MOTOR INN 陽炎 22:45――20億と、笑い声と、夜の風
月明かりがぼんやり照らす、国道沿いの寂れたモーテル。
名前は「陽炎」。ネオンの「炎」の字は完全に切れており、遠くから見ると「陽火」と読める。哀愁と哀れさが同居するような佇まいだ。
駐車スペースに、年季の入ったミラVANがバックで滑り込む。マフラーから黒煙をひと吹き。運転席のドアがギイと音を立てて開いた。
シンジが降り立ち、建物を見上げる。
「よし…この部屋しか空いてねえらしい。ここが今夜の拠点だ」
荒んだ声でそう言って、バンの後部ハッチを開けた。
中には、黒のボストンバッグがぎっしり20個。すべてに札束が詰まっている。ユアとの取引で得た20億円の現金。これが、今夜運び込むべき“商品”だった。
「さーて、お二人さん。やるぞー。カネの運搬祭りだ」
おどけた口調で言いつつ、目はひたすら部屋の中を見ていた。
――いや、正確にはその奥。
彩香とすずが、部屋に入る際に前屈みになる瞬間を狙っていた。
だが、肝心の二人はというと…。
「……ねぇ、すず。あのユアの忠告、まだ脳裏に焼き付いてるんだけど」
「うん。『前屈みには気をつけて』ってやつでしょ」
「うん…『見えてたわよ、具と……菊の門が』」
「もう忘れたいのに(笑)」
軽く笑いながらも、警戒は解いていない。
というより、シンジの視線が刺さっていることには二人とも気づいている。
「じゃあさ」
彩香がこそっと言った。
「あいつが部屋に入った瞬間、私が見張るから。前屈みでカバン取ったら、アレ見えるでしょ」
「了解。私も見張る(笑)」
「でももう…なんかさ、見たいなら見れば?って感じじゃない?」
「わかる(笑)もうどうにでもなれってね」
シンジは心の中で歯噛みしていた。
(おいおいおい…チャンス来ねえじゃねえか。変にモタモタしてるとバレるし…クソ、焦るな俺)
カバンを一つ持ち上げ、部屋に運び込む。
その瞬間――
「今よ、彩香!部屋入った!」
「ナイスすず」
しかし運搬はまだ続く。
「……ちょ、待って彩香!戻ってきた!」
「え、うそ!危ない!」
すずは慌てて姿勢を正す。
「おい、どうした?もうバテたのかよ」
「う、うん…ちょっと腰が……」
(惜しい!今、今見えそうだったのに!)
シンジは内心地団駄を踏むが、表情には出さない。
「オーケーオーケー、んじゃこれは俺が持ってくわ」
と最後のバッグを手に取り、また部屋へ。
その隙を狙って、彩香がふざけ始めた。
「すず、見て。今ならご開帳タイムよ!ホラ!」
「ちょ、彩香!やりすぎ!(爆笑)」
「今シンジがいたら絶対のたうち回ってるわよ(笑)」
「シンジ~、見たいもの全部見れるチャンスだよ~?」
キャハハと笑う二人。
しかし。
「……何やってんだ、お前ら」
背後から聞こえる、やや呆れた声。
慌ててお股をバッと閉じる二人。だが笑いは止まらない。
「な、なんでもないから!」
「ねぇ、早く運び終わって中入ろう!」
シンジは最後のバッグを部屋に放り込んだ。
⸻
部屋の中は、意外にも清潔だった。古さはあるが、整頓され、タバコ臭もない。
ダブルベッドが一つ、そして壁のハンガーにはバスローブが二つ。
アメリカンモーテルらしい簡素さと、小さなもてなしが同居していた。
「良かった…ネズミ出るとこじゃなくて」
彩香が言い、すずもこくりと頷いた。
「で、お前ら着替えは?あるわけないか」
「当たり前でしょ。着の身着のままよ」
「てか日跨ぐつもりなかったし」
「だよな。じゃあ、洗濯すっか。廊下にコインランドリーあったぞ」
だが、洗剤は1回分しかない。
「1回分しかねぇ。ってことは……全部まとめて洗うしかない」
「はぁ?一緒に洗濯って、あんたのパンツと一緒に!?」
「お前ら、今Tシャツしか着てないだろ。パンツもブラも俺に渡したんだから。もはや気にするなって」
「まぁ…確かに…」
「でも絶対洗剤入れてよね。うっかり忘れるとかナシだから」
(う、鋭い…気付いてやがったか)
「わ、分かってるって!」
「ていうかさ、洗濯してる間どうすんの?こっち二人しかバスローブないよ?」
「それは…ジャンケンだな!」
「出たよ…!男のくせに!」
「男女平等主義なんで」
バカらしいやり取りに、彩香もすずもため息混じりの笑みを浮かべる。
「はい行くぞ!ジャーンケーン――ポン!」
――すず、敗北。
「うわぁ…負ける気がしてた!何か流れがそうだったもん!」
シンジはさっさとローブを羽織り、偉そうに二人を見る。
「じゃ、Tシャツ、はい脱いで。俺が洗濯してくるから」
「……向こう向いてろ。絶対見るなよ」
「見たら殺す」
「分かったよ、わかりましたよ…!」
背を向けるシンジの後ろで、ガサゴソと布の音。
彩香は腰に巻いていたシンジのシャツを外し、ローブを羽織る。
すずはタオルを外し、Tシャツを渡すと、仕方なくベッドに潜り込んだ。
「よし、いいぞ」
振り返ったシンジの視線には、ローブ姿の彩香、そして布団の中から顔だけ出すすずが映った。
ベッドの上には、二人のTシャツ。シンジはそれを手に持つ。
「嗅いだら殺すからね」
「嗅ぎませんって!!まったく…」
部屋を出た瞬間――
「……って、我慢できるかよ」
ぽそりと漏らすシンジ。
Tシャツを鼻先に近づけ、深く――。
「うぉぉ…こ、これが…あいつらの匂い…!」
ほんの一瞬の陶酔。
その香りに、シンジの脳内に鐘が鳴る。
「くそ、こりゃ…第二級じゃない。第一級…いや、超特級だろ。洗っちまうなんて…罰当たりだぜ」
しかし、ため息混じりに洗剤を入れ、洗濯物を放り込み、スタートボタンを押す。
水音が鳴り、回転が始まった。
「……ありがとうな、お前ら。こんな夜でも、笑えたわ」
ふと漏れた呟きに、本人も驚く。
誰にも聞かれなかったその声を残して、シンジはゆっくり部屋へ戻っていく。




