平和なひと時 そしてチェックアウト
タイトル: MORTOR INN 陽炎 13:00
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日差しはじりじりと窓を叩いている。
モーテルの一室。クーラーの音だけが低く唸る静寂の中、すずがベッドの上で腹をさすりながら転がっていた。
Tシャツに腰巻タオル。寝癖のついた髪をひとつに結んで、完全にリラックスモード。
「ねえシンジ〜。お腹すいたんだけどー」
声にだらけた甘えが混ざってる。
隣でスマホをいじっていた彩香が、目線を上げて頷いた。
「そうそう。それにさ、着替えも買ってくるって言ってたじゃない、シンジ?忘れてないよね?」
彩香は、パジャマのままで足を組み直す。
首筋に落ちた髪をかき上げながら、少し睨むような目つき。
ベッドに腰かけていたシンジは、三人用のちゃぶ台に肘を置いて、渋い顔をした。
「え?お前ら、朝あんなに食ってただろ?まさかもう腹減ってんのかよ」
すずが膨れっ面でシンジに手を突き出す。
「当たり前じゃん、食べ盛りなんだから。ね、彩香」
「そ。ていうか、なんで朝買い出し行った時、もっと色々買って来なかったの?」
彩香がすずの言葉を拾って畳みかける。
シンジは後頭部をかきながら、舌打ちに似た息を吐いた。
「なんだよ、あれはあれで昼の分も見越して買ってきたんだっての。俺だって予算あるんだぞ」
「ごちゃごちゃ言ってる暇があるなら行ってきてよ」
すずが枕を投げつける。ベッドの上で跳ねたそれが、シンジの肩に当たった。
「この格好であたしらに買いに行けっての?そんな羞恥プレイ誰得なの?」
彩香が笑いながら付け加える。
「じゃあお願いね、シンジくん。下着もお願い」
「…わーったよ、わーったから。行ってくりゃいいんだろ」
ぼやきながら財布を掴んで立ち上がる。
パチンとドアが閉まり、またクーラーの音だけが残った。
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30分後。
安っぽいモーテルのドアが、乾いた音で開く。
「おい。ただいまー。ほら、近くにイオンがあってな。まあまあ頑張ったぞ」
袋が複数、床にどさどさと置かれる。
彩香とすずがベッドから跳ね起きて、袋に飛びついた。
「なにこれ!カツサンドに、ハンバーガーに、唐揚げ弁当2種に、ミートソース!あと焼きそばパンとシュークリームもあるじゃん!」
すずが目を輝かせて叫ぶ。
シンジはドヤ顔で腕を組んだ。
「他にもプリン3種に、カップラーメン。お前ら甘いのも好きだろ?あと着替え。無難にユニクロで済ませた。サイズ合うかは運次第だな」
彩香がパンツを取り出し、広げる。
「……ダサくはない。いいじゃん、着れる着れる」
「ナイスだわ、シンジ。今日は神対応」
すずが弁当のビニールを破りながら言った。
その横で彩香は焼きそばパンを頬張り、もぐもぐしながら声を上げた。
「うまっ!ちょっと、唐揚げもらうからね」
「ずるい!こっちの塩唐揚げ返して!」
どちらがどちらの弁当かも曖昧なまま、二人は次から次へと口に詰め込んでいく。
シンジは呆れたように笑い、缶コーヒーを開けて口をつけた。
「…よく食うやつらだなあ、ほんと」
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30分後。
ちゃぶ台の上は空の弁当箱、デザートの容器、ペットボトルの残骸で埋まっていた。
すずは腹を出して寝そべり、彩香はソファにもたれて頬をさすっている。
「あー食った食った。もう動けない」
「腹いっぱいって言葉、今日100回は言った気がする…」
シンジはゴミをまとめながら、何気なく時計を見る。
13時過ぎ。空は晴れているが、夕方には移動を始めなければならない。
「ところでさ、シンジ」
すずが、視線だけ向けて言った。
「…何時に出発するんだっけ?」
その瞬間、シンジの心にふっと風が吹いたような気がした。
冗談みたいに思えてたけど——
このだらけきったひとときが、意外と心地よかった。
《もうちょっと…コイツらと、ここで一緒に居たいんだけどな…》
けれど現実がある。
20億。巨大な金。
そして、それを乗せたVANが、今もこのモーテルの駐車場に沈黙している。
「…そうだなぁ。なんせ20億円を運ぶから、昼間に動くのはリスク高いだろ?
だから夕方、日が傾いたあたりだな。出発は」
「ってことは……あと4時間くらい?」
彩香が立ち上がり、窓のカーテンを少しだけ開ける。眩しい陽射しが差し込んで、部屋の空気を揺らす。
「…そうだな。ここに居れるのは、あと4時間ってとこか」
すずが起き上がり、部屋にある壁掛けの時計を見上げる。
彩香も、同じようにその針を見つめる。
13:12。
あと4時間。
あと4時間だけ、三人はここにいられる。
この、汗の匂いと弁当の香りが混ざる、名もなき“日常”のような空間に——
——
「ねえ、どうする今から?」
すずがだらしなく転がりながら天井を見つめたまま言う。
「VODあったじゃん。それ観ようよ」
彩香はリモコンを手にして、メニュー画面をちらちら見ている。
「お、それいいじゃん!団地妻とかあるかな?」
シンジがソファから乗り出す。下品な笑みを浮かべて。
「……あんたねぇ……ホント頭の中それしかないの?」
すずは眉間にシワを寄せて呆れた声。すでに頭を抱えていた。
「へっへっへ、お前のその口調だと、団地妻が何だか知ってんだろ?」
シンジは得意げだが、すずの冷たい視線に急ブレーキ。
「マジで死んで……」
すずは本気で吐き捨てる。彩香は笑いをこらえながらチャンネルを操作する。
「タイタニックあるよ。あれ観たらちょうど4時間くらい」
「それそれ!観よ観よ!」
すずが勢いよく起き上がり、リモコンを持った彩香の隣に飛びつく。
──再生ボタンが押され、モーテルのテレビからオープニングの音楽が流れ始める。
最初の方は、彩香とすずがベッドに並んで座り、シンジは少し離れたソファで手持ち無沙汰に座っている。
「船、でっか!」
すずがテンション高めに叫ぶ。
「うわ、ディカプリオ、小汚いな」
彩香がケラケラ笑う。
「そりゃ最下層の設定だもん」
すずが補足するが、目はもう画面に釘付けだ。
キャーキャー言いながら盛り上がる二人。その無邪気な様子に、シンジはなぜか見入っていた。だんだんテレビじゃなく、二人の横顔ばかり見てしまう。
──中盤。
室内は少し暗くなってきた。カーテンが閉じられ、外の陽光が遮られたせいだろう。
いつの間にか、ソファの左右に彩香とすずが座り、シンジを真ん中に挟んでいた。三人の肩がぎりぎり触れる距離。
「ケイト、海に落ちるって……」
すずが小声で呟く。口調が妙に真剣だ。
「ジャックとの出会いじゃん、ここ」
彩香も目を細めながら見つめている。
──静かに時間が流れていく。
帆先でのキスシーン。二人は無意識にシンジのズボンを握りしめていた。
シンジの心の声が、静かな叫びを上げる。
(お、おいおい……痛てえっての……)
苦悶と快感が混ざったような複雑な表情を浮かべるシンジ。
動けない。声も出せない。だが、なぜか嫌じゃなかった。
──ラブシーン。
彩香はシンジの右肩に、すずは左肩に。二人はそれぞれにもたれかかり、息を呑んでいる。
画面の濡れた映像と重なるように、三人の距離がふいに消えていた。
(お、おいおい……ドキドキするじゃねえか……こんなの……初めてだって……)
シンジの心は爆発寸前だった。
──ラストシーン。
冷たい海に沈むジャック、ひとり叫ぶローズ。
気づけば彩香もすずも、静かに涙を流していた。
その涙を――なぜか、シンジのシャツでぬぐっていた。
(ったく……なんなんだよお前ら……)
その一言に、笑いとため息が混ざる。
「あー、何度見ても良いわ」
彩香が目を赤くしながら言った。
「でもさあ、横にいるのがシンジってのがね!」
すずが口を尖らせながら言うが、口調に刺はない。
(なんだよお前ら……オレにもたれかかってたくせによ……)
シンジの心の声が、どこかほんの少し嬉しそうだった。
──時刻は16:45。
「そろそろ……行くか?」
シンジの声が、ほんの少しだけ寂しげだった。
「そうね」
彩香が立ち上がり、すずも続く。
しん、とした空気が部屋を包む。けれど、その空気は重くない。むしろ、あたたかい余韻のようなものが漂っていた。
「お、お前ら……せっかくだから……みんなで写真撮ろうぜ」
シンジが照れくさそうに言った。
「なによそれ?もしかして名残惜しいの?」
すずがニヤリ。
「い、いや……そんなんじゃねえし!ほら、記念ってやつだろ?」
シンジの言い訳が幼稚すぎて、彩香も吹き出した。
「わかったわよ。ほら、私のスマホでも撮って」
彩香がスマホを差し出す。
「私もー!」
すずが手を伸ばし、3人はベッドを背景にして、肩を寄せ合って並ぶ。
――シャッター音が連続して鳴る。
画面の中、3人は笑っていた。どこか、あたたかい旅の途中にいるような笑顔だった。
「楽しかったね」
彩香がぽつりとつぶやく。
「うん……なんか、久々に楽しかった」
すずが同じように。
シンジはうなずきながら、視線を窓の外へ向けた。
そして立ち上がる。
「……よし、じゃあ……ミラVANに、カネ積み込むな?」
外に出ると、陽炎が立ち昇る駐車場に、白のミラVANがぽつんと停まっていた。
シンジはリアゲートを開け、用意していた20の黒いカバンを一つずつ、慎重に荷室へ積み込んでいく。1つ1つに1億円、計20億。
しかし、ある瞬間。
「……あーっ!? こんなとこに……おい、あったぞ!」
シンジが荷室の奥から、見慣れた銀のパックを拾い上げる。
膨らみのあるそのパック。まぎれもなく――フレッシュだ。
「なになに?!」
「え!? うそ……!」
すずと彩香が飛び出してくる。
「ここに落ちてた!まだ匂いも十分してるじゃん!私たち、このせいで織布同盟に自分のフレッシュ差し出したってのに……!」
彩香が怒りとも呆れとも言えない声を上げる。
「マジで!これのせいで、あたしら殺されかけたんだから!」
すずも同調して叫ぶ。
「……荷下ろしのあとってさ、最後にチェックしなきゃね」
彩香が深くため息をつきながら言う。
「じゃあ……行こうか」
彩香が助手席に乗り、すずはカバンとカバンの隙間に、ギュウギュウに座り込む。
静かにドアが閉まり――
ミラVANはエンジン音を響かせながら、「陽炎」をゆっくり後にする。
その背後には、昼下がりのモーテルが残され、
その中に、ほんの少しだけ、三人の笑い声がまだ揺れていた。




