シンジの買い出し条件
首都高速3号渋谷線。午後6時。
陽炎のように揺れるアスファルトの上を、満身創痍のミラVANがうなるように滑っていく。ボロボロの車体には、洗っても取れない「フレッシュエアー」の芳香がしっかり染み付いていた。
運転席のシンジは、腕に力を込めてハンドルを握る。
助手席にはすず。肩までの髪をサイドに流し、ガムを噛みながらスマホをタップ。
後部座席では彩香が足を組み替え、トランクから拾い上げた3枚の“戦利品”を見つめていた。
「ふふ、良かったわね。爆淫香、使えるみたいよ」
彩香が吐息混じりに言うと、すずが笑う。
「ほんまそれ。あれが言えへんくなったら、この旅も味気ないもんになるとこやったわ」
シンジが鼻を鳴らす。口元には薄ら笑い。
「へっ。このミラVANに染み込んだフレッシュエアー、下手な芳香剤より強力だぜ。俺なんかもう、慣れすぎてて気付かねえくらいだ」
すずがシートに背を預けて、わざとらしく鼻をすんすん鳴らした。
「いやあ、あたしガソリンスタンドで死ぬほど目立ったからな。給油中に男どもがこっち見てニヤニヤしとるんよ。目が“フレッシュ探知モード”やもん」
シンジが吹き出す。
「しゃあねえだろ。袋ん中に10袋分の淫香が溜まってたんだ。爆淫香なしじゃ、あの取引成立しなかったかもしんねぇ」
だがふと、シンジの眉が動く。
「けどなぁ、ポリ袋全部、織布同盟に売却しちまったからよ……もうあの爆淫香、無えんだよ」
その言葉に彩香がくるりとトランクの中を探って、3枚のフレッシュを摘み上げた。
紫のレース、白地のストライプ、そして淡いピンクのリボン付き。いずれも昨夜の戦で「捨て身の交渉材料」として提供されたものの、なぜか転がって戻ってきた“遺物”だ。
「はぁ……これ、どうすんのよ?あたしこれ足りなかったからさ、自前のフレッシュ出したのよ?あんたらが笑ってる裏で、ずっとスースースカスカだったんだからね!」
彩香がつい、声を荒げる。けれど、その怒気は妙に艶っぽい。頬が赤い。
シンジはちらっとバックミラーで彩香を見る。
「着れば? それ。今からでも」
「バカ!フレッシュは洗ってないから“フレッシュ”なんでしょ!着たらただの“織布”じゃん!アホか!」
すずが笑いながら、ポーチからチャック付きビニール袋を取り出して振る。
「これに入れてみる?ふたたびの爆淫香。久しぶりに嗅ぎたいでしょ?あの、えも言われぬ誘惑の気体……」
シンジが運転しながら、鼻をくんくん動かす。
「うおお……なんか今、一瞬鼻の奥に蘇った……あの衝撃……。あれがもう一度作れるんなら、俺……」
「アホがまた変なスイッチ入れたわ」
すずがぼそりと呆れながらも、どこか楽しそうだった。
車窓の外には、用賀のジャンクションの標識が近づいてくる。
「よし、そろそろ東名入るぞ」
シンジがアクセルを踏み込む。
「ここからが本番ね。長い、長い道のりのはじまり」
すずが言うと、彩香が小さくため息をついた。
「何時ごろ着くの?神戸に……」
「さぁな。なにも起きなきゃ、朝には着くだろ」
それを聞いた瞬間、すずと彩香の視線が合った。
「……ちょっと、それ不吉だからやめて?」
「うん、行きの地獄を思い出させないで」
車内が一瞬、沈黙に包まれる。でも、ただの不安ではなかった。
あの夜を共に越えてきた3人にしかわからない、妙な絆。
危なっかしくて、でも心のどこかに確かに灯るものがある。
“また何かが起こるかもしれない”。
それでもこの3人なら、きっと――。
──そして、ミラVANは東名高速の闇の中へと走り出した。
東名高速。午後7時。空には紫がかった夕闇が広がり、テールランプが光の帯を作り出す時間帯。
モーターINN 陽炎をチェックアウトし、西へ向かうボロのミラVANが、フレッシュガスのほの甘くも濃厚な香りをまといながら、海老名サービスエリアの標識へと近づいていた。
運転席にはシンジ。無精ヒゲの頬に夕陽の残り香が差し込む。
助手席にすず。スマホ片手にウィキで「海老名SA 人気 グルメ」と調べてる。
後部座席に彩香。疲れ気味の表情に、少し不満が滲む。だが空腹の表情はごまかせない。
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彩香「ねぇ、ちょっと。海老名サービスエリアって、あれでしょ?美味しいもんいっぱいあるってテレビで言ってたよね?寄ろうよ、ね?」
すず「そうそう!あたしも一回行ってみたかったんだって!ほら見て!メロンパンがサクふわで激売れ!タピオカもスイーツも天国じゃん!」
シンジは黙ってハンドルを握りながら、サイドミラーに映る看板をチラ見する。
シンジ「……しかしなあ、お前ら。俺たち今この車に、フレッシュガスを吸った20億積んでんだぞ?」
すず「……ああ、そうだった」
シンジ「車から降りて、メロンパンに夢中になってる間に車ごと盗まれたらどうすんだよ。フレッシュの匂いのする札束ごと、ドロンだぜ?」
彩香「……それは……確かに」
すず「……ちょっと珍しく、まともなこと言ってるわね」
シンジ「ふっ。俺はな、食欲より金欲、いやもっと言えば……性欲なんだよ。な?お前ら?」
その一言で、車内の温度が3℃下がったような気がした。
すず「は?」
彩香「……ほんと変態」
二人はシンジのほうを見ようともしない。
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彩香「じゃあ夕飯どうすんのよ。もうお腹ペコペコなんだけど!」
すず「そう!ていうかさ、昼にあんたが買ってきたコンビニ飯なんて、一食分にも満たなかったわよ!」
シンジ「は?あれな、夜の分まで見越して大量に買ったんだぞ?」
彩香「え、それで?」
すず「正直、あの程度じゃ胃袋の半分も満たされないわよ」
シンジ「お前ら……どんな胃袋してんだよ……」
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シンジの目が、キラリと輝く。なにかを思いついた男の目だ。ろくでもないことを。
シンジ「よし、それならだな。お前ら、下だけでいい。愛の織布を取ってスースー状態で耐えるなら、俺が買い出しに行ってきてやるよ。どうだ?」
すず「はぁ!?なんでそんな条件つけるのよ!」
彩香「あたしら、昼にやっと替えの下着手に入れてさ、やっとスースーから解放されたばっかなんだよ!?なんでまたスースーしなきゃいけないのよ!」
シンジ「それはなぁ……俺がお前らの夕食を調達するという、犠牲精神に溢れた奉仕行為をするんだ。ちょっとくらい、報酬あってもいいだろ?いやなら別にいいけどな。そのまま海老名、スルーするだけだぜ?」
遠くに「海老名SAまで2km」の電光掲示板が見えてくる。
彩香とすず、顔を見合わせる。空腹はもう限界。脳裏に浮かぶのはあのメロンパン、ラーメン、そして揚げたてのからあげ。
二人はひそひそ声で相談するが、シンジの耳には筒抜けだった。
すず(小声)「彩香……どうする?」
彩香(小声)「でも……もう腹ペコで限界。てかさ、あいつの前でずっとスースーしてるのよ。もう慣れたし……」
すず「そうなのよね……なんか、もう、どうでもよくなってきた」
シンジ「お?おー?話、まとまったようだな?つまり、スースーウエルカムことか?」
彩香「この変態……」
すず「……たくさん買ってこいよ?爆淫香まみれの札束、落としたらぶっ飛ばすからな」
シンジ「へっへっへ……ヨシヨシ。いい子だお前ら。たっぷり、た~っぷり買って来てやるからな……」
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左ウィンカーがカチッ、カチッと鳴る。
ミラVANがスローダウンし、海老名サービスエリアのランプウェイに入っていく。
夕暮れに照らされる施設の看板が、まるでフレッシュに導かれる聖域のように輝いていた。
運転席のシンジは、薄笑いを浮かべながら呟く。
シンジ「フフ……これが、爆淫香を運ぶ男の選択ってやつよ……」
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