第108話 騎士の誇り
部屋の空気は凍りついていた。魔族が王子の姿で立ち、シュリア王女を抱き寄せる。柔らかな光の中で、王女の瞳は混乱と恐怖で揺れていた。私は剣を握り、ゆっくりと一歩を踏み出した。
「そこまでだ。今すぐその手を王女から離せ!」
声を張り上げると、魔族は一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに王子の笑みを模して見せた。胸がぎゅっと締め付けられる。嘘の顔の下で、彼は冷酷に計画を練っている。王女は何も知らず、無防備にその腕の中にいる。
操られた兵士たちが部屋の周囲に散らばった。目は赤く濁り、私たちを取り囲む。王女の体が小さく震え、私の手に握られた剣をしっかりと抱きしめる。
「シュリア、大丈夫。私が必ず守るからね」
声を落ち着けながらも、心臓は早鐘のように打っていた。私は女の子で、弱い部分もある。でも、剣を握った瞬間だけは誰より強くなれる。王女を守るためなら、この体と心すべてを賭ける覚悟だ。
「驚くことはない。君の兄は、今ここにはいない」
魔族は王子の声を模して言った。王女は目を見開き、唇がかすかに震える。私は怒りを抑え、心を研ぎ澄ます。敵は冷酷で狡猾だ。だが私にも剣がある。絶対に、王女を――この子を守る。
兵士たちが一歩前に出る。逃げ場はない。窓の外の風がざわめき、カーテンが揺れる。私の目は窓へと向いた。6階――高所の危険。しかし、選択肢は一つだけだ。
「しっかりつかまって、シュリア!」
一瞬の躊躇も許されない。私は王女を抱きしめ、剣を窓のガラスに突き立てた。冷たい感触が指先に伝わる。窓はきしみながらも、私たちを支えている。目を閉じ、深く息を吸い込む。
飛び出した瞬間、空気が肌を切り裂くように流れ、建物の壁が垂直に滑り落ちていく。王女は小さく叫び、腕にしがみつく。その体温が、私の心をさらに引き締める。剣はまだガラスに突き刺さったまま、私たちを支える唯一の橋だ。
着地の衝撃。足がしびれ、息が荒い。王女を安全に抱き止め、周囲を見渡す。城外の影に、追手の気配。だが、少なくともここは一瞬だけ安全だ。王女は私の胸にうずめ、震えている。
「怖かった……本当に怖かった」
「もう大丈夫。私が守ったから、怖がらなくていい」
遠くで城内の騒ぎがかすかに聞こえる。魔族は王子の姿で何を考えているか、私にはわからない。ただ一つ確かなのは、王女が無事であること。今はそれだけが現実だ。
慎重に歩を進めると、木々の間に人影が見えた。私の父である王国近衛騎士団長アラン・ヴューズベルトが現れた。
父は私を見つけると、短く頷き、城の騒ぎを察している様子だった。
「シュリア王女、こちらへ」
父の低く落ち着いた声に、王女は顔を上げ、微かにほっと息をついた。私は影に身を隠し、王女をそっと父のもとへ差し出す。これでひとまず安全圏に置けた。私の姿が見えないうちに、次の行動を練る必要がある。
魔族が追跡してくるのは時間の問題だ。だが今、王女は守られた。揺れる夜風の中、私は深呼吸し、影の中で次の一手を思い描く。
城からの脱出、そして王女を安全に――。それだけが、今、私に与えられた使命だった。




