第87話 嘘つき
「コレなら数時間でオームに着きます」
ワイバーンのスピードたるや。凄まじい勢いで広原を抜け、たった数分で海を眺める事ができた。
「……綺麗だ」
「なに? “うち”のこと?」
「夜景が――いえ、もちろんアストリッドさんもですけど!」
「はは、君は本当に素直やね。夜の海を眺めるなんて久しぶりやない?」
「海洋騎士団に入っていた時以来……でもまだ一年も経っていないのですけどね」
この数年は本当に怒涛の如く時が流れる。色々な出来事が起こり過ぎて、実感が無いというか。
「自分が今どこにいるのか、気をしっかり保たんと時間の波に流されてまうよ」
徐々に近づくテラドラックの海に、押し寄せては引き、引いては押し寄せる荒波が、まるで僕を探しているような気がした。
「君は時代を変えるんよ、バルト・クラスト。それが善か悪かは人によるだろうけど、《《君にとって》》は人生の岐路になる」
僕が時代を――まるで考えもしなかった言葉だけど、彼女の自信に満ち溢れた瞳には何か特別なものが見えてるのだろう。
「まっ、知らんけどねぇ」
「知らんのかい!」
「なかなかエエツッコミやねぇ。少しは元気が出てきたかな」
「はい、少しは」
「もうすぐ着きますよぉ。再会の準備しときや」
そうだ。
近衛騎士団長の手紙に書いてあった。『オーム領の警備隊副隊長〈ファン・ダグラス〉が戻ってきている。』と。
副隊長。
彼が今まで何処にいて、どんな経験をしたのか。想像を絶するものに違いはないけど、まずは一目見て安心したい。
そしてひとこと伝えたい。
「ありがとう」――と。
◇◇◇◇
場所は王都、王宮の離れにある別塔内。囚われの王女はどんよりと雲のかかった夜空を見上げていた。
バルトくんは無事に逃げ延びたでしょうか。
根回しは完璧。
……でも不安です。
今やお父様さえも兄上の言いなり。反王子派の貴族も処刑が決まり、残る希望は彼しかいない。
「生きて――生きてください、バルトくん」
寂しき王女の声を掻き消すようにノックが響く。
「入るよ、シュリア」
その声に、溢れ出した涙を急いで拭った。
「体調は悪くないかい?」
「ええ、兄上」
兄妹の絆など初めから無かったかのような、重く冷たい壁がふたりの間にはある。
「バルト・クラストには逃げられたよ」
「そうでしょうね。憲兵団《《ごとき》》では、バルトくんを捕まえるなんて御伽話ですわ」
「《《君》》だね。シュリア」
「なんの話ですか? 兄上」
「いいや、良いんだ。君が彼を愛していることは知っている」
「“愛してる”――なんて、兄上に分かりまして?」
ユーア王子は妹の煽りにも顔色ひとつ変えず、淡々と言葉を紡ぐ。
「明朝、オーム領に騎士を向かわせる」
「なんですって!?」
「あぁ、君が《《誰かさん》》に伝えたとしても、それは無駄足になるだろうね。もし抵抗するようなら、反逆罪でその場で処刑せよと言ってある」
「……それをお父様は、国王陛下は認めたというのですか!!」
「もちろん承認済みだ。オームの民が速やかにバルト・クラストを差し出せば良い話じゃないか」
「我が国の優秀な騎士たちを《《そんなこと》》に使うとは!」
「そんなこととは心外だね。バルト・クラストは罪人だ。王家に逆らった反逆者だ。ならば、その者を匿う民は全て反逆者だ!」
ユーア王子は声を荒げ、手に持っていたグラスを割った。
「おっと……柄にも無いことをしてしまったね。驚かせてすまない」
「兄上、貴方は――」
「今晩はこの辺りにするよ。夜更かしは身体に障るからね」
ゆっくりと部屋の扉が閉まるのを見届けてから、シュリア王女はいつもの合図を出す。
「此処に……」
闇から姿を現した銀色の光。それは王家を護る最後の光。鍛えられた肉体と洞察力、そして決して消えることのない忠誠心は正に精鋭。
「すぐに伝えてください。オーム領が危険です」
「はっ」
「苦労をかけますね。フィン」
「いえ、我が【銀の騎士団】は王女殿下のため――」
「嘘よ。彼のためでしょ?」
「……これにて」
銀の光はまた闇へと消えていく。
「あぁ――私の知る兄上はもう居ないのですね」
そう呟くと、寂しき王女はまた、暗雲を見上げるのだった。




