十八杯め 傷を癒しなさい
白タキシードの男、フライナ・フラインヴァルグは黒い渦の円盤に乗り、その赤い瞳で、いまだに粉塵をあげている地表を見下ろしていた。横には真っ白な棺桶が浮いていた。
フライナ・フラインヴァルグの膝が、がくっと折れた。
「この私が魔力切れですか。少々張り切りすぎてしまいましたね。実戦を離れていると勘が鈍って困ります」
フライナ・フラインヴァルグは自分の横に浮いている棺桶を見た。「いや、姫騎士をテイムした時に、ごっそり持っていかれたようです。死なない程度に痛めつけたつもりでしたが。苦労して身につけたセラ・テイムでもこれとは……。げに恐ろしきは高潔なる魂の持ち主、ということですか」
粉塵が切れ、地表の穴があらわになってきた。階層のある、蟻の巣のような断面だった。断面は、生き物のようにぐねぐねと動いていた。
「迷宮の真上でしたか。まあいいでしょう。小生としたことが、高潔なる魂の持ち主かもしれない者を、思わず殺してしまいました。万が一仕留めそこなっていたとしても、カフィ殿の負った傷は致命傷です。上級ポーションでも持ち歩いていない限り助かる見込みはありますまい。高潔なる魂の持ち主など、殺すだけ無駄だというのに。まったくやれやれです」
フライナ・フラインヴァルグは白い棺桶とともにヴィアードヴァルトの森の上空を飛び去っていった。
(……)
(……)
(……行ったみてぇだ。気配が消えた)
(……悪いがこのまま、地下の広いところに行ってくれ。リベリーを出せるくらい広い場所だ)
(くんくん。気配を探ってみたが、かなり深く潜んないと、そんな場所ねぇぜ)
(……構わん)
(わかった。ミィに任せな)
俺は俺とリベリーをアイテムボックスに収納した後、エネルギー体になったロブスに頼んで、亜空間でやはりエネルギー体になっているアイテムボックス自体を全速力で引っ張ってもらった。それは魂に直接負荷のかかるたいへんな仕事のはずだが、ロブスはやすやすとやってくれた。
アイテムボックスに入り、エネルギー体になったせいか、痛みは鈍痛に変わったが、フライナ・フラインヴァルグに刺された背中の傷は相当深そうだった。そしてリベリーも瀕死の状態だった。
アイテムボックスが降下していく感覚があった。その時、(ようこそ、強化と試練のテーマパーク、マルメロ迷宮へ)という声が聞こえた。頭の中に直接響く念話だった。聞いたことのない少年の声で、録音音声のような、無機的な感じがした。(この迷宮では強化されるのはスキルだけではありません。あなたのキャラも強められます。ドワーフはもっと酒を飲むようになり、人はもっと恋をするようになる……。強化と試練のテーマパーク、マルメロ迷宮を存分にお楽しみください)
何だ、今の声は?と思う間もなく、ロブスの声が聞こえた。その声には緊迫感が籠もっていた。
(カフィ、広い場所があったぜ。迷宮の最深部だから魔物がいるけどな。ミィだけ出してくれ。絶対寝るなよ)
俺はロブスだけをアイテムボックスから出した。意識を持っていかれそうだったが、背中の痛みのおかげで寝ずに済んだ。
(毒蜘蛛の巣に入っちまったみてぇだ。全滅させたから出てきていいぜ)
俺は自分とリベリーをアイテムボックスから出した。その途端に、すさまじい痛みに襲われた。……今、気絶するわけにはいかない。俺は歯を食いしばり、アイテムボックスからガラスのドリップケトルに入ったヒラミ草の煎じ汁を出した。
「あの……」
ん?声が聞こえたような?痛みのせいで幻聴が聞こえたか。
「まず、リベリーを手当てしてやってくれ」と俺はロブスに言った。
「カフィが先だろ。死にかけてるくせにかっこつけんな」
「瀕死なのはリベリーも同じだ」
「龍種が簡単に死ぬかよ。それにさ」ロブスは俺の背中の傷にそっとヒラミ草の煎じ汁をかけながら言った。「万が一リベリーが死んでも、カフィなら死体をテイムできるんだろ?」
痛みが遠のいていった。傷口がふさがっていくのがわかった。
「そうだけど、死なせちゃダメなんだ」と俺は言った。
「少し飲んどけよ」と言って、ロブスは倒れていた俺を抱き起すと注ぎ口を俺の口に入れた。俺は口の中に注がれた液体を飲んだ。むせそうになったらロブスに口を押さえられた。ごくん、と飲み干した。すると、魂が浄化されるような「整った感」がやってきた。初めてプロの淹れたクオリティコーヒーを飲んだ時のような、至福の瞬間だった。俺は岩に背中を付けて体を休めた。周りには巨大な蜘蛛の魔物の死体がゴロゴロと転がっていた。蜘蛛の糸が燃えて、それが灯りになっていた。
「すごいな、全部やっつけたのか」
「ああ。けっこう強い魔物だけど、ミィには毒無効があるし、こいつら火に弱いからミィとの相性はばつぐんにいいんだ。全部死んでると思うけど、後でテイムしておけよ」
俺はルアックを出して、「ロブスがリベリーを治しているあいだ、周囲を警戒してくれ」と言った。(ぱぱ わかった)と言って死屍森大蛇はとぐろを巻いた。あえて気配を消していないのは、雑魚魔物が寄ってくるのを防ぐためなのだろう。
「あの……」
また声が聞こえたようだが、気のせいにちがいない。
「じゃ、次はリベリーだ」と言って、ロブスはリベリーの傷口をぺろぺろとなめ始めた。ロブスの体が光っていた。「ええのんか、ここがええのんか?」と言いながらロブスはリベリーの体を舐めていた。さっきまで微動だにしていなかったリベリーの体が少しくねり始めた。
「くはー、龍の血は効くぜ。さすがエリクサーの原料になるだけのことはあるな」舌を止めてロブスが言った。「あ、カフィは飲まない方がいいぜ。毒無効がない奴が龍の血を飲むと即死だ」
「そう、なのか……」俺には知らないことが多すぎる。
「血は舐め終わったぜ。肉も一口くらいならいいか」ロブスがよだれを垂らしながらリベリーの傷口を見ていた。
「治療対象を食う奴がいるか!」と俺は言った。
「冗談、冗談だよ」ロブスはドリップケトルを構えた。「一滴も無駄にしないようにしてやるよ」
ロブスはリベリーの傷を見ながら、「まずはでかい傷から行くか。この辺は5ミリの細さで、こっちは3ミリでいいな」と言って、ヒラミ草の煎じ汁を注いでいった。リベリーの傷がふさがっていった。千切れてなくなった尾も生えはじめていた。
「意外に器用なんだな」
「ミィの運動神経をもってすればこのくらいなんてことねぇぜ。いつもカフィがやってるの見てるしな」ロブスは真剣な表情でドリップケトルを動かしていた。「それに魔力操作に似てるんだ、これは」
「ほう」
「ミィたちが使う魔法は、魔力量を全部自分で調整してんだぜ。……よっしゃ、外傷はあらかた塞いだ」
「目を開けられるか、リベリー」と俺は言った。しかしリベリーは微動だにしなかった。
「ん?……やべ、心臓が止まってるよ!」とロブスが言った。ロブスは、巨大な龍の胸をパンチし始めた。「ダメだウロコが固くてパンチが通らねぇ!」
俺はリベリーの鼻先に手を付け「リベリー、人化しろ。これは命令だ」と言った。リベリーの体が白く光り、人の姿になった。
「たしか服は脱がせられると言っていたが……」
俺が言い終わらないうちにロブスがバッとリベリーの着物の胸をはだけた。俺は後ろを向いた。俺が旅をするのは女の裸を見るためではなく、コーヒーを飲むためである。「おっしゃ、これならパンチが通るぜ。おりゃっ、おりゃっ」ばすん、ばすん、という重い音が鳴り響き、「よっしゃ心臓動き出した!」とロブスが叫んだ。「あー、呼吸が止まってる。それならこうだ!」チラッと見ると、ロブスがリベリーの鼻をつまみ、口に息を吹き込んでいた。ロブスの上半身が膨れ上がり、風船のようになっていた。その息を吹き込まれ、リベリーは咳き込み始めた。
「あの……」
まただ。幻聴が聞こえるのはさっき死にかけるほどの傷を負ったせいなのだろうか。
リベリーが血を吐くのを見て、「もったいね!」と言って、ロブスはリベリーの口に吸い付き、血を吸い取っていた。
「けほっけほっ。ロブス、すっかり世話になったようじゃな。礼を言うぞ」口から血を垂らし、胸をはだけた、黒髪・金目の妖艶美女がそう言った。俺はまた後ろを向いた。
「へっ、いいってことよ。ミィも龍の血というごほうびをもらったし。見ろ、この毛ヅヤ!」
「まあ、妾の血をそのまま飲んだのかえ?よく生きおるな。そうじゃカフィ殿、妾のかんざし、ネックレス、指輪を出してたもれ」
俺はリベリーに装身具一式を渡した。リベリーがそれらを身につけた。
「リベリーはほんとに大事にしてんな」とロブスが言った。
「あたりまえじゃ。なにせ、生まれて初めてプロポーズされたのじゃ」
え?
「ぷろぽーずって求愛のことか?そうか、おまえらそういう関係だったのか。もう交尾したか?知らなかったぜ」
「ちょっと待て」
「えっちなことを聞くもんじゃないぞよ、ロブス」
「プロポーズって?」
「カフィ、お前照れてんのか?うりうり」
「そういうおぬしはどうなのじゃ、ロブス。人間が嫌いと言っておきながら、カフィ殿にべったりではないか」
「ミ、ミ、ミィは別に、こいつがミィに発情してるみたいだったから、いっしょにいてやってる、みたいな?」
えー……。
そういう空気にならないように気を遣ってくれてたんじゃないの?
解禁になっちゃったの?
俺がもんもんとしていると、リベリーがロブスを見て、眉を上げた。
「……ん?ロブス、そなた進化しておるぞ」
俺はステータス画面を開き、眷属欄を見た。
ロブス:
・龍獣人種の雌。もともとは炎虎から進化した獣人種だったが、龍の血を取り込み、龍獣人種へと進化した。高潔なる魂の持ち主。攻撃力が高い。爪を使った近接戦闘や奇襲攻撃を得意とする。親を冒険者に殺されたため、人間を憎んでいる。龍獣人種となり、すべてのステータスが向上し、特に防御力が大幅に向上した。(趣味:笑うこと)[スキル:爆烈魔法、身体強化、気配操作、毒無効][状態異常:テイムト]
防御力が向上し、爆炎魔法が爆烈魔法に進化していた。
そして。
アラビカの情報が眷属欄から消えていた。
「アラビカ……」俺がつぶやくと、「そうだ!ゴブっ娘、どうなっちまったんだよ!」とロブスが言った。
「テイムを上書きされた」
「そんなことできんのか?」
「わからん。しかし魂のつながりが切れたのは間違いない」
「どうすんだよ!見捨てんのか?」
「見捨てない……と言いたいところだが、奴に勝てる気がしない」と俺は言った。
「あれだけ手こずった闇魔導士バジラ・イグニフェリオスが雑魚に思えるほどの強さじゃったな」とリベリーが言った。
「また強くなればいいんだ。ミィだってこんなに強くなれたんだ。あんな奴ぶちのめして、ゴブっ娘をさらったことを後悔させてやろうぜ!」
「意外だな」と俺は言った。「ロブスはあんまりアラビカと仲がよくないと思っていたんだが」
「いっしょに戦った仲間じゃねぇか。それによ、あいつのさばく肉はうめぇんだ」ロブスは舌なめずりをした。
「あの男、フライナ・フラインヴァルグが狙ってるのは俺だ。お前たち、無理して付き合わなくてもいいんだぞ」
「気に食わねぇな。水臭ぇこと言うなよ」
「じゃ、俺がアラビカを取り戻したいと言ったら手伝ってくれるのか」
「おう、あたぼうよ!」
「リベリーはどうだ?」
「妾はカフィ殿の行くところ、どこにでもついていくだけじゃ」
(るーたんも ぱぱと いっしょにいるー)とルアックが言った。
「お前ら、長生きできないぞ」と俺は言って上を向いた。……あれ、おかしいな、目から汗が。
周りでは蜘蛛の糸が燃えていた。
俺は自分で自分の頬を叩いた。感傷にひたるのは、今じゃない。
「情報が欲しいんだが、まずここはどこなんだ?」
「この魔力、この雰囲気は迷宮じゃな」
「ヴィアードヴァルトの森の地下に迷宮があるなんて話は聞いたことがねぇ」
「抜け出すのは簡単なのか」
「道案内でもいればともかく、手探りでは相当の時間がかかるじゃろ」
「リベリーがブレスで地表まで穴を開けて、飛んで逃げたらいいんじゃねぇか?」
「できんことはないじゃろうが、そんなことをすれば、あの男フライナ・フラインヴァルグにすぐに感づかれてしまうじゃろ。そうなれば今度こそ殺される」
「隠密行動をしつつ、パワーアップするしかないな」と俺は言った。「あの男の正体に思い当たるところはないか、リベリー?」
「噂すら聞いたことはないが、あの術から推測すると……。闇龍人じゃろうな」
「闇龍人か。倒す方法はあるのか?」
「わからん。妾の故郷、竜の里に戻れば手がかりは得られるかもしれん」
「それも選択肢の一つだな」
「この迷宮から出られれば、の話じゃがな」
「結局それだな、まずクリアしないといけない課題は」
「見方を変えれば、迷宮に落ちたのは僥倖とも言えるじゃろ」とリベリーが言った。「迷宮とはそもそも、レベル上げのための場所のようなものじゃからの」
「前向きだな。……俺も強くならなきゃな。死にかけるのはもうごめんだ」
「カフィこそ前向きだな。前は、『俺はこーひーの腕前さえ上がればいいんだ』とか言ってたのによぉ」とロブスが言った。「こーひーがあればアラビカはいらねぇんじゃねぇのか?」
「アラビカは、俺の淹れたコーヒーを飲んでみたいって言ったんだ」と俺は言った。「そう言う奴に飲ませてこそのコーヒーだ」
「へへ、そうかい。じゃ、ミィはお前についていくぜ、カフィ」
「妾も望むところじゃ」
(るーたんも)
こうして仲間たちとの結束が固くなり、強敵を倒す決意を固めた時──
「あの……」
という声が間近で聞こえた。なかなかしつこい幻聴だ。声の方を見ると、蜘蛛の糸が燃える、ゆらゆらとした灯りに照らされて、
女の顔が、俺の顔のすぐ横に浮かび上がっていた。
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