第95話 守ったものは
静まり返った部屋の中。
僕はベッドに身を投げ出し、天井を見つめながら小さく呟いた。
「……もう、疲れたな」
『おやおや、ダンナ。らしくもねえや』
『そうです、元気を出して下さい』
脳裏に直接響く声。グラウスとバジリ。
魔物と契約を交わし、その魂を内に抱えているなんて、まともな人間からすれば異常以外の何物でもない。
だが今は、その異常が唯一の救いに思えた。
「頼むからさ……適当に話し相手にでもなってよ。もう、帝国の兵士やら政治やら、そういうのばっかで……正直、参ってるんだ」
思わず本音が零れる。
するとグラウスが大げさに笑い飛ばした。
『ヘイ! お安い御用でさァ! むしろオイラは喋ってねえと死んじまうんでね!』
『グラウスは黙ってても死なないでしょ……』
バジリの冷静なツッコミに、バルトはつい吹き出した。
魔物だというのに、どうしてこう人間臭いのか。
しかし現実は甘くなかった。
帝国の方針は明確だ――「魔物は徹底排除」。
どれほど温厚であろうと、理性があろうと、魔物は魔物。
許される余地などない。
そんなある日のこと――。
昼下がりの静けさ。
狭い客間のベッドに横になったまま、僕はつい浅い眠りに落ちていた。
「……すぅ……ん……」
そのまどろみを破ったのは、控えめだが切羽詰まった声だった。
「だ、旦那様っ……! 大変でございます!」
僕は半眼のまま頭を上げる。目の前には、珍しく顔色を変えたバジリがいた。普段は上品で落ち着いた彼女の姿からは想像もつかぬ慌てようだ。
「……どうした?」
「グ、グラウスが……! グラウスの馬鹿が!! 街中へ出てしまいましたの!」
「なっ!?」
一瞬で眠気が吹き飛んだ。
慌てふためくバジリは両手を胸の前で組み、肩を震わせている。
「わ、私が止めようとしたのですが……“外の空気が吸いたい”などと……! あの方は本当に、落ち着きがなくて……!」
「くそっ、よりによって今かよ!」
ベッドから飛び起き、剣を腰に差すと部屋を飛び出す。
廊下には見張りの帝国兵たちが立ちふさがった。
「何事だ!」
「おい、勝手に出るな!」
「すまない!」
一瞬の逡巡もなく、体をひねって兵士をなぎ倒す。鉄鎧の音が廊下に響き、倒れた兵が呻く声を背に受けながら階段を駆け下りる。
扉を押し開き、外の光が視界に差し込む。
すでに街はざわめきと怒号に包まれていた。
「なんだあの化け物は!」
「兵を呼べ! 魔物だ!」
人だかりの向こう。
商人の馬車をひっくり返し、右往左往している巨体――偽装が解け、元の姿へ戻りかけたグラウスの姿があった。
『ちょ、ちょいと待ってくだせぇ! オイラは襲う気なんざ――! って、あああっ! 逃げるなってば!』
周囲の人々が悲鳴を上げて逃げ惑い、兵士たちは剣を抜いて取り囲む。
まさに一触即発。
「……最悪だ……!」
走り抜けた先にあったのは、悲鳴と怒号で埋め尽くされた街路だった。
人だかりをかき分け、僕はようやくその中心にたどり着く。
そこには、ひっくり返った馬車と、必死に両手を振り回すグラウスの姿があった。
兵士たちが剣を構え、今にも切りかかろうとする光景に、僕の心臓は一気に跳ね上がった。
『ダ、旦那ァ! すんません! ちょっと外の空気を――って、いやその剣はやめて!』
馬鹿野郎……!
「待て!」
気づけば僕は兵士たちの前に飛び出し、グラウスの体を庇って両手を広げていた。
兵士たちの鋭い視線と剣先が、一斉に僕へと向けられる。
「どけ! そいつは魔物だ!」
「危険だ、退け!」
「危険じゃない!」
僕は声を張り上げた。
「確かに魔物だ。でもこいつは誰も殺そうとしてない! ただ、不器用で……」
息を呑むような沈黙が走った。
群衆のざわめきが耳に刺さる。僕の言葉が届いたのか、それとも余計に疑念を呼んだのか……判断する間もなく、背後から威圧的な声が響いた。
「……やはり、君か」
振り向くと、白銀の制服を纏った男が現れた。
鋭い眼差し、背筋の通った姿――エリシアの兄、リュークだ。
「准尉殿!」
兵士たちが一斉に敬礼する。
リュークは無言で彼らを制し、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
「魔物に人生を狂わされた君が、あろうことかその魔物を庇うとはね」
「っ……!」
僕は何一つ言い返せなかった。




