モーターイン陽炎、二人と一人と二十億
―レインボーブリッジ 21:45―
夜の海を跨ぐようにして、レインボーブリッジをボロのミラVANが走っていた。エンジン音はややうなり気味で、かすかにベルトが鳴いている。だが、そんなことは気にならない。今、この小さな車の中にいる三人の心は、不思議な浮遊感に包まれていた。
東京の夜景が水面に映る。スカイツリーも遠くに見える。大都会の輝きが、フロントガラスの向こうで瞬いている。
「うわー、綺麗!」
助手席のすずが、少年みたいな声をあげて身を乗り出した。タオル一枚で巻いた腰が不安定に揺れて、Tシャツの下はふんわり空気が流れるだけの軽装。スースーして、なのに楽しそうだった。
「いっぺん通ってみたかったんだよね、レインボーブリッジ」
「私も。夢が叶ったわ」
後席から彩香の声。腰にはシンジのヨレたネルシャツが巻かれている。明らかに場違いな、その布きれが逆に今の旅路の特異さを際立たせていた。
「ははっ、良かったじゃねえか」
ハンドルを握るシンジの顔は珍しく柔らかい。「車内にはまだフレッシュガスが漂ってるしな。ムーディーだろ?」
すずは振り向いてニヤリとした。
「でもさあ、横にいるのがシンジってのがなぁ~…一気に現実味(笑)」
「ほんと。車もボロの軽だし」
彩香が追い打ちをかけてくる。
「うるせえな! 贅沢言ってんじゃねえよ! 空調効いてんだぞ、しかもフレッシュ仕様だぞ!」
とは言いつつも、誰も怒ってなかった。笑いながら言い合いができるようになった。午前中の敵意が信じられないくらい、今は空気がやわらかい。
レインボーブリッジの先に、街の光が広がる。ミラVANの後部には、ずっしりとしたカバンが20個。中にはそれぞれ現金1億円。合計で、1億円×20。つまり20億円。フレッシュで得た莫大な報酬。
「で……これからどうすんだ? もうこんな時間だしさ。お前ら、その格好じゃ表歩けねえだろ」
「なによ、あんたはどうするのよ?」
彩香が腕を組んで、前の席のシンジを睨むように言う。
「オレか? 昨夜、神戸出てから一睡もしてねえ。爆淫香吸ってたから眠くはなかったけど、流石にちょっと横になりたいわな……」
「私も。疲れたし……この格好で電車乗るとか無理……」
すずが不安そうに自分のタオルを握った。
「そりゃそうだ。下手すりゃ、ワレメがチラ見えだしな……」
「……」
「……」
瞬間、車内の空気が凍った。
「わ、悪かったって……! オレのためにスカートを出してくれたんだしな……ああ、そうだな、モーテル探すか。ああいうとこなら、人目に触れずチェックインできるしな?」
「……あんたとは別の部屋ね」
「そ、そりゃそうだろ! 当たり前! 常識だ!常識ってやつだ!」
***
ミラVANは首都高を降りて、繁華街を避けて郊外のモーテル街へ向かっていた。だが――
「ここも満室だわ……」
「週末だから仕方ないわね」
「……へぇ、週末は満室って、よく知ってんだな」
シンジはぼそりと呟いたが、それは聞こえていなかったようだ。いや、聞こえた上で、あえて無視されたのかもしれない。
あちこちのネオンが「満室」の文字を滲ませていたが、その中で、ひとつだけ違う光を放つものがあった。
「お、あそこ! 空室ありだってよ!」
ミラVANはそのまま駐車場へ入っていく。看板にはこう書かれていた。
“MOTOR INN 陽炎”
入り口には場末感漂うネオンと、色あせたヤシの木の絵。だが、背に腹は変えられない。
「……一室だけ空いてる……」
パネルを見て戻った戻ったシンジが、複雑な顔をして言った。
「どうするよ? もう他、空いてないかもしれねえぞ……」
「……アンタ、手ぇ出さないって約束する?」
すずが真っ直ぐシンジを見て言った。
「そ、そりゃそうだろ! 絶対出さない! 手も、サオも出さない!」
彩香はあきれたように息をついて、笑みとも呆れともつかない顔で言う。
「……すず、もういいじゃん。もし何かやってきたら、二人で殺せばいいだけでしょ」
「おう! そうしてくれ! アソコで窒息させてくれりゃあ、オレも本望だよ!」
二人の女は顔を見合わせて、またため息をついた。
「……陽炎、泊まるわよ。もう夜遅いし」
「了解。じゃあ、行くぞ――モーターイン陽炎へ、20億円と一緒に、チェックインだ!」
薄暗い街角。静けさとネオンのにじみが交差する中、ミラVANのテールランプが淡く光る。
その車内には、擦り切れた関係が、ほんの少しずつ、織り直されていた。




