第84話 歪んだ祝祭
ざわめきが広がっていった。
民衆は互いに顔を見合わせ、信じたい気持ちと疑念のはざまで揺れている。
「血を流さずに解決……?」
イシュクルテの声には、かすかな怒りが滲んでいた。
その時、魔導放送の映像が切り替わった。壇上に立つユーア王子の背後に、見慣れぬ魔法陣がゆらめいている。紫の光が脈動し、まるで王子の言葉と同調するかのように。
『諸君――これは私と“盟友”が交わした約束だ。我らの未来は一つに結ばれ、戦争という愚行は終焉を迎える!』
群衆の一部から歓声が上がる。しかし恐怖と混乱がその場を支配していた。
僕の背筋に冷たいものが走る。
“盟友”――その言葉の意味を、僕は魔界でユーグが残した言葉と重ねて理解してしまった。
(まさか、本当に……魔族と……?)
「バルト」
イシュクルテが僕を呼ぶ。目は真剣そのもので、剣に触れようとすらしていた。
「ここに居ても埒があかない。一旦、宿に戻ろう」
僕は頷くしかなかった。
人気の少ない路地を選び、足早に宿へ戻る。
扉を閉めると、イシュクルテは低い声で言った。
「ユーア王子は、魔族と契約を結んでいる。これは紛れもない事実のようね」
「……やっぱりそうか」
「だが問題はそれだけじゃないよ。あの魔法陣……あれは国王すら承認していなければ発動できないもの」
頭が混乱する。国王も、関与している? それとも……。
その時、窓を叩く音がした。僕とイシュクルテは同時に振り返る。
そこには、フードを深くかぶった小柄な影が立っていた。
「……誰だ」
警戒して剣に手をかけるイシュクルテ。
フードの人物は小さな声で答えた。
「――シュリアです。バルト、イシュクルテ。どうか……助けてください」
フードを外した少女の顔は青ざめ、震える唇で必死に言葉を繋いでいた。
僕は思わず一歩前に出る。
「シュリア王女……! どうしてここへ?」
「兄上は……ユーアは、魔族と契約を結んでしまったのです」
その言葉に、イシュクルテの目が鋭く光る。
「契約って、まさか」
僕の心臓は嫌な音を立てて跳ねた。
魔族との契約――それがどれほどの意味を持つか、魔界で散々見せつけられてきた。魂を削り、代償を支払い、そして絶対に逃れられない鎖になる。
「けれど……ただの契約ではありません」
シュリアはかすれ声で続けた。
「“戦を否定する契約”。兄上と魔族の王は、互いに戦わないことを誓った……その代わりに、王国は魔族の影響下に置かれるのです」
「戦を否定……?」
イシュクルテが低く唸った。
僕は息を呑む。戦を避けられるなら一見良さそうだ。だがその代償は、王国そのものを魔族に明け渡すこと。
「けれど、バルト……」
シュリアの視線が僕を射抜く。
「あなたのスキル……“普通”は、この契約を揺るがせるかもしれない」
「……どういうことですか?」
「魔族との契約は勝者と敗者を明確にする。だが、あなたの力は『勝ちも負けもしない』。その均衡は、契約の根本を無効化する可能性があるのです」
僕は言葉を失った。
戦っても勝てず、負けもしない、中途半端な力。
だが――だからこそ、絶対的な契約の理から外れる。
「……つまり、俺が介入すれば」
「戦争は成立しない。契約も揺らぐ」
イシュクルテは眉をひそめ、剣を握りしめる。
「だがそれは、魔族にも王子にも“敵”として狙われる立場になるということだ」
シュリアは真剣に僕の手を取った。
その手は震えていた。
「それでも……お願いです。バルト。あなたしか、この国を救えない」
僕の胸の奥に、重い責任がのしかかる。
僕はただの転生者で、ただの“普通”の男だ。
けれど、だからこそ――。
「……わかりました。僕にできることをやります」
イシュクルテが横目で僕を見て、小さく鼻を鳴らした。
「無茶はしないで。……でも、やると決めたなら、私も従う」
部屋の外では、まだ魔導放送の残響が聞こえていた。
ユーア王子の高らかな声と、群衆の不安交じりの歓声が。
そのすべてを断ち切るために――僕の“普通”が試される時が来るのかもしれない。




