第64話 偽情報(カバーストーリー)
“存在しない”という表現は些か度が過ぎていたかもしれない。この者の正体を正確にいうと、確かに海洋騎士団に所属する騎士である。
しかし、特殊部隊影魚に在籍していた経歴も無ければ、リラ中尉との面識もほぼ無いという、いわゆる影武者てきな存在なのだ。
なぜイルメナ・フォクサリアがこの危うい役に抜擢されたのかについて――それは、彼女のスキルに隠されていた。
イルメナは法廷内に入ると、端正な姿勢で証言台に立ち、低く抑えた声で答える。
「私はリラ中尉の行動を監視する立場にありました。彼女が犯罪組織と接触したのは事実です。しかし、その目的は彼女自身の利益ではなく、組織内に潜入するためのものだったと理解しています」
代弁官のユークリッドはこれを好機と捉えた。イルメナが証言を強化する形で、捏造された指示書を補完する役割を果たしたのである。
しかし、尋問官側は追及の手を緩めなかった。
「イルメナさん、あなたがそう証言する裏付けはどこにありますか? これが事実であるなら、なぜ捜査本部にその情報が共有されなかったのです?」
「指令は、部隊に直接下されたものだからです。その情報は機密性が高かったので、本部の上層部にも共有されていなかったのでしょう」
イルメナの回答は説得力があったが、同時に傍聴席に新たな疑念を呼び起こした。『影魚』は確かに秘密部隊だが、その存在や行動が極端に機密扱いされているため、裏付けが弱い。
証言は一見すると完璧に見えた。冷静で一貫性があり、その言葉は確固たる自信を感じさせる。しかし、それこそが尋問官側の狙い目だった。尋問官が立ち上がり、静かな声で問いかける。
「イルメナさん、その機密指令について、あなたが直接受け取ったわけではないのですね?」
イルメナの視線が一瞬だけ揺れる。それを見逃さず、彼はさらに踏み込んだ。
「部隊への指令が本部に共有されないのは理解できます。しかし、リラ中尉がその任務に従事していた証拠が他にない以上、あなたの証言だけでは裏付けに欠ける。つまり、あなたの証言そのものが捏造である可能性が浮上するのです」
法廷内がざわつく。イルメナは表情を変えずに答えた。
「その可能性を排除するために、私がここにいます。私は現場でリラ中尉の行動を目撃した唯一の証人であり、それを記録する任務も負っていました」
「記録、ですか? その記録をお持ちではないのですか?」
「記録は全て部隊規定に基づき、現地で破棄されています」
これにより、イルメナの証言が再び微妙な立場に追い込まれる。
ここで代弁官ユークリッドが再び口を開いた。
「尋問官はイルメナさんの証言に疑念を呈しているようですが、ここで重要なのは、その証言が矛盾なく一貫しているという点です。また、騎士団の特殊部隊としての性質を考えれば、書類や記録が残されないのは当然のこと。それを根拠に証言を否定するのはあまりにも短絡的ではありませんか?」
法廷内の空気が再び変わる。ユークリッドの反論は合理的であり、多くの者が納得するように頷く。しかし、尋問官は一歩も引かなかった。
「では、私から一つだけ質問させていただきます、イルメナさん」
グレゴリウスはわざと間を取り、イルメナを見据えた。
「あなた自身、リラ中尉とどの程度の面識があったのですか? もし監視していたというなら、彼女の行動や言動に関して具体的な詳細を教えていただきたい」
イルメナの目が一瞬だけ細まり、再び冷たい声で答えた。
「リラ中尉と私は直接的な交流はほとんどありませんでした。しかし、彼女が組織内に潜入するため、幹部と交渉している様子を遠方から観察していました。その際、彼女が国家を裏切る意図を持っていないことを示す発言を確認しています」
「具体的に、その発言とは?」
「……犯罪組織の幹部にこう言っていました。『この取引は一時的なものだ。私は全てを国家のために利用する』と」




