麦の穂は、これほどないまでに鮮明でありながら、輪郭は全体の中に溶け込んでいた。二匹の龍──俺とリベリーのあいだにあったはずの境界は香りとなって消えていった。俺は言葉を発しようとしたが、ここでは、理解よりも受容が先にあった。説明は光の中で消えた。
二つの呼吸が重なった。その瞬間、遠くで小さく鐘が鳴った。言葉にならない肯定が、静かに、くるくると回転し、二人の名は透明になった。リベリーは俺の影に溶け、俺はリベリーの光の中に消えた。問いは沈黙へと変わっていった。中央は辺境と一つとなり、新しい恒星が生まれた。思考は歌となった。感情は羅針盤を震わせた。
静けさの底から沸き起こるものがあった。名を持たない全体が、ただ存在していた。
俺とリベリーは二人同時に絶頂を迎えた。その時、リベリーはこらえきれず、絶対零度の冷気を少しだけ漏らしてしまった。その結果、俺の局部はカチンコチンに凍り、根本からぽっきりと折れてしまった。なんとも冴えない話だ。リベリーは頬を上気させ、裸の胸を、荒い呼吸で上下させていた。俺はこっそりベッドを抜け出して、上級ポーションを使った。再生しないので、エリクサーを使った。局部が再生した。俺はベッドに戻った。リベリーが抱きついてきた。「すごかったのじゃ、もう一回頼むのじゃ!」と言った。
こうして俺は、無事に、とは言えないもののリベリーとの初夜を乗り切り、「氷攻撃無効」を獲得した。
* * * * *
朝起きるとリベリーが隣で寝ていた。俺は身体をベッドから起こした。絞り尽くされたかのような虚脱感と、与え尽くしたかのような満足感が同居していた。
リベリーを起こした。「おはようなのじゃ」と言って、ちゅっとキスをしてきた。もそもそと服を着て、一階の食堂に行くと、ロブスとルアックが先に来ていた。
リベリーは俺の腕にくっついていた。それを見て「束縛女」とルアックが言った。「重い女は嫌われる」
「妾は重くないのじゃ。48キロくらいじゃ」
「その形だからでしょ。龍になったらママは何キロなの?」
「20トンくらいじゃ」
「重いじゃん」
「えへ、ミィは70キロくらいだにゃ。筋肉質だからにゃ」
「おい、ロブス、語尾がおかしいぞ」
「ルアックが教えてくれたにゃ。ミィが生き残るにはペット枠しかないにゃ」
「ルアックは何キロなのじゃ?」
「ルアックの重さはたったの21グラム。魂だけの存在だから」
「吹けば飛ぶような存在じゃのう」
「とにかくママ、正妻気取りはやめてね。パパと一回ヤッたくらいで」
「おい、ルアック、そういう言い方はやめなさい」
「一回ではないぞよ」とリベリーが言った。「5回はしたのじゃ。すごかったのじゃ」
「リベリーも余計なことを言うんじゃない」
「パパもよかったじゃん。ずっとガマンしてたんでしょ?」
「その言い方もよくない」
「ふん、パパと会ったのはこの中じゃルアックが一番先なんだから」
「あれ、そうだったかにゃ?たしか、闇魔法のジジイにやられた後だったにゃ」
「それは蛇の姿になった時。ルアックは魔核時代からパパのことを見てた。パパのあいてむぼっくすに入ったのだって、ルアックが一番」
「ミィはボスに服を買ってもらったことがあるにゃ」
「妾はアクセサリーじゃ。黒瑪瑙のペンダントと指輪、ルビーのかんざしを買ったもらったのじゃ」
「おい、何の競争をしてるんだ。そしてボスとは誰だ」
「ロブ姉をテイムできたのもルアックのおかげ。バジラ・イグニフェリオスを倒せたのもルアックのおかげ。ルアックがパパの役に一番立ってる」
「おぬし、妾のことをママと呼び始めたのは、カフィ殿とくっつくことを後押ししてくれていたのではなかったのか」
「それはママ枠に押し込めようとしただけ。とにかく、パパに愛されていいのはルアックだけ」
「それこそ重たい発言じゃの」とリベリーが言った。「ようやく本音を出しよったの。パパ大好きっ子め。かわいいやつじゃ」
「ちがっ、ちがうもん!……みんな大嫌い!」そう言ってルアックは俺の目の中に引きこもった。
「お前らもう少し仲良くしてくれよ」と俺は言った。「そうだ、女子会でもしろよ」
「女子会?なんじゃそれは」
「にゃ?」
「俺抜きで、甘い物でも食べながら女3人で本音トークをするんだ。リベリーはルアックと腹を割って話したことなんてあんまりないだろ」
「そうじゃの」
「ミィは甘いものもイケる口だぜ!」ロブスはそう言ってから、語尾が元に戻っていることに気づき「にゃ!」と付け足した。
「あの……」
「いたのかスナ師匠」
「ずっといました」
「お前も女子会参加希望か?」
「いるのかいないのかわからないようなわたしですが、女子会参加は勘弁してください。それより、そろそろ始めませんか」スナはアイテムボックスからミスリル製の剣を出した。
俺たちは大空洞の真ん中の広場に移動した。スナが剣を構え俺の前に立った。
「まず、自分のそばにアイテムボックスの扉を少しだけ開きます。これが入り口となります」
「こうだな」それは簡単にできた。
「次に、アイテムボックスの扉を離れた場所にもう一箇所開けます。出口です」
「こうか?」やってみたら、最初に開けた扉が閉じてしまった。
「同時に、です」
「ふん!」気合いを入れたが、同時に一箇所しか開くことができなかった。「むずかしいな。コツはあるのか」
「身体の使い方と同じなのですが……。カフィさん、武術の心得は?」
「ない」
「そうですか。アイテムボックスの入り口と出口を同時に開く、というのは、全身を脱力させつつ、一箇所だけ力を入れる、という感覚と同じなのですが」
「コーヒーのドリップは基本的に同時に一つのことしかしないからな。……待てよ、タイマーで時間を測りながらドリップをするようなものか」
俺は、頭の中で架空のタイマーに時間をセットし、架空のドリップケトルで湯を注ぐイメージを浮かべながらアイテムボックスの扉を開いてみたが、何度やってもうまくいかなかった。
「センスなしですね」とスナが言った。
がーん。
「いるのかいないのかわからないようなわたしですが、わたしは最初からできました。ですので何ともいえませんが、地道に練習してはどうでしょうか」
「……それしかないか。奇襲攻撃ができたらいいと思ったんだがな」
「受けだったら、扉一箇所でもいけますよ」
「受け?」
「はい、剣でわたしを突いてください」そう言ってスナは自分の左胸を指さした。
「え、やらないぞ。危ないじゃないか」
「いいですから」
「えー」
「じゃ、ミィがやるにゃ」
俺から剣を受け取ると、ロブスは躊躇なくスナの胸に剣を突き出した。スナの胸に剣が刺さる直前、スナの胸の上にアイテムボックスの扉が開き、剣がその中に吸い込まれた。ロブスが剣を引くと、その扉が消えた。スナは無傷だった。
「からくりは簡単です。ですが、初見でこれをやられると、たいていの相手は驚いて隙ができます。見えている攻撃ならたいていよけられるので便利ですよ」
「おお!」俺は足元に落ちていた木の枝を拾い、それで自分の胸を突いて、直前でアイテムボックスの扉を開いた。枝がアイテムボックスの扉に吸い込まれた。「これならできそうな気がする」
もう一回やってみよう。俺がアイテムボックスを開いた時、「こうすりゃいいにゃ」と言ってロブスが剣を持ったままアイテムボックスに飛び込んだ。そして──
スナの胸から剣先が飛び出していた。ロブスが、スナの背後に開いたアイテムボックスの扉から飛び出してきた。
「ミィが手伝えば、何もないところから剣を突き出せるにゃ。……にゃにゃ?なんでスナが倒れてるにゃ?怪我してるにゃ!」
剣は後ろからスナの心臓を貫いていた。
「前にスナ師匠にやられた意趣返しか」と俺は言った。
「ちがうにゃ!これは事故にゃ!」とロブスは真剣な目で言った。「ミィはボスにいいところを見せたかっただけにゃ!」
俺はエリクサーの瓶を出し、スナの胸の傷に流し込んだ。傷口が光り、塞がっていった。
「は!」とスナは目をさました。「いるのかいないのかわからないようなわたしですが、少しのあいだ、死んでいたようです」
エリクサーができて以来、身の周りで殺傷事件が増えた気がするが、気のせいだろうか。主にロブスの周辺で。
リベリーが冷たい目でロブスを見ていた。
「虎猫よ、折檻が足りなかったようじゃの」
「ひぃ!」ロブスの耳が垂れた。顔が真っ青になっていた。「折檻は!折檻だけは勘弁にゃ!」そう言ってリベリーの足にすがりついた。
「ふん!」リベリーはロブスの鳩尾に蹴りを入れた。
「げぼぉ!」と言いながらロブスは宙を飛び、地面に落ち、転がっていった。
「それくらいにしとけ、リベリー」
「今日のところはこれくらいにしておくのじゃ。カフィ殿の恩情に感謝するがよい」
「ロブスへの当たりが強いな」と俺はリベリーに言った。「俺も悪さをしたら折檻されるのか?」
「愛しの夫にそんなことするわけなかろう。これはペットへのしつけじゃ」
俺は地面に転がってロブスのところに行った。ロブスは俺の顔を見るなり、「う゛わ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん゛、ごめ゛ん゛な゛ざい゛!」と泣き出した。「も゛う、じな゛い゛がら゛!ぜっだい゛、じな゛い゛がら゛!」
それを聞いて「前にも聞いたセリフじゃの」とリベリーが言った。
「ひぃ!折檻はや゛め゛でー!」
「リベリー、あまり圧をかけるなよ。ロブスに聞きたいことがあるんだ」
「えっぐ、えっぐ、何?ボス?」
「アイテムボックスに飛び込んだのはわかったが、どうやって扉を開いたんだ?」
「え?扉?開く?」
「スナ師匠の背中のあたりにアイテムボックスの扉を開いてそこから剣を出しただろ」
「ひゅってやったらできたにゃ」とロブスは言った。「火魔法を空間に出す時と同じ感覚にゃ」
「そうか、コツがあるのかと思って聞いてみたが……。お前も感覚派か。わざとじゃないと言っていたが、スナ師匠の心臓を狙ったんじゃないのか?」
「狙ったわけじゃないにゃ!信じてほしいにゃ!あれはたまたまにゃ」
「たまたまじゃ戦闘には使えない。狙えばもっと正確になるのか」
「できると思うにゃ」
「そうか、すごいな」
(あいてむぼっくすの開け閉めなんて、ロブ姉の専売特許じゃないんだから)と俺の目の中でルアックが言った。(ルアックだってできるもん)
「そうか、なら……」
俺はロブスに木の枝を持たせた。アイテムボックスに飛び込ませ、俺の背後の空間から枝を突き出させた。それを感知したルアックが、俺の背中にアイテムボックスの扉を開き、木の枝の先がそこに吸い込まれた。何度も繰り返し、だんだんと精度が上がってきた。
「いいでしょう、カフィさん」とスナが言った。「免許皆伝です。これでいきなり後ろから刺されたりすることはなくなるでしょう」
「俺自身は何もしていないんだが……」
「カフィさんはテイマーでしょ?何か問題でも?」
そうだった。俺はテイマーだ。そしてコーヒーが飲めればそれでいいのだ。俺自身が技を覚える必要はない。
こうして俺は、というか、ロブスとルアックを含む俺たちは、「スナ流暗殺術」をマスターしたのだった。
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