第96話 傾向と対策
グラウスの体温が背中越しに伝わる。剣先がまだ僕たちを狙っている。
それでも一歩も退かなかった。
「……連れて行け」
リュークの短い命令が下り、僕とグラウスは兵士に囲まれて連行されることになった。
冷たい石造りの部屋。
机と椅子が置かれただけの簡素な空間で、僕は椅子に座らされていた。
目の前にはリューク准尉。組んだ腕を机に置き、じっと僕を見据えている。
「説明してくれ」
その一言に、喉が乾いた。
だがもう、誤魔化す気はなかった。
「……あいつらは、ただ生きたいだけなんだ。人を襲う気なんてない。過去に過ちがあったとしても、それを繰り返すつもりはない」
僕は拳を握りしめた。
兵士の視線よりも、この冷酷な軍人の沈黙のほうがよほど堪える。
「人と魔物が……共に生きられるんじゃないか。僕はそう思う」
一瞬、空気が揺れた気がした。
だがリュークの表情は変わらない。
「……甘い理想論だね」
彼は冷ややかに吐き捨てた。
そして、わずかに口元を歪める。
「だが、その言葉は外交で利用できる。異邦の英雄が魔物との共存を説く――各国に与える影響は小さくない」
立ち上がり、背を向けて出口に向かう。
冷たい声が石壁に響いた。
「考えておく。君はすぐに部屋へ戻りなさい」
扉が閉じ、部屋に静寂が戻った。
僕はただ、唇を噛みしめるしかなかった。
尋問が終わったあとも、胸の奥に重たいものが残っていた。
リューク准尉の冷たい言葉。利用価値があるから放っておく、という態度。
あの人の目には、僕も、グラウスも、バジリも……ただの駒にしか映っていないのだろう。
部屋に戻ると、すぐにグラウスが土下座を始めた。
『だ、旦那ァ! 本当にすいやせん! オイラ、ちょっと散歩するだけのつもりで……』
「……散歩で馬車をひっくり返す奴があるか」
『ひ、ひぃ……!』
隅に座っていたバジリが、かすかなため息をついた。
『だから申し上げたでしょう、外に出て良いことなんて一つもないと……』
彼女の声はいつもながら上品で落ち着いていたけれど、今はほんの少し震えていた。
心配でたまらなかったのだろう。
僕は頭を掻いて、二人を見回した。
「……これ以上は、誤魔化せないな」
帝国では「魔物は徹底排除」が鉄則。
けれど彼らと過ごすうちに、僕の中では別の考えが芽生えていた。
彼らを“隠す”のではなく、“人として見せる”方法が必要なんじゃないか、と。
◇◇
その夜、僕は護衛兵の目を盗んで、城の文庫に忍び込んだ。
整然と並ぶ魔導書の背表紙に指を滑らせながら、目的の一冊を探す。
――あった。
〈幻影魔法の基礎〉。
人の目を欺き、姿形を偽るための魔法。
これを応用すれば、彼らを人間と同じ姿に見せかけられるはずだ。
蝋燭の灯りを頼りに、僕はページをめくった。
魔法陣の描き方、魔力の流し方、視覚の錯覚を強制する理論。
難解な言葉に頭が痛くなるけれど、そんなことを言っている場合じゃない。
◇◇◇
数日後。
「よし……出来た!」
僕は床に描いた簡易陣に両手をかざした。
淡い光が広がり、グラウスとバジリの身体を包み込む。
眩い閃光のあと、そこに立っていたのは――。
『お、おお!? 旦那ァ、手足がつるつるだ! 角もねえ! しかもイケメンじゃねえか!』
鏡を見て大はしゃぎするグラウス。
『……まるで夢のようですわ』
恥ずかしそうに頬を染め、裾をつまむバジリ。
二人は、どこからどう見ても人間の紳士、淑女だった。
「……よかった」
胸の奥の緊張が、一気に解けた気がした。
それからというもの、僕たちは狭い部屋の中で鍛錬を始めた。
グラウスの多動っぷりに折れて、仕方なく剣術や魔法の練習を付き合う羽目になったのだ。
『旦那ァ、もっと本気出してくだせえ!』
「うるさいな、僕だって疲れてるんだよ!」
『まぁまぁ……グラウス、あまり無茶を言ってはなりませんわ』
そんな騒がしい日々。
でも、不思議と心は落ち着いていた。




