第99話 ダリウス
「クッ……バルト・クラストを逃すな! そいつを殺せ!!」
腹部を抑えながら這い出るように現れたのは《《本物の》》リューク准尉だった。
兵士たちの間に緊張が走る。誰も状況を把握できていない。僕もだ。
“二人いるリューク”――その異様な光景に、周囲の空気が一瞬で凍り付いた。
「ま、まずい……! 本物の准尉殿が倒れているのなら――あれは……!」
「全員、構えろッ!」
兵士たちは武器を抜き、ゆっくりと一歩後ずさる。
対してダリウスは、心底楽しそうに舌なめずりをした。
「いやぁ、便利だよねぇ? 偽装魔法ってさ。君たち、まんまと騙されてくれたし」
「……どうやってここに――!」
「質問はあと。今はねぇ……」
ダリウスは僕の背にそっと手を置いた。
ぞわり、と体中の毛穴が総立ちになる。
「バルトを連れて行くのが優先だよ」
「な……っ!?」
『ダンナ! 危ねぇ!!』
『主人様、逃げ――』
僕の中から聞こえる二匹の焦り声と同時に、ダリウスの周囲に黒い霧のようなものが渦を巻きはじめた。
魔力、だ。
それも、僕や魔物たちが触れただけで怯えるような、異質な闇。
「だ、ダリウス! 貴方、まさか……!」
エリシアが掠れた声で叫ぶ。ダリウスはにっこり微笑みながら目を細めた。
「王女様。バルトは“必要”なんだ。ボクらに、じゃなくて――《《向こう》》にね?」
「向こう……?」
聞き返した瞬間だった。
「ここで死ぬのも嫌でしょ? だったら来てよ、バルト」
ダリウスが僕の腕を強く引き寄せる。
反射的に振り払おうとするが、力がまったく入らない。
意識が、暗闇に沈むように遠のいていく。
「ま、待って……バルトを連れて行かせるわけには……ッ!」
エリシアの叫びが遠ざかる。
「君は優しいから好きだよ、王女様。でも邪魔なんだ」
ダリウスが指をひと振りすると、エリシアの足元が爆ぜ、彼女の身体が吹き飛ばされた。
「エリシア!!」
声にならない叫びが漏れる。
『ダンナ!!』
『主人様ぁ!!』
二匹の念話も、どんどん薄くなっていく。
僕は――また、誰も守れないのか。
こんなにも弱くて、何もできなくて……。
「大丈夫。ボクが連れていってあげる。バルト、君は“特別”なんだから」
最後に聞こえたのは、救いとは程遠い、冷たい囁きだった。
――その瞬間、世界が反転した。
耳鳴り、光、圧迫感。
何か巨大な力に身体ごと引きずり込まれる。
(……またかよ……)
自嘲が浮かんだところで、全てがぷつりと途切れた。
◇◇◇◇
目を覚ました時、僕は――見知らぬ石造りの神殿の中央に倒れていた。
周囲には、黒いローブを纏った複数人の影。
その中心に立つ人物が、僕に向かってゆっくりと手を伸ばす。
「ようこそ、“鍵”の器よ」
その声は、耳ではなく、脳に直接響くようだった。
『……ダンナ?』
『主人様……どこですか……』
二匹の念話がかすかに戻る。
でも、彼らの声は震えていた。
ここにいる“何か”を、本能で恐れているのだ。
(ここは……どこだ……?)
答えは誰も教えてくれない。
ただ、胸の奥に嫌な予感だけが膨らんでいった。




