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凡夫転生〜異世界行ったらあまりにも普通すぎた件〜  作者: 小林一咲
第3章 凡人は牙を研ぐ

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第88話 別れの空、再会の地

 ワイバーンの翼が折り重なる山並みを越えた時、眼下にオーム領の街並みが広がった。石造りの城壁に囲まれた城下は、灯火が点々と輝き、人々のざわめきが波のように押し寄せてくる。


 ひとりの兵がこちらを指さし、歓声が上がった。瞬く間にそれは広がり、街全体を包み込む。


「着いたね、バルトくん」


 アストリッドが手綱を引き、ワイバーンは滑るように広場へと降り立った。


「……ただいま、ですか」


 胸の奥に熱いものが込み上げ、言葉が途切れる。見上げる人々の目には安堵と喜びが浮かんでいた。だがその奥に、微かな影が揺らめいているのも気づいた。


 彼らは歓迎してくれている。だが同時に、王都の追手に怯えている。


「笑顔の裏は不安、か。まぁ仕方ないわな」


 アストリッドは肩をすくめた。


「けど、これが君の居場所なんやろ。守りたいもんがあるんやろ」


「……はい」


 バルトが答えると、彼女はにやりと笑う。


「なら、ここからは君の物語や。うちは仕事に戻らなあかん」


「え?」


 思わず振り返った。彼女は既にワイバーンの首筋を撫で、飛び立つ準備を整えていた。


「送るだけが役目やからね。安心しい、また必要になったら勝手に顔を出すわ」


「アストリッドさん……」


 何か言おうとしたが、言葉にならなかった。彼女は軽く手を振り、星空へと舞い上がっていった。


 残された風だけが、バルトの頬を撫でていく。



 程なくして、城門前に屈強な兵士が現れた。黒い髪を後ろで束ねた男――オーム警備隊副隊長、ファン・ダグラスだ。


 その姿を目にした瞬間、バルトの胸にこみ上げるものがあった。


「副隊長さん!」


「バルト!」


 二人は力強く握手を交わした。

 以前と変わらぬ腕の厚み。しかし顔つきはどこか険しく、眼差しには深い影が差している。


「無事でよかった。君が帰ってきたと聞いて……胸が熱くなる思いだ」


「僕も、会えて嬉しい。一体どこに行っていたんですか?」


 ファンは少しだけ口元を緩めたが、すぐに視線を逸らす。


「……言っても信じてもらえるかどうか、分からん」


「え?」


「じきに分かるさ。今は、それだけでいい」


 含みを持たせた言葉に、バルトは問い詰めたい衝動を抑えた。彼が戻ってきただけで十分だったから。



 夜、領主館でささやかな宴が開かれた。焼いた肉や果実酒が並び、民は「バルトが帰った」と口々に喜んだ。


 だがその一方で、陰では囁きが飛び交う。


「王都は必ず追手を差し向ける」


「反逆者を匿えば、領全体が危うい」


 不安は酒の匂いに混じり、重く澱んでいく。

 バルトはその空気を感じ取り、盃を置いた。自分がここにいるだけで民を怯えさせている――そう思うと胸が苦しくなる。


「顔が曇ってるな」


 ファンが隣に腰を下ろした。


「気に病むな。民は恐れてはいるが、それ以上にバルトを求めてる。君がいなければ、誰が時代を変える」


「時代を、俺が……」


 バルトは自分の拳を握り締めた。



 翌朝。

 黒衣の騎馬隊が城門前に現れた。旗には王家の紋章。先頭の男が高らかに声を張り上げる。


「王命を伝える! 反逆者バルト・クラストを直ちに差し出せ!」


 広場にざわめきが走った。兵士たちは互いに顔を見合わせ、民は子どもを抱き寄せて震える。


「拒めば、オーム領は王家に背く反逆者とみなし、討伐する!」


 冷酷な声が響き渡ると、空気は一層凍りついた。

 密使は一枚の羊皮紙を掲げ、王の印章を見せつける。誰もがその真実を否定できなかった。


 命令を言い放った騎馬隊は砂煙を上げ、城下を後にした。残されたのは動揺と絶望だった。


 その夜、領主はバルトを密かに呼び寄せた。

 重厚な扉の奥、ろうそくの光だけが揺れる広間で、領主は深く溜息をつく。


「バルトよ……お前を匿えば、領全体が処刑対象となる。だが、民を守るためにお前を売ることなど、わしにはできぬ」


 苦渋の言葉に、バルトは答えられなかった。


 ファンが一歩進み出る。


「領主様、ここで退けば我らは永遠に王都の人形です。バルトは希望だ。彼を渡せば未来は閉ざされます」


「……しかし」


 領主は唇を噛み、視線を伏せる。

 バルトは両の拳を握り締めた。答えはまだ出せない。

 だが逃げることだけは、もう許されないのだと感じていた。

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