第83話 異変
「ここは……?」
「戻って来れた、みたいだな」
視界が暗転したように霧が晴れ、僕たちは元の森に立っていた。湿った土と草の匂いが鼻を突く。魔界の灼熱と硫黄の匂いがまだ体内に残っていて、現実との落差に頭がくらくらした。
イシュクルテは剣の鞘に手をかけ、辺りを警戒する。
「油断しないで。安心できる場所ではない」
「……わかってる」
僕は肩の力を抜きながらも、背筋に小さな緊張を残す。魔界で聞いたこと、ユーグの言葉が頭の中で反芻される。王国と魔族の裏取引、そして第一王子ユーリ……。
森の奥から、かすかな物音が聞こえた。落ち葉を踏む音、獣の息遣いではない、人のもの。
「誰か……?」
イシュクルテが低く呟き、剣先を少し前に突き出した。
影の中から現れたのは、ブルワーだった。手には簡素な荷物を背負い、肩で息をしている。
「お、おい、バルト、イシュクルテ……待ってくれ!」
僕は思わず歩み寄ろうとしたが、イシュクルテが手を上げて制止する。
「話をしろ。どうしてここで待っていた」
ブルワーは深呼吸し、肩の荷物を下ろした。
「俺たちは帝国へ戻る。その前に話しておかなきゃと思ってな」
「……そうか。で、話とは?」
イシュクルテはやけに冷たく尋ねた。
「寝返るのも一考の余地があるってことだ」
「は? それは一体……」
僕は息を呑んだ。
ブルワーの目は真剣で、なぜか少し寂しげだった。
「俺たちにできることは限られている。だからお前たちも――」
「もういい。聞く必要のない話だったわ」
イシュクルテは鋭い眼差しを森の奥に向けた。
僕も拳を握りしめ、静かに決意を固めた。
「行こう。王国へ……真実を求めて」
二人で歩き出す。森の間に差し込む光が、赤黒い魔界の空とは異なる穏やかさで、僕たちの背を押した。
「見えてきた」
歩き続け、やがて城壁が見えてきた時、僕にはあの門が恐ろしいものに見えていた。
魔族の言葉に翻弄させられているようで癪だが、それでも拭いきれないほど大きな闇が広がっているような気がしてならない。
城門をくぐり、王都内へと入ると、人集りができているのを見つけた。近づいて見ると、どうやら王宮からの魔導放送が流れているようだ。
「これは……ユーリ王子の声か」
『――歓迎しよう、忠実なる臣民たちよ。平和の時代は、我々の、いや私の手で築かれるのだ』
僕とイシュクルテ、そして集まった民衆さえも、王子が何を言っているのか理解できていない様子だった。
『この国は魔法の劇的な発展を迎え、魔族との争いさえ一滴の血をも流すことなく《《平和的に》》解決すると約束しよう!』
「王子じゃないみたい……」
「本当にどうしちまったんだ」
不安な声を漏らす民衆。
「バルト、何かわかる?」
「いや、これは間違いなくユーリ王子だし、精神干渉を受けているわけでもなさそうだよ。正真正銘、彼自身の言葉だ」
何を考えているんだ、この人は。しかしこんな暴挙を国王やシュリア王女が認めるはずもない。
「この国は一体、どうなっているんだ」




