十九杯め 道案内を頼みなさい
突如として、すぐそばに出現したその女の顔の影が炎の灯りに揺れる様子は、まるで幽霊のようだった。おれは「うわっ」と叫び、距離を取ろうとしたが、体が言うことを聞かなかった。傷は塞がったとはいえ、大量の血を失った直後で、立ち上がることもできなかった。
そこにいたのは小柄な女だった。
「がーっ!」とロブスが爪を立て、女に振り下ろした。しかしその爪は空を切った。よくよく見れば、女はロブスの背後に移動していた。まるで瞬間移動だ。見覚えがある、というか、身に覚えのある移動の仕方だった。
「待って、話を聞いてください」と女が言った。「敵じゃありません」
ロブスはすばやく振り向いた。「気に食わねぇ。どうやってミィたちの気配察知をかいくぐった?」ロブスは毛を逆立てていた。
「ロブスやめろ」と俺は言った。「話くらいさせてやれ。敵かどうかその後で決めよう」
「甘すぎだぜ、カフィ」
「俺たちを殺す気があればいつでも殺せたはずだ。あれだけ近寄られても、誰も気づけなかったんだからな」
「ちっ」と言ってロブスが座った。「気に食わねぇが、カフィの言うことももっともだ。だがな、怪しい真似をしてみろ、ミィの爪で引き裂いてやるからな」
ロブスが睨むと女は「お手やわらかに」と言って体を縮めた。
「俺はカフィだ。そっちの獣人がロブス、こっちがリベリー。それから……」俺は頭上でチロチロと下を出している大蛇を見上げた。「この子がルアックだ。訳あってここに落ちてきた。あんたは?」
「わたしはスナ・ウィーバ。冒険者です」
「なんでこんなところに一人でいるんだ」
「冒険者ギルドの依頼で、この迷宮を調査していました。S級のパーティメンバーといっしょだったんですが、この階層で私以外が全滅してしまって。……うっぐ」スナ・ウィーバは泣き始めた。
「強い魔物だったのか」
「……地龍です」鼻をすすりながらスナ・ウィーバは言った。「しかも目が合っただけで即死する邪眼持ちでした」
「初見殺しってやつか。あんたはよく無事だったな」
「地龍はわたしに気づかなかったんです」
「え?」
「わたし、影が薄いんです」とスナ・ウィーバは言った。「ずっといっしょにいるのに、何時間も気づかれないことがよくあります」
「影が薄いにもほどがあるだろ。……で、いつからここにいたんだ?」
「最初からです」
「最初から?」
「ええ。私が地龍から逃げてここまできたら、毒噛蜘蛛の巣の真ん中だったのです。気づかれなかったので、そろりそろりと逃げようとしたら、虎さんが全部倒してくれて……」
「ミィはすごかったろ!」
「はい。そしたら男の人と龍さんが現れて、びっくりしました。……それから虎さんが龍さんの体を隅々まで舐めまわし、『ええのんか、ええのんか』し始めました。龍さんの傷が治って、尻尾が生えてきて、龍さんが女の人になって、おっぱいをぺろーんて出して、虎さんが龍さんの口に何度も吸い付いてました。女の人どうしなのに」スナ・ウィーバは頬を赤らめていた。
「……描写の仕方がちょっとアレだが、最初からいたのはわかった。そういえば呼びかけられていた気もする」と俺は言った。「ということは俺たちの話も全部聞いてたんだな」
「はい。盗み聞きするつもりはなかったので、途中で何度かお声をかけたのですが気づいていただけなかったので聞いてしまいました。闇龍人らしき悪者にやられ、仲間をさらわれ、命からがらここまで落ちてきて、手がかりを得るために竜の里に行きたいけど、迷宮から出る方法がわからない、とか、とりあえずレベル上げだ、とか、そんな話でした」
「そのとおりだ」
「でしたらご提案なのですが、私を雇っていただけないでしょうか」
「雇う?」
「はい。わたしはこの迷宮の地図を持っていますし、皆さんを出口までご案内できます」
「この迷宮の地図を持っているのか」
「はい」
するとロブスが俺の耳元で「やっぱこいつ怪しいぜ」と言った。「このタイミングで都合がよすぎるだろ。長生きのリベリーさえ知らなかった迷宮の地図を持ってるなんてよ」
その声が聞こえたのか「地図はわたしが作りました」とスナ・ウィーバは言った。「いるのかいないのかわからないようなわたしですが、地図を作るのはわりと得意なのです」
スナ・ウィーバは地図を広げた。リベリーが指先に光を灯し、地図を読めるようにしてくれた。
「今いるのはここです。迷宮の最深部です。我々が地龍に会ったのはここで……」と説明してくれた。
この迷宮は5階層になっている。俺たちがいる第5階層は「毒と呪いの層」。地龍がこの迷宮で一番強い魔物、いわゆるラスボスらしい。
第4階層は、迷宮内なのに空と森林が広がる「憩いの層」。森の中では地上と同じ魔物が出現し、薬草が豊富にある。第5階層に挑む前に英気を養うことができる。
第3階層は、「魂の層」。精神干渉系のスキルを使う魔物の巣窟。下手をすると仲間同士で殺し合うことになる。
第2階層は「死の階層」。アンデッド系の魔物がうようよしている。治癒者がいなければ突破はムリ。
第1階層は初心者向け。ゴブリンやスライムを倒しながらレベル上げができる。
ドロップ品も充実しており、よくできた迷宮なのだそうだ。
「報酬は何が望みだ?金だったら金貨30枚くらいしか持ってないぞ」けっこう蓄えはあったはずだが、全部眷属たちの腹の中に消えてしまった。
「可能であれば、上級ポーションをください」とスナ・ウィーバは言った。「先ほど、龍さんの尻尾を生やしていたお薬です。ほんの少しでも構いません」
「あれはヒラミ草の煎じ汁だ」
「ヒラミ草?中級ポーション程度の薬効しかないはずですが」
「じゃあ作ってみるか」
「作れるのですか?!」
そこまで話した時、「おい、迷宮が蜘蛛たちを飲み込み始めてるぞ」とロブスが言った。見ると、ロブスが倒した毒噛蜘蛛の体が地面に少しずつ沈んでいた。「迷宮に食われちまう前にテイムしといた方がいいんじゃねえか。こいつら皮剥ぎ猪よりよっぽど役に立つぜ」
「迷宮が魔物を食うのか」
「迷宮はそれ自体が生き物のようなもの。死んだ魔物や冒険者を取り込んで、自らの栄養源とするのじゃ」とリベリーが言った。
俺はロブスの肩を借りて立ち上がり、視界いっぱいにいる毒噛蜘蛛たちに手をかざし、亡骸従属をかけた。そしてアイテムボックスにしまった。
「すごい、あれだけの魔物を一度に……。カフィさんもアイテムボックス持ちなのですね」とスナ・ウィーバは言った。
「も、というとあんたもか」
「はい、小さいですが。パーティでは、斥候と荷物運びを担当していました」
その時、
「おい、腹が減ったぞ」とロブスが言った。
「これを食っといてくれ」俺は屋台の料理を地面に並べた。「あんたも食うか?えっと……」
「スナでいいですよ、カフィさん。わたしは自分の分がありますので」
「遠慮するな」
「……湯気が出てますね。おいしそう。では串焼き一本いただければ」
スナは、「おいひー!」と言って串焼きにかぶりついた。俺はまだ固形物を食べる気になれなかったので、タフラシュ草の煎じ汁を少しずつ飲んだ。
ロブス、リベリー、コピ・ルアックは屋台メシの皿をどんどん空にしていた。
スナは自分のアイテムボックスからパンを出した。ロブスの耳と頬ひげが跳ねた。
「どうした、ロブス」
「いや、とても懐かしい気配がしたような気がしたんだが……。あ、なんだ、それは!」
スナが串焼きの肉をパンに挟んで食っていた。
「うまそーだな!ミィにも食わせろ!」
スナが「いいですよ」というので、俺は串焼き肉を追加で出してスナに渡した。スナは肉を串から外し、パンにはさんでロブス、リベリー、ルアックに渡した。
一家団欒だ。
ここにアラビカさえいれば。
今頃どうしているのだろうか。暗く冷たい牢屋に閉じ込められているのだろうか。それとも……。俺が考え込んでいると、
(ぱぱ かなしいの?)とルアックが言った。
「いや、だいじょうぶ」
俺は俺のやるべきことをやろう。
アイテムボックスからヒラミ草と道具を出した。
「見ててくれ」とスナに言って、ロブスとリベリーに葉を乾かしてもらった。その葉を石臼で砕いて粉にし、ドリッパーにセットした布フィルターにのせ、湯を注いだ。
「これがヒラミ草の煎じ汁だ」
アイテムボックスの中から生きた岩狸 を出し、ロブスに押さえつけてもらった。
「スナ、……あれ、どこ行った?」
「目の前にいます」
「……すまん、こいつの足を切り落とせるか?後で元に戻すから」
スナは短剣を抜くと、ロックラクーンの足先を掴み、一気に切り落とした。俺はその断面にヒラミ草の煎じ汁を注いだ。骨が生え、筋肉がまといつき、皮で覆われた。
俺は岩狸 をアイテムボックスにしまった。
「これでいいか?」と俺は言った。
「もちろんです。すごいです、カフィさん!」とスナは言った。俺はヒラミ草の煎じ汁をガラス容器に入れ、蓋をしてスナに渡した。スナはそれをアイテムボックスにしまった。
「これは前金だ。迷宮から無事に出られたら、もう3瓶渡そう」
「いいんですか?そんなにもらっても。上級ポーションなんて、王宮に何本かしかないような貴重品ですよ」
「ヒラミ草さえ手に入れば誰にでも作れる代物だ。むしろ案内の代金としては安すぎるんじゃないか」
「そんなことはないです!それだけの量があれば、あの人の体だって、きっと治せる!」
ん?気になることを言った。しかし気にすまい。
「カフィさん、作り方まで教わってよかったんですか?」とスナは言った。「自分だけで作れば、大儲けができるのに」
「俺は金儲けがしたいわけじゃない」と俺は言った。「うまいコーヒーが飲めればそれでいいんだ」
「こーひー?なんですか、それは?」
「俺の旅の目的だ」
「苦く、美しく、甘く、酸っぱく、尊いものなんじゃと」とリベリーが言った。「妾も早く飲んでみたいものじゃ」
スナがふふ、と笑った。
「カフィさんはおもしろい人ですね」とスナが言った。「元気が出てきました」
「そりゃけっこう」
そうだ。コーヒーの話をしているだけでも、人は元気になれるのだ。
道案内も見つかったし、この迷宮は何とかなりそうだ。そう思った時、急に眠気に襲われた。「悪いけど寝る」と俺は言った。
「よかったら使ってください」と言ってスナがアイテムボックスから出したのは、虎柄の敷物だった。
次の瞬間、
ロブスがスナを爪で薙ぎ払っていた。
血が宙を舞った。
毎日10時、16時に投稿します。




