二十三杯め 姫騎士からの手紙
ご主人さま
アラビカは今、世界のどこかにあるフライナ・フラインヴァルグの城の、塔のてっぺんにある部屋の棺桶の中で、仮死状態になって眠っています。
仮死状態なのに、なんで手紙が書けるのかと、ご主人さまは不思議に思うかもしれません。王族は、いつ敵に捕まって自白魔法をかけられてもいいように、幼少期に「良心の自由」という名前の魔法を使い、魂に他者が絶対に読み取れない領域を作り、そこに日記を書いたりできるようになっています。アラビカは今、その領域を使って、ご主人さま宛てにこうして出すあてのない手紙を書いています。
食事も取らずに考えごとをしている状態なので生命力を少しずつ消費しています。でも、ご主人さまにテイムされた時にたくさん生命力をいただきましたし、フライナ・フラインヴァルグにセラ・テイムという魔法をかけられた時にも、ごっそりと生命力を奪ってやりました。あと少しで息の根を止めてやれたのに、と思いますが、それは望みすぎというものでしょう。
ご主人さまのテイムは解けてしまい、魂のつながりが切れてしまいましたが、かといってフライナ・フラインヴァルグにテイムされている状態でもありません。セラ・テイムは強力な魔法でしたが、思いっきり抵抗して、アラビカは自らの魂を封印しました。鍵もかけました。どんな鍵を使うとこの封印を解けるのか、ご主人さま、考えてみてください。
仮死状態になったついでに、体の表面を薄い鉄の膜で覆うことにしました。寝ているあいだにおっぱいや性器を触られてはたまらないからです。鉄の膜は、血中の鉄分を利用して錬成しました。まさに鉄面皮です。あるいは「鋼鉄の処女」でしょうか。
今のアラビカには考える時間がたくさんあります。フライナ・フラインヴァルグにさらわれて以来、アラビカはずっとご主人さまと会ってからのことや、それ以前のことを考えていました。ただただ愚考していました。ふつうは考えすぎると変な方向に行ってしまいがちですが、アラビカはたくさん考えたおかげで、自分のことをだいぶ整理でき、すっきりしてきました。今までになく、心は健全、体も万全の状態です。仮死状態になっていることを除けば、ですが。
アラビカは王を補佐する姫騎士として育てられました。「お姫さまなんてうらやましい」と言われたこともありましたが、全くもってよいものではありません。国家安寧という巨大な物語の一つの部品となるために、洗脳し続けられたようなものです。許されるのは剣と魔法の修行、礼儀作法の稽古だけです。枕の下に隠していたお人形や童話の絵本はいつの間にかなくなっていました。親しくなった侍女は必ずお暇を出されてしまうので、侍女とは親しくならないように努力しました。したいことは一つもできず、したくないことばかりやらされました。それも全部、王国の繁栄のためという崇高な目的のためでした。
「したいことは一つもできず」というのは、誇張しすぎでした。アラビカは、実は刃物をいじるのが大好きだったので、剣の修行の時間は楽しみでした。初めて狩りに行き、ゴブリンの首を切り落とした時は、性的絶頂を感じてしまい、乗っていた馬から転げ落ちたほどです。先生がすぐに地面に落ちた私を抱き上げてくれたので大事には至りませんでしたが、純潔を最高価値とする姫騎士にはあるまじき出来事でしたね。この事件は口外無用とされ、歴史から抹殺されました。ご主人さまもないしょにしておいてください。
先輩騎士たちもほとんどみんな刃物フェチでした。皆さん、自分の愛剣に名前を付け、それはそれは大切に扱い、人格のある存在として話しかけていました。アラビカも、部屋で剣を研ぎ、話しかけている時が一番幸せでした。誰にバカにされようとも、ムダと言われようとも、いくら時間を費やしても飽きることがありませんでした。ご主人さまが「こーひー」を淹れている時、同じような気持ちになっていたのでは、と愚考します。
そんなわけで、バジラ・イグニフェリオスと戦い、ゴブリンにされるまでのアラビカは、自我を持たないただのお人形でした。ただのお人形は「高潔なる魂」など、持ちようがありません。アラビカがあっさりゴブリンにされてしまったのは、国家安寧という物語を信じることしかできず、己をそういう外部の物語に明け渡してしまうような、空虚なお人形だったからなのでしょう。
アラビカはゴブリンになってからも刃物いじりが大好きで、魔物の解体を一日中やっていました。アラビカと子どもたちの集落が壊滅せずに済んだのは、アラビカが魔物の解体を一日中やっているおかげで、いつでも肉が食べられ、それが結果として集落全体の実力の底上げにつながっていたからなのでしょう。ご主人さまが、ただただコーヒーを飲みたい一心で旅をしていたら、結果としてフライナ・フラインヴァルグの邪魔をしていた、というのと少し似ているかもしれません。
姫騎士時代のアラビカは、国家安寧という物語以外の要素から切り離されていました。それは頭だけの空疎な世界であり、肉体のない世界でした。食事は味わってはならず、うんちやおしっこはないものとされ、性欲などみじんもないようなフリをしなければなりませんでした。そういうアラビカだったからこそ、ゴブリンとなり、肉の解体と出産ばかりの日々を送ることになったのかもしれません。
ご主人さまがよく見ている「すてーたすがめん」を見て、アラビカは自分が「高潔なる魂」の持ち主であることを知りました。
「高潔なる魂」とは何でしょうか。アラビカは思うのですが、それは、何か高邁で巨大な理念を抱いている人のことではなく、誰にバカにされようとも、ムダと言われようとも、いくら時間を費やしても飽きることがない何かを持っている状態のことを言うのではないでしょうか。ゴブリンになっても刃物いじりと魔物解体を好きでいられたアラビカは、それゆえに「高潔なる魂」の持ち主たりえたのでしょう。
先生はよく「世界の外にある者だけが、真に自由だ」とおっしゃっていました。先生というのは、アラビカに剣術と兵法を教えてくれたフィラ・ウィタラート先生のことです。「こーひー」だけを求めているご主人さまはきっと「世界の外にある者」なのでしょう。もし、幼少期に戻れるなら、アラビカは大人たちが押し付ける姫騎士教育からするりと身をかわし、ほんとうにやりたいことだけをやっていたでしょう。そうすれば国家安寧という物語で洗脳されてしまうこともなかったのでしょう。
フライナ・フラインヴァルグの目的は、世界のすべての人を洗脳し、自分の思い通りの世界を作り上げることです。彼自身、そういう物語に取り込まれ、身動きができなくなっています。ご主人さまは、これからも、そういう大きな物語の外にいて、ひょうひょうとご自身の趣味を追求することで、彼の野望を打ち砕いていってほしいです。ただ、ちょっと気になるのが、アラビカが記憶を取り戻したあたりから、ご主人さまの「こーひー道」が少し不純になってしまったのではないか、ということです。それはおそらくアラビカが原因なのでご主人さまを責められるものではないのですが、たとえば、バジラ・イグニフェリオスと初めて会った時、ご主人さまは敵対したりせず、さっさとアラビカとリベリーを差し出してしまえばよかったのです。それこそが、こーひー以外を些事とするご主人さまの道だったのではないでしょうか。ロブスだけ連れて旅をしていれば、今頃はあっさりこーひーと出会えていたかもしれません。ロブスはバカっぽいところもありますが、とても優秀な子です。アラビカやリベリーがいなくても、ご主人さまのボディガード兼道案内をしっかり務め上げたことでしょう。アラビカとリベリーがバジラ・イグニフェリオスに引き渡されていたなら、こちらはこちらで、フライナ・フラインヴァルグを叩き潰せていたかもしれません。龍種に進化間近のリベリーがフライナ・フラインヴァルグの手に渡ったとなれば、竜の里も黙っていなかったでしょうし、そうなればフライナ・フラインヴァルグも無傷ではいられなかったはずです。
ご主人さま、どうか無邪気に「こーひー道」を歩んでください。
アラビカのことなど忘れてくださっていいのです。
もともと、ご主人さまにとってアラビカはただの道具にすぎないことはアラビカにも分かっていました。ご主人さまの目的は「こーひー道」の追求であり、世界の外にあることがご主人さまの存在意義なのですから、アラビカがご主人さまから見捨てられる未来こそ、合理的なのです。どうか、傍観者であることをお続けください。
ああ、それなのに。
それにもかかわらず。
アラビカは心のどこかで、ご主人さまがいつかアラビカを助けに来てくれるのではないか、と夢想することをやめられません。その夢想には、まったく合理性がないにもかかわらず。
アラビカとご主人さまの魂のつながりは、フライナ・フラインヴァルグによって断ち切られてしまいましたが、それでもなお、アラビカはご主人さまとつながっているように感じます。ゴブリンAと呼ばれていた時にご主人さまがなでてくださった感触や、旅に出た翌朝にご主人さまといっしょに見た朝日がきれいだったこととか、そういうちょっとした出来事のつらなりが記憶の中にあるかぎり、ご主人さまとのつながりは切れないのだとアラビカは愚考します。
おそらく、そんなちょっとしたことを大切にし、誰にバカにされようとも、ムダと言われようとも、いくら時間を費やしても飽きることなく、いとおしい時間を過ごすことが、世界の外に立つための秘訣なのでしょう。そして世界の外に立つことだけが、身勝手な物語で世界を洗脳しようとするやつらへの、唯一の対抗手段なのです。
ですからアラビカも、ご主人さまがいつかアラビカを助けに来てくれるという、まったく合理性のない期待に身を委ねようと思います。ご主人さまが、ご自身の「こーひー道」をきわめようとすればするほど、世界の理から外れ、その外れた先にアラビカと再会する道があればいいな、という万に一つもないような可能性を楽しみにしています。
どうか、くれぐれも、アラビカのことを心配したりしないでください。約束もいりません。アラビカを救いたいという使命感も持たないでください。そういうのは、物語の中にいる人間に任せればいいのです。ご主人さまは、何も気にせず、責任も負わず、厄介ごとを避け、物語の外をただひょうひょうと歩いて行ってください。その道の先でアラビカは待っています。
王国も、純潔も、忠誠も、正義も、役割も、もうどうでもいいです。アラビカは、ご主人さまが助けに来てくれるかも、という、個人的な、誰にも理解されない趣味的な期待を抱き続けようと思います。そうすることで、アラビカは世界の外に立てるのです。
どうか、アラビカを救おうとしないでください。アラビカの救いの道にたどり着くために。
待つこともなく、待っています。
アラビカの大好きなご主人さまへ。
毎日10時、16時に投稿します。




